2021.3.2 【華鏡】は後撰和歌集の編纂の項にかかっています。
今まで【華鏡 一】としていましたが 【華鏡一 仙覚以前】【華鏡二 仙覚の生涯】にしようという明確な枠組みが見えてきて 目下その【華鏡一 仙覚以前】の第一章「華の後宮 醍醐天皇・村上天皇・一条天皇の時代」の 1.2.3.4.まで終わって 「5.華の後宮 ―村上天皇『後撰和歌集』」にかかっています
以下、ツイッターから転載させて頂きます
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3月1日
おはようございます という時間ではないけれど未明に寝たから起きたのが遅く朝の用が済んだらこんな時間 今日はこちらを 『文華秀麗集』 届いたまま開封してなくて やっと本体を出しました まだ箱から出してなくて どんな世界が広がるか楽しみ 世界は広いですね!
源順と勤子内親王の関係は嵯峨天皇皇子の定の家系なのだけれど 定の子の至が順に 定の子の唱が勤子内親王に繋がる 勤子内親王って 源高明と姉弟なんですね だから順は高明と親しく… など ちょっと整理したい心境(順の周辺が見えてきて深まっています)
三月一日の朧月夜 (本当言うと少し日付が変わっていますが) 綺麗です
3月2日
おはようございます 写真は去年のミモザ 今年は見逃しましたが井の頭公園近くで咲いているのを見ました 原稿は後撰和歌集撰集にかかっています この勅撰集 撰者が一首も採られてなく 後宮の方々の歌もない あったら面白いのにと期待していたのですが これら選歌方針から後宮の方々が読むために
作られたのではないかというご論考 村上天皇の後宮は 徽子女王が斎宮女御集を残すなど才媛揃いですが 徽子女王が入内する前から歌は切磋琢磨されてました 和歌所が梨壺という後宮内に設けられたのもその意味があるのではと 梨壺って中宮安子のいたところなんですよね 安子は後撰和歌集で歌の多い
師輔の娘です なんか 安子が重要人物では? という気が萌していて これから大鏡で師輔を読みます 原稿が村上天皇の後宮と源氏物語の関係が主題になって私自身の迷いもすっかりなくなりました 少し前まで鎌倉の源氏物語に関わった15年のあいだに失ったものは大きいなど恨みがましく呟いてました
後撰和歌集には 師輔の歌壇と 兼輔の歌壇があります 師輔は源順に『和名類聚抄』を作らせた勤子内親王と密通して降嫁させたほどの文化人 兼輔は堤中納言と呼ばれる文化人で紫式部の曽祖父 紫式部の祖父雅正の歌が入集しているのもこの歌壇の人だから 師輔と安子の線で撰集の動きが書けるのでは?
源高明が勤子内親王の同母弟で 内親王は高明邸に住んでいらしたそう そこは大納言定が買い取って南北二町にし たもの 風流な邸宅だったよう 定ー唱ー近江更衣周子ー高明と継承されたのでしょう 師輔との密通はここでしょうか 四条北、朱雀西だそうです 高明は光源氏のモデルの一人らしいけど私にはまだ
大鏡 師輔の項を読んだのですが僅か何行とかの少なさ 解説を読んだら温和で人柄がいいから奇行がなく書くことがないからだと ちょっとびっくり 私的にはいっぱいあるのにと 娘の村上天皇中宮安子は 最初は弘徽殿女御的奇行が書かれ 別項で女房らに気を配る素晴らしい中宮と まるで別人でこれも
びっくり そして 素晴らしい評価の中に歌など雅にも気を配った人とありました 安子の後撰和歌集への関与 書いていいかも それから高明親王の安和の変が書かれている項があったので読みました 左遷 大変だったんですね 高明親王が力を得ると源姓の勢力になるから藤原氏方に左遷させられたと
それが光源氏の須磨流謫になるのでしょうけれど 私が今まだ整理つかないでいるのは 源順が高明親王と竹馬の友的親戚関係で親しく(たぶん 乳母子的存在) それで安和の変で順も困窮しますが 順を紫式部がどう見ていたか まだ全然絞れていません