2023.9.18 『歴史研究』714号(2023年10月号)に「藤原公任と寛和の変」を書かせていただきました

2023.9.18

『歴史研究』714号(2023年10月号)に「藤原公任と寛和の変」を書かせて頂きました。関白の子として前途洋々だった公任が寛和の変によって藤原道長と立場が入れ替わる歴史の推移。それを紫式部日記の若紫やさぶらふに絡めて書きました。

たまたま『和漢朗詠集』が好きで『紫文幻想』に作者としての公任を書いていて、そこに「光る君へ」の大河決定で公任が浮上して書かせて頂いたのでした。

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ご無沙汰しての突然のご報告で済みません。鎌倉の『源氏物語』と『万葉集』の普及活動で放置していた古い原稿の救済措置としてのkindle出版をここ一年余りずっと手掛けていたのですが、やっと目処がたって、ペーパーバック版として『華鏡 紫文幻想』『寺院揺曳―まぼろしの廃寺を訪ねて・鎌倉佐々目遺身院』『白拍子の風』の三冊を刊行しました。Amazonで販売しています。これが済んでほっとして、いよいよかねてから取り組んでいた仙覚の小説「仙覚―存在を消して生きた男」にかかるのですが、その前にもろもろ片づけなければならないこともあって、早くとりかかりたくてうずうずしています。

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2023.7.31 Twitterからの転載……小説『白拍子の風』のペーパーバック版の出版に向けて準備をしています

『白拍子の風』は昨年末にkindleで電子書籍の出版をしていましたが、そのペーパーバック版を作ろうと原稿の校正にかかっていました。猛暑で活力を奪われて進みませんでしたが、とにかくこの七月中にはと頑張って、昨夜その推敲を終わりました。やっと気持ちも整理できてきましたので、ペーパーバック版までの覚悟と経緯を呟いたTwitterのコメントを転載させていただきます。

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7月30日

西洋ニンジンボクの花はもうとっくになくなりましたがあまりに暑いので涼やかな写真を 今朝伸びた脇芽を切って花がないその枝の束を花瓶に挿して飾っているのですが廊下に清浄な気のするいい匂いが漂っています 白拍子の風を今月中に仕上げる予定だったのにもう月末 猛暑で活力を奪われた七月でした

白拍子の風より:いつ火を入れたのでしょう。中庭には篝火が赤い火の粉をはぜさせ燃え盛っていました。範理さまの足音が静かな明け方の庭に響きました。ひとときの静寂のあと範理さまは舞いはじめられました。其駒ぞや…… ←其駒揚拍子も御神楽の一つ 白拍子の風の中で最も官能的な箇所の推敲を通過

ふうっと やっと一つ一つの山を越えて終盤に近づいています 終盤になるほど山場だらけだから取りかかるのに覚悟がいって この猛暑で体力を削がれていると全く進みませんでした

白拍子の風は昨年末に電子書籍出版しているのだけれど あの時はとにかく早く過去の原稿の救済を済ませたいとばかりに事務的に推敲をしていました そうした救済措置を全部終わった余裕ある気持ちでとりかかっているペーパーバック版の推敲 今まで鎌倉の源氏物語の問題が全部片付いたら今度こそ自分の

文学の金字塔となる小説を書くのだと思っていたのですがもうこの白拍子の風が私の生涯の金字塔でいいと思えてきました それくらい私自身が好きな世界 なぜこれをそう思わないできたかといえば当時これをわかって下さる方と巡りあえてなかったからです ただお一人菱川善夫先生を除いては

他人の評価を気にするわけではありませんが 当時の私にはまだ見る目ができてなく 他人からあれは良くないと言われるとなんとなくそうなんだ〜みたいに受けとめてしまっていました なのに大分後になって同じ方から あれを読み返したら良かった なんて言われたり 今は自分で見る目ができてきました

先程ツイートしたあと気がついたのですが 菱川善夫先生は本質が国文学者でいられながら評論家になられたからしがらみに縛られない自由なお立場で私の作品を見て下さっていたのですね そうならば紫文幻想も見て頂きたかったと今更に 白拍子の風の推敲 勢いがついて最終章 今夜中に終わります

想像力の犯罪性 久しぶりに出してみました 菱川善夫先生の評論集『飢餓の充足』 先生がこれを送って下さった時に書いて下さった言葉が想像力の犯罪性 改めてそうなんだ〜と納得しました 菱川先生は短歌の評論家でいられましたが 実は国文学の風巻景次郎門下で三羽烏の一人と呼ばれていたそう

国文学者になることを望まれながら短歌評論の道を選ばれたのでした そういう事情を知らない私は源氏物語の二大写本の研究を始めて書いた論文を送らせて頂いた時 光行と定家がドッキングし と私の源氏物語の写本研究を最初に評価して下さったのが不思議でした 白拍子の風も当時菱川先生がただ一人

認めて下さって このご本を頂いたのでした 犯罪性 には今開いてもどっきりしますが 日中推敲した部分はまさにそれでした この辺りから終盤に向かって気持ちがどんどんきつくなっていくのを察し 先生がお住いになってられる北海道から馬鈴薯を一箱陣中見舞いと送って下さったのをよく思い出します

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2023.7.11 新しいSNS「Threads(スレッズ)」を始めました

ほんとうに長くご無沙汰していて済みません。いろいろご報告をしなければならないところですが、今日はこれを。

7月6日に、Twitterに匹敵するSNSとして、Facebookを作ったザッカーバーグ氏が「Threads (スレッズ)」をリリースされました。Twitterは文字数制限が140字のところ、Threadsは500字です。原稿に着手しているとなかなかこちらのブログにまで手がまわらず更新できないでいるのですが、500字なら気軽にできそうと思い、登録してみました。今後の活動報告の拠点になればいいと思っています。


アドレスは、【織田百合子 ginrei2】、@ginrei2@threads です。よかったら覗かれてみてください。

今日投稿した決意表明のような記事をご紹介しますね。ほんとうは写真も添付できるといいのですが、まだできなくて済みません。

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早稲田文学新人賞を受賞した時、大手出版社の編集者さんから出版のお話を頂きました。が、その方が病気になられ、それから文学者としての放浪が始まりました。

溜まった原稿を埋もれたままにしておくのは惜しいと思った時に出逢ったのがKDP,kindleダイレクト出版です。なんとか自分で攻略して6冊、現在刊行しています。出版した本はAmazonで購入して頂けます。

KDPは今まで電子書籍だけでした。それが私が始めた直後の昨年10月にペーパーバックでの出版が可能になりました。早速トライしたのが写真の『紫文幻想―紫式部の『源氏物語』への道―』です。思った以上に綺麗な仕上がりでした。

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これを引用して、『紫文幻想―紫式部の『源氏物語』への道―』や『寺院揺曳―まぼろしの廃寺への憧れ・鎌倉佐々目遺身院―』のペーパーバック版を刊行したことのご報告もしていなかったことに気がつきました。申し訳ございませんでした。

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2023年2月15日 Twitterより転載…パウル・ツェラン『罌粟と記憶』『誰でもないものの薔薇』『雪のパート』を読んで、仙覚のほんとうの境地に辿りつきました

なぜか突然パウル・ツェランが気になって、タイトルに惹かれて買っていたまま読んでいなかった三冊の詩集、『罌粟と記憶』『誰でもないものの薔薇』『雪のパート』を読みました。それだけでは理解不能なので図書館に行って飯吉光夫氏『パウル・ツェラン ことばの光跡』 を借りてきて、大体のことを把握して。

ツェランはアウシュヴィッツで両親を殺されていて、そのことが生涯の苦になっていてやり場のない怒りや慟哭の雄叫びを詩にしていたのでした。私がツェランの詩に惹かれるのはそれが「詩」という一般的な言葉ではなく、「詩」ではあっても意味がある言葉ではなく雄叫びという心の底からの発露だったからでした。誰でもないものの薔薇、この語韻、この語呂、意味がないのに心に突き刺さってきます。

買ったまま読まなかったのは、帯などに書いてあるアウシュヴィッツなどの壮絶な人生を読むのが怖かったからです。なのに買ったのは、タイトルの言葉が綺麗だったからです。そうです、タイトルにして雄叫びの心の発露があったのでした。

数日、ツェランに関連した読書と思索で過ごしました。そしてわかったのです。私がこれから書こうとしている仙覚こそツェラン側の人だったということが。比企氏ゆかりの男子ということがばれると殺される運命にある仙覚は、生まれながらにしてツェランが心に負った雄叫びするしかない苦悩を負っていたのです。その発露が『万葉集』の研究に充てられたのでした。

ツェランを読んで、考えたことは必然でした。その一連のTwitterでのツイートを転載させていただきます。

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2023年2月8日

『罌粟と記憶』 パウル・ツェラン第一詩集 どうしてパウル・ツェランの詩集のタイトルってこんなに綺麗なのだろう といつも思う 『誰でもないものの薔薇』『雪のパート』 タイトルだけで買っていました 中はまだ 読む勇気がないまま何十年も本棚に飾っていて 今日 ふと 罌粟と記憶を開いて読みました

詩の言葉がタイトルの美しさと同じことに気がついて この方の詩は私が読んできたたくさんの方々の詩と違う 意味ではなく言葉なのだ と思いました ただただ字の繋がりが美しい 少しツェランを読んでみようと思います

発露 という言葉が浮かびます

誰でもないものの薔薇 このタイトル この詩集に出逢って詩集自体は読んでいないのだけれど 言葉として深いところで影響されていた 私はそれを深めるべきだったのになんか寄り道ばかりして 中世の鎌倉などという日本史にまで踏み込んで 今日 罌粟と記憶を開いた時 私は何もかも中途半端に過ごしてきた

の思いが強くしました 自分の立ち位置について考えることあって罌粟と記憶を開いたのですが 結局この中途半端だった生き方に今自分で疑問を感じているのでしょうね これから仙覚の小説に取りかかるから それまでに自信をつけたいです

 

2023年2月9日

おはようございます しんしんと雪に降り込められる予報に備えて朝から大忙しでした 雪のパートのパウル・ツェラン ランボーは青春の想い出 バルトもシモンも学習したから 発露で見出だしたのはツェランが初めて そんな思いに駈られています 怖くて読めない時期を経てようやく読める時節になったのかも

パウル・ツェラン 私が持っている三冊 罌粟と記憶・誰でもないものの薔薇・雪のパートと 今日借りてきた訳者飯吉光夫氏『パウル・ツェラン ことばの光跡』 事前の知識なく読むか先に解説を読むか悩んだのですが 昨夜詩を読んでこれなら解説を読んでも影響されなく読み進めると思ったので借りてきました

買ったまま一度も読んだことのない三冊の詩集 タイトルの美しさに惹かれて買ったのでした 海外文学は小説の師が仏文の教授でいらしたので仏文関係の読書はしました ツェランは独語だから師の教えで知った訳でなく書店で惹かれてでした ツェランというと帯に書いてある人生が先に知識に入って それを

共有するかりかいしないといけないみたいになってそれで読むことに勇気がいったのですが 昨夜誰でもないものの薔薇を開いて読んで 私はやはりツェランの詩が好きだと悟り やはり読もうと思いました その時思ったのは ツェランの人生と詩は別ということ 例え詩に人生が込められていたとしてもです

今日図書館で『パウル・ツェラン ことばの光跡』を借りに開架の棚の奥のほうの海外文学のコーナーへ行くのに ここのところずっとそこばかりに佇んでいた日本の古典文学のコーナーをさっさと通り過ぎてゆく自分をどこか上の方から俯瞰して見ている自分がいて驚きました 人はこんなにも変わるんですね

飯吉光夫氏『パウル・ツェラン 光の光跡』 第六章大災害のあとで とあとがき を拝読し それから年譜を読んだら 読み終わって自然に涙が出ました そうだった なぜ寺院揺曳を中断してまでツェランに惹かれたのか ここでした 夢窓疎石を書いていた最後に私も9.11に遭い言葉を失った それを書いていて

なんかまだ生ぬるい 私自身明確な答えをつかんでいない と感じていたのです ツェラン 続けて拝読します

 

2023年2月10日

おはようございます 降り始めの雪 多摩東部(23区に隣接する地域です 隣は杉並区)の三鷹市も降ってきました 雪の井の頭公園 撮りに出たいけど 今は不要不急で何かあって原稿が書けなくなったら大変だから我慢 雪の公園はさながら森は生きている状態 行くといつも転がれ転がれ指輪よ と 呟いてしまいます

飯吉光夫氏『パウル・ツェラン ことばの光跡』あとがきより: 死者を想って、他に遣り場のない気持ちのあまり必死に書かれるツェランの詩……

飯吉光夫氏『パウル・ツェラン ことばの光跡』の気になった箇所をノートに書き写しながら読み進んでいるのですが 先ほどツイートして少しわかってきました ツェランほどの苦しみを経験していなくても ツェランがそれで文明論的・一般的論考の贅肉をそぎ落としたその詩を読むのだから突き刺さって当然と

飯吉光夫氏『パウル・ツェラン ことばの光跡』より: 彼の詩は物憂い似而非気分などはどこにも見られない、むしろ緊迫した切実な胸中のあらわれであるのだ。そしてこれはユダヤ人としての彼の戦時中の体験がその何よりの動機を生みだしている。それゆえにこそパウル・ツェランは、戦後のドイツの

いかなる詩人たちにも先んじて、詩作の初心、詩のよりどころ、心の表現に立ち戻ったと言いたい←このご本の拝読から離れられないでいます。平穏に暮らしている私が果たしてツェランを読む資格があるかとしょっちゅう自分に問い合わせさせられるのですが、たぶん私にも自分で気づかない心の奥底での

ツェランと同じ苦悩哀しみ怒りがあるのでしょう、だから詩を読んでいると意味がわからなくても突き刺さる。以前文学を基盤にしていた時は少しはこういうことを身近に置いて生きていた。鎌倉の源氏物語の活動に入って、活動という日常次元に終始していたらすっかりそれを忘れていたと気づいてきました

 

2023年2月11日

おはようございます 眩いばかりの朝の光 雪はもう消えているけど大気が清浄になったからでしょう 昨日連絡を頂いてそろそろ動き出す九月の講座 お受けした時はコロナの終息が見えそうだったからなのにそれから第八波 なのにマスク不用とかとんでもない世の中で九月の講座でマスクはどうなるでしょう

しつこいくらいにパウル・ツェラン関連のツイートをしていますが これが私の小説修行の方法で かつては恩師のクロード・シモンの翻訳とあとがき そのあと高遠弘美先生のプルースト研究 そういう方々の言葉に対する真摯なご格闘と結果を拝見しつつ自分のものにしたいと私もまた格闘して今まできました

ツェラン関連のツイート これが最後にします 飯吉光夫氏『パウル・ツェラン 光の光跡』あとがきより: ツェランはナチスに母親が殺されたことを一つの衝撃的な出来事として受け取って、心の持っていき所のなさを自然の災厄のようにうたう。平穏無事な日常的な生活、そこへ自然の暴威が突如として割って

入る。「ひとつのどよめきーいま真実そのものが、人間どもの中に歩み入った、暗喩たちの吹雪のさなかに」のような詩は軽佻浮薄な人間界に、自然の法則にのっとった回避不可能の事態が生じる様子を伝えているだろう。 一度起こった悲惨事を詩でいくら表現しても、取り返しがつかない。詩はこの出来事の

まわりを空まわりするだけである。この空白部は沈黙といってもいい。← この文章がそのまま 『寺院揺曳』で書いていて甘いと悩んでいた夢窓疎石と9.11との関係に対する答えで ここに触れた時は震撼としました ウクライナの戦争 そしてトルコの大地震 思うこと多々ですが 寺院揺曳に戻って完成させます

すっかり世界が変わりました 境地のことです 鎌倉の源氏物語に出逢って以来 その普及活動ですっかり日常の感性にすり変わり文学の感性を失っていました なのに鎌倉の源氏物語から派生して仙覚の小説を半ば義務的義侠心から書こうと決意して取り組んだものの書けるはずがなく 数年近く枯渇の苦しみの

中で一人のたうちまわっていました 無理矢理紫文幻想を書き 次は仙覚の小説としての万葉幻想 と思いつつ 紫文幻想のようには苦しまず自然に溢れるように書きたいと気持ちの整理に努めていて 白拍子の風に寺院揺曳と かつて書けていた頃の原稿に取り組んだら 書けていた感性が蘇り そこにツェランで命が

吹き込まれたという気がします あとはゆっくり詩集をひもどきながら寺院揺曳を完成させにかかります 戻ってみればかつての自分の自然だった世界 それを取り戻すのにこんなにも時間と労力を費やしました お陰ですっかり鎌倉が過去のことになりましたが講座が九月にあります 新しい境地で臨みます

明日から『寺院揺曳』に戻ります 詩を読んでいました パウル・ツェラン あとからあとから繰り出される言葉 決して有機的なものを含まない言葉の羅列の凄まじい詩群 こんな体験初めてなのですが詩集と眺める私自身の身幅の本当に小さな一画だけが一切の日常から切り離されて存在する現実の気がしました

 

2023年2月12日

おはようございます 誰もゐないと言葉だけが美しい 牧野富太郎の詩です 誰 言葉 たまたまかも知れないけどツェランの詩と同じ 世界苦という言葉があるか知らないけど 人間は誰もが根源的な苦しみを持っていて ツェランの場合はアウシュヴィッツという明確なものがあるからわかりやすかったけど 牧野

富太郎はまだ二十歳前後の若者ではあったけど根源的な苦しみを持っていて 詩はその発露だった のではないかと起きてすぐ思いました ツェランの詩に最初に接した時に感じたこの発露の思い それは根源的な苦しみに対する悲鳴や怒り雄叫びなのでしょう 牧野富太郎もそれだった ある意味形而上的にまで昇華

された苦しみだから言葉になった時 余分なものが削ぎ落とされて美しい 私にそんな深い苦しみがあるかと問えば早くに父を亡くしているし それでも呑気に生きてきたようでも根源的な苦しみはあってだから雄叫びを感じとったのかも知れない など思います

ツェランを読むのを止めたのは寺院揺曳に戻りたくなったからでなく あのまま読み進んだら危ないと思ったから 以前 ある掌編を書いた時 ある方には君は上手いなと言われ ある方にはあのまま行ったら危ないと言われ それで書き方を変えました そうしたらある方からどうしてあれを止めたのと惜しまれた

今思うとあの時ツェランで感じたこのまま行ったら危ないを回避したのかも知れないですね だからそれ以降書くものがつまらなくなり 歴史に逃れた 根源的な苦しみを回避しては本物の文学が書けず でもそのまま行ったら日常生活に差障りが出る 回避したあの時に私は今立ち戻っているのかも知れません

もちろん危ないことは避けるつもり 家族のためにも その拮抗を考えます たぶん寺院揺曳でそれができる

そうっかとやっとここに辿り着きました この根源的な苦しみこそ仙覚さんだったのですね 比企氏残党の素性が知れたら殺される運命 なので終生それを隠して生きるしかなかった その根源的な苦しみからの雄叫びが万葉集研究だったのです 『紫文幻想』では一族の鎮魂の為にと書きましたが それは甘かった

 

2023年2月13日

おはようございます 深夜二冊の詩集を読みました 誰でもないものの薔薇と雪のパート タイトルに惹かれて買っていて読んだことのなかった詩集 飯吉光夫氏のご著書で大体の思惑がついてもうこれでツェランを離れようと覚悟しての拝読 詩集ってなんだろうと思いました 好きで繰り返し読むのが詩集と思って

いたから そういうことの隔絶した世界のツェランの詩集 日常という安易な衣をまとって読んでいること自体が不遜に思えました 雪のパート 綺麗な詩でした 思ったのは今後ツェランを読むにふさわしい人格になろうと これから書く仙覚さんはツェラン側の人です 孤高とか荒涼とかの言葉も必要のない世界

 

 

 

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2023年2月14日 Twitterより転載…ズームで澤田直氏「イメージと哲学 20世紀フランス思想の映像論」を拝聴しました

私はものを書いていますが、私の原点は写真です。随分長くそれを忘れていました。そのあいだに鎌倉の『源氏物語』の活動をしたりして、とにかく私自身のよって立つ基盤を見失っていました。

たまたまTwitterで岩野卓司先生ご主導のズームでイメージ論を学ぶ機会を頂き、なにか気になって澤田直氏の「イメージと哲学 20世紀フランス思想の映像論」四回連続講座を拝聴しました。その最後がロラン・バルトの『明るい部屋』でした。

写真は存在を示すものではない そこにかつてあったことを意識するもの・・・

私は写真が好きです。Twitterでパリの古い写真を流して下さる方がいて、それを見ていると、ああ、この人たちはこの時こんなふうに生活して生きていたんだ・・・、の思いにとらわれます。

この『明るい部屋』のお講義を拝聴して思い出した写真がありました。それが、アンリ・カルティエ・ブレッソンの「決定的瞬間」です。写真の道に進んで最初に習った写真の歴史の中で知った一枚。舗道ですれ違う何人かの人をただ俯瞰で写しただけの写真ですが、見知らぬ人たちがその一瞬すれ違ったという歴史的一瞬がそこにあるのです。

以前書いていた『寺院揺曳 ―まぼろしの廃寺・鎌倉佐々目遺身院』の原稿にその「決定的瞬間」を詳説した文章があります。新年になったら仙覚さんの小説『華鏡』にとりかかろうと思っていたのに、なぜか突然その『寺院揺曳』という過去原稿のkindle出版に舵を切って目下推敲にとりかかっています。

もう少ししたら『寺院揺曳』のkindle出版が終わります。それで気持ちに余裕が出て更新の滞っていたこのブログに気持ちが向いたのでした。

以下、Twitterからの転載です。

 

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2023年1月12日

RTさせて頂いた澤田直氏による「イメージと哲学 20世紀フランス思想の映像論」 私はようやく今日全四回を拝聴しました 最後はロラン・バルトの『明るい部屋』 もう食べてしまいたいくらい好きとかつて思った写真論のこのご本 でも内容をすっかり忘れて情なく思っていたのですが 今日拝聴して

写真は存在を示すものではない そこにかつてあったことを意識するもの という展開に Twitterで流れてくるアジェとかの仏の古い写真をRTさせて頂くたびに ああ かつてこういう風景があったのだ と見とれてRTボタンを押しているのがそれだったんだと バルトが私の中で生きていたことを感じました

でも 絞首刑の青年の写真は じっさいに『明るい部屋』にあったか覚えてなくて 例として分かりやす過ぎて怖かったです 明るい部屋はバルトの晩年の写真論だったと そうなんですね お母さまの例があっての思索の深まり いい時間を過ごさせて頂きました 岩野卓司先生 本当に有難うございました

2023年1月13日

おはようございます 私のロラン・バルト『明るい部屋』は古い版で銀色のカバー ハトロン紙がもう破れています 大切な一冊で本棚のいつも見える正面の棚に 久しぶりに出して見ました 昨日の澤田直先生のお話の余韻をまだ引きずっています 考えたら私には歴史や古典をするよりも先にこの世界がありました

時間と空間 特に時間論が私の根底なのはこの『明るい部屋』が原点なんですね 鎌倉の源氏物語とか目下推敲している佐々目遺身院のような研究とか書き物はその時間と空間を表象するための素材 と言ったら言い過ぎかもしれませんが 考え方としてはそうだったんです だからいくら古典を書いても一般の方々

と違う そうわかったからには私はもう独自の私の路線で突き進みます 昨日のお話ではバルトの写真論は初期と晩年とあって 明るい部屋は晩年 初期のは全くの記号論的で無機質 お母さんの死という体験があっての明るい部屋 バルトにしても自身の体験無くしてこれは書けなかった 私の華鏡もそうなると思う

私のロラン・バルト『明るい部屋』には青インクの線や書き込みがぎっしり ふと開いたら昨夜のお話のメインテーマのお母さんの死から写真論が展開することになったそのページ ここ まさにこの文章 まさにプルーストであり私にはシモンのアカシア こういうのが私の「文学」です ここに還ろう!

ある日私はナポレオンの末弟ジェロームの写真を見た。そのとき私はある驚きを感じて思った。私がいま見ているのは、ナポレオンを眺めたその眼であると。私はその驚きを人に話してみたが、誰も驚いてはくれず、理解してさえくれない←『明るい部屋』の冒頭です 再読したくなって開いての冒頭 まさにこれ

私が感じていることです 誰も理解してくれない 書くことで必死に訴えてきましたが心から理解して頂いたと安堵したことはなかった そういうことだったのですね そして今日 理解してくれる人 バルトに再会しました なんか とても嬉しい

 

 

 

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2023年2月14日 もう2月も半ばになってしまいましたが、今年最初の投稿です。滞っていてすみませんでした。

昨年最後の投稿を今読んだら、新年から仙覚さんの小説にかかると書いていました。そのつもりだったのですが、どういうことからだったか覚えていないのですが、過去原稿の『寺院揺曳 ―まぼろしの廃寺・鎌倉佐々目遺身院ー』を先にkindle出版しておこうと思ってその推敲をしています。もうできている原稿だから1月中には出版できるくらいの軽い気持ちで始めたのにまだ終わりません。やっと近々刊行へのアップロードができるかな、というところにきました。気持ちが軽くなってきました。

その間ですが、Twitterでいろいろな方の情報を得てズームでいろいろなことを学ばせて頂いたり考えること多く、振り返ってみるとそれは今後書いていく上で重要なことなので、Twitterでその都度呟いたことをここに転載しておこうという気持ちになりました。逐次、転載してゆきますね。

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2023年1月6日
あけましておめでとうございます。今年最初の投稿は、昨年暮れにkindle出版した小説『白拍子の風』を紹介させていただきます。

京浜急行金沢八景駅から歩いて数分の高台に上行寺東遺跡という中世墳墓群の遺跡がありました。マンションの建築で発見されたのですが、貴重な遺跡を残してほしいという歴史学者さんたちの保存運動にもかかわらず、横浜市は遺跡を破壊し、マンションを建てました。

その遺跡には岩盤を彫った阿弥陀如来坐像があり、春分の日と秋分の日の年二回、太陽がその頭上から一直線に沈みます。阿弥陀様の背後には遠く朝比奈峠のある山が見えます。その向こうが鎌倉です。V字形に切り通された朝比奈切通も見えました。遺跡の保存は叶いませんでしたが、市はその阿弥陀様の一画を樹脂で固めたレプリカとして残しました。

私が遺跡発掘の仕事に従事していたときにはすでにそのレプリカでしか上行寺東遺跡を見ることができませんでしたが、でも、それでもその遺跡が好きで、一人でよく訪れました。

ある日、いつものように訪ねて、高い階段を上って遺跡の端に立った時、さっと一陣の風が吹いて煽られました。その時、采女の袖ふきかへす明日香風都を遠みいたづらに吹くの志貴皇子の歌が浮かび、すぐに続いて白拍子の風のタイトルが浮かんで、突然構成ができたのでした。

 

 

 

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2022.12.30 『華鏡 紫文幻想』が完成して、今年はようやく仙覚の小説が動き出した良い年になりました


今年も残すところ一日になりました。更新が滞りがちで申し訳なかったのですが、そのあいだ原稿に専心してようやく仙覚の小説が動き出しました。

ここ数年、仙覚の小説を書こう書こうとして書けない年が続きましたが、今年ようやく原稿が動き出して『華鏡 紫文幻想』が完成しました。これは仙覚の小説の前編として書いたもので平安時代編。仙覚の万葉集研究の発端としての村上天皇の命による梨壺の五人が主軸です。

後編が仙覚が生きた時代の鎌倉時代編になります。これをつい先日まで仙覚の小説の後編として『華鏡 万葉幻想』とする予定でした。が、実際に原稿を書き始めたらこの前編・後編の構成を止めて、『華鏡 紫文幻想』はこれで完成とし、『華鏡 万葉幻想』は『華鏡』だけのタイトルにして、これを仙覚の小説としたくなりました。

目下、その『華鏡』第一章「南庭の白菊」が書き終わったところで、比企の乱で仙覚が生まれたところまで書きました。

 

第二章は新年に入ってからとりかかりますが、源実朝がメインになります。実朝には藤原定家から贈られた『万葉集』があります。これが実朝の暗殺後、次の将軍頼経の所持となり、その頼経の命で仙覚が『万葉集』の校訂をしたときに、頼経から貸し与えられて、仙覚の研究の一端を担うのです。ここでそれを書いて、『西本願寺本万葉集』につながる宗尊親王の時代への布石にします。

 

来年は、今までのような停滞はなく、原稿はスムーズに進むと思います。そう願って、今年最後のご報告とさせていただきます。

来年もよろしくお願いいたします。

 

【今年は四冊のkindle出版をいたしました】

『華鏡 紫文幻想』(仙覚の小説の前編)

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『白拍子の風』(小説)

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『『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』の研究』(学会で研究発表した時の資料集)

『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』の研究: 解釈学会全国大会研究発表資料集 | 織田百合子 | 小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

『京・鎌倉の文化交流』(論文集)

京・鎌倉の文化交流 | 織田百合子 | Kindle本 | Kindleストア | Amazon

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2022.12.24 kindle出版『華鏡 紫文幻想』のご紹介

2022年12月24日

『華鏡 紫文幻想』

Amazonの内容紹介:

『源氏物語』は藤原北家の道長の下で書かれましたが、藤原北家は大化改新を起こした中臣鎌足が祖の「討って奪う」血脈が累々と続いた家系です。それが藤原北家の他氏排斥事件と呼ばれる政変を起こしました。

『万葉集』をはじめ、『伊勢物語』や『古今和歌集』など古典は排斥された側の人たちによって作られました。人生の苦しみ、哀しみをみつめ、心を深めていった人たちの結実が古典なのです。『華鏡』はそういった人間関係からたどる国文学史です。

華鏡 紫文幻想 | 織田百合子 | 小説・文芸 | Kindleストア | Amazon https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0BJ7QNNFV/ref=dbs_a_def_rwt_bibl_vppi_i3

【目次】

第一章 藤原北家・小野宮流藤原実頼まで

一.大伴旅人の大宰府赴任 ―紀貫之『古今和歌集』仮名序

二.歌の聖・柿本人麻呂 ―平城天皇『万葉集』………………【大化改新】

三.河陽の離宮 ―嵯峨天皇『文華秀麗集』

四.二条后高子 ―在原業平と『伊勢物語』……………………【承和の変】

五.陽成天皇の廃位 ―藤原時平『日本三代実録』

六.寛平の歌合 ―宇多天皇『新撰万葉集』…………………【阿衡の紛議】

七.藤原定方の娘 ―白居易「長恨歌」

八.太液の芙蓉 ―紫式部『源氏物語』桐壺巻

九.菅原道真の大宰府左遷 ―宇多天皇「寛平御遺誡」………【昌泰の変】

十.堤中納言・藤原兼輔 ―醍醐天皇『古今和歌集』

第二章 藤原北家・九条流藤原師輔以後

一.内親王の密通 ―紫式部『源氏物語』若紫巻

二.嵯峨の山荘 ―紫式部『源氏物語』松風巻

三.琴の音 ―村上天皇女御徽子女王『斎宮女御集』

四.斎宮の花園 ―紫式部『源氏物語』竹河巻

五.華の後宮 ―村上天皇『後撰和歌集』と梨壺の五人

六.後宮の歌合 ―村上天皇「天徳内裏歌合」

七.村上天皇崩御 ―紫式部『源氏物語』幻巻

八.源高明の大宰府左遷 ―紫式部『源氏物語』須磨巻………【安和の変】

九.後中書王・具平親王 ―藤原公任『和漢朗詠集』…………【寛和の変】

十.雪の越前 ―紫式部『源氏物語』夕顔巻

華鏡 紫文幻想 | 織田百合子 | 小説・文芸 | Kindleストア | Amazon https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0BJ7QNNFV/ref=dbs_a_def_rwt_bibl_vppi_i3

 

 

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2022.12.23 『歴史研究』第706号(2022.12月号)に「内親王の密通」を載せて頂きました

『歴史研究』第706号(2022.12月号)に「内親王の密通」という短い文章を載せていただきました。

鎌倉の万葉学者・仙覚の小説の前編『華鏡 紫文幻想』は、『万葉集』研究の最初として平安時代の村上天皇の命で万葉仮名の訓点作業をした梨壺の五人をメインに書きました。

梨壺の五人の一人に源順がいます。その源順を調べていたら『和名類聚楽抄』という日本で最初の辞書を作った人とあり、『和名類聚楽抄』を調べたら醍醐天皇の第四皇女勤子内親王が命じて作らせたとあります。

それで勤子内親王を調べたら、なんと、この方が村上天皇の朝廷で右大臣だった藤原師輔と密通・結婚しているのです。

そんなことから、え?、え?、え?、となって芋づる式に調べていって出した結論が、紫式部が『源氏物語』を書いた時、勤子内親王が藤壺のモデルではないかということでした。藤壺は言わずと知れた光源氏と密通した内親王です。そして、勤子内親王も藤壺も第四皇女なのです。

詳しいことは煩瑣になりますのでここでは書けませんが、面白い論が書けたと思っています。

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2022.12.21 仙覚さんの小説は前編の平安時代編『華鏡 紫文幻想』が完成しました

大変にご無沙汰になりました。ずっと籠って書いていました。仙覚さんの小説ですが、ここにきてやっと構成が整い、前編が平安時代編『華鏡 紫文幻想』、後編が仙覚さんが生きた時代の鎌倉時代編『華鏡 万葉幻想』になりました。そして、前編が完成しています。

以下、総括した文章をFacebookページ【仙覚取材ノート】と【光藝社写真部】に載せましたのでこちらにも。

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2022年12月21日

源氏物語千年紀の2008年、京都では古典の日が制定され、記念の祝典が催されました。私はすでに鎌倉時代に武士たちが『源氏物語』を愛好していたことを研究していましたので、鎌倉でもシンポジウムか何か記念式典があるはずと思って楽しみにしていました。けれど、いつまで待ってもそういう情報が入ってきません。鎌倉ではまだ『源氏物語』が受容されていたことが一般認識になっていなかったのでした。それで急遽、私は鎌倉の源氏物語文化の普及に努める活動に入りました。十年ほど携わりました。

 

コロナのパンデミックで自粛生活に入って三年が経ち、気持ちも落ち着いて自分の時間を取り戻した時、私にはし残してきた仕事があることに気づいたのです。突然鎌倉の活動に入ってしまったものですから、それまで書いていた原稿が書籍化されることなく放置したままになっていました。

 

私は今、鎌倉の万葉学者仙覚の長編小説に取り組んでいます。その前編となる平安時代編『華鏡 紫文幻想』が終わり、次に後編の鎌倉時代編『華鏡 万葉幻想』に取りかかろうとしています。が、取りかかったら大変な時間と労力を要しますからまた原稿は放置したままになってしまいます。それで急遽決意して、原稿を電子書籍としてkindle出版しておくことにしました。

 

9月に学会で研究発表した時の資料集『『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』の研究』を、10月に『華鏡 紫文幻想』を、11月に時代小説『白拍子の風』を、12月に論文集『京・鎌倉の文化交流』をkindle出版しました。Amazonで販売されています。

 

写真はそのAmazonの販売ページにある著者ページです。

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画像の添付がどういうわけかできないので、著者ページですが、Amazonで販売されている本の書影の下にある織田百合子というところをクリックすると出てきます。

これからまた籠って後編『華鏡 万葉幻想』に籠ります。

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