2018.6.17 ツイッターから転載…菱川善夫先生の思い出から小説「白拍子の風」を思い出して電子書籍化を試みようかと・・・

6月15日

菱川善夫先生の新しいご本が出て奥様の和子様のご健在を知ってほっと 最後の年 私は私自身が深い沼の底にいたから何方とも接触を絶っていて それは北海道にいられる菱川先生の知るところでなかったから疎遠になったと思われていたみたい 後で奥様から伺ったのですが 奥様が織田さんからも連絡が来なく

 

なったわねと 看病の合間に仰ったら それはね 織田さんは自分の道を見つけたからなんだよと仰っられたそう ちょうどその時 私は取材で厳島神社を訪ねていて やっとご連絡申し上げる気分にもなって 平家物語というお菓子を北海道にお送りしたのでした お二人が大変喜ばれたことは 後のその会話を伺って

 

知りました 私は先生が病の床についてられることも存じ上げなかったから それから2ヶ月後くらいに亡くなられた報を得て驚きました 平家物語のお菓子のお礼の筆文字の自筆のお葉書が私への形見になって残りました そこには 必ずや詩神が見守ってくれるでしょうと書かれていました 大切な思い出です

 

お葉書は病床で書かれたから 奥様は 筆が乱れていたでしょ と仰るのですが 私は気がつかなくて いつものシャープな切れ味鋭く美しい筆跡とばかり思っていました 菱川先生のご筆跡 それはほんとうに美しいです

 

6月16日

こんな時間ですが おはようございます笑 昨夜菱川善夫先生の思い出をツイートしたら 甦るものがいっぱいあって そうだ 菱川先生が気に入って下さっていた「白拍子の風」を電子書籍にしようと思いつきました 連載中から毎回楽しみにして下さって 美しい水茎のご筆跡で長文のお便りを戴きました

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最終回執筆中には 激励にと 北海道からジャガイモをひと箱! 笑ってしまいましたが嬉しかった 菱川先生は風巻景次郎門下の三羽がらすの一人と目されていた方だから 私の国文学的分野の創作を誰よりも深く理解して応援して下さっていたのです 「白拍子の風」も出版しなさいとかけあって下さって

 

いました その時は叶わなかったけれど いつか 例えば鎌倉の源氏物語が終わったら とか 今は仙覚の小説が終わったら などずっと書籍化を考えていたのですが 仙覚が終わりそうにない今 そうだ 電子書籍化ならできる! と先日TLに流れてきたその方法を試してみたいと思った 朝 です

 

追記:「白拍子の風」は慈円と白拍子の夜叉が主人公 定家が当然登場します その回を読まれた菱川先生 ちょうど北海道から出てらした時で 品川のプリンスホテルでお会いしたのですが 「定家をあんなに走り回らせて……」と苦笑されていました 今思い出しても楽しい会話

 

鎌倉に というより かつて鎌倉文化圏だった横浜市金沢区の六浦に 上行寺東遺跡があります 中世墳墓群の遺跡です 発掘終了後は破壊されて 今あるのはレプリカ でもレプリカでもそこに立てば そこには当然 中世あったままの視界が広がり かつてと変わらない風が吹いています その遺跡を好きで何回訪ねた

 

でしょう いつもひとりでした 朝比奈の峠を遠く見晴るかす高台にその遺跡はあって いつも強い風が吹いていて 怖いくらいでした そんなある時 ふっと 「白拍子の風 」のタイトルが浮かび 物語はそこから生まれました 当初は采女の風の転生物語にしようとの構想でした  慈円物語に終始しました

 

夕闇に沈みつつある青い紫陽花@井の頭公園

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このごろこういう本にばかり眼がいってしまう 死海文書を読むという本 古書店で購入 さっきまで眼をとおしていました なにがほんとうでなにがフィクションかわからないけど ダビィンチコード以来 違う 薔薇の名前以来 世の中には隠された本というか 意味が多いんだなあと

 

タウンニュース鎌倉版コラム 残りあと3 鎌倉で読んで下さった方から 残念です 50回くらい続けて欲しかった  最初は永遠にくらいに意気込んではじめました なのに途中から仙覚の小説を書くことになり だんだん集中したくなって止めることに その時々の人の思惑は信じられない と自分で思います

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2018.6.16 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第27回「 平禅門の乱平頼綱子息資宗と後深草院二条」が掲載されました&雑感

6月14日

ブログ更新しました また過去写真 ほんとうにこのごろ 撮ってない 外界のものにレンズを向ける気持ちが起こらないんです カメラを使命にして生きていたようなところがあるから こんな日がくるなんて 思ってもみなかった 今は 心の底をのぞき込む そんなことで充実

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印字した途中原稿を入れているファイル 空海と大日経の段を終え 久しぶりにこのファイルに 陽明文庫蔵の伝後鳥羽天皇筆消息だそう 鹿?さんが可愛くて気に入ってます 窓の外の薔薇の枝が写り込んで

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大日如来像について書くのだけれど とても大日経は書けない でもそうすると短編が薄っぺらなものにしか でも 短編だからそれでいい とばかり思っていたのに 書けました 今自分のなかがシンとしています そうなると とても危ない領域には踏み込めないと思っていたことも 踏み込んでいくのかも

 

写仏を習っていたから 金・胎両部の曼荼羅を 生涯に一度は描けたら というのが夢だったのに 無理 と諦めていました あるとき ふと 写真で作ってみたら? との思いに駆られてはじめたのが上記添付の写真 技術は懇意のデザイナーさんに頼んで でも中断 過去写真発掘で思い出しました

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次の段落にはいって 運慶と手書きで書こうとしたら 空海と 何度も呟くけれど ほんとうにこの二人 似ている

 

段落の最初を書きはじめると 疲労困憊するから 夕刻少しのつもりで仮眠したら もう8時過ぎたよ と起こされて慌てて夕食の支度 昨夜たくさん種類を作り過ぎたのが功を奏し あまり差し障りなく夕食と後片付けは終了 この昏睡 なんだったのだろうと今も不可解 書くことでα波がでたのでしょうか

 

頑張って寝ようとしたのだけれど 眠れなくて 起きて滋子さんの原稿を 就寝前に道筋だけつけて 明朝打とうと思っていた文章 これから打ちます まさかまさかの運慶の段落に平等院 筆の先から浮き上がってくる短編世界は 構想したことの先をいっていて 作者である私自身が想像不可

 

さっき ふっとわかりました 空海と運慶を混同する理由 漠然と今までふたりとも漢字二文字で巨星 とだけ考えていたのですが 空と運ともにUの発音が 海と慶ともにKIの発音が 音感が似ているんですね

 

6月15日

おはようございます 涼しい朝 滋子さんの短編にかかるとき 最勝光院がメインだったから 空海や運慶は脇で こんなにメインになるとは思っていなかった 東寺講堂の仏像群に気づいてやっとこちらにきたら カルチャーで真言密教を学んでいた時のことが甦り なにかが変わって 文体まで変わりました

 

カルチャーで もっと奥を学びたいと申し出たら 貴方には文学があるでしょう と言われました それからそのお言葉を胸に 文学は私にとって修行 と思いつつなかなかそれを実感できないできましたが 東寺講堂の仏像群を書き始めたら 文体が変わった! 手応えも違う! なにかが変わってきています

 

密教的にいうと 意識が阿頼耶識の底まで届いた ということかな・・・ まだまだですが 一応 (ほんとうに書くことは意識の掘り起こしです)

 

【タウンニュース鎌倉版】鎌倉と源氏物語〈第27回〉 平禅門の乱平頼綱子息資宗と後深草院二条、が掲載になりました。

https://www.townnews.co.jp/0602/2018/06/15/436391.html

 

タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第27回「 平禅門の乱平頼綱子息資宗と後深草院二条」が掲載されました。連載してきた『とはずがたり』シリーズの最後、後深草院二条登場の最後です。冒頭の霜月騒動は、ちょうど20日から金沢文庫で安達一族展をするので驚きのタイムリーでした。

 

金沢文庫【安達一族と鎌倉幕府 御家人が語るもうひとつの鎌倉時代史】展

https://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiyokoku.html

 

平禅門=平頼綱は、大河「北条時宗」で北村一輝さんが演じられた人物です。子息の資宗が後深草院二条と懇意になって、噂されるまでになっています。資宗も平禅門の乱で父頼綱と一緒に滅ぼされましたが、それについて二条は何も書いていません。二条が鎌倉を離れて三年後に起きた乱です。

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2018.6.14 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(111)空海と大日経のこと

6月12日

古びたブロック塀上の小さいけれど立派な苔 ふと眼にとまって

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司馬遼太郎空海の風景と 小林秀雄本居宣長を たまたま古書で入手したので ぱらっと読んだら 語調が似ている 私にはこんな上から目線の自信満々の書き方 とてもできない と思う したくもないとも思う だけど この二著 むさぼるように拝読した時代もあったんだなあと 人って変わるものですね

今は 辟易…

 

大日経についての2冊の本をコピーして マーカーを引きながらおさらいしています 加持について 以前習っていた時 加持の語がとても重要 とよく言われたのですが 全然わかっていなかった事が判明 頼富本宏先生「法身という存在をトータルで捉えることは決して難しくないが、密教は単なる存在論ではなく

 

そこには必ず作用が要求される。作用なき理論は、哲学としてはハイレヴェルであっても、宗教としては無意味である」「加持、すなわちほとけの聖なる力を受ける働き」

 

以前はまだ頼富先生のこういうご著書が出ていなかったからなあ〜 と感慨

 

大日如来は「釈尊のような歴史性を含んだ存在ではなく、『華厳経』の毘盧遮那仏のごとく、世界の全体を象徴するコスモス的なほとけのカテゴリーにあった」

 

そうそうこれ! 空海の言葉で「加持とは、如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水、よく仏日を感ずるを持と名づく」 この句はもう身に染みて馴染んだのですが 難しかった 「聖なる力を受け、それを享受する」ことだとは

 

大日経のエッセンス 「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とす」これを滋子さんの原稿に入れようと思い おさらいしていました やっとここに来てほっと

 

6月13日

やっと得心しました 得心には時間がかかります(私が遅いだけ?) 空海が大日経の師を求めて渡唐したのは 大日経には教義と実践部分があって 実践は師につかないとだめで まだ日本にいなかったから というのが今まで読んできた解釈 でも 教義こそ 師から教えて頂くことで深まる 空海はたんに

 

実践のやり方を知りたかったから などというのでなく 師につかなかったらこの深遠な経典は理解不能 と思ったからでしょう 空海はそれまで修めた伝統仏教は京都の大学で 華厳経は東大寺で その時々に師について学び 師に学ぶことで深まる とうことを熟知していたでしょうから

 

 

大日経を書くなんていうだいそれたこと するつもりないからスルーしようと思っていたのに 心と体が動いて図書館に行って 借りてきた頼富本宏先生の大日経入門 なんとなく今までわかっていたつもりになっていて でもなんとなくわからないなあと思っていた部分が明るみに出て 氷解して 書くことに

 

 

佐藤龍一様からフォローして頂き なぜ?と驚いて遡ったら トランプ大統領の不動産感覚が今回の会談を産んだ というRTをさせて頂いた方でした 気がつかなくてすみません 佐藤龍一様 短歌の福島泰樹先生の絶叫コンサートで何度感涙の思いでギターの弾き語りを聴いたでしょう 思い出しています

 

 

6月14日

おはようございます 窓を開けたら薔薇の香りが 大輪の紅い薔薇が咲いていました 滋子さんの短編 大日経の部分が整って だいぶしっかりしてきました これで先へ進めます

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しばらく出かける用がないから この間に籠って短編を仕上げてしまおうと思ったのに 気がつけばそのしばらくも終盤 無理でした笑 短編を甘く見てはいけない!(ですね)

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2018.6.13 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(110)空海と大日経のこと

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6月10日

おはようございます ブログ更新 やはり考えることばかりで撮っていないから 過去写真 昨日 そこまで書くつもりないから必要ないと思いつつ 思考と身体が動いて図書館 大日経 経典そのものの入手は叶わなかったけど 訳で 開いて これはもう空海は唐に行くしかなかった~ と納得しました

 

知っているつもりでも それは知識に過ぎない 誰かに教えられて 誰かの著書を読んで 得た知識は やはり表面的なただの知識に過ぎない 自分で淵源まで遡って それらの知識はこのことだったんだ〜 となった時に はじめて知識は知識でなくなって 自分のものになる  そういうことに立ち会っています

 

空海が唐に求めて行った新しい密教 それはほんとうに新しくて 大日如来というみ仏はその時代にはじめて登場した 道理でという腑に落ちることしきり 習っても 読んでも ほんとうにはわかっていなかったんですね 空海が出逢って衝撃を受けた大日経 その大日経に出逢って 私も今 衝撃を受けています

 

大日如来がやっとその時代に登場した仏として それまで仏教伝来以来の奈良での仏教を徹底して学んだ空海にとって しかも室戸岬で虚空像求聞持法を会得したまでの空海が それは古密教とされ 新しい密教はまだ日本に請来されていないと知ったら この虚空像求聞持法と大日経とのあいだのギャップに衝撃

 

空海といえば 室戸岬で虚空像求聞持法を修し 明星が喉に飛び込む霊感を得て それから久米寺で大日経に出逢い 師を求めて唐に という流れで 誰もが知っている人生 でも そこに 虚空像求聞持法と大日経とのあいだに 旧密教と新密教の歴然たる差があるなんて こんな重大なことを見落としていたなんて

 

昨日 大日経は大正新修大蔵経に入っていないと書きましたが 入ってました 地元の図書館検索の限界 でも 漢訳で七巻 三十六品の長編とか もう経典そのものの字面は諦め 頼富本宏先生訳の 抄訳『大乗仏典 中国・日本編8 中国密教』で拝読させて頂きます

 

書く内容に関係ないのに どうしてこうも執拗に追いかけているのか 自分でもわからない でもいつも必要で追いかけているのではないこうした止むにやまない衝動から 思いがけない展開になっていく 意識には浮かんでないけど きっと意識の底になにか潜んでいて それに運ばれているのだと思う

 

六大そのものは、必ずしも空海の独創とはいえないが、空海の場合は、『大日経』系の五大と、『金剛頂経』の識大が不二となって六大が成立する。換言すれば、金胎両部がはっきりと総合されている点に、画期的意義を認めることができる。(頼富本宏先生『大日経入門』より)←『即身成仏義』のテーマのこと

 

『即身成仏義』の中心テーマをあらわす偈頌。 六大無礙にして常に瑜伽なり 四種曼荼、おのおの離れず 三密加持して速疾に顕わる 重重帝網なるを即身と名づく

 

たぶんこれで大日経ツイートを最後にしますが 驚いたのは この五大のことか 有名な菩提心を因として の言葉とか 曼荼羅とか これらがすべて大日経によったものだったということ それまでの仏教にはなかったんです 「まさに、『大日経』は、空海の血であり、肉であったのである」…地水火風空の五大が…

 

追記になりますが 頼富先生のご著書から私なりに得た結論は 空海は真言密教の所依の経典のうち 言葉は大日経により 仏像は金剛頂経によったのでした だからあれだけ大日経を重視した空海プロデュースの東寺講堂なのに 中尊の大日如来が智拳印を結ぶ金剛界曼荼羅の大日如来 ずっとこの事が不思議でした

 

松長有慶先生「両部に関する伝統説をめぐって」より: 胎蔵曼荼羅は、中央の大日如来を除く他の諸尊は、ほとんど大乗仏教において親しい名前である。金剛界曼荼羅は、中央の五仏以外は、ことごとくその名前に金剛を冠し、完全に密教独自の尊となり、大乗仏教に共通する尊名はまったく姿を消す。純化を完成し

 

た形態がここに示されている。密教史の流れからいえば、『大日経』はまだ密教の形成過程にあり、『金剛頂経』にいたって、ほぼ完成の域に達した。

 

『大乗仏典 中国・日本編 8 中国密教』には大日経と金剛頂経の他に『菩提心論』があり 中国での撰述らしいけど ここに四波羅蜜菩薩が語られる 金・宝・法・業の四菩薩 これは 過去現在未来のすべてのもろもろの聖者や賢者を生み育てる母と この四菩薩が東寺講堂の中尊が金剛波羅蜜菩薩の五菩薩像に?

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怒涛のように 大日経や金剛頂経に菩提心論まで辿り 頭がいっぱい でも 不可解だったことや謎が解けてすっきり 久しぶりです この軽快感 視界が晴れる とか 目から鱗 とか 分別がつく とかって いいですね!

 

はるばる天竺を旅した気分 久しぶりに現実に戻って 建春門院滋子さんの短編を読み返しています 滋子さんの短編 魂が吹き込まれたと思う ここまで来るとは思わなかった 先月東寺講堂に行ったのに あの時にはまだまったく 東寺講堂 また行けたらいいな

 

ここのところ ずっと 大日経関連で 終日本ばかり読んでいたから 心なし視力が悪化 少し休めます 眼を

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2018.6.12 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(109)空海と大日経のことなど

6月7日

すべての任務をこなし終え さあやっと取りかかれるとばかりに原稿に向かったら あれほど運慶を書くため東寺講堂について考えていたのに空海を書かなければと変わっていて 空海を書くなんて! と自分で唖然笑 いつも書いていますが ほんとうに空海と運慶って 似ている

 

深淵な大日経の部分を書いていて 森閑とする思いで このまま没頭したら無の境地に入れるかと思うのだけれど(書く行為とはそういうもの) 日常の中にいるとそれができず いつも あ〜あ となる これだから深夜にしかほんとうの時間がとれません やっとその時間

 

だけど 法はもとより言無けれども 言非ざれば顕われず という空海の言葉 いいですね 空海を書くのにひとつ象徴的な名言を と漠然と考えていた時は 一番好きと思っていた虚空尽き だったのですが 東寺講堂の立体曼荼羅を考え始めた時に おのずとこの句が浮かんで これだ! となりました

 

6月8日

おはようございます 久々に真剣に原稿に取り組んでいるから心地よい朝 梅雨の晴れ間で空気もさわやかです 書き始めてもどうしても淵源までたどりつかないと収まらない習性 空海まで至ってやっと腑に落ちました 東寺講堂に到るための大日経 それを書いていて心地よいとは! と恐れ多いのですが

 

終日 空海と大日経に取り組んで まだあと少し深まれない地団駄のところにいるのだけれど それは文章を練ればいいだけのところにいるから 大丈夫と思う という状況で急な展開を見せ 運慶の段に 空海から運慶と繋いだら 思いがけずの展開に 地団駄を踏まないで済む静謐な環境になりたいです

 

6月9日

おはようございます なんとなく前から思っていたこと 東寺講堂で改めてそれが 運慶が円成寺大日如来像を造ったあと 願成就院など鎌倉の作風が変わったといい それは武士の台頭で身につけたというのだけれど 東寺講堂には四天王像があり その荒々しさはすでに運慶のお手本になったのでは?

 

円成寺大日如来像を中心に願成就院と浄楽寺の天部の諸尊を拝したら東寺講堂に・・・(あくまで素人考えですが・・・)(そして、あくまで荒々しさという作風でですが・・・)

 

入道雲が綺麗

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高校時代の友が陶芸をはじめ 作ってあげるね といっていたお茶の茶碗が届き 楽しみに開けたら 絵柄が 蛍! 草の葉のあいだで ひとつ あっちにまたひとつ と光っている なんか頑張ってきた私たちふたりの 今後を照らしてくれる灯りのようでほっこり そうメールしたら よかった! と

 

大日経を見たいと思って図書館に でもあるとばかり思っていた大正新脩大藏經にはないらしく 検索すると国訳密教経軌部という一冊に 貸出中で今日は手にすること叶わず 頼富本宏先生の『大日経入門』を借りてきました 平成12年刊 こういうご本がでていたのですね でも 経典の字面で見たい!

 

メモ『古寺巡礼 京都 1 東寺』より: 「弘法大師の教えは講堂にあり」「空海はこう考えた。自分が亡くなっても、語る僧侶がいなくても、永遠にこのお堂のもの言わぬ仏像たちが教えを語り、訪れる者たちがその教えを受け取っていく、どんな悩みに対しても幾重にも出てくる答えを受け取っていくであろう」

 

すなわち自分と仏が一対一で対話して、やがて真理に目覚めていく。東寺の講堂はそういう役割をもったお堂なのだ。(東寺教学部)

 

中国密教は初期、中期、後期に分けられ インドから大日経が請来されて 大日如来が登場したのが中期密教 大日経は善無畏が訳出 一方金剛頂経は金剛智による訳出で その二つを所依の経典とするのが中期密教で 新密教または密蔵と呼ぶ←空海の言葉に「密蔵は深玄にして」とありました! 

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2018.6.10 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(108)円成寺大日如来像と東寺講堂のこと

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6月7日

山本勉先生「足利・光得寺大日如来像と運慶」を拝読しました。先日国会図書館でコピーしてきた二本の内のひとつ。もうひとつは「円成寺大日如来像の再検討」です。光得寺像のほうは昨秋運慶展観覧後の資料館で枚数制限で樺埼寺との関係部分しか得られなかったので未読でした。さらに光得寺像は円成寺像

 

よりずっと後の制作なので関係ないと思って留意していなかったこともあります。が、円成寺大日如来像の東寺講堂平安初期密教像との関係に衝撃を受けていろいろ資料を探したら、まさにこの光得寺像のご論考にそれが書かれているとのこと。それで急遽国会図書館に行ったのでした。衝撃を受けて今日まで私

 

なりに考察して、円成寺大日如来像が東寺講堂の五菩薩像と同じといわれても、運慶の時代にはまだ中央の五智如来像群は焼失していなかったのだから、円成寺大日如来像が模したとしたらその大日如来像ではないかと推察したのでした。が、それはすでに「足利・光得寺大日如来像と運慶」に書かれていて、

 

まさに「東寺講堂の五仏中尊の大日如来像は、同じ菩薩形像として当然いまのこる五菩薩中の当初像にちかい像容であったろうし」として、円成寺像との関連を書いて下さっていました。昨秋、枚数制限にひっかからなければ真っ先にこのご考察にまみえていたはず。それを今になって拝読したのもなにかの配慮

 

なのでしょう。不思議な気持ちがします。これですっきり資料の渉猟から離れられます。ここからは深くただ意識の底に降りていくだけ。長い執筆のなかに入ります。昨年初夏にたまたま願成就院像のことから山本勉先生に運慶世界をお導き頂きここまできました。ほんとうに心からありがとうございました。

 

唐突に 掌に消える北斗の印 と白鳥が 吉田一穂 なぜか転機のとき 最後にこの白鳥が舞い降ります 今度もふいに ほんとうに終わりなのだなあと感慨 吉田一穂が好きです

 

飛び起きてしまいました もう就寝していたのですが さっき吉田一穂を引用して 北斗の印 と書いて 印の字に目が留まり 印…と 以前からこの印って何だろうと気になっていました 印… これ もしかして智拳印では? 円成寺大日如来像の智拳印が指している北斗…

 

6月7日

10月の講座名が【鎌倉の蹴鞠 ~京・鎌倉の文化交流~】に決まりました 当初は鎌倉の蹴鞠の歴史の予定でしたが 昨年5月に3回連続講座で鎌倉の源氏物語をしているので その方たちがまた応募されるでしょうとの配慮から「京・鎌倉の文化交流」がメインになりました

 

飛鳥井雅経の人生をたどる・・・と副題つけてもいいかも(内心) そう思ってつくるとパワポが樂

 

たまきはるのこと 建春門院滋子さんは読後感では庶民の感覚を持った女性 高倉天皇の母とか皇太后とか権威の人になっても もともと皇女や入内して妃になった人でないから いつ後白河院の寵愛が失せるかわからない危機感を知っているのですね それが八条院のゆるさと対照的な規律正しさになっている

身近にいますよね こういう女性 偉くなっても苦労を共にした友人とはその当時の感覚で話せるからおごらない という人 それが同じ女房時代を過ごした女房に 偉くなってどんな気持ち? と訪ねられても 失礼な!などとならずにふつうに返事ができる 性格が透明な方と思いました

 

儀式に臨むのに 装束が重いからぎりぎりまで着装せずにくつろいで それを仕えている人たちに見られても 重いのよね~ みたいに微笑んでみせる 錦織の装束はほんと重かったでしょうね 先日のTVのエリザベス女王の王冠で 女王が重くて背骨が折れそうとか仰ってらしたのと一緒だと思いました

 

と 講座の概略200字を送信し終わった気楽さから 呟いてみました

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2018.6.8 ツイッターから転載…7月21日に鎌倉で講演させて頂きます【源氏物語の歴史と鎌倉の文化 〜鎌倉の公家文化をひもとく〜】】

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6月4日

中断していた根立研介氏「日本中世の仏師と社会」再読に入りました 復習にと円成寺から始めたら 視界に入っていなかった事実に遭遇 こんなことを見落としていたなんて 昨夜建春門院滋子さんの原稿に戻って詰まってしまった部分が打開されます 学びの初期は概略をつかむのに精一杯なものですね

 

RT 紹介して頂いた『源氏物語と鎌倉ー河内本源氏物語に生きた人々ー』をテーマに講演させて頂きます。721()14時〜16時、鎌倉妙本寺書院にて。事前申込性80名、資料代500円、申込先: 鎌倉同人会0467-61-1930(本の刊行年2010年より見解が深まりました)

 

講演のタイトルは、【源氏物語の歴史と鎌倉の文化 〜鎌倉の公家文化をひもとく〜】です。

 

編集者さんが著者の方と思い切り学術の話を堪能されると羨ましがったら それは二人の世界 打上のような大勢の場では不向きと言われ 今日も会の後のランチの場で 私の頭のなかは原稿のことでいっぱいなのに 誰とも通じるはずないから当たり障りなく過ごす 溜まります フラストレーション

 

ほんとうは もう一件 図書館に行かなければならないのだけれど 先日国会図書館に行っただけで夜目眩がして それはハードな日程とか重い荷物が原因だとわかっているから もう図書館は行きたくないのに やはりどうしても行かなければ! と珍しく愚痴ってみました つれづれに

 

文化は市民が共有して楽しむもの こんな重要な知的遺産が市民に知らされていないなんてとんでもないと 義憤で始めた鎌倉の源氏物語活動 とりかかってからもう15年以上になります 生きがいでやっているのではない! 生きがいならば文学にそれはある! それを犠牲にして取り組んできた という自負と矜持

 

考えてみるとそれが私の支えでした でもここにきて この15年のあいだに定年後の第2の人生の生きがいとばかりに歴史や個人史に取り組む方が周りに増えて その方々の勢いにまみれて私まで生きがいでやっているように見られ 違う! 私は自分の生きがいでやっているのではない! と叫びたい気持ちに

 

さらに考えると それを感じ始めたから さっと研究から抜けて小説に移行したのかも そんな気がする 研究に一応の目処がたち そろそろ自分の世界に戻っていいかなという気持ちになり 仙覚という書くテーマをみつけたからだけれど いち早く生きがいのゾーンから抜けたというのが新たな自負になりました笑

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6月5日

ペンクラブの会報 消息短信欄に書かせて頂く葉書拝受 仙覚の小説執筆中のはずなのに 運慶と建春門院滋子さんの短編に寄り道中 と書いたら この人大丈夫かしらとなってしまうでしょうか笑

 

6月6日

おはようございます 昨夜 10月の一日だけの講座の幹事さんからFAXが届いて いよいよ始動 広報に載せるための案をと 鎌倉の蹴鞠がテーマです 頼朝に始まる鎌倉の蹴鞠の歴史をお話させて頂きます タイトルをこれから決めるのですが 鎌倉の蹴鞠の歴史 でいいかな… でも… と迷っています

 

講座のチラシ用の文面を考えているから 今朝は頭のなかが鎌倉の蹴鞠でいっぱい 当初は【鎌倉の蹴鞠の歴史】のはずだったのが 考えているうちに 【蹴鞠をとおして見る 京・鎌倉の文化の交流】に 飛鳥井雅経が浮かんできたら 俄然 そうなりました

 

【鎌倉の蹴鞠の歴史】での内容…頼朝時代の鎌倉の蹴鞠は飛鳥井流で時頼時代になると難波流になったという歴史の流れ 【蹴鞠をとおして見る 京・鎌倉の文化の交流】での内容…飛鳥井雅経が鎌倉に下向して頼朝に仕え、その後後鳥羽院に召されて帰洛し新古今集の撰者になった。その子孫がまた鎌倉に下向

 

はやく滋子さんの短編に戻りたいから 消息短信と講座タイトル案を仕上げて送信 ほんとうに無になって専心したいです

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2018.6.5 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(107)東寺講堂の立体曼荼羅のこと

6月2日

東寺講堂五菩薩像 東寺講堂で購入した絵葉書です 五智如来像と五大明王像との三群が大型になっていて三枚 一尊ずつが普通サイズの絵葉書で二十二枚 ずらっと並べると荘厳です!

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こうして見ると 中尊の金剛波羅蜜菩薩と 他の四像の時代の違いは明らか 後補の中尊像に圧倒され 平安初期密教像という四像に目が行かなかったのを今になって悔いています 中尊も初期像が残っていたら 講堂の趣は変わるでしょうね (波羅蜜の蜜は密とどっち?)

 

日々の生活のなかで日常にまみれて必死になっていると神秘が書けない その焦りのなかにいたけれど やっとそこから抜け出せそう 東寺講堂の立体曼荼羅に気持ちが近づいて

 

今日はかすかに地球影 低空が青 これが地球の影の部分 その上にピンク色の層 ビーナスベルトというそうです 低空が見える当地に越してきて 夕方に 時々この綺麗な空のグラデーションを見るようになり 不思議に思っていたら なんと地球の影!

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今夜は星空 久しぶり

 

確かあったはず と取り出した別冊太陽『空海』 もう原稿に戻っていいのだけれどなんとなく懐かしくて 東寺講堂の立体曼荼羅 今まで合掌してすぐ通りすぎていた五菩薩像(右ページ)と五智如来像(左ページ) 知らないということは恐ろしいことですね笑

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思わず キャッと叫んでしまいました ページを繰っていたらこの特集 私は文章の人だから二次元ばかり追っていて 以前も呟いたけど空海の言葉と曼荼羅 彫刻には気を留めてなかったからたぶんここは未読

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運慶展で拝観した玄昉像 この別冊太陽 あとがきに東北の震災後とあるので見たらその年の8月の刊行 私がもう鎌倉の源氏物語に専念していた時期 なので購入したもののたぶん一切読んでいない 今必要で拝読に これも宇宙の円環でしょうか 玄昉像も当時では康慶作ということもわからずに(記載されてなく)

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ネットに 『空海の世界』よりとして 「密教の図画類は、それを通常の状態で見ても、あまり意味はない。儀礼なり修法なり、ある特定の行為を経て到達した特殊な精神状態において眼にした時、初めてこれら視覚表現の中に心理の一端を見い出す事ができるのである」

 

だんだん 少しずつ 空海の世界が甦ってきています

 

大日如来像の意味を追っています

 

密教では修行で朦朧とした精神状態になった時に不動明王(大日如来の化身だからイコール)を見ることがあるという ということを思い出したら ふいに 人の音せぬ暁に の今様が浮かんで こんなところで運慶と後白河院が結びつきました 深夜の驚き というか到達かも

 

玄昉はこういう人 法相六祖の一人だから偉大な業績の人には違いないけれど その人物を彫刻するには それなりにそれを知っていなければならない 仏師って どれくらい勉強しているのだろう

 

RTの空也上人像 昨夜別冊太陽の扉弘法大師空海像が康勝作と読んで たしか運慶の子息と思って検索したら四男 そして空也上人像の作者でもあったと知って この一門は六波羅蜜寺のみでなく東寺にも と感嘆したのでした

 

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運慶と真言密教とのかかわりを知るために別冊太陽『空海』を読んでいるのだけれど どこかで空海の事跡が運慶のことであるかのようにこんがらがってしまう 特に康慶作の玄昉像があったりしたからもう 玄昉の功績が空海の渡唐を生み 空海の真言密教が運慶の大日如来に という流れなのだけれど

 

もう本は貯めないで後世の方たちに使って欲しいからマーカーは引かない と決めていたのですが そんな悠長なことをいってられないくらいに この別冊太陽『空海』はぞくぞくすることばかり 全頁 どこかにマーカーを引いているくらいにのめり込んで拝読 やっと高野山 東寺はまだです

 

メモ(別冊太陽より): 空海に東寺が下賜されたときには薬師如来像を本尊とする金堂のみ。空海はここに大日如来を本尊とし、五智如来や五菩薩、五大明王に四天王、さらに梵天と帝釈天を安置する立体曼荼羅の世界を作り出すことを目指し、第二の本堂ともいうべき講堂を創建

 

立体曼荼羅世界の講堂を しかも前代に類例のない構想の伽藍を 迷うことなく 下賜されてすぐに手がけている 空海! 凄いです

 

五智如来はわかるのですが 五菩薩って聞いたことないなあと思っていたら 空海創案の独自なグループでした でも五智如来グループは文明年間に焼失してしまっているから 五菩薩グループで残っている尊像から創建当時の五智如来グループの尊像を想像できるのは幸せ

 

別冊太陽より: 五菩薩像は、宝冠を頂き、条帛・裙・腰布を着け、胸飾り・臂釧・腕釧をつけて、右足を上に結跏趺坐するという共通のスタイルをとっている←現在の講堂の後補五智如来グループでは四仏は如来スタイルだけれど 中央の大日如来像がこう 金剛界大日如来像だから当然だけど だから想像が可

 

メモ(別冊太陽より): 写実的な面相や均整がとれて充実した体躯、腕の自然な構え、また、それらを飾る衣文などに、奈良時代の乾漆像と共通する特徴を持っていることから、官立寺院の造仏所出身の仏工たちが、従事したのではないかということを強く感じさせる

 

別冊太陽『空海』から離れます

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資料を片づけ何もなくなって顕れた白い机 白い机が好きです 写大の卒業制作でも白い日常のタイトルで撮りました これから原稿 白い紙を埋める作業 没頭すると疲れるから嫌なのだけれど 没頭しなければ書けない泣

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2018.6.2 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(106)運慶と東寺講堂の立体曼荼羅のこと

6月1日

東寺の立体曼荼羅について考えていて 法は本より言無けれども の句が 意味ばかり脳裡をぐるぐるするのに思い出せず 密藏深玄にして のほうが出てくるから検索もままならず 空海の哲学に心酔していた時代から随分遠ざかってしまったのだとしばし焦ってしまいました もっと深淵に生きたいとは希求

 

仏像に作品の優劣や新旧の価値観をもって見てはいけないのだけれど また自分の好みもあるでしょうけれど わかったことは私は平安初期の密教像タイプが好きで 今まで東寺講堂に行っても気持ちを入れて拝観できなかったのは 中央の五智如来像が後世作だったからでした

 

講堂は文明年間に焼失し 残ったのが五大明王像や五菩薩像の一部など その五菩薩像のうちの三像が平安初期密教像で その髻の形式が円成寺大日如来像に影響しているらしい そういわれて見ると 東寺講堂の平安初期密教像は やはり私は好きで いつ行っても大日如来像群より五大明王像群に惹かれていました

 

密教は大日如来が中心ということがわかっていて なのに講堂に入っても中央の大日如来像群に気持ちが行かず 不動明王像群にばかり行ってしまうことで自分を責めてしまうのが嫌で あえて講堂の立体曼荼羅を思考から外していたということを凄くよく納得 五菩薩像群に行かなかったのも中央の金剛波羅密像が

 

後補だったから 円成寺大日如来像のことで 金剛波羅密像以外を見たら それはまさしく平安初期密教像で そのなよやかな立体感 今まで注視することなく不動明王像群へと通り抜けていたことが悔やまれています(もちろん合掌はしていても) 先日も行ったばかりなのに…

 

だけれども 今ある講堂の立体曼荼羅で 五菩薩像のうちの三像が円成寺大日如来像に似ているとしても 運慶の時代にはまだ焼失事件は起きていないのだから 運慶が心を込めて祈ったのは やはり 文明年間に失われてしまった中央の大日如来像だったのでしょうね 平安初期密教像だった創建当時の大日如来像

 

6月2日

東寺遠望 どの屋根が講堂? 昨夜来東寺講堂の立体曼荼羅世界がやっとわたしのなかに入ってきました 平安初期密教像の大日如来さま 今この世におられないことがかえって宇宙の真理に近づいているような 運慶から真言密教にはいっても密教世界の真理がつかめず悩んでいたのですが 昨夜甦りました

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メモ(昨日のツイートの補充): 法は本より言無けれども 言非ざれば顕われず 真如色を絶して 色を待って乃ち悟る 藏密は深玄にして 翰墨に載せ難し 悟らざるに開示す

 

PCを閉じたらふっと思いついて戻ってきました 東寺講堂立体曼荼羅は目に見えるものがなければ真理を悟ることができない人のために造られた でも仏像は礼拝の対象として造られるのが一般 仏像の造られ方の意味に二通りある 運慶は? ←ここを書く!のですね(やっと小説世界にたどり着きました)

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2018.6.1 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(105)国会図書館でコピーしてきました

5月30日

たまきはるや玉葉は9割が儀礼や装束の描写の感(あくまでも印象) そこに人物描写が紛れ込む 源氏物語はその逆 しかも心理描写が凄い 日記と物語の違いがあるにしても惹かれ方の差は歴然 儀礼や装束は実際に目にし体験していないと文字だけで追うのは辛い でも読んだ後にじわじわと臨場感が

 

でも これもずっと法住寺殿や最勝光院や建春門院滋子さんを追って時代を把握していたから 読んで通じるのであって なにも知らずに読んでもただ呆然とするだけ(でした笑) 玉葉や吉記はこれから読んで正解 やっとここまできたような

 

ここのところ私事で気を抜けないことあって 限られた時間のなかで読んだり考えたりしているのだけれど コピーをとらなければならない資料をみつけてもメモさえとれてなくて 今日やっとそういうことの整理をしたら 近日中に国会図書館と都立図書館とに行かなければならないと判明 遠隔複写不可で

 

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おはようございます 仮寝して起きてそのまま朝のやっと自分らしい時間 『院政期の仏像ー定朝から運慶へー』を読んでいたら 玉葉にある最勝金剛院は三条白川房であると 文治二年の康慶南円堂事始の場所 私は兼実の日記だから当然東福寺境内の最勝金剛院と思っていたのでびっくり 確認しなくては!

 

なんとなく迷わず動いているけど なんとなくどこか戸惑っている 旧知が遠い馴染みの空間(国会図書館にコピーしに行って)

 

マイクロフィルムからのコピーは初めて 操作を知らないのにあちらの部屋でどうぞと言われたって笑

 

6月1日

おはようございます。国会図書館からは国会議事堂が見えます。隣が最高裁。某プロジェクトで2年半ほど通ったので懐かしい一帯。昨日入手した資料は運慶展を観た後資料館でコピーしたものの枚数制限でとれなかった分。それが今になって重要になって

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国会図書館脇の歩道に昼顔が咲いていました。人がその世界を身につけるには最低二段回は必要みたい。最初は概略(歴史)。次に内容(深み)。運慶展の後にとったコピーでは枚数制限で歴史の部分だけでした。最近になって研究史の部分が必要になって

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水無月最初の朝 と呟きたかったのにもうこんな時間 久方ぶりに行った国会図書館 入館カード一枚でなんでも済むシステムになっていたのが驚き 閲覧申込の図書が準備されたか否かを自分でカードでチェック マイクロフィルムのデータもカードに入れてプリント室で焼いて頂く 世の中変わりますね笑

 

RTの修道院 薔薇の名前 しばらく浸っていなかったからこの孤高の世界が私のなかで薄らいだ感 激励していただいたようなツイートに感謝!

 

RTの曲水の宴 最勝光院で 建春門院滋子さんが後白河院と 竜頭鷁首の船で法住寺殿から渡った その光景を彷彿

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