2025.3.26 『華鏡』、高倉天皇の章をどういう切り口で書いていくか、逡巡中です
3月25日
(以下、Twitterより転載)
ブログに華鏡の次の章を高倉天皇にする思いや訳を記しましたが 今の時代 あまり内容を書くとAIに学習されてAIに華鏡を書かれてしまうかなと思ってあまり深くは書きませんでした ずっと華鏡ってAIが書けるかしらと危惧でもありませんが考えていて でも華鏡は私が国文学の学会で研究発表した私
独自の説を小説にしているもので 学会での研究発表のときの聞いて下さっていた高名な先生方のご反応でもそれまで聞いたことのない説だというのは確かです だから小説も当然まだ誰も書いたことのない世界を書いているわけで なのにそれを学習されてAIに書かれたなんてことになったらたまりませんね
平家物語「小督」を読みました たまきはるを書いた建午前は建春門院滋子さんの崩御を記していて それ以前に女房として同僚に小督がいたと書いている 高倉天皇の年譜にそれを入れて考えると 高倉天皇が小督を見初めたのは15歳くらいの時 すでに建礼門院徳子さんが中宮として存在しているから小督は
清盛の恐ろしい迫害にあって平家物語の嵯峨に隠れ住むエピに 平家物語にある仲国に探し出されて高倉天皇のもとに戻り 再び寵愛されて皇女をもうける それが徳子さんが安徳天皇を産む前年だったから 先に小督が男子を産んだら大変とまた清盛の迫害に遭う とそういう年齢的時系列が見えてきました
ここのところの高倉天皇 仲国が嵯峨に探しに行っている間寝ないで起きて待っている 桐壺更衣を亡くして弔問させた靫負命婦を待つ源氏物語の桐壺帝と話が瓜二つですね 途中で一瞬 あれ? 私源氏物語を読んでいるのだった? って錯覚を起こしました
3月26日
久保田淳先生『藤原定家』を拝読しています 高倉天皇の崩御に際し 定家は心から敬愛して仕えていたにも関わらず葬儀に参列せず 沿道で見送るだけ 時代の流れを敏感に感じ取っていた俊成が参列を禁止したからでした というエピをどこで読んだのだったか本棚を探してこれかもと やはりそうでした