2017.5.10 パソコンが壊れました。

恐れていたことがとうとう。
昨年秋ごろから予兆があってはらはらしながら使っていました。
たまたまそこに原稿の依頼や講座の準備等が重なり、新しく買い替える気持ちの余裕もなく、運を天に任せての心境でした。
なので、最重要課題からこなしていき、依頼原稿を仕上げてまず一安心。講座のレジュメも二回分仕上げてまた安心。講座のパワポの第一回目を仕上げてまたまた安心。これで第二回目も大丈夫かなと思った矢先に、プツッと、突然の断絶。
まず思ったのは、よかった〜、の一言でした。
なのでまだ第二回目のパワポに取りかかれていませんが、なんとかなるでしょう。
締切に間に合わないといったものなく過ぎたことが何よりです。

というわけで、これははじめてスマホのニフティ画面から書いています。
今夜、モバイルPCを出して充電しました。ここにパワポのソフトが入っているので、明日から第二回目の編集にかかります。使えるといいのだけれど。

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2017.5.7 ツイッターから転載…鎌倉の夜光虫の青い海の夜に考えること。柏倉康夫先生訳の新刊書[新訳]ステファヌ・マラルメ詩集のことなど。

5月5日
花菖蒲、ですよね。(自信ありません)。井の頭線の線路脇に咲いていました。水辺でもないのに。でも豪奢!

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やっと心置きなく腰越の講座第一回目のパワポの編集に取り掛かりました。

そうっかとまた納得。私はわかるまで時間がかかります。岩殿観音の章、仙覚を産んだ基子さんが戸井田刑部に預けて去る、とそれを書く事が決まっているのに進まない。それだとリアリズム小説になってしまいそうで気が乗らなかったんですね。次の章を基子さんの独白で書くならベタな描写が回避できます。

こどもの日の井の頭公園の夕暮れ。特に意味はありませんが。

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ずっと、自分の心中でないツイートは、青い光、青い花、のRT。青い色ってどうしてこうもいいのでしょう。自分の心中ツイートはとてもこういうふうではないけれど、それは作品として昇華させるためへの途次だから。昇華し終わったら作品は青い花でありたい。もっと、青い光に。

とツイートして、決して「青」ではなく「青い」であることに気づきました。ここになにかある。

青い色は具象ではあるけれど、字面にもっと意味がある気がする。

私に今、体力と時間の余裕があったら、赤潮ツイートを見た昼間の時点で、鎌倉の海辺のホテルに予約して、今ごろは夜光虫の夜の海を堪能してるのに。

5月6日
柏倉康夫先生訳の新刊書[新訳]ステファヌ・マラルメ詩集を購入しました。新刊書かと思ったらkindle版。急遽スマホにアプリをダウンロードです。(まだ上手くいってません 泣)。ユリイカの連載でマラルメの読み方を教えて頂きました。かなり衝撃的でした。あの頃を懐かしく思い出して。

kindleのタブレット、放置状態で充電してなくて、これからします。タブレットでは何冊かもう購入していて…、あ、今スマホのアプリに同期成功。ライブラリは10冊。薄田泣菫『独楽園』が最初でした。それから、結構マラルメが入ってます。「エロディヤッド」とか。

kindle版書籍。タブレットに入っている10冊もスマホでは改めてダウンロードしないと読めないみたい。で、薄田泣菫の独楽園をダウンロードしました。こちらは解説が高遠弘美先生なのですがkindle版にはたしか入ってませんよね。それで今文庫本を出して改めて拝読。いろいろ懐かしいです。

と、ツイートしながらパワポの編集をしています。一区切りついたところで気分一新を。

作家は脱皮を繰り返して完成すると、朝から柏倉康夫先生のマラルメkindle版ご新訳出版を知っての余韻が消えない。というのも柏倉先生の評伝梶井基次郎を思い出して。作家の脱皮について最初に認識したのが紫式部でした。私も普通の小説から鎌倉の源氏物語を経ての今はまさにそれという気が。

パワポの編集。うっかりというと幹事さんに対して失礼だけれど、前半を実朝まで後半を頼経からとしたら、前半が膨大に。今までのやり方でいくと後半分が凄く足りなくなる。前半京都、後半鎌倉とすればよかったなど後悔しつつ、なんとなく、これ、後半に新たな展開が待っているよう仕組まれている気が。

感覚で前半実朝まで、後半頼経からとした時に、たぶん今までとは違う展開を私自身が感じとっていたからと思う。こんなふうにして今までやってきたから、たぶん今回もそう。打合せの時に単純に理で考えて前半京都後半鎌倉とできたはずなのに苦しんだ挙句にも浮かんでこなかった。

こういう失敗を人に話すと凄く呆れられたり諭されたり。でも、こういう理でない失敗って自分でどうしようもないもので、理性の向こうで何かが止めていたり発進させていたり。失敗を繕うつもりで四苦八苦で埋めていくと、案外それが新しい展開になっていて驚くことしばしば。仕組まれてるとしか。

腰越の講座のパワポの編集。第一回「紫式部から第三代将軍実朝まで」の最後はこのスライドにしました。二歳の頼経下向です。

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青い光の夜の海をよそにkindle版「柏倉康夫先生のマラルメ」を紐解いているのだけれど、ユリイカで拝読したあの時と今の私が全く違う地平にいるのをはっきり見て驚いています。マラルメを題材に自分を語るなんておこがましいけど、理想の書物について考えることの機になった貴重な体験でした。

高校の教科書に載っていたマラルメの詩に「理想の書物」の語があって、あたかもそれが現実にこの世の中にあって、それは誰の目にも見えない空の高みにあるのだなどと私の中にインプットされて、人生はその理想の書物に巡り会うための道程で、などと考えていました。書物とはそういうものですよね。

5月7日
今日も体力温存に予定を中止して家でパワポ。前半後半の分け方でやっとわかったけれど、今までは鎌倉に源氏物語をもたらした光行さんを追うのに必死で光行以降は深めてなかったんです。それが図らずもタウンニュースのコラムでやっていてそれが後半なのでした。初めてパワポとして取り組みます。

昨夜の理想の書物。尾州家河内本源氏物語と出逢った時、これが私の理想の書物という信念で取り組みました。鎌倉の源氏物語をライフワークと思っていたから。生涯かかっても普及は無理と思っていたから。なのにもう広まって手を引き、今は仙覚の小説にかかっています。理想の書物は自分で作るものかも。

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2017.5.5 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(32)基子さんのその後の生涯について。高幡不動尊の峰岸純夫先生ご講演「亨徳の乱」を拝聴して。共著の原稿「写本は語る、」を終了。

4月29日
おはようございます。起きた時から頭の中で念彼観音力の語がぐるぐる。天台宗岩殿観音の法要で戸井田刑部にどの経典を読ませようか悩んでいたのですが、あ、観音経! となりました。基子さんに観音の慈悲を説きながら念彼観音力を唱えるよう教えさせようと思います。

戸井田刑部が岩殿観音の由来を説いたあと、一旦廃れていたのを再建したのが比企能員で、だから高坂の村人たちは恩人として能員を崇めていることをつけ加えるのを忘れないこと! ←一ヶ月近く原稿から離れるから。ここ、肝心!

体調が思わしくなかったのですがどうやら出て来られました。出がけにTheCaliffaのあの一節を聴いて自分で鼓舞して、いざ出陣! です。

ここに来ました。峰岸純夫先生ご講演【享徳の乱における分倍河原合戦 上杉憲顕の討死と高幡不動での供養】@高幡不動尊

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青空に五重塔が綺麗でした@高幡不動尊

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高尾山に沈む夕陽。素晴らしい光景に遭遇しました@京王線高幡不動駅

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享徳の乱は今は教科書に載っているそうですね。習わないから知らない世代は年配者と知ったのが今日の驚き。峰岸純夫先生の御説では応仁の乱は享徳の乱の一部。享徳の乱があって応仁の乱になったと。経緯をずっと辿って拝聴していると確かにそう。先生は今年講談社メチエで享徳の乱を出されるそうです。

会場で以前講義をさせて頂いた歴史の会の幹事さんにお会いし「鎌倉の源氏物語、随分広まりましたね。4年前はお話を聴きながら?と疑問だったけど、先日テレビの高校講座を聴いてたら源氏物語は鎌倉でもと言ってて、広まったなあと思ったんですよ」と。鎌倉で広まったのは実感してるけどそこまでとは。

で、その方は続けて「こういうのは時間がかかるんですよね。あれから4年経ってますものね」と。こういうふうに見て下さっている方がいるから嬉しい。実際、私の知らないところで、例えばシンポジウム等で取り上げられたり、そういうのを私にあえて知らせず見守って下さっている先生がいらしたり。

ワイルドな藤。都会にいたり観光としてばかり藤を見ていたから藤は藤棚にして観るものと思っていました。が、最近は山藤がある自然な景観に惹かれます。この写真は玉川上水沿いの民家の藤。荒れ放題の感じがいいです!(失礼)

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腰越の講座案内を載せて頂いたタウンニュース鎌倉版の紙面を送って頂きました。隣に鎌倉を舞台にしたアニメ映画「きみの声をとどけたい」の紹介が載っているので一緒に撮りました。

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5月1日
おはようございます。いよいよ5月。昨年初夏に頂いた講座のお話が迫ってきました。体調を崩さないよう昨夜から品行方正の時間に寝るよう心がけて、スケジュールも見据えて、まず第二回目のレジュメを作って、それから「写本が語る、」の原稿を仕上げて、それからパワポなど気持ちが定まってきました。

桐の花が咲いていました@三鷹市

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腰越の講座の一回目は紫式部から源家三代将軍期まで。二回目は4代将軍頼経から6代将軍宗尊親王まで。一回目のレジュメは尾州家河内本源氏物語や系譜等の資料に徹して光行さんの紹介が手薄。なのに二回目を作成しようとして何をメインにと考えたら、仙覚さん!となりそう。比企の乱とかを。

5月2日
おはようございます。昨日腰越の講座のレジュメを準備して仙覚一色になり、つくづく私はもう他に何も要らない地平に来てしまったのだと思いました。講座が終わったら普及活動も終わり。仙覚の小説に専念します。出かけるのも極力控えて。あと、鎌倉禅研究会は大切に続けるけど、これだけ。

そうっか、とはたと気づいてメモ: 基子さんをどうやって生き長らえさせようと考えていて、実家には戻れないし、どこか下働きに、など迷っていました。くつわ虫伝説では岩殿観音に到着した時点で既に出家していました。答は出ていたのです。一族の菩提を弔うための草庵に住まわせればいいということ。

建礼門院がそうだったように、承久の乱で夫を亡くした妻たちが明恵上人の下で出家して余生を過ごしたように、基子さんもそうさせればいいのかも。場所はどうしましょうか。京都に行かせようと思っていたのですが、なんか、関東に住まわせたくなりました。

腰越の講座のレジュメ、二回目分も送り終わりました。あとは「写本が語る、」を仕上げてパワポと思っていたのですがパワポを先にすることにして取りかかりました。なのに基子さんが……。感情移入してしまったから容易にはパワポに移入できなくて今日はもう諦め。

たぶん、基子さんが余生を過ごす場所が決まりました。生涯で一回だけ、素性を明かすことなく仙覚を基子さんに会わせようと考えているのですが、これだと、一回だけ、が不自然でなくできる。たぶんこの線でいく。6月に入ったら取材に。というわけで今日はここまで。それにしても切ないです。

5月3日
おはようございます。腰越の講座のパワポを先に仕上げてと思い昨日からとりかかったのですが、基子さんに気持ちが入っているからどうしても流れについていけなくて「写本が語る、」の原稿を仕上げて今日送ってしまうことにしました。こちらは『万葉集』で締めくくるから基子さんの世界です。

メモ:重要なことを書きそびれるところでした。基子さんは比企に逃れる時に時員の念持仏を持って来ていました。それが比企のある家に伝わっていて、そこから私は学会の研究発表の要旨を組み立てたのですが、小説で基子さんが赤子を置いて身を隠す時、その念持仏を残して去る。これを書き忘れない事!

「写本を語る、」の原稿を見ていたらその念持仏で締めくくられてあって、アッ!となりました。

「写本は語る、」の見直しほぼ完了。息抜きにきました。字数制限に合わせてあちこち削除。大まかに早めに仕上げていて正解でした。写真も選び、あと様式に合わせて送信して終わりです。

一日根を詰めたから吉祥寺に出てお茶をして寛いでいます。あと1、2回見直したら送信。そうしたらこれが完結。信じられないです。これが終わるなんて。考えるだけでもう身体の中からすうっと空気が抜けていくような気楽さ。残るはパワポのみになりました。

メモ:13日位までに二回目までのパワポを作ってUSBで送ること。20日の講座が終わったら「自著を語る」を書いて送ること。

5月4日
「写本は語る、」の原稿。送信しました。ほっと。共著の単行本になります。はじめて。年内には刊行されるでしょうか。あと、腰越の講座。10日締切なのですが昨日の時点で定員30名を越えるご応募とか。でも抽選ですのでご応募はまだ大丈夫。でもせっかく応募された方々の半数が残念になるのは……泣

共著の原稿を提出し終わってほっとしたらもう気持ちが基子さんに入っている。玄覚の回想録の形をとっているから今まで玄覚の独白という語り口で進んでいたけれど、なんか突然、基子さんの内面の呟きを入れてみたくなった。それこそ私の本来の独壇場。心理描写。心理小説。玄覚の独白を少し離れて。

5月5日
おはようございます。昨日は気持ちを入れ替えるために終日TheCaliffa。就寝前、何気に整理したコピーの中に時政と時房があって読み返すと忘れていた時政と吉田経房の関係等。どうも今までのイメージと違って時政はシャープ。時房はとにかく美しい。時頼といい、北条氏の血筋はなんか凄いです。

私たちは古くは吾妻鏡から、その後その吾妻鏡だけを基にした歴史学者さんの視点から、一方的に色付けされた偏った歴史や人物像を押し付けられてきた気がします。頼朝の舅としてとか、伊豆の田舎者とかのイメージ抜きにして時政を読んだら、ドラマで見ていた時政でない時政が浮かび上がりました。

時政は六代御前を殺した人だし見つけたら仙覚も殺す人だし、でもそれが武士の世なのであって、基子さんもそれは十分承知。時房もいずれ竹御所を殺す人として描いていくけど、基子さんの時はまだ若くて基子さんに思いを寄せていたから見逃すように描きます。密かに相思相愛だったとしたいのだけど。

わかった!結びつきました。書き始めた時から取材に行きたくてまだ叶ってない場所。次の章で仙覚をそこに連れて行く予定でした。が、草庵に住まわせる基子さんをその場所にしたから、そうしたら次の章は仙覚が生涯でただ一度母親と会うという大変な展開の章になります。昨秋行ってたら取材のポイントを外すところでした。

次の章は基子さんの独白でいけばいいですね。これなら十分基子さんの思いを書ける。比企の乱から十数年後になります。草庵に住んだ基子さんの思い。春の雪の聡子さんのような、建礼門院の灌頂巻のような。書けるでしょうか。書けると思います。楽しみです。

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2017.5.2 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(31)岩殿観音信仰と基子さんのこと。タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第16回「朝廷と幕府の取り次ぎ役 西園寺実兼は『雪の曙』」の紙面。『鎌倉萌』募集要項。

4月23日
タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第16回「朝廷と幕府の取り次ぎ役 西園寺実兼は『雪の曙』」の紙面です。

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おはようございます。五月の腰越の講座は、タウンニュース鎌倉版コラムの連載をご覧になった幹事さんの企画です。鎌倉の源氏物語は別に私の発見でなく、国文学・歴史学界では研究者さんの間で周知の事実だったもの。ただ一般の方にまで降りてきていなかったから一般の方の驚きと喜びで広まっています。

文化は誰かがしないと広まらないんですよね。最近TLで登呂遺跡が流れてきて懐かしかったのですが、登呂遺跡もたしか毎日新聞だったと思うけど1人の記者さんが惚れ込んで記事を書き続けられたから有名になりました。私もそれで登呂遺跡のファンになった1人。鎌倉での活動の底にそれがあります。

擦り切れるほど使われた『「法華玄義」入門』の栞紐。なんか、感動しています。

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書籍自体は全然傷んでなくて、最初この本はあまり借りられてないんだと思ったくらい。なのに栞紐がこの状態って、自分で読んでいてわかったのですが、とにかく進まない!自然に栞紐の使用頻度が高まります。

紫式部や定家の時代に帰れたらとひそかに思う今日この頃。摩訶止観がふつうに知られていて仏会では講義も拝聴できて、それなら気の合った人と談義もできますよね。密教と禅宗と通過してきてそれなりに共有できる方がいて下さいましたが天台宗は未だに独り。静かに孤高を保つ宗派なのでしょうか。

と、愚痴ツイート。

あ、抜けるかも。佐藤明の作品に衝撃を受けて。

そうか、やはり法華玄義で自分を縛っていたのかも。作家は悟ってはいけません。と、いつも思います。そういえば密教の時、もっともっとと深まりたい探究心に燃えていたら、ある時ぴたっとそこから師の方が教えて下さらなくなって、「貴方には文学があるでしょう」と言われたのでした。

ここのところずっとエンニオ・モリコーネ「La Callifa」を聴いています。仙覚の小説は映画化するとしたらこういう曲でして欲しい。やっと思考が動き出しました。やはり、止観は停止。仙覚の思考の底流をつかんだからもう法華玄義は手放します。

4月24日
おはようございます。昨日登呂遺跡について呟き、登呂遺跡を舞台にした「青銅鏡物語」という映画脚本で賞を頂いたのを思い出したからか、仙覚の小説の夢は大河ドラマ化だったのに深夜突然映画化になりました 笑。小説も映画も目指せ! 『薔薇の名前』です。今日から仙覚の小説に戻ります。

例えステップアップでも終焉を見るのは寂しい。鎌倉の源氏物語を、これは広めなければと懸命になって講演を企画したり人脈を作って下さった方が、腰越の講座を喜んで下さりながら、私の手を離れてもきっと鎌倉レガシーとして確立するでしょうと。私の手を離れても。もうそうなっていたけれど、やはり。

4月25日
今日は意識して仙覚の小説に気分を浸す。遠のいているとやはり私自身が散漫。執筆は豊饒を取り戻します。で、基子さんが岩殿観音にたどりついて時房が……まで書いたところを印字して、その前に岩殿観音に基子さんが来た意味→観音信仰に助けられる暗示を書かなければならないと気づいたのでした。

岩殿観音は坂東三十三観音霊場の第十番。ここに匿われて仙覚が助かったとする研究発表要旨をある方に見て頂いたら、観音信仰の強さに感動したとご感想を頂き、はっとしました。どうしても現代の視点からだと信仰を疎かにしてしまうけれど、中世当時の人にあっては信仰は生きていたはずですものね。

ちなみに岩殿観音は坂東三十三観音霊場の第一番は鎌倉の杉本寺です。都幾川の慈光寺は第九番です。

戸井田刑部は観音堂に入ると二人のために護摩を焚いた←仙覚の小説。こういう文章が出てくるとは昨日まで思いもよりませんでした。護摩を焚く描写、これからします。まさか護摩の描写をする時がくるなんて!

4月26日
以前訪ねた時の江戸東京たてもの園の藤です。枝垂れるという語が好きだからこの写真はお気に入りの一枚。今年は桜を廻りそこねたから藤を訪ねて周りましょうか、など思う。

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源氏物語から人生の深い哀しみを教えられている基子さんが、戸井田刑部から苦難に遭ったら観音様におすがりなさいと教えを受けるところが上手く繋がって、そうしてたまたま休憩にLaCallifaを聴いたら、それこそ今後の基子さんの苦難の道への想いが溢れて涙しそうに。作者の感傷です 笑。

今まで理屈ではわかっていたけどここまで生々しく厳しい事だったとは。基子さんのこと。一族を殺されたった一人で鎌倉から逃げて、しかも臨月の身。例え無事に産んだとしてもその子は人に預けて自分は放浪の旅に出なければならない。我が子とは二度と会えない別れ。私だったら耐えられないと終日思う。

それを書く日が間近に迫っているのだけれど、どう書くか……。今まで、ただ凛とした基子さんを書けばいいとばかり思っていたのですが。

なんか今まで基子さんを単なるドラマのコマとしてふざけて書こうとしていた気さえする。気づいたからといって筆致は変わらないと思いますが。

4月27日
今日は突然私に用ができて鎌倉禅研究会に行かれなくなって、それでは例会の写真を撮れないし、Facebookの記事を書けなくなるから困って人に頼んで行って頂きました。今終わったと電話があってほっと。ここのところ種々ダブルブッキングになったり。執筆に専念せよと外部からの包囲網の気が。

到底無理くらいのよんどころない事情でないかぎり私は動いてしまうから。ここのところの種々の包囲網はそれを越えていて活動を自粛せざるを得ない。最後に残るのは仙覚の小説。それしかないというところに来たのでしょう。と、諸々残念や無念、申し訳なさを懐きつつ思う。

昨夜から岩殿観音縁起を読んでいて、今までこれは入れるつもりなかったのに、基子さんの観音信仰によって助けられた展開には重要と思い返して。でも鎌倉禅研究会に行ったらまた気分が禅に浸されるからどこまでこの縁起の気分が引き継がれるか危うかったのですが、行かれなくなったから続いています。

で、縁起によると岩殿観音は元正天皇の養老年中に一人の沙門が創って、桓武天皇の時代に坂上田村麿がここで悪龍退治をして、それはこの岩殿観音に念じたからと。その功労に桓武天皇が坂上田村麿に伽藍を造らせ、年月を経て廃れていたのを政子の力で比企能員が再興した。ということだそうです。

元正天皇って? と真夜中に検索したら、天武天皇と持統天皇の子の草壁皇子の皇女とあり、そんな時代に!となりました。次に文武天皇がでて又検索したら元正天皇の弟。そこに桓武天皇の時代の坂上田村麿とかで、昨夜は全くいつもと違う時代の検索で楽しみました。観音様のご利益です。

こういう古い時代の由緒が正しいかは別として、岩殿観音の前一帯には坂上田村麿が退治した龍を埋めた池とか諸々あって、基子さんがすがったのはこういう歴史ある深い土地。なのにこの言い伝えをあながち伝承とばかりに切り捨てて書く気が起こらなかった姿勢を反省しました。

4月28日
おはようございます。秋の講演の幹事さんからお電話。腰越の講座に申し込まれたとのこと。同じ『源氏物語と鎌倉』からでも幹事さんによってテーマが変わる。腰越は「金沢文庫発の源氏物語」。秋の講演は多分「平家ゆかりの源氏物語が鎌倉に」になると思う。お二方に通じるのは「鎌倉に広めたい!」。

昨日所用で鎌倉禅研究会に行かれず、代理を頼んで腰越の講座のチラシをレジュメと一緒に配布して頂くよう持って行って貰いました。主催者様がそれを「鎌倉で源氏物語の啓蒙活動をしている…」と紹介して下さったそう。いつの間にかそう言って頂くようになってきています。数年以上かかりました。

今日のタウンニュース鎌倉版に腰越の講座の募集を載せて頂いているそう。鎌倉の方のお電話で知りました。彼女は最初に私の講演を企画して下さった方。そして彼女を私に紹介して下さった方とこれからランチで、タウンニュース紙と腰越のチラシを持って出て彼に報告して下さるとのことでした。

鎌倉の情報誌『鎌倉萌』5月号の腰越の講座募集要項です。「源氏物語は紫式部が書きました。けれども紫式部自身の手になる原本は残っていません。私たちが読むことができるのは昔の人が書き残してくれた写本があるからです」と紹介して下さいました。

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仙覚の小説に専念したい気持ちが深まっているのだけれど、いろんな分野の広報さんが募集を掲載して下さっているからツイッターでお知らせしたいし、でも講座が終わったら今度こそ専念と考えているのに今朝頂いたお電話で「これから忙しくなりますよ」と。という訳で今日はまだ専念に入れてません。

いろいろ予定表を整理して確認したり申込を済ませたり連絡をして、その結果、仙覚の小説は一旦離れて腰越の講座準備に専念することに決めました。基子さんの岩殿観音信仰で、縁起を読んだら書くメドがたち一安心となっていました。もうじき5月。腰越の講座2回。締切原稿2本。心して粗相のないよう。

姫ウツギ。植えた時、ほんの10数センチだったのに今では茂って毎年見事に咲いてくれます。凄い繁茂力。

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木工薔薇。金色が綺麗だから毎年日に輝く光景を撮るのですが、今年はこんなふうにあえて日影でアップで撮ってみました。茂っているので花の香りがどことなく漂っています。

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もう一枚。木工薔薇です。

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2017.4.23 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(30)越後の女性、『「法華玄義」入門』のこと。腰越の講座の募集が始まりました&タウンニュース鎌倉版コラム第16回が掲載されました。

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腰越学習センター講座【鎌倉と源氏物語ーその華麗な歴史絵巻ー】のチラシです。
5月20・27日(土)午後2時〜4時。場所:腰越学習センター。無料。往復ハガキにて応募。5月10日必着。問合せ:0467-33-0712

4月20日
『法華玄義入門』を読むほどに仙覚が大変な生涯だったにも関わらず万葉集に精魂傾けられたかがよくわかる。仙覚はやはりただ万葉集を好きだったからとかでなく、天台宗僧だったのですね。これは国文学的観点からだけでは見えて来なかった問題。仙覚の小説、万葉集研究史でなく精神史になりそう。

疲れたので早々に就寝し3時から起きて読んでいました。読むほどに私も心が澄んでいくのですが、これって久しぶり。というか、初めての気がする。天台宗。空海の密教から仏教に入ったから一番対局的な宗派として一生ご縁がないものと思っていたのですが。これからまた寝ます。おやすみなさい。

改めておはようございます。天台宗の祖智ギは法華経の薬王菩薩本事品二十三まで読み進んで「突然身心がからっとして静かに禅定に」入られたそう。私は遺跡発掘調査で経石に書かれた法華経を読んでいるから大体の内容は知っているけど物語的内容の経典で智ギがご悟った事に驚きました。教義でないのに。

法華経は具体的な物語形式で綴られていて、それがどういう教え(教義)かは書かれてない。しかも智ギは読んでいたのであって坐禅をしていたのでもない。このあたり、私の今までの仏教に見ていたものと全然違って、???、です。修行が足りない! 笑

4月21日
おはようございます。タウンユース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第16回「朝廷と幕府の取り次ぎ役 西園寺実兼は『雪の曙』」が掲載されました。http://www.townnews.co.jp/0602/2017/04/14/379481.html

『とはずがたり』で書くことがあるなど思ってもいなかったから、京都を訪ねても写真を撮ってなくて掲載の写真に悩みました。でも、ふと気がついて、鎌倉に特化したとはずがたりなのだから、実兼が関東申次時代に建立された円覚寺様なら時代がよくわかっていいかな…、となって撮らせて頂きました。

『「法華玄義」入門』の本の栞紐。平織りの先が磨り減って細くなった先端が辛うじて本からはみ出す長さしかない。平織りでさえなくなっていて使いたい気が起こらないでいたのだけれど、今ふっと使ったら、あっ!、となりました。丁寧に何度も何度も繰り返し同じ頁を読む頻度が高い本だからなのだ〜と。

天台教学の根本構造は、三観によって三惑を破り、三諦を観察し、三智を完成することです……。というような文章が並んでいるのですが、不思議と心が落ち着きます。智ギが教義でなく物語で悟りを得たことが脳裏から離れず、いわば人の振り見てみたいな、頭で理解することの対局にあることなのかと。

こういう心の落ち着きを仙覚が持っていたとしたら、それは強いわ〜、と納得。万葉集 に生涯をかけた精神力は天台宗寺院 に育ったからですね。単に悉曇という具体的な示唆を得ただけではなかったんです。定家が摩訶止観に法名をとるほど傾倒したのもわかります。

4月22日
おはようございます。玄覚の母という人は越後の女性。史料に全く登場しないから悩んでいました。が、昨夜、越後の人なら書けるじゃない〜という気が。律子さんという名前にしようかとも。母の母。祖母です。名前の通りの人だったと聞いています。人間は科学で滅びるよと言ってたそう。明治の人なのに。

と、そんなことを考えていて、仙覚は律子さんに素性を明かしただろうかと考えて、明かさなかったとすることに。仙覚は一生例え心を許した人でも明かさなかった。ただ玄覚一人を除いては。律子さんはそれを感づいてはいるけど黙認。越後の女性の強さを書きます。為兼の遊女初君もそうでしたものね。

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2017.4.20 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(29)玄について。「広報かまくら」に応募要項が掲載されて、腰越の講座【鎌倉と源氏物語】の募集が始まりました。

4月16日
おはようございます。白い山吹も咲きました。滝のように枝垂れる黄色い山吹が入り込んできています。シロヤマブキは山吹とは別属らしいですね。枝垂れずに立木のままです。花弁が4枚。山吹は5枚。

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4月17日
おはようございます。昨夜船越英一郎さんの京都の極みで善峯寺を観てやっとほっと。山寺なんですね〜。ガイドで読んではいたけど。都幾川の慈光寺に似た雰囲気でした。とても。山寺の上に学問道場的な場だったことが同じだからでしょうか。桜が全山覆っているところも。伽藍は新しいそうで残念でした。

善峯寺までタクシーで行けるとしても、境内に入ってからもあの石段。船越英一郎さんも最後には足が疲れて躓かれてました。山頂からの眺めの京都市内は見たいけど行ったら一ヶ月は疲労困憊になりそう。(カメラが重いし)。気持的にもう諦めています。行かなくても敦煌や水駅の例もあるしと。

自著を語るという寄稿のお話を頂いてパワポの後と思っていたのに朝から冒頭が湧いて今日書くことに。『源氏物語と鎌倉』。刊行から数年も経っているのに鎌倉の方が大切に思って下さるのが嬉しい。源氏物語と万葉集は世界に関する文学ということをこれから強調しようかな!鎌倉を抜けて。世界的視野に。

『源氏物語と鎌倉』は2011年12月の発行。それから鎌倉で普及活動をして数年になります。フォロワーさんの中には飽きてしまわれた方もいられると思いますが、文化の普及には時間がかかります。当初3年は見たのですが数年たってやっと曙光が見えたところ。一般市民の方に拡がるまでまだまだです。

その間に仙覚が私のライフワークになりました。なので気持的に今は『万葉集』に以降。活動と並行して。

通りすがりの小学校に鬱金の桜が。午後の授業開始のチャイムとともに。

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今日は自著を語るを書いてしまう予定だったのに、道中のお供で持って出た『『万葉集』における帝国的世界と「感動」』を拝読したらのめり込み、それから悪天候予報の対処にDIYめいたことをしたらすっかり気分が拡散。夜になって書き出してみたのですが核心が見えない。明日から多分パワポです。

4月18日
おはようございます。一番ひどい予報だった3時から6時を気づかずに眠っていたのでどんな状況だったかわからないのですが、庭は荒れてません。昨夜の自著を語るが書けなかった愚痴ツイートをくだらないから削除しようと思ったらRTされていて、?。理解不能になりました 笑。今日からパワポです。

腰越の講座のパワポ編集に入りました。最初に時間をかけて金沢文庫の紹介をします。鎌倉の源氏物語は金沢文庫から始まるのに、鎌倉の方がほとんどご存じないので。当主は3人。こちらは創設者の北条実時。尾州家河内本源氏物語に奥書を残されました。

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金沢文庫第2代当主北条顕時です。少年時代から宗尊親王に近似しているから優しい文人タイプの方。後に禅宗に帰依します。霜月騒動では妻が安達泰盛娘だから下総に配流されますが、復帰後は人柄で幕府内で頼られる人に。個人的に私は1番この方が好き。

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金沢文庫第3代当主北条貞顕です。長く六波羅探題に就任し、その間に京都中の名園を見て回り、それを生かして鎌倉に帰ってから称名寺の庭園整備に着手。それが現在の称名寺の浄土式庭園です。鎌倉滅亡時には高時らと東勝寺で自害して果てました。

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と、三人の金沢文庫当主の方々をご紹介させて頂きましたが、三人の生涯をたどると鎌倉時代後半の政治情勢や人間関係、文化等が具体的に見えてきます。それほど金沢文庫は鎌倉と密接な関係にありました。三人の方々の肖像画は国宝で、4月28日からの特別展「国宝 金沢文庫展」に出展されます。

追記:別に私は金沢文庫の回し者ではないのですが、私と金沢文庫の関係はたまたまで、文学に挫折して苦しんで仏教に救いを求めた時、その講座の講師の方が金沢文庫の主任学芸員(後に文庫長)でいらして多くを教えて頂いて、そうして展示毎に通うようになったら名品展で源氏物語をみつけたのでした。

メモ:「玄」は奥深くてよく見えないことを意味します。特に『老子』において道を指す言葉として使われたことから道家思想において重視される言葉となったようです。したがって「玄義」は奥深い思想内容といった意味と捉えることができると思います。(菅野博史氏『「法華玄義」入門』より)

4月19日
パワポの編集は、冒頭に金沢文庫歴代当主の紹介を入れようと思って始めたのですが、やはり最初に【鎌倉に「尾州家河内本源氏物語」という『源氏物語』の写本がありました】と、いつもの雅な流れで始めたくなり、「夢浮橋」巻に北条実時の奥書がある→金沢文庫の紹介、の順にしました。

定番になった講演の冒頭のスライド。ここから源氏物語の写本のドラマが始まります。最後は「鎌倉の滅亡時に流出して、現在は蓬左文庫の所蔵になっています」と。原稿的に考えている時は主人公は光行さんなのですが、パワポでは写本が主役です。

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メモ: 道教まで遡らなくても、玄覚の玄は『法華玄義』の玄でいいかも。『摩訶止観』と並ぶ天台三大部のひとつというし仙覚は読んでいたはず。なんとなく仙覚に摩訶止観の匂いが感じられないでいたのだけれど、法華玄義には感じる。摩訶止観は実践、法華玄義は教義。そんなところにあるのかも。

4月15日号「広報かまくら」に応募要項が掲載されて、腰越の講座【鎌倉と源氏物語】の募集が始まりました。定員30名で市内在住の方優先だそうです。もうお問合せが数件きているそうです。鎌倉も源氏物語も、漢字で見るだけで華やかですものね。

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通常は講座名だけのところを、広報の担当者さんの特別のはからいで、「鎌倉の河内本源氏物語写本に関わった人々についての講座」と内容も入れて頂いたそう。ありがとうございます! 特に「写本に関わった」がいいですね!

しつこく済みません。以前、多摩の交流センターの日曜講座でした時、徹底して写本メインでお話したら、終了後に「展覧会に行っても写本は地味だから飛ばしてたのに、写本にこんなに深い思いが込められていたなんて。今度から写本を見ます」とご感想を頂いて嬉しかったです。

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2017.4.16 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(28)時房とジバゴ。渡辺麻里子氏「天台仏教と古典文学」より『源氏物語』と天台宗。腰越の講座のレジュメ作成など

4月13日
おはようございます。昨日は時房の父時政について読んでいてイメージ一新。なんと伊豆の館では京都系の手づくねのかわらけが出土していて、それが頼朝の幕府開創以前のものという。つまり時政はこの時期すでに京と交流してその文化があったんです。

さらに15,6歳頃、同世代の伊豆守吉田経房と親しくしていて、それで京都守護として在京した時、経房を介して後白河院との折衝も楽にいったと。頼朝から何の地位も授けられない伊豆の地方武士と、どこか侮った見方をされている時政でしたが、それは発表されている学者さん達の偏った見方なのでした。

光源氏のような時房が何故突然変異的に生まれたかが謎で、それは京都の女性が母親だったからとしか思えないとして、時政の在京時期を調べたらこういう結果に。時房がこの伊豆の館で生まれ育ったかなど、時期や位置の整合性はまだ探っていませんが、一般に普及している歴史上の人物のイメージが学者さん方の上から目線ということは仙覚や光行で経験済です。

先週お知らせ頂いたタウンニュース鎌倉版コラムの掲載。14日の予定でしたが延期になりました。関東申次西園寺実兼で関東申次を調べたら吉田経房が初代とわかり、その吉田経房が仙覚の小説にも関係してきてさらに昨夜時政にまで。まるで縦横無尽の網の目状。人と人、時間との繋がりが歴史ですものね。

昨日の井の頭公園です。花びらが散って花筏ができていました。風が吹くと花吹雪になるのですが、もう花びらが足りないからブリザードみたいにはならず残念でした。

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仙覚メモ: 「似ている……」と、時房は思った。← 成長した仙覚に会った時房が呟く。時房は比企時員の蹴鞠仲間だから仙覚の素性をその時直感する。← と、これは重要。超重要。どこで会わせるか、それはずっと先だけれど。← ドクトルジバゴのラストが浮かんだら突然この発想。仙覚=トーニャ。

時房と基子さんをずっとどのようにしようか考えていて、なんとなくドクトル・ジバゴが浮かんだのでした。ということは、基子さんはラーラ?

何かがはじけてしまいました。やっと本業の作家に戻るのでしょう。長かった。ここに来るまでの道。

4月15日
おはようございます。仙覚の小説、今まで私は20年来二人三脚のようにして文学を共にしてきた先輩の方がいるのですが、彼女が昨年手術をされて回復が思わしくなく心配していました。彼女に捧げる本にだけはしたくないから存命中に仕上げないとと悲壮な覚悟をしています。先週彼女から大丈夫ですと連絡があって、心からほっとして書き出している仙覚の小説をお送りしました。

今朝メールを頂いて、毎日絵のようにして読んでいますと。絵のようにというのは人物相関図のこと。『源氏物語と鎌倉』のように系図があるといいと。薔薇の名前のように1冊になれば一気に読めるでしょうけれど、まだ無理ですね。

青空に木蓮が映えています。

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プランターに自生している菫も咲きました。

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滝のように枝垂れる山吹が綺麗です。

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今武蔵野の雑木林の中を歩くと菫が群生しています。菫はほんとうにいいですね。なんか感動します。我が家のプランターの菫はそういう野の菫がふとしたことで自生するようになって、毎年咲いてくれます。

たしか今日は善峯寺の船越英一郎さん京都の極み放映日。「桜の花びらがぽっと現れ、私は突然書く決意をした」で始まる玄覚回想録形式の仙覚の小説。桜の季節には訪ねたいと願いながらまだ叶っていないのですが、考えてみたら春に書き始めたのだから完成は五月とかで、訪問はその頃でいいとなりました。

大いなる勘違い。今日がてっきり16日の日曜日だと思ってのツイートでした。だから放映は明日。本局に郵便物を出しに行って、明日届きますかと尋ねたら、明日は通常配達がないのでと言われ、?、となって帰りました。明日が日曜日なら配達がないくらい知ってたのに。速達にしました。

笠間書院様のツイートに触発されて『『万葉集』における帝国的世界と「感動」』を購入しました。万葉集は今でも世界的文学ですが、もっともっと世界に広まればいいと思います。トークイル・ダシー氏は『アナホリッシュ国文学』創刊号の万葉集特集号でもお馴染みの方。いいですね!

用があって久しぶりに取り出した始めて書いた論文「冷泉為相と武州金沢称名寺」。参考文献の五味文彦先生『明月記の史料学』が科になっていて、それをご指摘頂いたのが『蹴鞠の研究』の桑山浩然先生。もう亡くなられて何年になるでしょう。何も知らないで書いていた頃の懐かしい思い出です。

図書館に行ったらあったので借りてきたのですがこういう本をじっくり読みたいのですが…。摩訶止観と共に天台三大部のひとつ。ほんとうは仙覚の精神を知るにはじっくり読まなくてはいけないんですよね。仙覚の小説、早く出したいとどこか焦ってます。

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慈光寺の桜はどうかしらと以前訪ねた時の写真を見たら、これが2012年4月24日。今頃が最盛期? 去年は4月12日でもう咲いていました。慈光寺、なんか懐かしくて胸がきゅんです。仙覚を調べ出して訪ねるようになって何回行ったでしょう。

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「賢木」では、雲林院に参籠した時のことに、「六十巻という文読み給ひ」とあり、智ギの三大部に加え、湛然の『法華文句記』『法華玄義釈籤』などを読んでいる場面が記されている。また「橋姫」の一節で宇治の大姫・中君が琵琶を合奏した折「扇ならで、これしても月はまねきつべかりけり」と述べる場面には『摩訶止観』巻一上の一節を利用していると指摘されている。このように、『源氏物語』には、天台思想を反映した箇所が多く見出される。(中略)ここまで見てきたように、平安貴族や王朝の女性たちの『法華経』や天台三大部の理解はかなり深く、天台の教学にも精通していた。なぜそこまで深めることができたのであろうか。清少納言や紫式部が天台の教えに詳しいその理由として、実際の生活の中で、作品内の世界同様に頻繁な公私の法会があり、法華八講などで経文の講説を聞く場面が多くあったから知識が備わっていた。(渡辺麻里子「天台仏教と古典文学」)

腰越の講座の第一回目の配布資料を作って送付完了。今日からパワポの編集。しばらく仙覚の小説にはかかれないから、ちょうどいいからその間天台の教学などぱらぱらと拝読することに。天台宗の僧侶の方がほんとうに身近にいられなくて、天台の教義の中心てなんだろうとそればかり考えています。

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2017.4.13 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(27)基子さんのキャラ設定と時房。広尾の図書館に行ったことや桜のこと等

4月9日
メモ: 光能が福原京にいた時光行と知り合っている。光能亡き後、遠子は光行と交流して源氏物語に深まる。平家滅亡の後、鎌倉に下った光行は遠子の妹の基子を知り、基子が京の遠子から源氏物語を贈られて読んでいるのを知って仲が深まる。と、こんな関係が書ける? 祖父・父・娘くらいの年齢差。

仮寝して起きました。執筆にかかるとこの時間帯になるのはたぶん身体がそれに慣れているから。前後不覚に仮寝を要求してきて起きた後はサッパリ。源氏物語ファンの基子さんを書いたら俄然話が膨らんだのですが、今これを岩殿観音の章に入れたら比企の乱の悲劇が中断されてしまう。いつか入れたい。

おはようございます。ボードレールの誕生日だそうですがほんとうに文学の力は大きいです。昨夜基子さんが源氏物語に憧れる少女だったと書いて、繰り返し繰り返し読んでいるうちに人生を知ったと自動筆記的に書いたら、続けて、それが基子を生かし、父仙覚を生かしたと。玄覚の回顧録で構成しています。

摩訶止観。図書館に行かれず入手できないまま原稿にかかったらもう余念がいらなくなってそのまま原稿に没入。遠子さんを陶子に変更。基子さんの身体的キャラに迷い中。昨夜ついに基子さんが岩殿観音に到着しました。次の段落で時房を書きます。複雑な役割で重要なキャラになる予感。想定外の展開。

緊急に岩殿観音にロケに行きたいのですが、体力が。今週中にでも行かなかったら原稿が先に進んでしまう……。岩殿観音はもう何回も行ってるのですが、書き始めたら行ったことのない一画。盲点でした。

たおやかなお人じゃ、と刑部は感じた。←基子さんのキャラに対して初対面の相手にそう呟かせることにしました。で、意味を間違っているといけないので確かめたら、姿・動作の美しいこと、とありました。

伊豆大島近海のところに複数の地震が重なっています。 (複数重なっているから黒い丸の一つに見えています)

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気象庁地震情報を見たら、9日18時9分M2.5が最初だったようです。

4月10日
おはようございます。といっても私はこれから就寝。昨日書いた基子さんのキャラが不満で終日考えていたら、たおやかな人の語が浮かんで、そうしたら流れが合わなくなって基子さんの段は最初から仕切り直し。時房について調べたら容姿端麗、所作優美と。これはますます想定外に時房が膨らみそうです。

仙覚の小説なのにまだ仙覚は生まれてません。なのに時房が膨らんでしまって、どうするの! とは内心の声。時房は竹御所の臨終にも関係してきます。鎌倉は若宮大路脇に時房邸跡碑がありますよね。もっと知名度の高い他の武将の方々のは無いのに、なぜ時房だけ? とずっと疑問。

とんでもない展開を思いついてしまいました。それは刊行するまでここには書きませんが、もともと仙覚は誰かの研究発表を論文でなく小説の形態で書こうとしていたものだから真面目すぎるとは思っても、それでいいとしていました。が、ここにきてこの展開。これぞ小説というところに来たと思います。

これだと、たおやかな人の基子さんが書ける……。やはり小説を進めようとしてプロットどおりに書いても無理。結局自分で面白くないんです。

たおやかな人、の語に誘発されて昨日までとはまったく違う描写で文章が進んでいます。崖、まで登場して。

若宮大路沿い、鶴岡八幡宮に向かって左側にある北条時房邸跡碑です。小町通りに抜ける路地を入るとすぐにありました。割と鶴岡八幡宮寄りの場所です。

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明日は満月なんですね。カレンダーを見てふと気づく。私は今月何を充実したのだろうと考えて、今書き進めている基子さんと時房の関係の構築がそうだ! となりました。今日は全身全霊をあげて没頭。それほど進んでいませんがいい手応え。疲れました。

4月11日
深大寺の近くの公園にある枝垂桜です。今年はお花見に行かれないから過去の写真を。2015年撮影です。2008年から毎年、毎日近辺の桜を撮りに行っていました。なので勢いの変遷がわかります。この頃が最盛期でした。

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深夜に浅田真央さんの引退を知って見ていたTVでのどなたかの発言。記録は薄らぐけれど記憶は消えない。ほんとうにそうだと思います。

時房のことで観念の想起ということを考えているので真央さんに向けた記録と記憶の違いの言葉が心に沁みました。私がプロット的に書き進んだ時の文章は記録。時房についてとんでもない思いつきをしてそれを考えていたらじわじわとセリフやシーンが浮かんで、これが想起。心に深く入り込んでいます。

雨の有栖川宮記念公園の枝垂桜。

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広尾の都立図書館で時房と天台宗の教義についてコピーして来ました。

4月12日
おはようございます。昨日図書館でコピーした時房の資料を読みながら帰ったら、時房は母が足立遠元の娘となっていて、え、遠元娘は妻じゃないの? と衝撃。それでは仙覚の小説の構想が成り立たなくなります。心を落ち着けて深夜今迄見ていた資料や系図等をあたり、私なりに決着をつけました。

原因は足立系図の遠元娘の項に「修理権大夫平時房朝臣遠江守時直等母也」とあること。これは時直の母と解釈すべきで、時房朝臣の次にあるべき「妻也、」の文字が抜けているのだと思います。系図を見て年齢的に不具合と思ったら確かめてから論文なり活字なりにすべきですよね。

ということで仕切り直しですが、内心焦ったからすっかり昂揚していた気分が抜けてしまいました。が、ここで書いておくと、時房は思った以上に光源氏的魅力のある武人でした。政子に従って上洛した際、後鳥羽院の蹴鞠に子息の時村と参加したりしています。これから時房の雅の原点を探します。

半日陰ならフォスタがいいと以前mixiで教えて頂いていろいろな種類のフォスタを集めました。まだ芽が出ないのもあるのに、こちらはこんな。

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土筆が出ていました@井の頭公園

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今日は『源氏物語と鎌倉』を出して下さった銀の鈴社さんが、今年の刊行カタログに紹介して下さって、それが届きました。「紙の本への感謝」。心を込めて書きました。こちらが研究書として出して下さっての今の活動があります。

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最初私の講演が写真が綺麗だからムック本のようなガイドブックで出しませんかとのお申し出でした。でも折角出すならと溜めていた論文三本を持参したらその場で研究書でいきましょうと。それが学会の理事の方のお目に止まって、建長寺様の研究会でも語らせて頂いて。という流れです。

井の頭公園の夜桜を観に行って来ました。

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2017.4.9 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(26)。庭仕事が終わったらすっかり健康的になって気分が変り、仙覚の小説を書き進めています。

4月6日
茂みに茂った木工薔薇の茂みを切って空間を作ったらこの家に来てすぐ植えた蔓性の白薔薇の幹が見えて、こんなに逞しくなっていたのか!と感動。延びた枝をいろいろ引っ張ってアーチを作りました。咲くのが楽しみ。

昨日くらいまで庭仕事を早々に終えて仙覚の小説にかかると悲壮な覚悟をしてたはずだったのに……泣。気持ちもたしかに仙覚に入っていたはずなのに庭仕事という健康な作業が作業の完了とともに心身ともに健康をもたらしてしまいました。この勢いで腰越の講座の準備をするのが正しいのでしょう。多分

小さな小さなブルーベリーの花の蕾。蜜蜂が一匹移植したばかりのブルーベリーの木の周りをずっと飛んでいるので、まだ花も咲いてないのにと目を凝らしたらこんなに小さい花の蕾が。自然は凄いなあと朝から感動。蜜蜂が教えてくれました。

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今咲いているのは紫の色がとても綺麗なこの花。冬の間放置していたのですが、冬も葉の緑が保たれていて強いなあと思っていました。蔦の茂みに混じって咲いてくれています。(どうも私は蔦とか蔓性とか、茂るのが好きで……)

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おはようございます。というわけですっかり仙覚の悲壮な境地から離れてしまった最初の朝です。仙覚は自分が不幸でなければ書けないから必死になって大変な境地に自分を追い込んでいたのですが。昨夜はもう歴史ものにも気が向かず考えて手にしたのが円仁。小説に入ったらすぐ必要になるから準備です。

この世界にだけは足を踏み入れたくなかった。道教。順調に書けるとばかり思っていた仙覚の小説の岩殿観音の章が先送りされて、その間に準備するよう仕向けられたのがまさかこれだったとは。円仁が唐に向かう途中に新羅の人から道教の示唆を得て帰国後も比叡山に。仙覚の仙はまさか神仙思想の仙?

昨夜突然円仁が復活して、そうしたら朝になって、道教だ!、となりました。久々の地元の図書館に円仁の入唐求法巡礼行記を借りに来て道教関連の本も物色。今まで仙覚の仙は素性を隠して生きる、すなわち身を隠して仙人のように、の漢字選択と思っていたのですが、もっと積極的なのかも。

円仁『入唐求法巡礼行記』より。承和5年(838)7月23日。円仁ら三人の僧はぜひとも天台山に行きたい一心で、赤山院にふみ留まっている。何度も旅の行程を聞いたところでは、天台山目指して南に向かって行くにはその道のりはとてつもなく遠いという。しかし、聞くところによると北に向かって巡礼するなら五臺山があり、この地から行くと二千余里ばかりであるという。いつも五臺山の聖跡について聞いてみるのだが、非常にすばらしいものがあり、こういうことを聞くと、いま滞在している赤山が五臺山の聖境に近いことを大変喜ばしいことと思った。

円仁は日本に帰る船に置いて行かれて茫然として赤山院に居住することになり、そこで五臺山の話を聞き天台山を諦めて五臺山に。←これ、実際に円仁が書いている文章。こういうものが読めるなんてと驚きです。鎌倉時代でも読まれていて日蓮が言及した文章も。仙覚も読んでいたと私は考えています。

でも入唐求法巡礼行記では円仁は道教については書いてられませんでした。赤山院は新羅の張宝高が建てた道教の聖地。中国山東省にある。円仁が遺言で弟子たちに無事に求法の成果を得て帰国できたのは赤山神の守護によるものだから勧請するように言い、弟子たちにより創建されたのが比叡山の赤山禅院。

ということは、円仁自体に道教信仰があったわけでなく、仙覚がそれを知ったのは求法記からでなく、後に上洛した時に比叡山に登って赤山禅寺を詣でて道教との関係を知った、ということにする?

4月7日
庭仕事ですっかり健康的な気分になったから辞退申し上げようと思っていたお約束も行っていいかなとなっていたのですが、やはりここは外界との遮断は守ろうと今お詫びのお便りをしたためました。道教も、仙覚はそれより天台宗だなとなって摩訶止観を読みたくなっています。これぞ仙覚の境地かと。

私は、何があっても動ぜず万葉集という学問の探究に生涯を捧げ尽くした仙覚という人の、透徹した人生が好きです。その根幹を書きたい。

最初の一輪。我が家の山吹です。茂る木が好きで繁茂するのも愛でて忙しい間放置してたら庭が荒れ放題。それでも花はこうして咲いてくれます。山吹は茂ると凄いです。滝のようになります(と、どれくらい放置? これから順次整えていきます)

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気がつくと桜の封緘シールを貼れる季節になっている。先週はまだと見送ったのに。そしてうっかりすると来週はもう遅い。桜は一年中使える図柄とはいうけれど。

やっと晴れやかな桜が撮れました@井の頭公園

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各宗派の僧侶の方と割と密接にお話させて頂く機会があるのだけれど、ここにきて天台宗寺院の僧侶の方が身近にいられないと、仙覚の関連で天台宗を調べていて思ったのだけれど、つい先程、そうだ、慈光寺があるではないの…、と思い出したのですが、和尚様にお話を伺いたくても都幾川は遠いです。泣

タウンニュース鎌倉版コラムの今月回は来週の14日と決まったそう。外界と遮断して生活しているつもりでもこうして社会と繋がっている。ありがたいと思います。それから今日はもう一つ、自著を語るのテーマで書く機会を頂きました。『源氏物語と鎌倉』について。どう切口を持っていくか考えます。

4月8日
やはり私は道教はだめで図書館に返しに行った帰りに岩波文庫の摩訶止観を購入しようとしたら、パルコの書店になくてアトレの書店にもなく、啓文堂に至っては改装中で地下の仮店舗には当然その種の文庫があるはずがなく、検索したらあったので明日はまた図書館。道教を読んだら反面教師的に摩訶止観。

摩訶止観を読もうと思ったところですでに頭の中がリセットされたらしく、詰まっていた岩殿観音の章がすらすら書き進めています。雑念まったく無し。比企の乱から逃げて岩殿観音に匿ってもらう壮絶な章なのてすが、別当の思い出とした過去の明るい基子さんを書いたら更級日記の作者みたいになりました。

基子さんは源氏物語に憧れる文学少女だったという設定。それが突然の悲劇に見舞われ、自分の判断で即座に比企へ逃げるのですが、源氏物語を読んでいると光源氏の栄枯盛衰、人の心の不変さと移ろいやすさ、政権の下での人生の変わりやすさなど、みんな経験済になるから若くても人生を見ています。

ある意味源氏物語を好きな女性はどんなことがあっても、どんな状況下でも、その場その場で源氏物語の中の同じような状況に即座に反応できて、自分が主人公になったつもりで動けるのではないでしょうか。悲劇ですらヒロインになった気分がどこかにあって、源氏物語を読まない人より深刻でないとか。

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2017.4.7 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(25)六代御前に関連して文覚のこと。ロバート・キャンベル氏書評に刺激されました。

4月1日
おはようございます。昨夜井上靖『後白河院』、経房と兼実の章を読んで読了。経房の院を見る目の深さに敬服。井上靖氏の創作ではあってもだからこそ頼朝の信頼を得たのでしょうと頷く。実務処理に優れた公卿だから頼朝に選ばれたそうですが、源光行も実務処理に秀でていました。経房の配下の光行です。

TLで頂いた「或る人が障礙を払えると、世の中が改善されるのもまた真」を時々ふと思い出しては考えています、だと思うんです。みんなで真剣になって全体になるようにと。

蔓延している沈滞のムードを変えなければ社会は変わらないと思う。でもそれは面と向かって振りかざす運動ではない。それは文化の力。刀剣乱舞がそれまで誰もできなかった若い女性に刀剣の真の美しさを目覚めさせたように。そういう力が今の社会に本当にないと思う。文学の力がその一端にあるとも思う。

己をみつめていく生き方が、そのままにおいて、永遠なるものとかかわるものであることを、教観の思想は教えている。(『大乗仏典6 摩訶止観』村中堯生解説より。 ↑Facebookの仙覚の小説取材ノート頁にいいねを下さった通知があったので見たら、この記事に。改めていい言葉と思う。

4月2日
おはようございます。昨夜は平家物語の維盛が高野山に入ったところから六代御前が文覚に助けられるところまで拝読。平家物語は久しぶりで堪能。経房の後室が六代御前の母だから頼朝に助命嘆願して文覚が動いたという説があるそうで、それだと再婚の時期と六代御前が捕まった時期が合わないので気になっ

ていました。平家物語では文覚が六代御前を弟子にしたくて頼朝に助命嘆願の流れ。文覚が光能を介して後白河院から平家追討の院宣を受け取り、それで頼朝が旗揚げできた。その功で文覚は頼朝から今後どんな望みでも聞くと言われていたそう。この方が時期的に納得。仙覚の小説はこの流れでいきます。

平家物語はさすが名文ですね。ここのところ調べものばかりでこういう堪能する文学から離れていたからまた平家物語を読み返したくなりました。それにしても私は何も知らないで読んでいたから光能や経房や、そんなふうな今書いている人たちが平家物語や吉記で人物像を辿れるなんてと今更に感動。

追記: 足立遠元の娘が結婚した光能に文覚が院宣を仲介して貰った後、光能はまもなく亡くなります。その蔵人頭を引き継いだのが経房だそう。こんなところにも、そうなんだ?、と感動しています。他愛なさすぎますが。笑

ミュシャ展のマスキングテープとチラシ。行きたいのですが今はまだ。間に合ったら行きます。だからこのお土産が嬉しい。

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ミュシャ展。出品リストを見せて貰ったら全20点が小さな写真で一覧になっていて、一々の絵自体は何が書いてあるかわからないのだけれど、代わりにあの大きな作品の画面での構図における光の部分のとり方が鮮明に。ほぼ全点画面いっぱいの洞窟のような暗い中に暖かい光の部分がある。唸りました。

4月3日
おはようございます。なんとなく寒い朝。井の頭公園の桜は?部咲きといった程度。(5分位?)華やかさにはまだまだです。昨夜は仙覚の小説に文覚がなぜ六代御前を助けたかの三行を入れて就寝。比企の乱の章はある意味プロローグだからここをきっちり書いておかないと気持ち悪くて進みませんでした。

たまたま比企系図の話になったらある方が比企系図は信じられないんですってねと。よく聞く話だけどここまで比企氏を多角的に追って見えてきたのは歴史はみんな勝者の側の論理や見方ということ。敗者のは残っていないし民間に残ったものは信じられないと。これを払拭するのは不可能とつくづく思う。

タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第16回「朝廷と幕府の取り次ぎ役 西園寺実兼は雪の曙」の校正を送りました。写真は円覚寺様。実兼が関東申次の任にあった時期に建立されました。(で、先日打合せで鎌倉に行った時に、先に北鎌倉で下りて撮ってきたのでした)

コラムに書きましたが、実兼が関東申次の任にあった時に二度の蒙古襲来があり、円覚寺様が建立され、安達泰盛が滅びた霜月騒動がありました。後深草院二条を通して時代をみると思いがけないところでいろいろなことが見えてきます。

4月4日
ふう~っと、やっとTLを追い終わり。数日かけた園芸も今日で締め。最後にここは四季咲の薔薇を植えると決めて残して。今日はデュラスに始まりデュラスに終わった感のTL。思うことはいろいろあるけど今は仙覚。だんだん外界を閉ざしていっていてそれが心地いい。園芸で動いたから体調も戻りました。

4月5日
国文学研究資料館の館長にロバート・キャンベル氏! なんとなくびっくりしました。今まで恩師のご友人とかいろいろあって個人的にある種の古典的色合いを感じていたのですが、これから新鮮! 遠のいていたのを再開したい気持ちになりました。

気になってお気に入りしていた記事をやっと拝読。「良い物語を書けば、ある種の力を持つと思っている。僕は物語の力を信じています」。村上春樹さん、いいですね! 騎士団長殺し。先日のロバート・キャンベル氏、石原千秋氏お二方の書評以来拝読したいのですが今は仙覚に籠る時だからいつか。

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