2017.10.22 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム第21回「運慶との関わり 東国と源頼朝と北条時政と」を校正したり、の日々の徒然」

10月17日

タウンニュース鎌倉版連載コラム第21回【鎌倉と源氏物語〈特別編〉運慶との関わり 東国と源頼朝と北条時政と】を校正中です。

Dmujwzyueaedtq5

 

北条時政が頼朝の岳父としてでなく、岳父になる前から独立して偉大だったことを鎌倉の方に認識して頂きたくてあえてタイトルに「北条時政」を入れました。笑

 

美術史的観点の文章は初めてです。業界での緻密な約束事とかあるのでしょうけれど、気がつかないで書いてしまっていることがあるのではとハラハラしています。不注意があったらすみません。(急に今週号の掲載となって)

 

RT 日刊ゲンダイ≪今からでも遅くはない。希望の党は、立憲民主と競合する選挙区の候補者を取り下げたらどうか。 「どんな手段を使っても安倍政権を倒す」とタンカを切った民進・前原代表の覚悟を見せて欲しいものだ。 

 

体調復活を過信して11月の講演を控えているのに油断したらここ二日間危うい。今日も先ほど少し寝ました。もっと若い時だったら、体力に自信あったら、ボランティアに駆けつけるのにと無念をかみしめています。せめて状況をRTで広めさせて頂こうと思いますが、東北の熱さが伝わってきて嬉しい。

 

私は滅多にTLに現れた現象に反論しないのですが今回だけは。石原慎太郎さんが枝野さんを評価したことに浪花節的なところが琴線に触れたと解釈されているのを見受けましたが表面的にはそうですが根幹は違います。私は鎌倉の源氏物語問題で数年ある意味凝り固まった体制と闘ってきました。でも今なお潰

 

れずに続けていられるのは鎌倉には武士文化しかない源氏物語のような雅な文化は無縁として文化的に鬱屈させられていた市民の方たちが驚きとともに喜びをもって草の根運動で広げて下さったからです。立憲民主党の進撃の背後には虐げられてきた国民の怒りがあります。それを忘れてはならないと思います。

 

10月18日

今日は晴れたので地元の図書館に。ボランティアの方たちによる植込みの草花も陽を浴びて晴れやかでしたが、ローズマリーは日陰。でも好きだから撮りました。

Dmzscleuiaabwex

 

晴れた陽射しの側だとこんなに違います。でも秋の植栽はなんとなく穏やかですね。誇らしげに咲いている花がなくて。

Dmzsd6bueaaxho

 

もう一枚。紫のサルビア。この花を庭いっぱいに咲かせたいのだけど。

Dmztdy3u8aiucwl

 

街路樹のハナミズキの赤い実です。

Dmztu2dvwaegv36

 

10月19日

おはようございます。立憲民主党を見ているとどれだけ国民全体が今の政権に対して怒っていたかがよくわかる。私もそうだったし、でも吐け口も改善策も見出せずただ諦観して鬱屈していました。枝野さんの決起、昔の百姓一揆と直感したのですが、自由民権運動でも新思潮でも、とにかく何か変ってほしい。

|

2017.10.19 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(73)伊豆の慶派、運慶と時政のことなど

10月16日

おはようございます。一週間怒涛のRTをさせて頂こうと覚悟しました。森友加計学園問題が起きた時、民主主義の今の世にそんな時代劇の悪代官のようなことが起きてるなんてと耳を疑いました。でもその政権を作ったのは選挙で選んだ国民なんです。諦めていた時に今度の選挙。この権利を生かさなければ!

 

もともと私は文学に籠って深く極めたいほうだから、選挙に関しては呟かないをずっと通してきました。でも今度の政局は絶対変えなければならないと私にしては不思議なくらいに理念が通っています。それくらい逼塞させられていたんですね。初めて権利を生かすチャンスを下さったのが立憲民主党です。

 

(選挙にたいして呟いて炎上したら政局に翻弄され押しつぶされて生きた人生の中でも万葉集だけは捨てなかった仙覚のように、私も押しつぶされたのを幸いに、籠って仙覚の小説を仕上げよう!)と思っています。笑

 

吉祥寺に戻ってコピスガーデン。ほんのひとときだけど最高の息つぎ。リフレッシュしました。

Dmqfqyovqaanc6l

吉祥寺のコピスガーデンはもと伊勢丹だったビルがコピスになって、その3階にあります。忘れていたのですがここ当分通いそう。それにしてもこの1週間の天気予報は雨。ずっとこんな写真になるのかなあ。

 

明治の廃仏棄釈とは違うけれど、伊豆の慶派の仏像がここのところの関心事で、桑原薬師堂の存在、いつからだったのかなど、年譜に照合したいのだけれど、2日続きの外出の結果、結局まだ体力を過信してはいけないと悟って今日は半日休んでいました。なのでこれから年譜。浸れる楽しみです。

 

図書館に行かれなくて資料が入手できないからネットだけの情報だけれど、伊豆の修善寺に実慶作の大日如来像があり、二人の女性の黒髪が納入されていたと。一人は政子の、もう一人は公暁の母という女性のと推測されているそう。頼家が亡くなって6年後(7回忌)の、実朝が暗殺されるより9年前の造仏。

 

RTさせて頂いた田村隆氏『省筆論』。興味深いです。運慶のこととか政局とか、諸々落ち着いたら是非拝読させて頂きます。

 

10月17日

おはようございます。昨夜眠たいのをぎりぎりまで我慢して運慶と時政の年譜を突き合わせて見ていました。細かいところの資料を見たいのは山々ですが図書館に行かれないから諦めてもう原稿に戻ろうかとふと思ったところです。信実が法橋になった時、時政は21歳です。瑞林寺像は40歳。これで十分。

 

国宝と造りほぼ同じ 伊豆・修禅寺の大日如来坐像

http://izu-np.co.jp/nakaizu/news/20171004iz3000000019000c.html

←来年の金沢文庫展にお出ましになられるそうです。

 

来年の金沢文庫展は私的になんとタイムリーなと感嘆。康慶作の瑞林寺地蔵菩薩像。実慶作の修善寺大日如来像。瑞林寺の地蔵菩薩像は展示期間が合わずに東博を諦めていました。1月までまだまだいろいろ広がりそう。

 

と、いろいろ首を突っ込んでいるから、それは小説の取材で必要でしているのだけれど、入っていった分野には外部者には取り付けない堅固な壁があって、結構不審がられたり上から目線をひしひしと感じたり。受け入れて下さる真摯な方と巡り会うと心癒されますが傷つくこと多い。でも乗り越えてきました。

 

と、なんか総括的な感慨をふと。いつも思うのだけど、私がいる場所って私が今書いている小説にしかないなあと。堅固な壁ができているほどの場所にいられたら傷つくこともないのにと羨んでも、原稿は結局自分一人の世界ですものね。

|

2017.10月17日 立憲民主党の東京大作戦と銘打った「吉祥寺・新宿・池袋」に代表枝野幸男さんが来られるというので、吉祥寺の会に行きました。

10月14日

東京大作戦の新宿。さすが吉祥寺と違いますね(←吉祥寺から新宿に移られての街宣写真をツイッターで見て、そのあまりの人出の多さに目を丸くして!)。吉祥寺駅北口ロータリーは狭いから、そして上から見下ろせる陸橋もないから、どんなにたくさん集まっても最大限に集まってもああはなりません・・・。吉祥寺、3.11の時の菅さんと枝野さん。お二人にも感慨深い思いがおありのようでした。

 

遅ればせながら吉祥寺での写真を。帰宅してPCに取り込んでの作業なのでリアルタイムでなくて済みません。とりあえず最初に一枚。枝野さんと菅さんのツーショットです。3.11の時を思い出しました。お二人もお互いにこの今を感無量に挨拶されていました。

Dmffeygueaa0hm7

京大作戦1014@吉祥寺【4-1】演説が始まる前の菅さんと枝野さん。菅さんは地元で枝野代表が応援に駆け付けられました。一枚目は枝野さんを待つ菅さん。二枚目が到着して街宣カーに乗られたばかりの枝野さんです。3.11で労苦を共にされたお二人の今です。

Dmfusa9vaaallvk

Dmfutu_uqaapump

東京大作戦1014【4-2】菅直人さんの演説の時の見守るような板野さんの眼差しや笑顔が印象的でした。

Dmfu_24uqaaluue_2

Dmfutnvaaekc30_2

東京大作戦1014【4-3】板野代表の演説は聴衆の心に響かれていました。でも、それとは別に菅さんとお二人が嬉しそうで、撮っているあいだは気づかなかったのですが、PCに取り込んで見たらこんなにもお二人で親密に溶け合ってらして素敵です!

Dmfvvhsvoaaarlr

Dmfvw3wvqaar8v8

東京大作戦1014@吉祥寺【4-4】。最後に全景を。ロータリーは狭いのでいっぱいいっぱいに詰めかけても限界が。でもネットニュースを見たら1000人も集まったのだそうです。反対側の舗道とか通路もいっぱいでしたから。 二枚とも中央線のホームから。

Dmfwmmvwaagz8

Dmfwnplvqaet8y1

10月15日

枝野さんの落選の危機をTLで目にしてから胸が締め付けられている。TVで「僕だって不安なんです」と一瞬仰られたのが心に残っていてそれから気になっていたのだけどまさかこういうことだったとは。枝野さんが全国を回らなければあの党は成り立たないあいだ、地元を応援する策はないのだろうか。

 

どなたかの呟きで自由民権運動ってこんな感じだったのかというのを見たけど、私は自由民権運動それ自体に詳しいわけではないから危ういけど、枝野さんが立憲民主党を立ち上げられ、ツイッターのフォロワー数が秒単位に千の位から万の単位に伸びていくのを目にした時に、私もそれを感じたのでした。

 

まさか自分の生きている時代にそういう新思潮の波に遭遇するなんて、こんな奇跡に巡り会えるなんてという感嘆。私は文学史の人だから新思潮という言葉が好きだしその意味を大切にしたい。でも、枝野さんが落選されたら、と思うととんでもないです!

 

立憲民主党が立ち上げられ全国に活動が広まってもう安心と思った時に自民党が圧勝の報。そろそろRTの嵐を収めようかと思った矢先に枝野さんの落選の危機の報。立ち上げから僅かの日数で人手不足も甚大で何もかもはじめてづくしで歴史に残る党を作っていかれるのだからせめてRT続けさせて頂きます。

 

ほんとうに今度の選挙こそ一般市民が現状を変えることのできるたった一つの方法なのに。枝野さんの街頭演説にたくさんの人が集まっている光景が昨年までの国会議事堂前のデモと同じように見える人にはこの違いがわからないのかしら。

 

吉祥寺のコピスガーデン。先日撮った一枚です。ジュンク堂があるビルで今日も行くのですがまた雨。また撮ってきます。なんか、こういう写真寛ぎますね。造られた自然でも。

Dmjwecxvqaabnrm

 

10月16日

真夜中のまた怒涛のRTをしてしまいました。私は立憲民主党が立ち上がるまで戦争になったら三島由紀夫や川端康成のように古典に浸って過ごそうと、その方が文学者として真実と思っていました。枝野さんが決意表明をされた時に私の中で執筆中の一生を政変によって左右された仙覚の精神が甦ったのです。

 

個人の力は限りなく小さいです。翻弄されたら虐げられたらその中で苦悩や悲憤を自分なりに克服して生きていかなければなりません。仙覚は諦観しその苦しみの中で万葉集という偉大な業績を残しました。でも思いがけずに解散→選挙となって、個人が権利を発揮できる場を頂きました。生かさなければ!

 

連ツイ済みません。今、この状況に遭遇する前に仙覚を徹底的に見て書いて人生を追体験していてよかった。そうでなかったら多分枝野さんが立憲民主党を立ち上げられてもまだ三島由紀夫や川端康成になろうと思っていたと思います。

|

2017.10.17 ツイッターから転載…円覚寺様の写真。日本の宝、『源氏物語』をもっと大切にしてほしいです!

0月13日

なかなか季節を感じて写真を撮ることが余裕がなくてできなくて。使う写真を取り出す時に過去の同じ季節の花の写真を見て慰められています。これは薄いピンクの秋明菊。

Dl_uuljumauttg_

 

今日は寒い雨模様ですが、昨日は晴れて暑いくらいでした。なので円覚寺様境内も晴れやかに巡らせていただきました。こちらは山門です。

 

円覚寺様山門上部の扁額です。

Dl_y2au8aecppg

一礼してくぐり抜けようとしたら綺麗な彫刻が目に入りました。

Dl_af28vwae6cao

 

山門の奥に広がる白砂の向こうに円覚寺様仏殿。ご本尊は宝冠釈迦如来様でいられます。

Dl_bftmumaaxzfo

円覚寺様の柏槇です。

Dl_cvb8vaaa7lvp

 

世の中には源氏物語を嫌いな人が、もしかしたら好きな人よりもたくさんいると、鎌倉の源氏物語に関わって認識しました。その一端に光源氏を倫理的に許せない、生理的に嫌いというのがあって、そういう方々は源氏物語を読まれてなくてただ風評で源氏物語をスキャンダルの文学と捉えてられます。

 

源氏物語を真摯にお読みになればそこには紫式部の女としての苦悩とか宗教観の深みが書かれていて、決してスキャンダルな文学でないことがわかりますが、如何せん源氏物語は長い。そこで手っ取り早く知ろうと思うとある意味売らんかな的に煽るようなダイジェストに頼り、結局許せないとなります。

 

こういうことを呟いたのは、昨夜の打上げでまた同じ反論にあったから。どうしてあんな源氏物語を鎌倉武士が読んだか理解できないと。でも鎌倉時代には源氏物語はスキャンダル文学ではなく真面目に勉強する武士達の「京都学」のテキストでした。それを言ったら反論できなくなって黙られました。

 

私は思うのですが、源氏物語に対するイメージをこれ以上壊さないで、世界に誇れる大切な日本の古典ということを真摯に伝える時代になってほしいなあと。

 

緑の休息に飢えている感じがしていたところにTLにコピスガーデンの写真が流れてきて、見たらそれは北海道かどこかのだったけど、そうだ! コピスガーデンなら吉祥寺にもあると思い出し、今日は雨が降っているけど行ってみました。

Dmblhvoueaavfmc

|

2017.10.14 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(72)伊豆に慶派の仏像がたくさん! 鎌倉禅研究会でした。

10月12日

昨日と今日の2日続きの外出は無理と思い昨夜のトークショーの申し込みを躊躇したのだけれど、金沢文庫の学芸員さんと山本勉先生の対談は聞き逃せないからなんとかなるとばかりに行って、でも今朝は無事に出て来られました。体力、随分回復しています。秋はこれから充実期。いろいろ楽しみです。

 

先月の鎌倉禅研究会で山本勉先生のスパイラルホールでのご講演の入場券を頂き、そこで紹介されたご本を拝読して運慶が六波羅蜜寺と関係あると知り俄然興味が行って1か月運慶旋風が私の中で吹き荒れました。そして原稿に戻ってまた時政。学会的にも文学的にも今まで見えたなかった世界を探っています。

 

今日は峰岸純夫先生の『享徳の乱』が届くのだけれど、帰ってからの楽しみ。

 

メモ: 光明峯寺入道は道家で、康慶・運慶の仏像を? 小林剛氏『仏師運慶の研究』。

 

ホームは屋根があるのに車両が濡れているのだけれど、地元は雨? 鎌倉の帰り。鎌倉では雨の気配はなかったけど。

 

今日の鎌倉禅研究会の会場は円覚寺様でした。こちらは唐門。方丈前の唐門は勅使門と先日建長寺様で知ったばかりです。

Dl8azkov4aaead

構成@円覚寺様 例会が終わり外に出たら目に入った光景です。檜皮葺屋根はたぶん唐門。(円覚寺様にまだそう慣れていないので)

Dl8bn3vaaas4d6

帰宅して寝て今起きて届いていた峰岸純夫先生の『享徳の乱』を開いて、字面が綺麗だなあ、読みやすそう! となっています。「本書は、中世日本における『享徳の乱』の重要性について知ってもらい、理解を深めていただくために書かれたものなのである」。いいですね!

 

10月13日

おはようございます。昨夜の打上げの充実したひと時に引きずられてだけいるわけにもいかないので運慶に戻ったら一瞬にして気分が一新しました。これは伊豆のかんなみ仏の里美術館HPにあった伊豆周辺地域の慶派の仏像地図です。

Izu_map

たしかTLでみかけた仏師実慶。その名前が伊豆の慶派の仏像を検索していたら出てきて、やはり運慶願経に名を連ねる人と確認。それにしても伊豆の慶派の仏像の多いこと。あと瑞林寺地蔵菩薩像のことなど、運慶展に行ったらまた資料館籠りです。浄楽寺の阿弥陀様方のお出ましを待っています。

 

昨夜運慶と六波羅蜜寺のことを話したら面白がられて「それどこに書くの?」。論文ではなく小説でと申しあげると「いつ発表するの?」。まだまだ調べれば出てきそうな伊豆の慶派。早く書いて発表したいのはやまやまですが、こういうことに関心をもって下さる方のいることの幸せ。長い蓄積の結果です。

|

2017.10.13 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(71)高橋慎一朗先生『中世の都市と武士』から六波羅と時政の関係を拝読して目から鱗→伊豆の慶派の仏像がたくさん。鎌倉禅研究会に。

10月10日

おはようございます。鎌倉の第四代将軍頼経が仙覚に万葉集を命じたのですが、その頼経は九条兼実の曽孫。なぜ頼経が万葉集をということはこの小説の根幹なのですが、運慶が出てきたことで兼実を書く機会ができました。興福寺復興の氏長者兼実です。新古今の良経、東福寺の道家→頼経と続きます。

 

と昨夜気づいた時、え~っ、この小説は新古今の山を乗り越えなければならないんだと愕然と。でもすぐにそうしたら慈光寺経を書けると気が付いて、それなら頑張ろうと思ったのでした。慈光寺経の奉納に仙覚がかかわっているか取り沙汰されていますが、円顕がでて残念なことに私的には否になりました。

 

他愛ないことですが個人的に驚き。昨日コピーしてきた運慶関連のご論考を拝読していて。割と古いご論考ばかりだから文字使いがなんとなく違って目にしました。「為人」って「人となり」と読むんですね。初めて知った気が。今まで気がつかなかっただけ?

 

六波羅について高橋慎一朗先生『中世の都市と武士』を拝読しています。思ったとおりの感。京都守護として入洛した時政は源氏一族でないから、当時の源氏一族の本拠地の六条堀川には入れず、平家没官領として幕府の所有するところとなっていた六波羅に居を構えた。これが時政の公的機関として機能する。

 

文治二年、没官京地の配分で時政は「綾小路北、河原東」を与えられた。これは六波羅に近い鴨川東岸の地だから、北条氏が六波羅を京都における拠点とみなして六波羅近隣の地を望んだとも考えられる。この時重源が八条高倉を与えられ、それがおそらく運慶に譲られて地蔵十輪院になった。

 

平家滅亡後の六波羅は、「北条氏の六波羅」という要素を当初から含んでいたことになる。六波羅は、武家地としての性格を持ち始めていたが、「武家地」六波羅の成立には六波羅探題府の設置を待たねばならなかったのである。

 

夕暮れ@吉祥寺。選挙、公示の日の。

Dlw3kjzvaaacnzm

 

時政が大番役で在京の時に瑞林寺。京都守護の頃六波羅蜜寺。と地蔵菩薩像の一致に?となって調べたら慶派の北条氏との繋がりは時政以前に遡る。静岡に慶派の仏像がたくさん。で、系図を見たら康慶よりもまだ何代も前から興福寺との繋がり。運慶と時政の縁はこの流れの中だったんですね。

 

私は運慶初心者だから六波羅蜜寺と運慶の関係を時政が京都守護で上洛した時に運慶を見初め、願成就院制作を頼んだとばかり思っていました。時政の叔父?に興福寺の上座を勤めた信実がいて、彼と時政の父との関係で北条氏と静岡の慶派の造仏がなされたと考えていいのでしょうか。時政、奥が深いです。

 

10月11日

今日はQRコードのスマホチケット成功 笑。昔人間だからこういうの苦手。

 

帰りの車内です。面白かったです。山本勉先生と瀬谷貴之先生のトークショー@ラカグ「運慶メッタ掘り」。一つ、凄い収穫がありました。活かさせていただきます。

 

今日のトークショー会場、ラカグ。ラカグは、ラ・神楽坂の略だそうです。もとは倉庫だったとか。

Dl3juelvwaaa1ky

|

2017.10.10 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(70)運慶関連で重源を読んでひとまず運慶は終わりに。原稿に戻ります。

10月6日

赤いグラジオラス?がすっくと一本@井の頭公園西園

Dlbw7f9u8aao26d

 

重源は大仏建立の勧進のために全国に別所(出先機関)を設け、そこに必ず浄土堂を建てた。今も完全に残っているのが播磨の浄土寺。重源ゆかりのものがいくつか残っているのが伊賀の別所。平家が滅んだ時その没官地が陳和卿に与えられ東大寺に寄進。そこに重源が寺院を建てた。(筒井寛秀師『東大寺』)

 

重源や陳和卿について読んでいます。重源には『南無阿弥陀仏作善集』が残されており東大寺復興造営の詳細な記録だそう。筒井寛秀様はここに書かれている地を若い時に小林剛先生方について全部訪ねられたそうです。運慶の人生を考えると重源と陳和卿が無視できなくなりました。

 

単純に東大寺大仏殿を見てあまりの大きさに圧倒されたり、重源が勧進したと読んでも、実際を知らないと本当の「大変」さがわからないってことですね。材木の調達や運搬がどんなに大変かつぶさに拝読して圧倒されています。運慶はこの人たちとともにいた。そういうことなんです。

 

今日の空なんですけど、全方位でこういう状況でした。先ほど福島で地震がありましたがまだ地殻は落ち着いていないようです。

Dldtyslvabejhlu

この空、もしかしたら福島の地震M6の直前の空だったのかもしれませんね。

 

びっくりしました。仙覚の年譜を見ていて。九条道家は実朝誕生の翌年生まれなんですね。鎌倉で若くして亡くなった実朝と、京都でその後くらいから権力者になっていく道家が同じ世代だなど考えたこともありませんでした。年譜を作成するとこういう発見がよくあります。

 

10月7日

昨夜は『別冊太陽』の東大寺特集号を拝読して就寝。重源のことも詳しく。以前国分僧尼寺の会に参加していたから懐かしいお名前も。ここにも横内先生が書いてらして中に大須観音のことも。こちらも懐かしく思い出しました。せっかくお会いしていたのに知らないとはいえ惜しいことをしました。

 

昨日ご恵送頂きました。『鎌倉』123号。鈴木良昭先生の「鎌倉大仏存疑 下」を楽しみに拝読させて頂きます。こちら、「上」が面白かったので続きを待っていました。鈴木先生の『とはずがたりと鎌倉』はとはずがたりに関心ある方には絶対お薦め。鎌倉在住でいられるから化粧坂の辺り詳しいです。

 

10月8日

鈴木良昭先生の「鎌倉大仏存疑 下」を拝読させて頂きました。とにかく鎌倉の大仏はあれ程巨大なのに謎が多くて不思議。でも私にはちょうど運慶の事跡を仙覚の年譜に落とし終わってさらに重源も読み終わったところでの鎌倉。啓示のように鎌倉に戻らせて頂きました。今日あたりから原稿に戻ろうと。

 

たまたま重源を読み終わった直後に鎌倉大仏のご論考を拝読して、鎌倉では重源にあたる人物が浄光で、それは鎌倉禅研究会の高橋秀栄先生のご発表で知っていたけれど、重源のような活動が鎌倉大仏ではわからないもどかしさを感じました。京と違って公家の方のような脇からの日記がないのが致命的ですね。

 

鎌倉大仏は仙覚の小説に関係ないつもりで鈴木先生のご論考を拝読して終わりにしたいのですが、ご論考では頼経の初上洛がとりあげられていて、六波羅に建てた上洛時の新御所で頼経主催で(実は裏で父道家先導)仁王会が開かれていてそれが大仏に関係あるだろうと。頼経は仙覚に万葉集を命じた人です。

 

調べ物が一段落したからなんとなく思考が原稿に入っていて、はじめにの玄覚の部分はそのままだけど、第一章を北条時政と伊豆にしょうかと。結局時政を書かなければ比企の乱ははじまらないのかも。もう原稿を開いて再開していいところにきているのだけれどまだ引っ張って見ないでいます。

 

気分転換に吉祥寺にでて寛ぎながらざっと書いてあった分の原稿に目を通したのですが、やはり再構成し直さなければならないかも。でもそれをしたら今度こそ流れに乗って書ける気がする。

 

10月9日

おはようございます。昨夜から今まで書いた原稿を見返しています。はじめにの部分の第一章玄覚の回想はそのまま。第二章として進めていた岩殿観音は先送りに。反古にした名越・浜御所をこれから生かして「北条時政と名越・浜御所」として復活。ここに仙覚が生まれる以前の歴史を書き込んでいきます。

 

第134回 鎌倉禅研究会のお知らせです。今回の会場はいつもの建長寺様ではなく円覚寺様です。 10月12日(木)13時~16時半 於円覚寺。第一講「建長寺開山蘭渓和尚語録の現代語訳」法政大学講師・建長寺研究員彭丹先生。第二講「律と禅と浄光明寺」浄光明寺住職 大三輪龍哉師

Dlqdq7mvoaaavit

 

仙覚の人生をみてなかったら今の政局にこんなに敏感にならなかったと思う。仙覚は比企の乱で存在を消して生きる人生を強いられ、やっと頼経に万葉集を命じられてかかったら宮騒動で頼経が帰洛。次の宗尊親王も更迭されて帰京。比企に帰って晩年を過ごします。ある意味政局こそが人生を左右します。

 

図書館でたっぷりコピーしてきました。運慶関連で。運慶の屋敷跡が新編鎌倉志に乗っていると読んで。運慶が東国に下って仏像を彫ったか、西で造って送ったか、決着がついていなさそうなので私なりに考えなくてはならなくて。

 

新編鎌倉志より。「仏師運慶邸跡は、正宗屋敷の西なり。仏師運慶が宅地と云伝ふ」←鍛冶正宗屋敷跡は「勝橋(寿福寺前の石橋)の南の町、西頬也。此所に刃の稲荷と云小祠あり」←ここって、鎌倉駅西口すぐのホテルかまくら辺りにある写真のところでしょうか。小さな稲荷もありますし。

Dls7wb6uqaeihco

 

運慶が東国に居住して仏像を造ったかもしれない空白の時期は二回。一回目は願成就院・浄楽寺・樺埼寺の造仏と続き永福寺も手掛けたかもしれない壮年期。二回目は晩年で実朝・義時・政子の造仏。もし鎌倉滞在が事実なら新編鎌倉志の場所は二回目の晩年期のでしょう。一回目だったら名越だったと思う。

|

2017.10.7 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(69)慈覚大師円仁の生誕地「岩舟」に行きました。【その2-円仁が修行した大慈寺】

慈覚大師円仁が9才から15才までの6年間にわたって修行された大慈寺が今回の岩舟訪問の最大の目的でした。往時の伽藍は天正年間の戦火で焼失したそうで、円仁のいらした当時の面影は残っていませんが、ここはたしかに円仁のいらした場所と思いつつ巡らせて頂きました。時間がなく、伝教大師最澄が建てられた相輪塔のところまで回れなかったのが心残りです。

007847

017715

027864

037860

127706_2

047849

057841

067839

077710

087712

097837
今はまったくその気配のない円仁がいた当時の最盛期の伽藍風景。五重塔の模型が往時をしのばせてくれました。

Dsc_7852

107726
『入唐求法巡礼行記』を世界三大紀行と評価され、みずからも英訳して世界に紹介されたライシャワー大使もこの大慈寺を訪れました。その記念碑です。

117729
伝教大師最澄の建てた相輪塔はこの上にあるようでした。

137727

もっとゆっくり、できたら慈覚大師堂の中に入れていただけるご縁をもってまた訪ねさせて頂きたく思います。

でも、凄いことですよね。あの慈覚大師円仁がいらしたまさにその境内を訪ねさせていただいたなんて! ありがとうございました。

|

2017.10.5 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(68)玄覚と善峯寺、宇都宮氏のこと。無著像から『摂大乗論』へ

10月4日

RTのアストラーベ。薔薇の名前はほんとうに視覚的に素敵。仙覚の小説でアストラーベになるものはないかなあと思ってしまいました。考えます。

 

仙覚の小説は仙覚は誰かを学会で発表してでもそれは論文にしても一般に知れ渡らないからと小説化を目指したもの。論文ならとっくに書けていますが小説は肉付け部分が大事だからこれは~と立ち止まるとそこに時間を費やして進まない。やっと肉付け部分ができたと思ったら今度は視覚的な配慮かあ~。

 

メモ: 玄覚と善峯寺。宇都宮氏の氏寺だったら、時朝と仙覚の交流が子息どうしの交流に残っていて、宇都宮氏を介しての玄覚の善峯寺もある?

 

中秋の名月。私も撮ってみました。月は雲があると風情がでますが今夜は少し多め。周りに紅彩ができたり消えたりでした。

Dls_h57uqaarcui

 

玄覚と善峯寺の件。玄覚が親しかったのは二条家の定為で為氏の子。為氏は笠間時朝の甥だから、定為は時朝には甥の子。やはり玄覚の善峯寺との関係は善峯寺を氏寺とする宇都宮氏との縁でとみていいようです。

 

10月5日

おはようございます。突然思考が時朝モードに笑。以前異本紫明抄の編纂者問題で時朝を追っていた時は鎌倉に立脚した視点だったから在京していて空白ばかりの時朝をある意味低く見ていました(失礼しました)。でも善峯寺が氏寺と知って京での人脈を考えたら活動の華麗さも見えてきて思考が一新です。

 

私の宇都宮氏の原点は『沙弥蓮愉集』(七代景綱)。『前長門守時朝入京田舎打聞集全釈』(時朝)の二冊。たまたま地元の図書館にあって。なにもわからない時期でも面白く夢中になって読んでいたのですが、その知識があって鎌倉と京との交流を見ているから楽しい。そこに善峯寺の視点が投入されました。

 

私がまったく宇都宮氏を知らなかった時のような状態の方に豆知識: 五代頼綱が時政の娘を妻にしていたので牧氏の変で謀反の疑いをかけられて出家し蓮生に。京に移って嵯峨に住み定家と交流し百人一首に。為家に娘を嫁がせて為氏が生まれます。法然弟子の証空に師事して三鈷寺に。その近隣に善峯寺が。

 

栃木県博の宇都宮氏展では法然上人絵伝から法然の葬列の場面が展示されていて、蓮生と弟の信生法師(時朝の父)が先頭で率いていてびっくりしました。こんなにもこの人たちが京で力を持っていたのだ!と。百人一首でその財力がわかっていたはずなのに。案外宇都宮氏は奥州平泉に匹敵するのかも。

 

宇都宮氏展では『沙弥蓮愉集』や『前長門守時朝入京田舎打聞集』、『新式和歌集』が並んでいてまさか実物を拝見できるなんてとビックリ。(TLに流れてくるのは明月記…だったから)。それらが冷泉家所蔵なので冷泉家と二条家と玄覚はどちらと親交あったのだろうと悩んでいたのですが無駄でした。

 

ふと運慶は無着の摂大乗論を読んだはずと思い本棚を探してでてきた本。摂大乗論は難しいから唯識三十頌から始めるといいと仰って頂いたとおりに摂大乗論はありませんでした。でもなぜか唯識に拘って読んでいたころのこれらのご本、懐かしいです。

Dlwwghwuiaazzns

 

『仏教の思想4 認識と超越〈唯識〉』の扉は無着像。この仏像との最初の出会いがここでした。まだ運慶と結びついてません。本にはもう汚いほどに黒インクの線引きと書込み。ヒーマラーヤは雪の蔵の意のところにも。私のヒマラヤへの憧れの原点です。

Dlwyd3nvaaafsj

 

もう少しで膨大に集めた運慶資料の復習終わり。最初は六波羅蜜寺地蔵菩薩が目的だったのにいつのまにか運慶その人を。一応仙覚の年譜に落とし終わってその確認の作業が復習になっています。少し認識と超越で頭を冷やしてから仙覚の小説に戻ります。仙覚を取り巻く世界が比企の乱だけでなくなりました。

 

こういう雲が出ています。

Dlw_evivoaakhvo

 

月に虹色の暈ができて綺麗です。

Dlxdj4dvoaaloij

|

2017.10.3 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(67)栃木県立博物館「宇都宮氏展」で時朝造立の仏像を見て。円仁『入唐求法巡礼行記』のことなど

10月2日

笠間時朝は仙覚とかかわり深い人なので栃木県博の宇都宮氏展は必ず見なければならない展覧会。そこに山本勉先生のご講演をみつけ申し込ませて頂いたのですが、体調も含め出かけるのが難しい状況の昨今、こんな機会は二度とない気づいて円仁生誕地と下野薬師寺を回り、結局ご講演は諦めました。なのに、

 

宇都宮氏展の会場を巡ったら時朝建立の阿弥陀三尊像など立派な仏像の数々。山本先生の昨夜の「宇都宮氏の仏像」というタイトルを思い出し、今講堂では先生がこのお話をされている最中と思ったのでした。慶派らしい仏師の彫りは運慶展で見たばかりです。それにしても仏像を見ても時朝只人ではないです。

 

笠間時朝は宋版一切経を奉納してまでいる人物です。鎌倉の御家人というより在京が長いから京の知識人との交流も多く、そういう状況のなかで真観や仙覚と知り合ったと踏んでいます。真観は関東に下っても鎌倉を通り越してまっすぐ時朝のもとに。歓待されて結構長く滞在しています。あの葉室光俊がです!

 

昨夜は疲れて見る余裕なかった宇都宮氏展の図録。今日の会の方に見て頂きたくて持って出て私もこれから拝見。それにしても遠いのが惜しいくらいに凄まじかった充実の展覧会でした。明月記あり、親鸞真筆の国宝まであったりで。

 

秋明菊。昨日の栃木県立博物館でたくさん咲いていました。まもなく目的地に到着です。

Dlgghf4ueaam_mq

 

今日の会は永原慶二先生からはじまりそうそうたる先生方の薫陶を受けていられる方々の集まりなのだけれど、宇都宮氏展の図録を回したら宇都宮氏に関心がないかご存知ない。百人一首との関係に驚かれたり、時朝って誰?となったり。政治の中心にいないとこうも歴史学では無視されるんですね。驚き。

Dlgzybzvwaa_xia

 

びっくりしていると、貴方は文化から入ってるからよ、私たちは文化は除外するからと。鎌倉の源氏物語問題でうすうすその結論に達していましたが、まさかこうもあからさまにそうだったとは。習ってきた歴史、流布している歴史は文化を除外した表舞台面だけの世界でした。見えてない世界はまだまだ。

 

シャンシャンちゃん。駅の掲示板で。

Dlheax7ueaayzlj

 

両毛線で小山から高崎に向かう手前に岩舟があります。車窓に3.11で崩れて肌が露出した岩船山が見えて、あれだ! と興奮した一枚です。昨日は宇都宮に向かう途中古河を通り享徳の乱を思ったのですが、やはり古河公方の古河でした。

Dlhfv9gvoaancnc

PTの一遍聖絵の小野寺。昨日訪ねた慈覚大師円仁が修行された大慈寺の近くです。道筋なので寄る予定でしたが時間の関係で諦めて博物館に行ったら展示されていて感動。今日までだったなんてと改めて感動。

 

時朝のことなのだけれど、山本先生がコメントを下さったようには宇都宮氏展会場で時朝造立の仏像の前で捉えられてなかったのですが、とにかく「時朝ってこれほどの仏像を幾体も造る人だったんだ~」と時朝への敬意が広がりました。それも仏師が慶派で、時朝は一流を知っていたのだなあという感慨です。

 

今日、貴方の原稿はどれくらい進んだ? と尋ねられて「まだ全然です。先生のご本より先にかかっていたのに…」と答えました。先生のご本はもう今月刊行。先月「表紙ができた」と見せて頂き、今日は「版下?(中の文章の部分)」を見せて頂き、来月は実物を持ってきて頂きます。私も頑張らなくては!

 

10月3日

なぜかヒマラヤ杉が大好きです。枝垂れた枝が長い人の手を思わせるからでしょうか雪男を並列して感じます。以前書いた小説にその描写をめんめんとして、小説の筋とは無関係のその描写が勝手に自分で気に入っています。見ると撮る癖は今でも。栃木県立博物館の正面口にありました。

Dljmqzlv4aa2p0b

運慶特集号のPenを読んでいて永福寺出土の焼けた仏像の小さな片腕を思い出しました。雲中菩薩位のです。印象が膨らんでしまっているかもしれませんが、ふくよかでしっとりした張りのある彫りが胸に残っています。Penにあった円成寺大日如来像の腕の描写がまさにそれでした。可愛い手でした。

 

寝ろのハッシュタグがついていたと読んで当時を思い出しました。東北の震災時私はツイッターを始めたばかりでした。震災の発生でツイッターがリアルタイムの情報発信力を持っているのに気づき、ツイッターがまだ普及していなかったので私が得た情報を常連だった掲示板に挙げてお知らせしてたのでした。

 

その時に匹敵する異常時なのだなあと実感しています。

 

拝聴したかった宇都宮氏展の永村真先生「宇都宮氏の信仰」。図録にあって拝読していたら善峯寺の写真が。?と思って読んだら、なんと、宇都宮氏の氏寺と。宇都宮氏には為氏が関係しているし、玄覚はなぜ善峯寺に行ったのだろう。為氏は二条家。玄覚とは冷泉家の関係だった気がするけど、違ったかなあ。

 

三毳山ふもとの円仁生誕地に建つライシャワー大使来訪記念碑です。円仁は宋に渡った時の紀行『入唐求法巡礼行記』を残していてライシャワー大使が西遊記・東方見聞録とともに世界三大紀行に推しています。そして自ら岩舟も訪ねられてその記念碑。石が磨かれ過ぎてかえって肉眼では読めませんでした。

Dlnitpjvoaaulux

 

また入唐求法巡礼行記に戻るかな! 円仁の世界、惹かれます。(なにか戻ってきてるのかも)

 

続 日蓮も読んでいます。鎌倉にそうやって流布していたのなら仙覚も読んだものとして原稿を進めます。

|

«2017.10.3 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(66)運慶願経から兼実との関係は? 円仁の生誕地、栃木県岩舟を訪ねました。