2024.7.21 Twitter(X)から転載……引き続き池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』を拝読しています。NHK大河ドラマ「光る君へ」のガイドブック後編を買いました

7月17日

NHKガイドブック『光る君へ 後編』より柄本佑さんの道長評 道長の心の中には常にまひろがいる。愛情という点では倫子とは友情に近い同志愛を育み、明子には安らぎを求め。ただまひろに関してはどうにもコントロールできない何かがあるのでしょうね。

 

どうにもコントロールできない何か、っていい言葉! 脚本の大石静さんが柄本佑さんと吉高由里子さんの二人だけ何も質問してこないで自分で役を深めて演じていられるそう 私はこのドラマ 展開が安易に布石どおり過ぎて唖然とするのですが まひろと道長二人の愛だけは本物で毎回唸っています

 

やっとガイドブックを買いました 源氏物語が書かれてゆく状況になったからですが それをあらすじで読んで道長とまひろの愛の真摯な迫力を超えるような演出にして欲しい あらすじでは布石どおりに展開してゆき過ぎてそれが感じられずフラストレーションが溜まりました 演出がどうなるでしょう

 

源氏物語は書かれていることより書かれていないことのほうに意味があり だからそれを書かれていることの一々をまひろの体験とか一条天皇云々に当て嵌めてしまうと 書かれていないことの大切なものが失われてしまう あ これは源氏物語のあのエピ! と視聴者が簡単に喜ぶ段階は過ぎて欲しいです

 

7月18日

時間の経つことの早いこと! ブログを更新したばかりと油断していたら 都知事選があり 家の修理で片付け者に追われ 光る君へがあって Xにツイートしていたのにブログへの転載が滞っていました やっとできて またこれから心機一転 華鏡中心の生活に戻ります と決意宣言です笑

 

7月19日

(発掘して頂いた過去のツイート)逢うことも叶わぬならばもろともに思ひ遂げてよのちのちの世に こんな歌作っていたんだあとびっくり 主人公の白拍子の歌なのですが紛れもなく作ったのは私 歌会などで作るのは苦手なのに 作中だとするすると歌が出てきます 歌は思いなんですね 文章を思いで運んでいるからと思います(現代短歌と違う?)

 

発掘して頂いた過去ツイート 突然鎌倉の源氏物語の活動に入りそれまで書いてあった諸々の原稿が放置したままになっていました コロナ禍で籠もったのを機に見直していてこのツイートになったんですね 逢うこともの歌は『白拍子の風』という小説の中の一首です

 

たまたま深夜池田弥三郎先生鼎談『源氏物語を読む』を拝読していて 紫式部の作者としての力量の話になり 人間の心理に入っていくのが歌の力で 紫式部は登場人物にわが身を置いて歌が作れる人と ああ これ 私もそうだと『白拍子の風』を思い出したところでした そこにこの過去ツイートの発掘

 

私は短歌の会に入っていますが歌は苦手笑 なのに白拍子の風を書いていたらその情景に来たら文章の続きのようにすらすらと歌が書けていて自分でびっくりしたのでした もう一首あります うれしやな煌めく風に導かれ花摘寺のほとけにまみゆ これもすらすらと出た歌 花摘寺はかつてあった古代寺院です

 

7月20日

拝読している池田弥三郎先生の鼎談『源氏物語を読む』はこのお三方 親書で秋山虔先生『源氏物語』 清水好子先生『紫式部』 この二冊は学生時代に愛読した私の源氏物語の原点ですが 池田弥三郎先生はこのお二方より世代が上 あの頃マスコミ界で活躍されていて耳学問的に馴染んでいるのですが この鼎談集を読んでも視野が広くて鋭く面白いです

 

青表紙本と河内本についての鼎談で 葵や賢木では随分違うが若菜ではもうあまり違わないと 桐壺は河内本が書き加えているのがよくわかる 書き加える心理までわかると 楊貴妃と桐壺更衣を比較するところでは青表紙本では重点が楊貴妃になって それではまずいだろうと河内本は日本の場合を書き入れた

 

これ 面白いですね こういうのって河内本だけを追って調べていても知る機会はなかった では私が読んだ絵に書ける楊貴妃の下りのあの本文は河内本だったのかしら など 改めて思ってしまいました 泰斗でいられるお三方の鼎談だからとにかく出される一言一言に惹かれています

 

私は源氏物語を中野幸一先生『正訳源氏物語 本文対照』で拝読しているのですが それは書評を書いて頂いたというご縁もあるのですが その後中野先生が講演された逗子のホールで聴いた藤村志保さんの朗読がとても柔らかで美しく 伺ったら中野先生ご自身の現代語訳ということでした

 

その後それが勉誠出版から正訳源氏物語として刊行なって全巻揃えさせて頂いたのでした 現代語訳と本文が上下に対照されるよう載っています 昨夜池田弥三郎先生鼎談『源氏物語を読む』で桐壺巻が青表紙本と河内本で違うと読んで では中野先生は?と凡例を見たら大島本でした 青表紙本ですよね なら

 

河内本は?と読みたくなったのですが 河内本が底本の現代語訳ってあるのでしょうか 中野先生がこの全訳をされようと思ったのは 源氏物語は物語だから人に話しかけるような文体のはず なのに多くの現代語訳がですます調でなくだである調のことに違和感を覚えてとありました だからとても柔らかです

 

鼎談集より清水好子先生: 源氏物語は今の小説のような第三者的な立場で書くのではなく、自分の見聞したことを物語るような書き方だと思う。そのほうが発想が多層的になって、文章が絢爛とする。批評も入るし、作中人物の視線に重ねて書くこともできる。語り手自体の説明も加えられ、少なくともそれで

 

三重の層になる。そういう方法を源氏物語の文章では思う存分に駆使している← 池田弥三郎先生:これも源氏物語の独創というべきでしょうね 清水好子先生:そうですね。そこが生き生きとした抑揚ある文章が成り立つ秘訣だと思うのです。

 

7月21日

今日は光る君へ 人は生きているかぎり家族も含めて人間関係の軋轢や苦悩から逃れられない 源氏物語は人間洞察が深い文学だけれどそういう次元での悩みは取り扱わない それが紫式部の矜持と思うし源氏物語の崇高たる所以だけれど なんかドラマがその辺りを詳説するような展開になっていて 紫式部の

 

矜持をあえて踏みにじるようなエピが私には苦痛 賢子が産まれて紫式部だって作家として両立に悩むことあっただろうけど 折角紫式部が源氏物語の作者として屹立していたところを日常次元に落としてどうするの というのがあらすじを読んだ私の見解です だからあとは演出だけ期待して映像を楽しみます

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2024.7.17 Twitter(X)から転載……華鏡の原稿に戻って構成を一から見直しています。紫式部を育てた祖母の身内には二人も女御になった女性がいました。そのことが紫式部をして『源氏物語』の執筆に駆り立てたのではないかと

7月9日

おはようございます 華鏡の原稿に戻って構成を一から見直しています たまたま最初期の古い原稿が目に入ったら「仙覚―それは世をしのぶ仮の名だった」のエピグラフがありました いつそれを消したのか忘れましたが復活させました 消したあたりから書くことに迷いが生じて迷走していたのかも

 

すとんと憑きが落ちたように華鏡の構成が整ってきています 今迄どうしても小見出しができなかったのにそれもできて【1. 心の闇・比企の乱 2.岩代の浜松が枝を引き結び・万葉集 3.討って奪う血を引く一族・藤原北家 4.絵に描ける楊貴妃の容貌(かたち)・宇多天皇女御胤子】のような具合です

 

仙覚のための歴史小説だから司馬遼太郎さんみたいな坂本龍馬的文体で書ければと思っても無理で どうしても女性陣が主役に躍り出てしまう 鎌倉に通っているときそんなことをぼやいたらそれでいいんじゃないと背中を押して頂いた でもそれを書こうとすると女性陣は文献に残って無いから殆どが創作に

 

例えば仙覚の母 仙覚だって人間だからお母さんはいる でもどういう方かわからない それを創作して書いているのですがどこまでプライバシー的な逸脱を許されるかずっと悩んできたら 昨夜家族に一番大胆で危険な書き方をしてそれから削っていったらと助言された そうしないと私のことだから安全圏の

 

つまらないものになってしまうよと そんな話になったのは池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』に源氏物語は光源氏が危険人物だから魅力がある ただの平凡な人物では主役になれないとあったため そうなんですよね でも仙覚の小説で誰がそんな魅力を持った人なのでしょう(まともに書くと論文みたい)

 

7月10日

金沢文庫で『尾州家河内本源氏物語』に出逢い 何故鎌倉で源氏物語が?を研究しつつ 【七夕は鎌倉の源氏物語の日】のキャッチフレーズで十年ほど鎌倉で活動してきました 毎年七夕の日は「河内本源氏物語」を完成させた源親行の職語をツイートするのですが 今年は都知事選と重なり今日になりました

 

『尾州家河内本源氏物語』には夢浮橋巻末に金沢文庫創設者北条実時の奥書があります 鎌倉幕府重鎮の実時の奥書ということで鎌倉で作られたことがわかる貴重な写本です ただ誰が作ったかは解明されていません それを解く鍵が『西本願寺本万葉集』にありました ここに仙覚がかかわってきたのでした

 

今日はもうポストしないと決めていたのですが過去ツイートのご報告でついでに 華鏡が乗ってきて先へ進みたくてたまらないのですが これって秘密の恋を抱えている状態と同じ 家事をしていても早く日常を離れてそちらの世界に行きたくてたまらない いろいろ模索の期間を経て充実してきたんですね

 

7月12日

おはようございます 私は紫式部が源氏物語を書いたのは宮中経験のある祖母にそれを耳学問的に聞いて育ったからと思うのですが 紫文幻想では祖母が姪の恵子女王に付き添って右大臣家に女房として入った経験を式部に教えたと書きました でも華鏡を書いていたらもっと深い淵源があることに気づきました

 

紫式部の祖母は藤原定方という醍醐天皇の宮廷で右大臣だった人 つまり紫式部の祖母は右大臣の娘として育った人なのです これ 光る君へで実感したのですが 左大臣や右大臣の娘の倫子や子息の道長や公任と同じ育ちですよね そのレベルの生活習慣が身についた人に育てられれば源氏物語のあの緻密な

 

宮廷レベルの物語も書けるでしょう 紫文幻想で一生懸命書いた女房経験の重要性が吹き飛んでしまいました 光る君へでは祖母は登場しませんでしたが 幼くして母を亡くした紫式部を育てた祖母の存在は大きいと思います

 

7月14日

紫式部の祖母は姉の能子が醍醐天皇の女御でしたから祖母自身能子の後宮の状況を見ているでしょう 祖母に育てられた紫式部は身内に二人も女御のいる家系の話を聞いて育ったわけです それが紫式部の源氏物語に生きているはず 能子は醍醐天皇崩御のあと藤原公任の祖父左大臣藤原実頼と結婚して幸福な

 

晩年を送ります 実頼の養子になった実資(ロバート秋山さん)は実頼の遺志を継いで能子の毎年忌日の儀式を丁重に行っています 実資の中宮彰子との取次に出た女房が紫式部でした 実頼がそれほどまでに能子を大事にしたのはなぜだろうというのが目下の私の疑問ですが 紫式部の環境と源氏物語は深い仲

 

華鏡に河内本源氏物語を作った源光行がなぜ源氏物語にそれほど生涯をかけたかを探りつつ書いているのですが その原点が漢籍の教養の深さまで辿り着いてそれを書けばいいのだけれど 紫式部の源氏物語を書いた環境というのをどこまで書くか書かないか 能子のことは書く必要ないかなど 迷っています

 

7月15日

おはようございます 写真は石山寺様所蔵の紫式部図 上村松園筆です 昨日の光る君へは彰子さん入内関連の屏風作りや彰子さんその人の存在で堪能しましたが いつもなら学ぶこと多しのTLのコメントに違和感あってその事を 池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』に宇津保物語がなぜダメかを中納言では

 

ダメなんです の提示がずっと心にあって 前回で道長の子を宿す辺りから光源氏と藤壺のモデル説が浮上し始めてそれは違うと感じていて そうしたら今回で宣孝が桐壺帝に相当すると言われる方まで 密通とか臨月が合わないなど確かに藤壺エピですが 絶対的に欠けているのは高貴ということ 現代では

 

何もかも身近に引きつけて考え またそれをよしとする風潮ですが 源氏物語はそのようなものではない と私は思っています 後半まひろが執筆を始めた時に高貴がどう加味されるか 私はそれを見たいと思います 枕草子をあれ程美しくまとめ上げたスタッフさんだから 源氏物語もと期待しているのですが

 

怖れるのだけれど思いついたことが頭から離れない でもこのドラマは何でもしてしまうからそうなるかも 私としては道まひ宣孝が藤壺エピというのはどうしても貧相で受け入れられないのだけれど これなら高貴が整う まさかまさかと思うけど このドラマ そう持っていくかも 中宮彰子のことです

 

猫を抱く女三の宮彰子さん……

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2024.7.8 Twitterから転載……池田弥三郎氏鼎談集『源氏物語を読む』を拝読しつつ、都知事選の経緯を見守り、落胆もあったけど新しい民主主義の芽生えを感じた一週間でした

7月1日

天皇皇后両陛下のご訪英で本物の力という威力に打たれて過ごしました そうしたらもう他になにも要らないという境地になり光る君へもスルーして悔いることなくまだ浸っています これまでどんなに日本という国が紛い物文化を押し付けられ仕切られていたか やっと日本国民全員の方が気づいたんですよね

 

写真は2008年@宇治市源氏物語ミュージアム 源氏物語千年紀の年に訪ねました 源氏物語こそ本物の文学 私はそう思います 光る君へではやっと中宮彰子様が入内されたようですね 私は先週と今週そして来週は都議選で休みなので三週つづけて見ないことになる だから14日に見る時は新鮮でしょう

 

ご訪英で心に焼き付けられて終生残るでしょう二枚のお写真 私にとっての生涯の記念です いろいろととにかくすべてのことに感謝申し上げます

【240頭の馬によるパレードのお写真】

【オックスフォード大学でに皇后陛下名誉法学博士号授与式】

 

池田弥三郎先生鼎談『源氏物語を読む』で池田先生のお話 折口信夫先生が実践で下田歌子先生が源氏物語を講義しているからと聴きに行かれたと 下田歌子先生は母校の祖 私は高校で離れたけど大学の入口に銅像があって見ると誇らしくそんなことも源氏物語に馴染むきっかけだったのでしょうね

 

源氏物語はある種環境によるものが大きい気がする あさきゆめみしが出るまでは 下田歌子先生は宮中に出仕されていた方だから源氏物語の読みが我々と違うと折口先生も言われてたと 岩佐美代子先生も宮様のご学友として仕えられていたから岩佐先生ならではのお教えがありました

 

池田弥三郎先生『戦争中に万葉集を無理に押しつけられた。それでなにか万葉に対する距離感があって、それが源氏に向っていった。なにかそんな一帯の空気を感じました』←なにかすとんと腑に落ちました 一律に二大古典とばかり思っていてもなにかひっかがっていて

 

池田弥三郎先生の鼎談『源氏物語を読む』をしばらく拝読しようと思うのですが古い出版物は字が小さくてぎっしり とても気楽に読める状態でなく今夜はルーペを出してきました それでも目に負担 全然進みません(泣)

 

すべて華鏡をどう進めようかとの中での拝読 華鏡は最初仙覚の小説でした が 鎌倉殿の13人で時代が被るため逡巡の果て源氏物語に気持ちを移しました そうしたら今度は光る君へ また被ってどう私なりの源氏物語を書くか彷徨っていましたが昨今の回を見ていて思う事ありで気持ちが固まってきています

 

考えてみると鎌倉殿の13人がなかったらこんなに迷うことなく仙覚の小説は書けていたかも 書く書くと宣言しながらなんて時間がかかるのと呆れられて支援して下さってきた方も離れてられる 源氏物語に気持ちが移って紫文幻想を書いたけど光る君へで思いをさらに掘り起こされて華鏡になります

 

7月2日

【七夕は鎌倉の源氏物語の日】 このキャッチフレーズで鎌倉で活動してきて毎年七月に入ると源親行の「河内本源氏物語」完成の職語をツイートするのだけれど 今年は七夕は都知事選蓮舫さんの日でTLを追うので精一杯蓮舫さんに心から勝って欲しいです 親行の「河内本源氏物語」については選挙後に

 

7月3日

池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』を拝読中 折口信夫は源氏物語は逐一全部読む必要ないと言ってられたそう 例えば桐壺巻で壺前栽のところが終わるとぷつっと切ってもうこれで後はいいと で 壺前栽のところってどこかしらと見たら靭負命婦が宮中に帰ったあとの帝の様子で楊貴妃の話も出る所でした

 

池田弥三郎先生が紹介されている折口信夫の源氏物語は全部読まなくていい あるところまでいったらぷっつり切って次の巻に進む論 面白いと思いました 読んでいて結構しんどくなる各巻の後半 我慢して読んでいたのですが今度読み飛ばしてみようかしら笑

 

7月4日

池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』で藤壺に関する文章がそれまでと違って居ずまいを正したような張り詰めた文体に変わっている。帝の妃を過つということを思い切って書くのは作者にとっても大変な問題だったのではないかとあり 若紫巻の該当部分を読んでみました こういう読み方をしてませんでした

 

これ 単に物語的に帝の妃との密通という事を書くのにそんなに緊張するものかしら とふと思う 現実に生きたモデルとしての藤壺宮が想定されていたなら と 一般に言われている藤壺宮のモデルってどなただったでしょう 彰子 という説も読んだことありますが

 

追記 でも私が書くとしても彰子中宮の事ではないのに彰子中宮の事と思われやしないかと緊張すると思う 引き締まった文体というのはそういう心遣いなのでは

 

7月5日

池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』に宇津保物語についてあって 読んでいてほんとうにつまらない べたべたと日常的なことを書いていると 前後を通して出てくる断然すぐれた一人の男がいない 仲忠では役不足 第一仲忠は出世してやっと中納言 中納言では源氏の世界では問題にならないと

 

鼎談だからこんな本音トークができたのでしょう 源氏物語に先立つ長編小説というので私も一応宇津保物語は読みましたがつまらなかった でも古典の先生方は一目おかれているから何も言えなかったけどこれが本音なんですね 腑に落ちました で 思ったのだけれど やっぱり源氏物語は帝の話だからです

 

そこを外したら紫式部の真意がわからなくなる 道長が光源氏では左大臣だからダメなんですよ と 私は言いたい というか 私が華鏡に書こうとしている紫式部の真意がこれで裏付けられたと思って安堵しました この鼎談集 今迄随分と源氏物語についての本を読んできましたが はじめての視点ばかり

 

7月6日

おはようございます 今年最初のカサブランカ 暑くてベランダに咲いていても見る機会ないから切って飾りました 大好きな花 大好きな映画 カサブランカ 都知事選最終日に咲いてくれました 蓮舫さん 一人街宣の方々 初めて見る日本の民主主義 すべてに感謝して応援します

 

7月7日

(都知事選当日)

 

7月8日

おはようございます 私は今回の選挙はこういう写真(立憲民主党蓮舫さん・社民党党首福島瑞穂さん・共産党当主田村智子さん・杉並区長岸本聡子さん方が一枚の写真に笑顔で一緒に)を残すことのできた 歴史的瞬間の 超超超貴重な最大に素敵な選挙だったと思います 絶対にこの効果は今後に生かされます 蓮舫さん ほんとうにお疲れ様でした そして ありがとうございます 心からの感謝を込めて

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2024.6.30 Twitter(X)から転載……世紀の歴史的瞬間! 一大絵巻でした。天皇皇后両陛下のご訪英、映像とご成果の素晴らしさに感嘆しつつ固唾をのんで見守らせて頂きました。無事に帰国されて私も『華鏡』に戻ります

6月22日

東の空の朝焼け 朝焼けも夕焼けもこういう黄金色と茜色と灼熱色とがあって 私は黄金色の焼け方が好きですがこれは一瞬 すぐに変わります それが朝焼けと夕焼けとで順序が逆なのが当たり前だけれど不思議で感動します だんだん明けてゆく…… だんだん暗くってゆく……

 

華鏡の原稿を読み返しました 薔薇の名前のアドソの手記で得たヒントを前提に読むと とてもじゃないけど今迄どおりの書き方ではダメ 冒頭の数段は何回書き直してもそのまま使っているのだけれど やはり今回もそれは残す その後の万葉集についてのくだり辺りから全面的に書き直します

 

先週あれほど薔薇の名前で気分が盛り上がって華鏡の原稿に戻れたのにその後停滞 戻った原稿の加筆に放置してあった白河天皇の詳細を入れようか否かを巡って思考停止になっていて これではいけないと気分一新にブログを更新したら間に光る君へが入ってたんですね そこで先週の昂揚が途切れてました笑

 

6月23日

なぜかこの絵葉書が好きなのだけれど 三鷹市ギャラリー芸術家の肖像展で購入したジョン・シンガー・サージェント どういう画家さんか知りませんが大切に手元に 今日は光る君への日だけれど本心では醒めてしまって華鏡に専念したい 先週の教訓で見たらまた数日原稿が書けなくなる もう邁進しないと

 

6月24日

原稿に気持ちが入ってかき乱されたくない自己中心な状況になり 昨日は光る君へは見ないと決めて一日を過ごしました 悔いはなく快適でこれはもう中宮彰子が登場するまで見ないでおこうと思ったら予告で来週もう登場される 見るしかなくなりました それまでに原稿を進めておかなくては! です笑

 

仙覚の万葉集は題詞の高低が重要で 仙覚が最後に辿り着いたのが清輔とともに作った二条天皇の万葉集だった その清輔を書こうとしていた時に先週光る君へを見て周明に心動かされ原稿が停滞 一週間気持ちを掘り起こしていたら清輔の出自を辿ると白河天皇の乳母親子に行き着き 諸々あってそれが頼朝に

 

関連して来る 頼朝が伊豆に流されるまで仕えた上西門院統子は待賢門院璋子の子で 璋子は白河天皇に寵愛された人 その雰囲気を統子も持っていたはずで 頼朝が出仕したのはそういう環境 これはもう頼朝が鎌倉御家人たちのあいだで文化に飢えても仕方ないなあと 光行が仕えた頼朝はそういう人でした

 

そんなあたりの入り組んだ人物関係の歴史に源氏物語を絡めた段落にとりかかっています (長く皇位につく見込みのない皇子として育った少年白河天皇 その時代彰子さんはまだ存命でしかも白河天皇を誠意を持って育てた能信は道長と明子さんの子だから彰子さんの弟)

 

6月25日

華鏡 まだ白河天皇をどう書くか迷っていたのですが思い出しました 白河天皇が重要なのは古今和歌集への信奉 仙覚の万葉集について調べていたいつから題詞が低くなったかを小川靖彦先生『萬葉學史の研究』に白河天皇の辺りからとあり それで白河天皇に着目したのでした

 

その後白河天皇の源氏物語との関係に目が行ってそれを忘れてしまっていたんですね 何か書かなければいけないものがあるのにわからないと彷徨ってきたのはこれでした 昨日気晴らしに仙覚の万葉集の題詞について呟いたのだけれど無意識のうちにはそれを自覚していたのでしょうか

 

6月29日

発掘して頂きました 25日のツイート 白河天皇の醍醐天皇信奉が万葉集の題詞が古今和歌集にならって低くなったこと それを書こうとしたところで中断していました 一週間ほど経て再開しようと思っていたところです タイムリーな発掘 ありがとうございました

 

高岡市万葉歴史館の池田弥三郎展に関して教えて頂き古書で買った秋山虔・池田弥三郎・清水好子氏お三方の鼎談からなる『源氏物語を読む』を拝読することにしました 古書が届いたちょうどその日になんだったか忘れましたが多分白氏文集か何かに集中することができてそのままになっていました

 

歴史的瞬間に立ち会う意味でしっかり見届けさせて頂こうと天皇皇后両陛下のご訪英映像を固唾をのむ心地で追わせて頂いていました 千年に一度といわれた東北の震災から続いた負の連環 一気にそれが絶たれた気がします それほど素晴らしかったですね 両陛下のご訪英は 帰国されて私も自分の時間に

 

戻ろうとしてでもまだ一気には戻れないからなんとなくたらたらとTLを眺めていました そうしたら池田弥三郎展に関してのツイートがあって そうだ まだ華鏡に戻る気分に絞れてないならあの本を読もう と思い出したのでした 新たな心地で華鏡に戻りたく思います

 

6月30日

池田弥三郎鼎談『源氏物語を読む』で池田先生が岷江入楚で源氏物語を読まれていたとあり 本棚から出して来ました 聴講させて頂いた大学院の研究室で高橋文二先生に頂いたもの なのに開いても読んでなくて今頃になって読まなくてはの気持ちになっています 改めて 時間が足りない……(泣)

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2024.6.21 Twitter(X)から転載……『薔薇の名前』のアドソの手記に触発されて『華鏡』の原稿を見直し、加筆態勢に入りました

6月15日

おはようございます 薔薇の名前のアドソの手記を繰り返し拝読しています すっかり忘れていて書物の背後にある世界史宗教史が書かれていることに驚いたのですが これ 華鏡にも必要! となりました 写本ができる過程を編年体で書いていて書物の文学史的なものは書くなど思ってもいませんでした

 

でもアドソの手記のようにこれから書く写本ができてゆくまでの長い歴史を先に何故この写本が重要なのかを概略で書いておいた方が読む方には親切と気がつきました そして改めてこの私が書こうとしている華鏡は日本版薔薇の名前にもなっていい重要さとミステリアスさを内包しているのを思い起こしました

 

仙覚の小説にこだわるばかりにそんな大切な事を忘れてたなんてと我ながら呆れるばかり 本当はもっと筆力ある方に書いて頂きたいと時々思うのですが ここまで独りで深めて来た想いは他の方にお伝えし切れない 結局そう思って取り掛かっています アドソの手記からは本当に大切なものを頂いています

 

6月16日

おはようございます 昨夜は100分de名著薔薇の名前を読んで就寝 以前よりわかった気がするのは小説の内容でなく構成がどうなっているか どうそれを華鏡に生かせるかを主眼に読んでいたからでしょう 到底手が届かないと思うはずなのだけれど 華鏡には私しか書けない主題がある そう思えたのでした

 

6月17日

おはようございます 昨夜の光る君へではあまりに想うこと多く振り回されて終了後はぼうっとして空を見るしかありませんでしたが 一晩経って起きて上澄みのように浮かんできたのは周明という人の哀しみ 表立った史実や重要人物の流れの陰でひっそりと消えていく人 文学ならではの美しい存在です

 

大石静さんの脚本はとにかく愛があって素晴らしいです 周明にも最後に朱様から周明の真意を理解して頂いてたことを告げられる台詞が用意され救われる 今迄敵対関係としてしか言われてこなかった紫式部と清少納言を仲良しさんにする 源氏物語が主役なのに枕草子を美しく仕上げる この美質 素敵です

 

6月18日

冒頭は添付のこの写真なのだけれど 仙覚の小説を書くと決め 構成に薔薇の名前からヒントを得ようと読んでアドソの手記に辿り着いて一気に書いたものだからもう数年以上も前のもの その後迷走してどんどん迂回が極まって 最後に書いたこのプリントが5月5日 御子左家の祖長家を入れた回でした

 

それでもまだ紫式部の源氏物語を入れようなど夢にも思ってなかったのに 光る君へで白楽天が出て ちょうどその頃秋山虔先生の『源氏物語』にヒントを頂き丸山キミ子氏『源氏物語と白氏文集』と出会い 漢籍繋がりで源光行が浮上して やっとここから一気に書き直しに入ります

 

昨夜から華鏡の書き直し態勢に入っているのですが 鎌倉に源氏物語を持ち込んだ源光行の原点として頼朝に身についた公家文化志向を書こうと作成してあった年譜を見たら なんと 頼朝が伊豆に流される直前まで出仕していた朝廷の空気は二条天皇が清輔の袋草紙に出会った時代 これは!と唸りました

 

6月20日

朝 道を掃いていたらちいさな紫の花が散り敷かれていて あ 咲いてる? と見上げたら咲いていました セイヨウニンジンボク まだ一枝二枝で切って花瓶に挿すほどはない でももう少ししたら大量に切って飾れます 毎年楽しみなこの時期 路地植えの白いカラーもまた一つ咲きそうです

 

華鏡の原稿に戻って 大分長く書くことから離れていたから文章を紡ぎ出す感覚をとりもどすために紙のノートに鉛筆ではじめました キーボード入力で原稿を打つ前は原稿用紙に万年筆でした でも探しても原稿用紙はもう手元にありません 鉛筆の芯の先から文章がこぼれだしていく感覚もいいものですね

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2024.6.14 Twitter(X)から転載……華鏡を書き始めるにあたり、最初に構成を視野に学んだのがウンベルト・エーコの『薔薇の名前』でした→アドソの手記の手法を玄覚の手記にと置き換えて

6月13日

今日は源氏物語を離れて華鏡に戻ろうと思っていたのですが TLで教えて頂いた秋山虔・池田弥三郎・清水好子先生の鼎談『源氏物語を読む』の注文していた古書が届いたのでこちらを読みます 池田弥三郎氏は私の学生時代に一世を風靡してらした源氏物語の権威でいらして私の源氏物語感の原点のお一人です

 

本当は今日こちらを読む予定でした ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』 でも古書の源氏物語本が届いたので先に拝読していたのですが 通知があって見たら「ウンベルト・エーコさんにフォローされました」と エッ!となって 何故? となりました 薔薇の名前を拝読中と呟いたならわかりますが不思議

 

華鏡を書く時 仙覚の生涯という長い年代を書くのにどういう話体で構成しようと考えて思いついたのが薔薇の名前でした アドソの手記で始まるあの構成です それを玄覚という仙覚の生涯を知る人物の話体に移し替えて書き始めました 昨夜原稿に戻ろうと決め それなら原点に還る意味で今日は薔薇の名前

 

を読もうと出して来て傍らに置いて朝の源氏物語の古書のツイートをしたのでした そうしたらこんなことに これ 神の啓示ですよね きっぱりと源氏物語を離れて薔薇の名前に浸りなさいとの ウンベルト・エーコ氏が見守って下さっていると思っていいでしょうか でもお陰で初心に還りました

 

誰もゐないと言葉だけが美しい 牧野虚太郎「復讐」より この詩篇を何度か華鏡のエピグラフに使おうと試みていたのですが自信がなくて止めていました が 薔薇の名前を読んでいたらまたこれが浮かんできて今日一日頭から離れない でも前と違ってあり得るかもといった気持ちなのは紫式部も光行も

 

ひたすら源氏物語に浸っている時が救いだったのですよね 源氏物語に籠められていた漢籍の事実を通してそれが実感された今だからわかる 薔薇の名前はとにかく華鏡をどういった文体で書くかを主眼に読んでいるのですが 源氏物語が内側から思いを書いているのと逆に外側から書いている 勉強になります

 

6月14日

おはようございます やっと華鏡の原稿が動き出しました 薔薇の名前にはアドソの手記の前に「手記だ、当然のことながら」という手記を世に送り出した話者の数ページにわたる長い文章があります 勿論それもエーコ氏の創作なのでしょうけれど 国名から年代固有名詞がいかにも信憑性あって圧倒されます

 

凄いなあと思いながら ふと 華鏡もこれを書けばいいんだ! と気がつきました 西本願寺本万葉集と河内本源氏物語についての由来をです それなら書ける! とウキウキしてきました 今迄仙覚の小説だからとばかりにそういった学問的概説は書くものでないと頑なに拒否していたんですね でも なぜ

 

この小説を書いているかを初めに知っておいて頂いた方が読者の方には親切 それを第三部の鎌倉時代の章になって種明かし的にこうやって立派な写本ができました と書こうとしていたんです 小説のように書かなければいけないという枷がやっと外れました 薔薇の名前にはやっぱり震撼させられました

 

薔薇の名前「手記だ、当然のことながら」より: なぜならこれは、惨めな日常身辺の些事を取り扱う物語ではなく、あくまでも数々の書物の物語であって…… この末尾の文章こそ私が華鏡で書こうとしている主題!と自覚され 仙覚の小説にこだわって見失っていた想いを蘇らされたのでした

 

西本願寺本万葉集と河内本源氏物語自体がミステリアスな存在だったのを忘れていました 華鏡はミステリー仕立てに書けるはず どなたかに仰って頂いたことがあるのですが 上質な文学はどこかミステリアスなのよって そう書けるといいと思います

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2024.6.13 Twitter(X)から転載……『源氏物語』についての掘り起こし作業ばかりしていないで、そろそろ華鏡の原稿に戻りたくなってきました

6月11日

以前はエクセルで作っていたけどやっぱり手書きのほうが楽 ということで源融のためのノートです 紫式部がなぜ融を光源氏のモデルにしたかを考えているのですが 融が藤原北家の基経に即位を阻まれた翌年に醍醐天皇が生まれてます なにか関係あるでしょうか

 

醍醐天皇を身近に感じて育った紫式部が時の左大臣融が源氏に臣籍降下しているばかりに即位できなかった悲哀 その時はまだ宇多天皇も臣籍降下した源氏で なので醍醐天皇が生まれたのはまだ即位する前 胤子も醍醐天皇もまだまさか宇多天皇が天皇になるなど思ってもみなかった頃

 

紫式部にとって「源氏」は身内のことであり その身内の源氏だった宇多天皇は即位できたけど 天皇になるのを永久に断たれた源氏が源融…… と まだ整理つかないけどこの辺りが鍵?

 

その頃はまだ宇多の帝様は即位されてなかったから源氏でいらしてね と そんなふうに紫式部が祖母から聞いて育ったとしたら…… 紫式部の源氏への原点はそれでしょうね そしてモデルに最適な人とみたのが源融

 

6月12日

おはようございます 源融の系図は融―昇―醍醐天皇更衣―重明親王―斎宮女御徽子で 紫式部の祖母は徽子女王が斎宮に下向する時紫式部の父為時の兄為頼を身籠っていました なので六条御息所のモデルとされる徽子女王の事は紫式部も祖母からよく話を聞いていたでしょう 紫式部は重明親王の日記を読んで

 

います なので紫式部にとって融の家系は相当な関心事だったでしょう 重明親王は光る君への宣孝様みたいな感じの風流で派手な方で 貂の毛皮を重ね着して宋の商人を圧倒したとか 先週の光る君へでも話の出た貂の毛皮 源氏物語では末摘花にそれを着せていますがいろんな意味で融の家系は華やかです

 

×宋の商人→渤海の商人 が正しかったかも うろ覚えで済みません

 

朝のツイートのあと気がつきました 斎王に卜定されて伊勢に下った時徽子女王は10歳 父重明親王母藤原寛子と引き離されてです 17歳の時寛子が亡くなり斎王を退下して帰洛 翌年寛子の一周忌が重明親王の氏寺棲霞寺で催されました 紫式部はそれを祖母から聞いて自分も幼い時に母を失っているから

 

徽子女王の悲しみが痛いほどわかる それで棲霞寺に関心を持ってもしかして訪ねたかも 棲霞寺は源氏物語松風巻で光源氏が造った滝も流れる風流な御堂と書かれています その描写は若紫巻で北山の僧都が光源氏に琴を差し出す場面に使われていると思うのですが 琴は重明親王が名手でした 徽子女王の徽

 

は琴の徽からの命名と 紫式部が光源氏のモデルとして源融を思ったのは藤原北家の基経に臣籍降下した源氏の悲哀をいやというほど飲まされたからでしょうけれど 融の家系はこんなにも深く『源氏物語』に底流しています

 

6月13日

呟いているといくらでも想いが掘り起こされて尽きないのですが だんだん原稿に入ることから逃げている気がしてきました(多分事実笑)それでそろそろ原稿に取りかかろうと思います 昨日源氏物語松風巻を読んだら話の筋がたったこれだけをこんなに長く!とびっくり 華鏡が頼朝の旗揚げから鎌倉末期の

 

宗尊親王の時代までを書くので一々の時代や人々を丁寧に書いていられないという決意があって それで文学ということ自体のふくよかさから離れてしまっていたんですね それを思い知りました ブルームだってたった一日のことがあのユリシーズ 華鏡も本当はそうなるべきだし本気で書いたらそうなる

 

なのに鏡の文体だからこれにすると割り切ってきたのだけれど やはり源氏物語に関わったら想いが掘り起こされて今までの欺瞞が見えてきてしまいました というか 本当は私はこちらの人だったんですよね それを義侠心で鎌倉の源氏物語と万葉集をと始めてしまったから 原稿に戻ったらどうなるでしょう

 

↓ RP 総論の難しさか…… 勝手に我身に据えて感じてしまいました 総論として(鏡の文体で)書く限り文学にはならない

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2024.6.11 Twitter(X)から転載……私には女御だった方と同じ血が流れている、という華鏡における源氏物語についての段落の最初の一行が浮かびました

6月10日

たった今ブログを更新したのですが 私なりに見えてきた紫式部が『源氏物語』を書いた意図 気分的に盛り上がっているのに光る君へ…… 先週まで光る君へを見たあとは私的な気分は吹き飛んで火曜日頃まで引きずっていました でも今夜は半々 折角築いた書く気分を削ぎたくなくブログに気を注ぎました

 

光る君へ 越前バージョンを楽しみにしていたのになんだかまひろと道長の切実で真摯な恋バージョンからどんどん時代も含めてかけ離れていっている感 原稿の方に気が行き始めたからでしょうね

 

源融の本ってないんですね 『紫文幻想』に書いたから事績はわかっているのですが それが何を読んで得た知識か忘れ 参考文献を見たのですがみんな史実の中のエピソードで一冊になった本がない 業平と親しいのだけれど業平は伊勢物語があるから独立して有名 融にはそれがなく隔靴掻痒気分です

 

源融は藤原北家の基経に痛い目に遭わされている 紫式部も藤原北家の陰謀寛和の変で受領階級の娘の身分に落ちる 紫式部の融への共感はそこにあるかと(もちろんそれだけではないですが)

 

光る君へ放映後の感想ツイート 直後は定子様関連の感動ツイート優位だったのが先程見たら宣孝様の求婚についての考察がずらり そのギャップに面白いなあと思いつつ成程と思うこと多く勉強になりました そしてまひろについて奔放の二字に目がとまり 吉高由里子さんが清楚だから奔放なんて思ったこと

 

なかったのですが ああいうのを奔放というのかとびっくり 書く人は好奇心旺盛でそれを突き詰めたいのが自然だからまひろはそれをしているだけ 動機が不純なら奔放でいいけどまひろは真摯 その違いって何だろうって思ったのは私もやはり書く人だから似てるんですよね 心の底が 光る君へは書く人が

 

主人公だから 今後まひろがどう本物の書く人になってゆくのか それを見るのが楽しみです 写真はガイドブック前編 そろそろ後編を買おうかと思います 私はといえば源融をどう書こうとあれこれ調べながら今日は源氏物語松風巻を読みました 融が造った棲霞観が光源氏が造る嵯峨の御堂なんですよね

 

6月11日

私には女御だった方と同じ血が流れている、その矜持が紫式部をして源氏物語を書かせたのだよと仙覚は言った……華鏡に書こうとしている源氏物語についての段落の冒頭です この説はあまり言われてないと思いますが『紫文幻想』を書いた時に見えてきました 紫式部の祖母が藤原定方の娘で定方の姉が女御

 

でした 宇多天皇の女御胤子です 紫式部は幼くして母を亡くしその祖母に育てられていますから 定方から胤子の話を聞いて育った祖母から今度は紫式部がそれを聞いて育ったのは当然でしょう 物語好きの多感な少女がどれほどそれに感化され夢を膨らませて成長したかは想像に難くありません これから

 

華鏡にそれを書くのですが 紫文幻想で一度書いたそれを今度は仙覚の言葉として私なりにもっとこなして書こうと思っています そこで登場したのが源融 融は宇多天皇の御代の左大臣でした(光る君へで道長が左大臣のあの左大臣です!)

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2024.6.9 Twitter(X)から転載……紫式部が『源氏物語』でなぜ「源氏」にこだわったかが、長恨歌について考え続けていたら唐突に閃いて見えてきました。そして源融が頭から離れなくなって……

6月7日

本棚の古い『國文学』紫式部特集号が目に止まり金田元彦氏のご論考を拝読していたら「秋の月ばかりが耿々と中天に輝きわたっている…、こんな風景を紫式部はあきもせずいく度も書きつづけている」の文章に出会い これは私も気にかかっていたことなのですが 今回白氏文集を読んで ああ 原点はこれだ

 

と思ったのてした 源氏物語を読むと人間世界の描写がこまやかに続いたかと思うと突然転調して 月は みたいな自然描写になる その突然の変転が鮮やかで人間社会の鬱屈を見事に吹き払う この文筆力を紫式部はどうやって身につけたのだろう というのが私の長年知りたく思っていた謎でした 白氏文集

 

だったのですね 陵園妾を読んだ時にはたと気がつきました 紫式部の文章は感性だけでなく構成も白氏文集を読み込んだ賜物 そう気がついたことを記録としてツイートしておきたいと思っていたところです

 

泣く泣く「夜いたう更けぬれば今宵過ぐさず、御返り奏せむ」と急ぎ参る。月は入方の空清う澄みわたれるに……源氏物語桐壺巻の更衣を亡くした母を帝の使いの靫負命婦が帰ろうとするところです 延々と更衣を偲び帝の嘆きの深さ 果ては母の帝に対するあれほど寵愛されなかったら死ぬことはなかったとの

 

更衣の母の帝への恨みまで書き連ねられてきたこの場面が一転して「月は入方の」と風景描写になる 私はここを何回読んでもその転調の鮮やかさに紫式部はどこでこの文筆力をつけたのだろうと不思議でした 白楽天「陵園妾」を読んでいて 山宮一たび鎖されて開く日なく 未だ死せずんば此の身合に出づべ

 

からず 松門暁に到るまで月徘徊し に出会ったとき 紫式部の転調はこれだ! となったのでした こういう文章の力を紫式部は漢籍を読み込むことでつけていて それであの膨大な源氏物語が書けたんですね と 深夜のツイートの補足を

 

6月8日

終日長恨歌に拘って読んでいました 長恨歌も含めて源氏が原点 紫式部が源氏物語を書いた意図がわかった気がします ほんとうは華鏡でなく一篇の小説にしたい でもそれをしていると河内本源氏物語と西本願寺本万葉集の成立までまた書けなくなってしまうから無理矢理華鏡に入れようとしています

 

光源氏のモデルの一人は源融 これは嵯峨の御堂を造っているから現実的に確定 源高明の説もあるけどなんとなく私には違和感があって今後どうなるかなあと思っています(なんかすっかり華鏡が源氏物語論になっています笑)

 

そろそろ華鏡の原稿に戻ろうと思っているのですが どこからどう書こうなど頭のなかで反芻していたら 唐突に 紫式部がなぜ源氏に拘ったのかがわかりました 紫式部の人生の原点なんですね源氏は それを書いていこうと思います

 

6月9日

おはようございます 昨夜切口がみつかったらすぐ最初の1行が出て それにつられて次の切口が浮かび みたいにしてやっと華鏡の原稿に戻るメドがたちました 今迄茫洋と周辺に漂っていた事象が結構メインだったと気づき こうした新しい世界を書けるのが楽しい ここにくるまでは苦しみでした笑

 

光源氏のモデルを祀る「融神社」

 

源融神社はFBグループ光る君への投稿で教えて頂いたのですが当時もなぜ一条天皇が復興を? と疑問でした 光る君へを見ていて改めてこの一条天皇がなぜ源融神社を? と思います 一条天皇期は相当学問文学に熱心だったそう その一貫でしょうけれど 紫式部から光源氏は源融ですと言われたからとか。

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2024.6.6 Twitter(X)から転載……白楽天『白氏文集』に目を通したついでに、同じ新釈漢文大系にあった『蒙求』を借りてきました。源光行が実朝に贈った『蒙求和歌』ゆかりの書です。

6月4日

新釈漢文大系 『白氏文集』を返却して『蒙求』を借りて来ました 帰宅して机に置いてなにげなく開いたら目に入った四文字 蒙求和歌 源光行が鎌倉を去るに当たり餞別に実朝の為に撰して贈った書です ただ開いただけなのに偶然にしてもと目をみはりました

 

6月6日

今迄『蒙求』は河内本源氏物語を作った源光行が十代の頃から漢籍を学び そこに蒙求があって それは漢籍を学ぶのに少年時に学ばされる書で だから光行も実朝に『蒙求和歌』を贈って帰洛した くらいの知識で蒙求そのものがどういう書かを調べて来ていませんでした たまたま白楽天で新釈漢文大系を

 

借りたらその全集に蒙求があってやっと蒙求そのものを知る機会を得ました 序説早々蛍の光窓の雪……にびっくり そうだったのかあと 以下蒙求への認識不足という章が立てられ 読むと相当複雑というか曖昧 でも日本での立ち位置が明瞭に書かれている文章がありましたので引用させて頂きます

 

『蒙求 上』序説より: 蒙求はわが国に伝来以来、皇室の幼学の書として尊重された。元慶二年878貞保親王の学習が史上に見える最初。爾来円融天皇・近衛天皇や多くの親王の幼時の学習対象に選ばれ、引いては一般貴族の子弟の幼学の書として普及していった。後には他の書籍と共に幼学に不可欠として定着

 

なぜ幼学の書として選ばれたかといえば、詩の形態をとっていて覚えやすい。中国の故事成語が安直に学習できるという利点からであろう。

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