2025.4.8 現代詩手帳に載せていただいた過去作品の詩【箜篌という楽器をめぐって】、もう振り返ることもないから記録としてここに載せて残しておこうかと

箜篌という楽器をめぐって

 

いまになって

箜篌という楽器のかかえる空が

さからっても

さからっても

さからいきれない強い力で

私を引き入れようとする

幾たびも

振っきっては階段を昇り

昇りつめた果てに見えた空そのはずの

空が

思いもかけず

ひややかに胸をえぐる

あっ と

人知れず声をたてたところで

すでにあることの埋めようもなく

ひらひらと

音もなくかわらけの

明るく張った無限浄土を舞うように

えぐられた胸の

かけら また ひとかけらと

足もとはるか落ちてゆくのをただ見つめる

さしのべる手の

ついに施しようもなく

箜篌という楽器のかかえる空に

私は浸され

浸され尽くし

えぐられた胸の空洞から一挙に

瓦解へと……

断片は

ひらひらと ひらひらと かわらけのように

舞い 落ちて……

 

あの世では箜篌の名手でしたのに

どうしたことか

音色も忘れてしまいました

姉の形見のその箜篌は

黒地の漆にこまかな螺鈿の花びらを散り敷き

抱くと

人肌のぬくもりがするようでした

姉は恋しい人の非業の死に殉じ

自らも命を絶ちました

箜篌は

幼い私には手にあまるものでしたけれど

ぴんと

絃を弾くと

絃がふるえる そのことに

姉の悲憤を感じたのです

そのときからです

箜篌に取りつかれたのは

時どき夢を見ました

はらはらと はらはらと 暗黒世界に

血の色の花びらが降りしきる夢

箜篌があの方へと導いたのでした

その方は私の箜篌を愛し

それから私を愛してくださったのでした

私もまた

その方のために生きその方のために死にたいと

心に決めておりましたのに

それがどうしたことでしょう 生き別れて

はぐれたまま

今の世までもめぐり会えないでいるのです

幾つの世をさまよいたずねてきたかわかりません

たしかに

その方の気配はするのですが……

私が奏でた箜篌の音色は

この空間のどこかに埋もれているはずです

さっきから私は

取り出そうと腰をおろして

うず高く積みあげられた音のあちらこちらを

探ったり

掘り起こしたりしているのですが

まだ私の箜篌に突きあたりません

これもちがう

またちがう

放り投げた音は

私のうしろにぽっかり空いた無限空間に

ひらひらと ひらひらと かわらけのように

落ちてゆきます

あまりにしきりに落ちるので

降りしきる雪のようです しんと冷たい……

みつかるまで

私はここにこうして坐りこんで探すつもりです

音を探しているのか

その方を探しているのか もう

私にはどうでもよくなりました

 

うずめても

うずめても

くすぶりやまないものがある

箜篌という楽器のかかえる空が

私を浸す

からだは消滅しても

痕跡はいつまでも堆積され

決して

消滅をしない

 

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「Twitter(X)から転載……」として、『華鏡』の執筆状況をまとめてこちらのブログに転載していましたが、これからそれをエキサイトブログですることにしました。「明るい部屋」というサイトで、カテゴリ「織田百合子のページ」です。

https://akaruiheya.exblog.jp/

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2025.4.8 Twitter(X)から転載……『華鏡』は建礼門院徳子さんの章を書いています

4月4日

華鏡 建礼門院徳子の章を書いているのですが 今迄どうやっても△△△△△と論文調というか解説文みたいにしか書けなかったのが 動き出した心で書いているから○○○○○○というふうな揺らいだ文章でつづられていく そうかっちりした理の文章でなく 揺らいだ文章が書けるようになったんですね

 

つづられていく という言い方自体 今迄この語を使えなかった 書くとしか言えなかったです 建礼門院徳子は源光行にとって永遠の憧れの女性 それを書く段にこの心の揺らぎが戻ってきたこと 間に合ったことが嬉しい この永遠の憧れの思いが光行の源氏物語に対する思いの原点かと

 

シラーの花が咲きました 小さくて可愛い ルイーズ・グリュック『野生のアイリス』を拝読してシラーに憧れネットで検索しても思うような株がなかったのでメルカリで購入した球根 自宅の庭で毎年咲いている株分けだそう 野生のアイリスは素敵な詩集でした

 

4月5日

おはようございます 突然華鏡藤原俊成の章の冒頭の文章が降りてきて えっ? まだ建礼門院徳子さんの章が途中なのに となりました 徳子を書き出してから文章がこなれてきたと思ったのは今迄は新規開拓の四苦八苦だったからのようです 『源氏物語と鎌倉』に書いた世界に入ったからこなれて書けると

 

ただ『源氏物語と鎌倉』はほんとうにこれが私の鎌倉の源氏物語についての最初の見解で その後わかったことがたくさんあり それが訂正だったり加筆だったりでなんとかしたいと思っていました 華鏡でそれができるんですね 頑張って成し遂げます 写真は2019年5月20日@池袋西武百貨店モネの庭

 

4月7日

おはようございます 華鏡建礼門院徳子さんの章は今日終わりそう 次の章藤原俊成の章に繋ぐ最後の文章も見えて来ました 私事でいろいろあってなかなかPCに向かえないのですが その分頭の中での醸造はばっちり 向かいさえすれば書けます

 

先日開花したとツィートしたシラー 伸びて茎になりました この形状が見たかった この形状の花が スノードロップとかブルーベルとか 群落している欧州の森 その森の中を歩きたくて せめて家で植木鉢に

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2025.4.3 『華鏡』、高倉天皇の章を書き終わりました

前の更新から日数が経ち、三月が終わり、四月に入ってしまいましたが、ずっと高倉天皇の章にとりかかっていました。最初はもやもやと切り口が見えない不甲斐ない状態だったのですが、平家物語小督の章を読んだりして次第にまとまり、綺麗に、コンパクトに、仕上がったと思います。

以下、それまでの逡巡をTwitter(X)から転載します。

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3月27日

まだ高倉天皇の章に入っていないので今日は終日終活もどきの整理 大切にしまっていて場所をとっていた数年分の現代史手帳ユリイカ詩と思想などを処理することにしました 人ってこんなにあっさり過去を切ることができるんですね あんなに大切に保存したその当時のことを思って不思議な境地です

 

華鏡を書いているからです 華鏡に辿り着いたからとも 今迄の作品と華鏡の到達レベルは違うと自分で思います

 

とツイートして日常に戻り家事をしていたら思い出しました 『潮香』を出して頂いた編集者さんに あなたはどうしてあんなに男の心が読めるの? と言われました 現代詩手帖を読んでいたからとその時思ったのでした そういえば私は詩作品でなくその作品を書いた方の心を読もうとばかりしてたなあと

 

3月28日

華鏡は今日から高倉天皇の章に 久保田淳先生『藤原定家』に俊成と定家についての読みの解説があって 俊成はトシナリだけれどシュンゼイで通っている 定家も定家自身サダイエと名乗っているけどテイカが一般と これ いつもルビを振るのに悩んでいました 華鏡でもルビを振るから覚悟して決めます

 

後白河天皇を書いていて 記憶が確かか年譜を作ったら 後白河天皇の生涯って大変でした 前半建春門院滋子さん寵愛までと その間に保元の乱平治の乱源平の争乱があっての頼朝が上洛した人生後半 大河清盛の松田翔太さんと鎌倉殿の西田敏行さんそのまま 人生の修羅を潜っての西田敏行さんでした

 

3月29日

家族がいろいろ体調悪いので そうだ と思って中華粥を作りました いつも京都へは朝ののぞみ第一号で行ったから朝食は京都駅ビルの朝粥のお店で それが美味しくて自宅で作ったことはないのですが それを思い出して 帆立の貝柱の缶詰をたっぷり使って出汁に 薬膳粥をこれから試行していこうかと

 

ずっとバルバラを聴いています ナントに雨が降る 黒い鷲 どうしてバルバラはこうもいいんだろうと 最勝光院滋子さんを書き終えて何かが変わったから何かを聴きたくて探してたどり着いたのがバルバラ 忘れていたのがもったいない感じ こうして少しずつ自分を取り戻していくんですね 世の中は陰謀

 

に満ちていて 私は仙覚や比企氏を抹殺した権力者の側の陰謀を見ていて書いているから背景にある策謀がよく見える それが見えなくて仙覚を書くなんてできません SNSがなかった時代 市民は陰謀に気付かないし気付いても誰も助けようとはしない 市民が監視し声を上げなければ権力者の側の思う壺です

 

写真はスマホに流れてきた去年を振り返るというストーリーの1枚 TLでいろいろな花を教えて頂いて それまで気づかなかった花に眼をとめて撮る ということが増えました 朝作った中華粥 家族が美味しくて毎日でも食べたいと それで今ネットで専用に貝柱の出汁を注文 気に入って貰えて良かった

 

4月1日

いつどこでどうして買ったか覚えていないのですが大切にしていていつか読もうと思っていた本 高倉天皇の章を書いていて そうだ今こそあれをと思って出して来ました 源通親の高倉院厳島御幸記 高倉院昇霞記と二つ入っているので通親日記 で 開いて見たら影印でした どうしようと考えて解説だけ

 

読めばいいかなと思いつつ こういう時こそ古文書アプリを入れて読む? など まだ思案中です そんなこと言ってないで検索すればどなたかが揚げて下さっていてタブレットで読めるかもですね 通親は兼実を追い落とした兼実の側からみると悪辣な政治家ですが 私はこの二冊の存在でもって好きです

 

平家物語小督より: 後白河法皇うち続き御歎きのみぞしげかりける。去んぬる永萬には第一の皇子二条院崩御なりぬ。安元二年の七月には、御孫六条院隠れさせ給ひぬ。天に住まば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならんと、天の河の星を指して、さしも御契浅からざりし建春門院、秋の霧に浸されて、朝の露と

 

消えさせ給ひぬ。年月は隔たれども、昨日今日の御別れのやうに思し召して、御涙も未だ尽きせざるに、治承四年の五月には、第二の皇子たの宮討たれさせ給ひぬ…… ←華鏡高倉天皇の章に目下書いている部分です 小督を書いていて確認に平家物語を読み返していたら 平家物語に建春門院の語が! と目に

 

とまり 改めて読んでやはり綺麗だなあ この文章 となってツイートしたくなりました 源通親は高倉天皇の側近で崩御にあってその悲痛な思いを昇華させて書いたのが 高倉院昇霞記 です(こんな昼日中に原稿に籠もれるの久しぶり いいですね 集中するってこと 浸れるってこと)

 

4月2日

華鏡 高倉天皇の章が終わりそうなので思考が次の章をどうしようかに移ってぐるぐるしてました そして建礼門院徳子さんの章にしようとほぼ決まり ここに華鏡では重要な人物なのにまだ登場させていなかった源光行を入れようと 鎌倉で河内本源氏物語を作り始めた人です

 

建礼門院徳子さんを書くなら借りてきたい本があるのだけどまた脚を傷めてしまって図書館に行かれない それでどうやってクリアするか逡巡中ですが 昨夜突然鎌倉のある会に行きたいと思ってそれまでに脚は治るかなあなど考えたのでした その会 何月だったかしらと調べようかと

 

華鏡 高倉天皇の章を終わりました 後白河天皇の視点で書いたら 後白河天皇って信じられないくらい長い歴史を生きてられたんですね 保元平治の乱から源平の争乱を経て源頼朝の上洛まで その間に二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇(子孫子孫孫)とそれぞれエピソードを持つ天皇方が入る

 

日本の歴史を全体像で見てらしたわけですよね 大変な人生でいらしたとしみじみ思いました 次は建礼門院徳子さんの章 源光行の視点で書いていきます

 

4月3日

やっと華鏡が動き出しました 今迄評伝としてなら書ける資料は揃っていてそれをなんとか小説らしく書こうと四苦八苦していたのですが 根本のところで動いてなくて苦しかった 昨夜次の章を建礼門院徳子さんにして源光行の視点で書くと呟いたことから気持ちが動いて そうしたら光行の章を設けていい

 

気持ちになり そうだ! 若宮社! と思い出しました 光行が鎌倉に下向することになったあたりの歌合です 久保田淳先生のご論考でした 添付の写真は解釈学会の機関誌に載せて頂いた論考ですが これはまだ本にしてなく それまでの論考は『源氏物語と鎌倉』第二章に三本載せました なのに鎌倉下向

 

についての論考は『源氏物語と鎌倉』の出版後だったので入れてなく惜しく思っていたのでした 光行は徳子さんの章でなぜ源氏物語に生涯を賭けることになったか辺りの若いときの人脈を書き 正式に光行の章を設けて鎌倉下向についてまとめます 華鏡に鎌倉下向を書く気持ちのなかったこと自体驚きです

 

文学は深いところを揺り動かす作業だから 自分自身の深いところが揺り動かされてなくて書けるわけがない それは自分が一番よく知っていました

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2025.3.30 Twitter(X)から転載……『華鏡』は高倉天皇の章に入りました。まず後白河天皇から書き始めて。

3月27日

まだ高倉天皇の章に入っていないので今日は終日終活もどきの整理 大切にしまっていて場所をとっていた数年分の現代史手帳ユリイカ詩と思想などを処理することにしました 人ってこんなにあっさり過去を切ることができるんですね あんなに大切に保存したその当時のことを思って不思議な境地です

 

華鏡を書いているからです 華鏡に辿り着いたからとも 今迄の作品と華鏡の到達レベルは違うと自分で思います

 

とツイートして日常に戻り家事をしていたら思い出しました 『潮香』を出して頂いた編集者さんに あなたはどうしてあんなに男の心が読めるの? と言われました 現代詩手帖を読んでいたからとその時思ったのでした そういえば私は詩作品でなくその作品を書いた方の心を読もうとばかりしてたなあと

 

3月28日

華鏡は今日から高倉天皇の章に 久保田淳先生『藤原定家』に俊成と定家についての読みの解説があって 俊成はトシナリだけれどシュンゼイで通っている 定家も定家自身サダイエと名乗っているけどテイカが一般と これ いつもルビを振るのに悩んでいました 華鏡でもルビを振るから覚悟して決めます

 

後白河天皇を書いていて 記憶が確かか年譜を作ったら 後白河天皇の生涯って大変でした 前半建春門院滋子さん寵愛までと その間に保元の乱平治の乱源平の争乱があっての頼朝が上洛した人生後半 大河清盛の松田翔太さんと鎌倉殿の西田敏行さんそのまま 人生の修羅を潜っての西田敏行さんでした

 

3月29日

家族がいろいろ体調悪いので そうだ と思って中華粥を作りました いつも京都へは朝ののぞみ第一号で行ったから朝食は京都駅ビルの朝粥のお店で それが美味しくて自宅で作ったことはないのですが それを思い出して 帆立の貝柱の缶詰をたっぷり使って出汁に 薬膳粥をこれから試行していこうかと

 

ずっとバルバラを聴いています ナントに雨が降る 黒い鷲 どうしてバルバラはこうもいいんだろうと 最勝光院滋子さんを書き終えて何かが変わったから何かを聴きたくて探してたどり着いたのがバルバラ 忘れていたのがもったいない感じ こうして少しずつ自分を取り戻していくんですね 世の中は陰謀

 

に満ちていて 私は仙覚や比企氏を抹殺した権力者の側の陰謀を見ていて書いているから背景にある策謀がよく見える それが見えなくて仙覚を書くなんてできません SNSがなかった時代 市民は陰謀に気付かないし気付いても誰も助けようとはしない 市民が監視し声を上げなければ権力者の側の思う壺です

 

写真はスマホに流れてきた去年を振り返るというストーリーの1枚 TLでいろいろな花を教えて頂いて それまで気づかなかった花に眼をとめて撮る ということが増えました 朝作った中華粥 家族が美味しくて毎日でも食べたいと それで今ネットで専用に貝柱の出汁を注文 気に入って貰えて良かった

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2025.3.27 『華鏡』、高倉天皇の章を気分的に新しい展開にしたくて試行錯誤していたら、Xで過去ツイートを発掘して下さった方がいらして、それにインスピレーションを受けました

3月26日

(以下、Twitterより転載)

2019年5月8日 ウィキよりジョルジュ•ブラッサンス

発掘していただいた過去ツイートです 仙覚の小説を書き始めるにあたり 人物像を探っているときTLにジョルジュ・ブラッサンスのCDジャケットを見て この人! と直感しました それでウィキを見たり動画で聴いたり 仙覚は比企鎌倉を往還するので体躯のいい男の設定 素敵ですねこの方

 

最勝光院滋子さんを書き終わった虚脱感からまだ抜けられないのは高倉天皇の章の書き出しを巡って考えているからで そうした時にジョルジュ・ブラッサンスの過去ツイートを発掘して頂き そうっか 気分を和に引きずられ過ぎていたと気づきました そうしたら柏倉康夫先生のジャック・プレヴェール伝が

 

思い出されて 好きだったなあ あのご本 ああいうふうに華鏡を書けたらいいのに なんて気分に 和 はなんか窮屈です そしてプレヴェールの情緒ある軽やかさ もちろんそこに人生の悲哀苦しみはあるけど 美しい そう 美しく書きたいんですね 華鏡!

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2025.3.26 『華鏡』、高倉天皇の章をどういう切り口で書いていくか、逡巡中です

3月25日

(以下、Twitterより転載)

ブログに華鏡の次の章を高倉天皇にする思いや訳を記しましたが 今の時代 あまり内容を書くとAIに学習されてAIに華鏡を書かれてしまうかなと思ってあまり深くは書きませんでした ずっと華鏡ってAIが書けるかしらと危惧でもありませんが考えていて でも華鏡は私が国文学の学会で研究発表した私

 

独自の説を小説にしているもので 学会での研究発表のときの聞いて下さっていた高名な先生方のご反応でもそれまで聞いたことのない説だというのは確かです だから小説も当然まだ誰も書いたことのない世界を書いているわけで なのにそれを学習されてAIに書かれたなんてことになったらたまりませんね

 

平家物語「小督」を読みました たまきはるを書いた建午前は建春門院滋子さんの崩御を記していて それ以前に女房として同僚に小督がいたと書いている 高倉天皇の年譜にそれを入れて考えると 高倉天皇が小督を見初めたのは15歳くらいの時 すでに建礼門院徳子さんが中宮として存在しているから小督は

 

清盛の恐ろしい迫害にあって平家物語の嵯峨に隠れ住むエピに 平家物語にある仲国に探し出されて高倉天皇のもとに戻り 再び寵愛されて皇女をもうける それが徳子さんが安徳天皇を産む前年だったから 先に小督が男子を産んだら大変とまた清盛の迫害に遭う とそういう年齢的時系列が見えてきました

 

ここのところの高倉天皇 仲国が嵯峨に探しに行っている間寝ないで起きて待っている 桐壺更衣を亡くして弔問させた靫負命婦を待つ源氏物語の桐壺帝と話が瓜二つですね 途中で一瞬 あれ? 私源氏物語を読んでいるのだった? って錯覚を起こしました

 

3月26日

久保田淳先生『藤原定家』を拝読しています 高倉天皇の崩御に際し 定家は心から敬愛して仕えていたにも関わらず葬儀に参列せず 沿道で見送るだけ 時代の流れを敏感に感じ取っていた俊成が参列を禁止したからでした というエピをどこで読んだのだったか本棚を探してこれかもと やはりそうでした

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2025.3.25 『華鏡』の次の章は、高倉天皇の生涯になります

3月25日

建春門院滋子さんの章を終わって 次に高倉天皇の章を入れようと思ったのは 高倉天皇が建春門院滋子さん所生の皇子だからですが 建御前の『たまきはる』を読んでいて小督が滋子さんに仕える同僚だったと知り 驚いたからでした

 

高倉天皇は母滋子さんの御所に出入りしていて小督を見初めたことになりますね そんなこと 今迄平家物語での小督との悲恋しか知らなかったから興味を引かれ 何歳くらいの年からのできごとだろうと高倉天皇の年譜をつくりました 興味深い結果が出ています

 

建春門院滋子さんの章の次に 源光行が源氏物語研究に多大な恩恵を受けたとする四人の公卿の章をつくろうと思っていました 後徳大寺実定 藤原俊成 吉田経房 源通光 の四人です じつは建春門院滋子さんの章を書くより先に光行の章を書いていたのですが この四人の恩恵を受けたと書いたら四人について一人ずつ説明を入れなければならず つまらなくなって止めたのでした

 

高倉天皇の章を書くことになったら そうか この四人はみんな高倉天皇の章にエピソードとして入れられる となり それをこれからします

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2025.3.24 『華鏡』は建春門院滋子さんの章を書き終わりました。没頭して書いていたので、目下、虚脱中です笑

3月24日

華鏡は、昨夜、建春門院滋子さんの章を書き終わりました。もうずっと以前に書いてあった原稿に手を入れ、大きく膨らませて完成させました。仙覚の小説『華鏡』には関係ないから、華鏡を始めて奥にしまい、いつか短編にして発表しようと思っていた旧稿。でも、仙覚の小説に気が乗らず、数年も経つのに書けなくて、悩んでいたときに、羽生結弦さんと野村萬斎さんのスケート、圧巻の「ボレロ」に心打たれ、NHK大河「べらぼう」で小芝風花さんの花魁の美しさに圧倒されて、仙覚の小説にないのは、これだ! となって、それで建春門院滋子さんをひとつの章として投入しようと思ったのでした。そのとき思ったのは、「美は人の心を打つ」。仙覚の小説に足りなかったのは「美」だったのでした。

 

建春門院滋子さんには、後白河院から贈られた御願寺「最勝光院」があります。藤原定家の明月記に「壮麗、荘厳なること極まりなく、天下第一級の建築なり」とあるくらいに華麗な寺院でした。創建にあたって後白河院は滋子さんを連れて、宇治の平等院を訪ね、それで最勝光院は平等院の鳳凰堂を模した御堂の両側に翼廊が繋がる寺院の結構になっています。

 

書いていて、途中から、ここで仙覚に生まれたときに引き離され、生き別れになっている母親と会わせようと考え、いろいろ事情を考え併せてうまく投入できました。華鏡のひとつの章としてでなく、単体で、短編としてでも読んでいただきたい仕上がりになったと思います。運慶もからませていますし。

 

あまりに没頭して書いていたので今現在虚脱感の真っ最中。完成原稿に仕上げる推敲をする気力もなくしています笑

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2025.3.22 Twitter(X)から転載として記していた日録を、これからこのブログに直接まとめようと思います

3月22日

昨夜、建春門院滋子を書いていて やっと 最初に記した他の方がつくりあげたイメージに引きずられていた文章から脱却 自分のイメージの滋子さんで書くことができました だから「心をこの世に残して去った美しい女人」の暗いフレーズを投することなく新しい展開に 薔薇が咲いた茂みの奥に仙覚の生まれてすぐ引き離された母親のすがたを書き入れました たぶん 会話はさせずそのままやり過ごしますが やっと冒頭の手記で一度だけ見たことがある、のエピソードをここでこなして次へ

 

最勝光院滋子さんの原稿に没頭し 仙覚の母親についてのエピソードを書き入れるまでに集中したら このままこの状態を続けなければとなり 当分Twitterには呟かないと決めました また今後いつまでこれが守れるかわからないけど これからの日録はこのブログに直接書き込みます

 

昨夜 PCを閉じるにあたり 今後の展開として 5建春門院滋子 6藤原俊成 7源通親 8後徳大寺実定 9源光行、と記しましたが 起きたら そうだ! 高倉天皇の章を設けなければ となって 7源通親の章を 7高倉天皇 とすることに 高倉天皇は後白河院と滋子さんの子 平家物語で好きな小督は滋子さんの女房だったよう 通親は高倉天皇の側近でした

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2025.3.21 Twitter(X)から転載……突然、『華鏡』に藤原俊成の章を加えることになりました

3月20日

おはようございます 以前鎌倉の私の活動を支援して下さっている方々のご尽力で鎌倉文学館で連続講座をさせて頂きました その時のチラシが出て来て読んでいたらこれが私の歴史に対する視点なのだなあと ご紹介したくなってツイートします 隠れた鎌倉の歴史を掘り起こす はその方々がつけて下さった

 

キャッチフレーズです: 歴史は人の思いと動きの結果です。歴史という大河にはたくさんの人の思いと痕跡が沈んでいます。或いは寺院、或いは古典、若しくは作品、若しくはただ痕跡として。文献史学からはずれているために、見落とされ、語られてこなかった歴史は膨大です。鎌倉には、あまり知られて

 

いない歴史がまだまだたくさんあります。寺院を、古典を、痕跡を、読み解いて新しい歴史に触れると、今まで知っていた歴史が、一層ふくよかに感じられるようになります。

 

華鏡 今日でやっとしなければならないのに滞っていた幾つかの用の最後をし終えて 晴れて原稿にかかれる状態に 何かがひっかかっていると専心しようといくら注意を向けても無理でした 先々週某管理者を他の方に委託し終わった時も心が晴れ晴れしたのでした そして今日も そして原稿は建春門院滋子

 

さんが終わったらいよいよ今度こそ光行さん と決めていたのに 広くなった思考回路に浮かんだのは俊成 え! 俊成を書くの? となりましたが 思考はどんどん俊成に もうあとは私的な事柄だけが結構な負担なのだけれど 心にかかっている問題ではないので 何とか集中に持っていって専念します

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