2022.7.20 『華鏡― 紫文幻想―』が完成しました

ご無沙汰いたしておりました。最後の更新が4月26日だからほぼ三か月ぶりです。

その時のを読んだら『万葉集』まで遡って書くことになって、そうしたらテーマが

藤原氏の他氏排斥事件だということがわかったと。

そうなんです。『華鏡』は最初何を書くのか皆目見当がつかないまま書き始めて

それが、書いていくと「どうしてこうなった?」の謎が浮かび、その淵源を求めて

過去に遡って加筆する、ということで書いていたら藤原氏の他氏排斥事件に

突き当たったのでした。

そして、テーマがはっきり見えてくると、俄然書きやすくなって専念するようになり、

それで三か月ものご無沙汰になりました。

一応、原稿にピリオドを打って、推敲も終わり、これからkindle出版に向けての

作業になります。それで、ひとまずご報告を。

最終決定の目次です。

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【華鏡 ―紫文幻想―】

第一章 藤原北家・小野宮流藤原実頼まで

一.大伴旅人の大宰府赴任 ―紀貫之『古今和歌集』仮名序

二.歌の聖・柿本人麻呂 ―平城天皇『万葉集』………………【大化改新】

三.河陽の離宮 ―嵯峨天皇『文華秀麗集』

四.二条后高子 ―在原業平と『伊勢物語』……………………【承和の変】

五.陽成天皇の廃位 ―藤原時平『日本三代実録』

六.寛平の歌合 ―宇多天皇『新撰万葉集』…………………【阿衡の紛議】

七.藤原定方の娘 ―白居易「長恨歌」

八.太液の芙蓉 ―紫式部『源氏物語』桐壺巻

九.菅原道真の大宰府左遷 ―宇多天皇「寛平御遺誡」………【昌泰の変】

十.堤中納言・藤原兼輔 ―醍醐天皇『古今和歌集』

第二章 藤原北家・九条流藤原師輔以後

一.内親王の密通 ―紫式部『源氏物語』若紫巻

二.嵯峨の山荘 ―紫式部『源氏物語』松風巻

三.琴の音 ―村上天皇女御徽子女王『斎宮女御集』

四.斎宮の花園 ―紫式部『源氏物語』竹河巻

五.華の後宮 ―村上天皇『後撰和歌集』と梨壺の五人

六.後宮の歌合 ―村上天皇「天徳内裏歌合」

七.村上天皇崩御 ―紫式部『源氏物語』幻巻

八.源高明の大宰府左遷 ―紫式部『源氏物語』須磨巻………【安和の変】

九.後中書王・具平親王 ―藤原公任『和漢朗詠集』…………【寛和の変】

十.雪の越前 ―紫式部『源氏物語』夕顔巻

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当初の予定では、『華鏡』は前編後編の二部仕立てで、二部が仙覚さんの生涯

という「仙覚の小説」になるはずでした。

が、最終決定になったら、『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』の

問題が私のなかで大きくなり、仙覚さんもその時代の一員です。

それで、『華鏡』は「―紫文幻想―」として単体で、二部の仙覚さんの時代のは

【〇鏡―鎌倉で『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』ができるまで―】

のテーマで新たな作品として書くことにしました。

あ、言い忘れましたが、ずっと「小説」として書き進めていたのですが

時代考証が多く、小説では無理になって、「古典随想」というジャンルにしました。

古典随想 『華鏡 ―紫文幻想―』 です。

kindle出版まで頑張ります。

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2022.4.26 Twitterから転載…【華鏡】の構成を変えました。『万葉集』も入れることにしたらテーマが藤原氏による他氏排斥事件の歴史だという認識になって。

まさか『万葉集』まで書くことになろうとは思っていなかったのに、『万葉集』も見たらそこにまた藤原氏による大伴氏の排斥があり、他氏排斥事件は藤原北家にはじまるわけでなく、不比等の時代から考えなければならないことがわかりました。

それで改めて大伴家持を見ていたのですが、そうしたらそこに「『万葉集』がいつ、誰によって作られたか」の問題が浮き上がりました。私がこの問題をあえて避けていたのは難題だからでなく、仙覚が「ならの御時」を聖武天皇の時代としていることで、私はそれに違和感を持っていたからです。仙覚の小説を書くのに、でも、この人は間違った説を唱えているんですよ、とは書きたくありませんものね。でも、梅原猛『水底の歌』には仙覚にして間違っていると明白に書かれていて、やはりそうなんだ、と奮い立ちました。

梅原猛・大浜厳比古両氏のご著書で「『万葉集』がいつ、誰によって作られたかの問題」もクリアでき、それはそれまで「紫文幻想」を書いてきたことと通底するものに離反することではなかったのでそれを受け入れさせて頂いて原稿に生かすことにしました。それで、結局、今まで書いてきたことを大幅に見直すことになり、構成から考え直すことになりました。

以下、そう至るまでになった経緯をTwitterから転載します。

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4月23日

なんかまだもやもやとしていて原稿に戻れないでいます 大伴家持の万葉集編纂は事象として年代を理解したのですが 家持と光仁天皇の関係とか 天智天皇系の復活とか 深いところの理解がまだ足りてなく大浜厳比古『万葉幻視考』をまた繰り返しています 志貴皇子は万葉集で一番好きな歌人かもしれない

 

その志貴皇子がなにかの鍵になってるみたいなご考察があって 昨夜は家持を追っていたから読み飛ばしていたのですが 今日その項を読んでいます 采女の風袖吹きかへす明日香風 なにかあると 例えば一陣の風が吹き過ぎたりするとふっと浮かぶ歌 その歌人を今頃になって調べているのが不思議です

 

紫文幻想の原稿 もしかしたら今までのは全部テーマをみつけるための渉猟だったとして改めて一から書き直すかも そんな気がしています 梅原猛『隠された十字架』みたいな文学的なタイトルがみつかったらいいなあ とか そんなことまで考えたり

 

4月24日

おはようございます 志貴皇子は桓武天皇の祖父なんですね そして桓武天皇の父で志貴皇子の子の光仁天皇がそれまで天武天皇系の即位だったのがようやく天智天皇系の天皇になった この光仁天皇のときに藤原氏一門の人たちの天然痘での相次ぐ死で天皇家がようやく藤原氏から解き放たれたのだそう

 

ということはそれまでずっと天皇家は藤原氏の勢力内にあったわけで それが藤原不比等 紫文幻想で書いている藤原北家の他氏排斥事件は良房に始まったわけでなく不比等の時代からすでにあったのでした それが家持の大伴氏への排斥で 父旅人はそれで大宰府に左遷されている 万葉集の背後にも藤原氏に

 

よる他氏排斥事件があったのでした 家持が最終的に万葉集の編纂をしたといわれるけど 並列して志貴皇子系統の末裔の人たちがそこにはかかわっている それが志貴皇子の曽孫市原王で 家持は市原王と親しかった と そういう状況がやっとつかめてきました 梅原猛・大浜厳比古両著のお陰です

 

と そこまで系図的に理解しましたが まだ市原王と家持がなぜ万葉集の編纂に関係したか の深い事情が読めてません 志貴皇子は天智天皇の唯一生き残った皇子なので生涯天武系の藤原氏から命を狙われていたと 志貴皇子の歌には一族の読む人が読めばあのことだとわかる怖い意味があるそう

 

と書いて そうっか 藤原氏で考えればいいのだ と気づきました 平城天皇の周辺の藤原氏を探ります

 

4月25日

高岡市万葉歴史館図録の大伴家持の年表を基軸に藤原氏と橘諸兄の年譜を重ね 家持と諸兄の関係などを探っていました 年譜を重ねるとほんとものが見えてきます 家持は父旅人の時代にすでに藤原氏の大伴氏潰しに遭っていて それが旅人の大宰府赴任 令和の元号になった梅花の宴が持たれた太宰府です

 

家持の庇護者橘諸兄は藤原仲麻呂に権力を奪われ反藤原の人です その諸兄が栄花物語に万葉集を作った人と書かれ それを実際に行ったのが家持 その後家持は自身の私歌集を加えたりして平城天皇の時代に最終的に20巻本が勅撰集的に認められる 通底するのは反藤原の精神でした

 

今日は集中してこの辺りを把握したいからあえてTLから離れていました 一段落して時間を見たら四時をまわっていて 仏では選挙がどうなったかしらと思ってこちらに トピックで結果が見えてほっとしてざっとTLをさかのぼって拝見したところです 原稿は旅人から書こうと思っています

 

万葉集になぜ防人の歌があれほど収められているのか不思議だったし 国による歌の収集だから当然くらいに思っていたのですが 家持は難波宮に赴任していて防人の歌の収集担当でした 高岡の図録にそれを見たとき長年の不思議は氷解しましたが 難波宮赴任での仕事ということ殆ど知られていないのでは?

 

図録ではよくわからないのですが 家持の赴任は全国から集められて難波に集結する防人の検閲係だったようです そこで防人の歌 に接して万葉集に組み入れた この難波赴任が 栄花物語にある橘諸兄が万葉集を作った話の翌年です もしかして最初から防人の歌を集める目的での赴任だった?

 

華鏡 推敲三回目にしてまた構成から考え直しています 目下取りかかっている紫文幻想は【華鏡一】 後編になる鎌倉時代の仙覚さんは【華鏡二】 にしました で 華鏡一は今迄19章だったので気がついて折角なら万葉集や古今和歌集にならって20章にしようと無理矢理作ってみました 文章から大幅に書き直していきます

 

今迄小説を書くというしがらみの中で極力自分を抑えて書いていたので無理がありました 小説をやめて水底の歌や万葉幻視考のような路線にしようと昨日決めたら気持ちが楽になりました でも まだ文章に感情が入って来ない それで一.のようなはじめにあたる章を設けました 感情が戻るのを待ちます

 

仮寝して起きました 午前3時 就寝中に思念がまとまって書くことが見えてきました 「【華鏡一】は藤原氏による他氏排斥事件の歴史です」とはじめようと思います なにかひとつ古典を取り上げるたびに浮かび上がった藤原氏の他氏排斥事件 いつか総括しないといけない気持ちになっていたところに

 

万葉集まで この万葉集にかかるまでまだどこか半信半疑みたいな曖昧な気持ちがあってまとめられなかったのですが 気持ちが整うっていいですね 仮寝の前までどうとりかかろうって焦っていました

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2022.4.22 Twitterから転載…【私説華鏡】第一部「紫文幻想」の展開について

昨日から大事な展開に入ってきて、昨夜また新たに重要な展開になりましたので、記録としてTwitterへの投稿をこちらにまとめます。

 

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4月21日

万葉集がいつ誰によって編纂されたのかを知りたくていろいろ読んでいるのですが 決定的なことのわからないことはどの本にも突っ込んだ書き方がされてなくて隔靴掻痒 これが学者さんの書かれる世界なんですね 昨秋の鎌倉ペンクラブの講座のあとにある方から織田さんの書き方は梅原猛『水底の歌』を彷彿すると

 

言われて読みました あのときの爽快さを思い出してまた開きました やはり突っ込んだ書き方をされている 隔靴掻痒気分が吹き飛びました このご著書には相当な反発があったらしいけど書くってこういうことだと思う 紫文幻想が反発されるほど注目して頂けるかは別として恐れず書くだろうな私もと思う

 

梅原猛『水底の歌』第四章「古今集序文考」を拝読しています 感応という言葉 久々に接しました 以前密教を学んでいた時に接した言葉 「仏が自分に働きかけてくる。仏と自分とが深い魂の内部で感応する」と梅原氏も書かれる 感応とはそういう世界 そして以前私もそういう世界に生きていたのでした

 

心震える思いで読んだ文章を引用させて頂きます 「現代は精神の世界においては驚くべき低俗の世界である。驚くべき卑俗な精神が我が物顔にこの世界をのさばり歩いている。私は先日ある親愛なる歴史学者から「お前の異常な仕事の原動力は何か」と尋ねられた。それは、絶望だ。卑俗な世界に対する絶望が

 

私の仕事に対する原動力になっているのである。せめて精神の価値の認められる世界、そういう世界に私は生きたい」…… 感応という言葉で解釈する古今集万葉集の世界 凄く納得しました 一方で 感応という言葉を理解しないまたは拒絶する学問の世界はやはり私には無理 感応に飢えていたんですね私は

 

水底の歌は昨秋の講座の後の二次会で示唆して頂いてすぐ拝読したのですが 古今和歌集仮名序の平城天皇をよく知らなくて 今在原業平の祖父と知って読むと意味が深いです 万葉集にかかわるほど和歌に造詣深い天皇の血を業平が継いでいるわけですから 逆に平城天皇はそれほどの感性の方だったなら納得と

 

4月22日

梅原猛『水底の歌 下』第四章「古今集序文考」拝読し終わりました 未読だった後半は昨年末ではまだ無理で 古今集の紀貫之 業平祖父の平城天皇など 紫文幻想でたどって時代を熟知しての今だからすべてすうっと入ってきました 人と年代の事象で考証する梅原氏のご論は私もそうだから結論に凄く納得

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2022.4.21 ツイッターから転載…【私説 華鏡】第一部「紫文幻想」の進行状況のご報告

前回の更新が3月6日でした。滞ってしまって済みません。ずっと【私説 華鏡】第一部「紫文幻想」の原稿に集中していました。日々の経緯は記録としてTwitterに呟いてはいたのですが、こちらの転載にまで余裕なく過ごしていました。が、ふっと昨日、転機を迎えた思いがしましたのでそれをこちらに。【私説 華鏡】というこの作品、やっと自分で書いていく使命感のようなものをつかんだ気がしたのでした。

ご無沙汰している間に『古今和歌集』についての章がとんでもなく展開し、そこから派生して在原業平について『伊勢物語』の章を新たに設けることにして、など原稿がどんどん膨らんでいます。そうしてまた、今度は『万葉集』の章を設けなければならなくなって、そうしたらこれはもう極み、と思ったのでした。

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4月17日

歴史はほんとうに繋がっているんですね 在原行平と業平の父阿保親王は平城天皇皇子で 薬子の乱で巻き込まれて十代で太宰府に左遷されています 十三年間も太宰府にいて行平はその間に生まれた皇子です 許されて帰京して結婚した内親王との間に生まれたのが業平 その阿保親王が今度は良房の承和の変

 

に巻き込まれて精神を病んで直後に亡くなる 阿保親王は芸術的感性の穏やかな人格だったようだから感受性が強くて承和の変勃発で太宰府左遷のときのトラウマが甦ったのではないかと私は思います 行平が須磨に蟄居したのは次の文徳天皇と良房の争いででした 行平は父阿保親王の人生を見ていますから

 

巻き込まれて都にいたら大変と思ってみずから須磨に蟄居します 流謫ではなくみずからです このみずからが源氏物語の光源氏に生かされて 光源氏は弘徽殿女御を恐れてみずから須磨に こんなふうな歴史の背景を知らずにただ行平は光源氏のモデルとだけの認知で今まで私は過ごしていたのでした

 

いろいろ考えたり思うこと多々なのですが 感じるのはこの思いということへの尊重が今の世には足りない気が 紫文幻想を書いてそれら古典にかかわった人たちの思いに接して 私自身の思いも深まらせていただいたから今の世との乖離が凄くてなんかしずんでいます 書いているからこれでいいのですが

 

4月19日

大好きな苧環の花が咲きました ここのところのTLで気になっていることを呟きます 仙覚の研究を認めて頂いてある方から 貴方はもう歴史家を名乗っていいと仰って頂き 鎌倉ペンクラブへの寄稿の肩書をある時から歴史家・作家としました その時その方から歴史家の方々から批判されることがあると思うけど

 

その時は僕に相談しなさいとつけ加えられたのですが 幸い今のところ無事でいます 歴史家の方々の学びの最初が資料批判なのだそう 一般の歴史好きな人にはそれが欠けているのだそうです 私は資料批判はしないけど時間と空間と人間関係で事象を書くから頼る資料は年代だけ その中で感情のある人間を

 

書いています そうすると従来普及してきている学説と違う世界が見えてくる 歴史家の方々はフィクションを危なく思っていられるけど 私のほうも危なく思うのは歴史家の方が文学をどう捉えていられるかです

 

4月20日

やっと【華鏡】を書くことの使命感をつかみました 「紫文幻想」はその第一部ですが 一昨年11月に紫式部の祖母が村上天皇後宮の生き証人だったことに気づいて 私は仙覚の万葉集を書くために村上天皇の梨壺の五人を探って書いていたものですから え! となって そこから紫文幻想が始まりました

 

でも まだ それは紫式部の『源氏物語』の書かれ方みたいな私的な内容でしか書き進めていなかったのですが 昨日 業平の章で 藤原北家の他氏排斥事件第一号「承和の変」を書かなければという気持ちになった時 これは人物で解く国文学史だとの使命感が湧いたのでした 文章も変わってくると思います

 

目をつむって書くことだけに専念しなければと思うけどやはり気になって見てしまう世界情勢 そしてやはり見るたびに思いは深まります それが書くことに明らかに投影されていく

 

古典は 源氏物語やもろもろは 今まで単に文化だったけれど 紫文幻想を書いていて それはやはり政治情勢と関係なく 例えば『古今和歌集』が菅原道真の大宰府左遷とその結果の道真の悲劇 『伊勢物語』が在原業平の父阿保親王の承和の変との関り など一切無関係でなかったことの認識が深まりました

 

その視点で書きます また原稿に手を入れなくてはならないでしょうけれど

 

もうこうなったら【私説 華鏡】とするしかないと腹を括りました 一難去ってまた一難 古今和歌集が終わったと思ったら今度は万葉集 これだけは避けたかったのに泣 阿保親王を書くには平城天皇を書かなければならず そうしたら万葉集は避けられない でも万葉集は誰が作ったか定説がない のに書かなければ

 

ならない となるならもう私説としか書けませんよね 小説華鏡だったのですが私説華鏡になりました で 万葉集についてのお浚いをと本棚から持ってきたご本たち 仙覚の万葉集に目覚めることになった最初の最初のご本です アナホリッシュ國文学万葉集特集 夢中になって読みました

 

なんだろうこの世界 と初めて触れた仙覚さんの世界 田中大士先生「万葉集仙覚校訂本の源泉」です わくわくするばかりの魅惑的な世界でした 2012年刊だから10年経つんですね

 

先週末には業平の章 行平の須磨蟄居まで書いて光源氏と相応させ順調だったのですが 週末の私事で中断して再開したらこの展開 先週のままの流れだったらもう業平と二条后高子さんにかかっていました また業平が遠退きました

 

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『鎌倉ペンクラブ』に寄稿した「紫文幻想」についての一文をFacebookページ【光藝社写真部】に載せました。

光藝社写真部 | Facebook

 

 

 

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2022.3.6 鎌倉ペンクラブの会報に「紫文幻想」について書きました

ご無沙汰しております。「紫文幻想」の執筆にかかって集中していました。昨年12月に始めた当初の企画よりどんどん膨らんで、最終的な構成が見えてきています。

「紫文幻想」は『華鏡第三部作』の第一部で三部作として整うまで書籍化を考えないでいようと思っていたのですが、作年10月にAmazonでkindle出版の紙の本の販売ができるようになり、それで「紫文幻想」だけ先にkindle出版しようと決めました。

が、そのための推敲にとりかかったら、足りなかった部分が見えてきて構成の練り直しをしたり加筆したり、で、全然終わる気配がなくなってしまいました笑 でも、構成はきっちり整ってきています。たぶん、この目次で最終稿になると思います。

 

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【華鏡一】                               織田百合子

 「紫文幻想 ―紫式部と『源氏物語』―」
          わたしの祖母は右大臣藤原師輔さまのご子息、藤原伊尹さま家の

          女房でした。伊尹さまは、村上天皇が命じられた梨壺の五人の

          『万葉集』訓点作業の別当でした。         紫式部

 

第一章.藤原定方の娘 ―白居易「長恨歌」

第二章.河陽の離宮 ―嵯峨天皇『文華秀麗集』

第三章.寛平の歌合 ―宇多天皇『新撰万葉集』

第四章.太液の芙蓉 ―紫式部『源氏物語』桐壺巻

第五章.菅原道真の大宰府左遷 ―宇多天皇「寛平御遺誡」

第六章.堤中納言藤原兼輔 ―醍醐天皇『古今和歌集』

第七章.内親王の密通 ―紫式部『源氏物語』若紫巻

第八章.琴棋書画の気風 ―源順『和名類聚抄』

第九章.嵯峨の山荘 ―紫式部『源氏物語』松風巻

第十章.琴の音 ―村上天皇女御徽子女王『斎宮女御集』

第十一章.華の後宮 ―村上天皇『後撰和歌集』と梨壺の五人

第十二章.後宮の歌合 ―村上天皇【天徳内裏歌合】

第十三章.村上天皇崩御 ―『源氏物語』幻巻

第十四章.梨壺の姉妹 ―紫式部『源氏物語』絵合巻

第十五章.源高明の大宰府左遷 ―紫式部『源氏物語』須磨巻

第十六章.円融上皇の大井川御幸 ―藤原公任『和漢朗詠集』

第十七章.雪の越前 ―紫式部『源氏物語』夕顔巻

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鎌倉ペンクラブの会報に「紫文幻想」について書いた一文を載せていただきました。折をみてご紹介させていただきます。

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2022.2.8 Twitterから転載…『紫文幻想』に第十五章として藤原公任の章を入れようと考察しています。だいたい見えてきて、見出しを「円融院の大井川御幸」にしようかと

2月4日

おはようございます 源順と源高明の年譜を重ね合わせて見たら あまりに順の昇進が高明の栄達とぴったりなこもに唖然 引き立てがあったというご論は拝読していましたがここまでとはと 高明が大納言になって順がやっと文章生 高明右大臣で下総権守 高明左大臣で和泉守 高明大宰府左遷で和泉守解かれる等

 

ほんとうにこの時代 というかいつの世でもそうなのでしょうけれど 昇進は後ろ楯がないとなくて沈淪の身をかこつ 花山帝の退位で藤原公任の前途がつぶれて沈淪の身になりました 沈淪の身どうし順と公任には心の通うものがあったのでしょう

 

これからここに公任の年譜を重ねます

 

やっと見えてきました 源順は具平親王とどこで繋がったのだろうとずっと謎でした 女房主催の「天徳内裏歌合」の前年に殿上人の「闘詩之遊」が開かれています 男たちが詩合をしたなら私たちには歌合をと女房たちが村上天皇に申し出て天徳内裏歌合になったのでした この闘詩之遊に源順が参加しています

 

それは左右の頭であった保光と延光の抜擢らしく 二人は荘子女王の兄弟です 具平親王は荘子女王の子 保光延光らと親交あったら二人の甥の具平親王に親近してもおかしくないですね 具平親王は学識豊かな源順を大変尊敬しています

 

春立つ日の今日読める の語が浮かぶ立春 一年で一番好きな日なのに立春らしいツイートをしてませんでした なので日付が変わらないうちにとツイート 紫文幻想 一稿では締めが甘くてこれでいいはずないのだけれどとわかっていてどうしようもなく完成にしていました 推敲に入って公任を入れることに

 

したら今度は完全という予感がしています 一稿目では書けなかったことが 同じ一稿目に使った資料を読んでいても全体を見晴らせられるから着地感があります 源順についての論文を拝読しているのですが 昨年三月に読んだもの 一年たって成長したなあと思います

 

源順の招かれた詩宴が白河院とあり まさか白河天皇の法勝寺なら時代が違うと思ったら 藤原良房の別業ー基経が伝領ー忠平ー師輔ー兼家ー道長ー頼通ー師実が白河天皇に献上 ということで同じ地でした ビックリ

 

まわりから攻めた形で源順ー具平親王と終わり 順が亡くなって花山天皇退位事件になる そうして藤原公任の登場 ということで あと考察は公任を残すのみになりました 明日それをします

 

ということは 沈淪の身を嘆く会話を源順と藤原公任が交わした場面はあり得なくなりました というのも順の生前 公任はまだ末は関白の前途洋々だったから 花山天皇の退位で沈淪の身になります

 

源順についての過去資料の再読を終わり 具平親王についても再読して年譜に入れたら 兼家による花山天皇の譲位事件は源順の死の翌年 あたかも時代が変わるようにして源順は去っている 紫文幻想一稿目はそれが認識されてなく 最終章にいろいろ無理に詰め込んでいました それを考慮して推敲にかかります

 

2月5日

メモとして小町谷照彦氏『藤原公任』より: 公任の家系は良房以来、基経・忠平・実頼・頼忠と、五代にわたる摂関家として、当代屈指の名門であった。公任は摂関家の嫡男として、将来かがやかしい地位につく可能性を秘めて出生したのである→ この家系、徽子女王以降何度目にしたか! 徽子女王は忠平から

 

寛子・徽子女王となり 師輔は忠平から師輔 つまり公任の祖父実頼と寛子と師輔が兄妹 → こういうこがわかっていても徽子女王を書いていると公任が徽子女王にとって従兄弟の子だということは忘れています なので改めてこういうのを読むと そうだった! と驚きます 長兄実頼の娘述子が村上天皇に入内

 

したのに早世し 弟の師輔の娘が村上天皇の中宮になったり息子の兼家が一条天皇の外戚になったりして 藤原北家は師輔の家系がメインになるのですが 公任の家系はその政権で代々関白を務めるかがやかしい家系だったのでした

 

メモとして: 公任の母は醍醐天皇の第三皇子代明親王の三女厳子である→ これもずっと頭にあるのだけれどこうして読むと そうだった となる 代明親王の娘三人は恵子と荘子と厳子 恵子が嫁した師輔子息の伊尹家に紫式部の祖母が女房として入って 伊尹は梨壺の五人の別当に 荘子は村上天皇の女御に と

 

そうした伯母たちを持つのが公任 荘子の子が具平親王だから公任とは従兄弟同士 となります このあたりの交流の華やかさ そして このあたりに源順がいるのですが 明白な資料がないから想像するしかなくて それで年譜を作っています

 

とツイートしたら やっとそれらのことが自分の中で整理できました

 

2月6日

おはようございます 今までの年譜に公任の年譜を重ねると 規子内親王の伊勢群行の翌年に公任の姉遵子と兼家娘の詮子が入内 遵子が皇后になって兼家が怒って詮子とともに籠居した翌年に源順が亡くなっていました そういう時代だったんですね

 

今来むと言ひだに置かで白露の仮の宿りを別れぬるかな と これは死別の迫った円融院が里第にいる皇后遵子に送った歌です 村上天皇の徽子女王に送った辞世の歌を思い出しました 遵子は公任の姉 対して兼家が入内させたのが道長の姉の詮子 詮子に一条天皇となる皇子が生まれたのに対し 遵子になく

 

素腹の妃と呼ばれます なのに皇后に冊立されたのは遵子 兼家は怒って詮子ともども籠居してしまいます 今まで拝読した本ではこの冊立を父の関白頼忠を慮ってとありました でも死別を覚悟した人が会いたいと歌を贈るなど 愛情がなくてはあり得ない 皇后冊立も愛情あっての決断とみるべきなのでは?

 

遵子は歌を詠む人で 公任の歌が磨かれた一端に遵子皇后による歌のサロンがあったと 徽子女王も歌に秀でて村上天皇と歌で心を掘り下げた愛情を交わしています 今まで紫式部が仕えた道長の観点から詮子さんに同情していましたが これは遵子さんに一本とられても仕方なかったのですね

 

遵子さんを書くことになるのかも 『紫文幻想』第十五章「和漢朗詠集」 思ってもいなかった展開ですが 先ほどツイートした後 そんな気持ちになりました ずっとこの章にはドラマがないなあと思っていました でも公任の沈淪の嘆きを追うだけでそれもドラマだし それでいいと思っていたのです

 

なのに突然遵子さんという女性に惹かれてしまいました 素腹の妃遵子さん 公任の悲劇の根本中の根本です これが和漢朗詠集につながるなんて・・・ 書けるでしょうか というより 書きたくなってきました(どうしてこうも書くほどに反道長みたいになってゆくのでしょう 不思議です)

 

2月8日

おはようございます 仮寝して起きて公任に取りかかっていたら朝になってしまいました ようやく第15章の構成が見えてきました 円融天皇中宮遵子さんを書くことに決めたので構成は円融朝 そこに遵子さんと源順を嵌め込みます なので前半が順 後半から遵子さん となります タイトルは円融院大井川御幸

 

源順がどんなふうにして具平親王たちの詩歌の宴に関わって行けたのかがおそらくですがわかってきました 勘解由判官になった時の長官が定方子息の朝成だったことの繋がりのようです それで定方孫の延光の引き立てで村上天皇の詩合に参加できたと

 

思ったのだけれど 私はやっぱり道長の時代が嫌い 公任の本も後半が道長の時代だから読んでいてつまらなくて折角高揚した遵子さんを書く気分が消えてしまいました 同じ忠平を祖に持つ二人なのに 忠平子息の実頼系と師輔系でこんなに違うんですね 公任は実頼の孫 道長は師輔の孫です 前にも呟いたけど

 

円融天皇ー遵子(公任の姉)ー公任 と 兼家ー詮子(道長の姉)ー道長 で見ると道長系には匂いやかさがないです 今まで詮子さんを応援してたのにこんなところで遵子さんを知って円融天皇が遵子さんの方を選んで皇后にしたというのがわかり なんか 申し訳ない感じ 感性の人か権力の側になる人かですね

 

藤原公任を調べ始めるとまず最初に出てくるのが三船の才 漢詩管弦和歌の三つの船全部に乗って才能を示したという それが円融院の大井川御幸でした 面倒だからスルーするつもりだったのに やはり無視できませんでした 無視しようと思っていた頃が懐かしいです

 

詮子さんは源高明が大宰府に左遷された後 娘の明子を引き取って育て 道長の妻にした 明子に言い寄る男たちを阻止してまで道長に 一条帝にも母として何か詰めよってさせてますよね 対して遵子さんにそういうところはなく歌会のようなサロンを育んでいて 公任の和歌はそこで磨かれたと そういう違い

 

いろいろ思うのですが 女として円融天皇に選ばれなかった屈辱感は詮子さんに生涯の傷として残るでしょう 余計しっかりしてしまうかも 一方もし遵子さんが選ばれなかったとしても 遵子さんはただそれを受けとめて深く沈むだけ 跳ね返そうとはならない そんな違いがあるかと

 

大河は観てないけど TLに流れてくる政子って 詮子さんはあのタイプかも なんて気がしてきました

 

阿衡の変は宇多天皇の時代に藤原北家の基経が怒って籠居し天皇が折れて基経の言いなりになった変 円融天皇が遵子さんを中宮にしたために兼家が怒って籠居し円融天皇が折れて退位し兼家が外戚となる一条天皇への道筋をつくる 全く同じですね 藤原北家のやり方 宇多天皇ー醍醐天皇ー村上天皇ー円融天皇

 

藤原基経ー忠平ー師輔ー兼家 と 流れる血は繋がっています やられっぱなしのような天皇家側に古今和歌集や和漢朗詠集ができて 藤原北家は政権の中枢をとる この構図が面白いし この中間に位置するのが源氏物語というのが面白いです

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2022.2.1 如月朔日、『紫文幻想―紫式部と源氏物語』は推敲四回目にして“藤原公任”を書き入れることになりました

今日は如月朔日、新月なんですね。旧暦は新月からはじまり、そして2月1日の今日は新年のはじまり。新しい年を迎えました。『紫文幻想』も心機一転で推敲に頑張っています。

原稿を完成させて推敲に入り、三回目までをPC画面で推敲し、そして印字してプリントアウトした原稿で四回目の推敲をはじめたら見えてくる世界が全然違って、PC画面ではもう完璧、と思えていたのがボールペンで赤を入れること入れること、どのページも赤だらけ。透過光で読む原稿と紙に載った活字で読む原稿とではこうも違うんですね。

その最大の効果かもということが今朝起きました。それは藤原公任。『和漢朗詠集』を作った人です。公任と『和漢朗詠集』は徽子女王の歌が『和漢朗詠集』に採られているから、最初のほうから名前を出していましたが、どういう人かなど詳細はずっと一切書いていませんでした。そして、最後まで書かずに終わって、でも、最終章にまた公任は登場して源順と交流しているんですよね。紙に印刷した原稿でそれを読み返していたら、これは公任についての詳細を書かないとおかしい、となりました。

それで思い出して、そういえば調べる余裕がないから書き飛ばしていたけど、最後のほうになったら『藤原公任』を読み返して書き入れよう、と思っていたのでした。

なんとなく最後の着地感がつかめていなかったのはこれだったんですね。

というわけで、これから公任について考えて、私なりの人物像をつかんで、『紫文幻想』に書き入れます。

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2022.1.23 Twitterから転載……華鏡第一部『紫文幻想』の第一章見出しを「祖母の語り」から「藤原定方の娘」に変えました

私が紫式部の『源氏物語』は村上天皇の後宮を素材にして書かれていると気がついたのは、一昨年12月に斎藤正昭氏『紫式部伝』を拝読していて、紫式部の祖母が女房として藤原摂政家に出仕していたと書かれているのを見たときでした。紫式部は幼いころ母を亡くし、その祖母に引き取られて育っていますから、祖母から女房時代に見聞きした村上天皇の後宮の話を聞いて育ったはずです。それが『源氏物語』に結実したと思って不思議はないでしょう。それで、最初、第一章の見出しを「祖母の語り」としたのでした。

が、書き進んでいくうちに、その祖母にはたくさんの姉妹がいて、その姉妹の子(祖母にとっては姪)が二人も村上天皇の女御になっていますし、醍醐天皇や醍醐天皇皇子の代明親王に嫁いだりしています。祖母が語ったことより定方の娘であることの方が重要だと気づいて「藤原定方の娘」に変更したのでした。

昨日、Twitterである著者の新刊を読まれた方が「村上天皇の時代をかなり書き込んでいる」と書いてあったと驚きを込めて呟かれていて、それを私が今紫文幻想で書いているのだけれど、学界ではこのことがまだ普遍になっていないのかしらと不思議に思いました。それで、私の立場としてこのことを書いて残すべくツイートしたのが以下です。

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1月22日

今TLで『源氏物語』は村上朝の史実をかなり取り入れていると書かれていると読んだ方のツイートを拝見して驚いたのだけれど こんなにしっかり紫式部の祖母と村上朝の関係がはっきりしているのにまだそれが事実と認識されていないのが現状なのですか 紫文幻想でははっきり書きました 小説ですが

ここにきていろいろ新しく出版されているのを拝見するけど 最初は確認のためにも拝読するべきかと思いましたが もう何方のも拝読しないと決めました 紫文幻想はもうできているし 何方にも影響されて書いたわけでなく 調べていったら自然とそうなっただけでとても自然な流れで書きました

 

1月23日

おはようございます 私が源氏物語は紫式部が祖母から聞いて育った村上天皇の後宮を素材にしてできていると納得したのは 斎藤正昭氏『紫式部伝』P.29に「母一条摂政家女房」とあるのを見たからでした 伯父為頼の歌の脚注にあるそうです ただ斎藤氏はこれを紫式部の父為時が花山天皇の側近になった要因と

だけしか捉えられてなくて 源氏物語の書かれ方には言及されていません 私はここに凄い衝撃を受けて これは~ と思い 書きかけていた仙覚の小説の村上天皇の時代の梨壺の五人と重ね合わせたのでした それが一昨年の12月 そうしたらなんと祖母が女房として入ったのは梨壺の五人を統括する別当藤原伊尹

なのでした これはもう源氏物語は祖母から聞いた話が基になっていると確信して 第一章を「祖母の語り」としたのでした 斎藤氏のご著書は2005年刊行ですから源氏物語と祖母の関係の研究はもうされていると思っていました が たぶん 梨壺の五人との関係に着目して書いている紫文幻想は新鮮と思います

 

『紫文幻想』第一章は 「祖母の語り」から「藤原定方の娘」に変更しました 祖母が語ったことより 祖母が定方の娘だったことのほうが重要になってのことです 推敲を終え 今日から第二章河陽の離宮に入ります 徽子女王をここから登場させるので白紙から始めるのと同じ状態で 気持ちが引き締まっています

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2022.1.19 ツイッターから転載…『紫文幻想―紫式部の生涯と源氏物語―』の本質が見えてきた気がします→それを新書のような手軽なサイズにまとめなければいけないな、という気がしてきました

Kindleの電子書籍とAmazonの紙書籍にするために『紫文幻想―紫式部の生涯と源氏物語―』の原稿を推敲していたのですが、最終章まで通しで読み返していたら、書いているときにはその章、その章を書くのが精いっぱいで見えていなかった『紫文幻想』全体の本質というか確信が見えた気がします。

それは推敲が終わったためにすることがなくなり、手持無沙汰に何気なくTwitterに呟いたことから始まりました。最後の章は藤原公任の『和漢朗詠集』なのですが、その部立ての最後が「白」なんです。それが不思議で、なぜ「白」なんだろうという思いがずっとあって、それでこの原稿を書き始めたようなところがあるのですが、「白」は徽子女王の色なんですね。原稿ではずっと徽子女王に白い色をかぶせて書いています。

白のイメージは、徽子女王を敬愛する源順の心の中の徽子女王です。順の晩年、順は公任と交流していて、それで『和漢朗詠集』には順の詩や歌が多く採られているのですが、徽子女王の「琴の音に峰の松風かよふらしいずれのをより調べそめけむ」が載っています。公任はこの歌も順から聞いて載せ、徽子女王の「清冽な白い人」のイメージも聞いたでしょう。それで「白」が植え付けられて部立ての掉尾になったのかも、なんて思っています。

その白いイメージの人・徽子女王。『源氏物語』で白のイメージの人というと明石君です。もしかして紫式部は明石君に徽子女王のイメージを投影しているのではないかしらと、突然、そんな構想が浮かびました。(それとなく『紫文幻想』の中で書いていますが)

漠然と、ただなにかに導かれるようにしてドラマの起承転結を書いた『紫文幻想』ですが、そこには紫式部の根幹にかかわる思想、白のイメージの人「明石君」への思いがある気がしてきました。

ふっと思いついて、これは『紫文幻想』の刊行が終わったら新書のような手頃の刊行で、この本質に絞っての一冊をかかなければいけないな・・・という気がしています。『紫文幻想』を書いたから見えてきた紫式部の『源氏物語』の創作の根幹、のような新書。ひとまずタイトルが浮かんで『紫式部と斎宮女御徽子女王―明石君考―』と。

以下、Twitterからの転載です。

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1月17日
二年前 コロナ自粛に入る直前 たまたま手に取った特集和漢朗詠集 紅葉とか雪とかの部立ての最後が白で その時の私には白楽天の意味なのか白色なのかわかりませんでした その後文庫の和漢朗詠集で読んだら白髪の歌などあるから白色の方みたい ここに源順の詩があって素敵です 公任は源順の詩をかなり採っています というか源順が特別扱いなくらい 徽子女王の琴の音の歌を収める和漢朗詠集は源順との交流で公任が知って入れたのかもなど思っています それにしても公任 最後が白なのは深いです

 

1月18日

白の連環 昨夜呟いた和漢朗詠集の部立ての白 藤原公任がどういう意味で白をもって終わらせたのか誰も決定的な研究がされてないみたい 余白の白とかなど 私は源順との関係を思っていて 順が白に拘っている気がするんです それは斎宮だった徽子女王の清冽さに接していた順だから 白といえば明石君ですが

明石君は六条御息所に似ていると光源氏が言い その六条御息所のモデルが徽子女王 紫式部は明石君の背後に徽子女王を見てますね 徽子女王の斎宮と同時代を生きた祖母に育てられておますから聞いていたでしょう 先行研究があるか知りませんが 源氏物語松風巻は 徽子女王の琴の音に峰の松風通ふらし を

そのまま使っていて 作中でも明石君が琴を弾きます それも筝でなく 琴 なのです 明石君のイメージの背後に徽子女王があると思い だから衣配りでの白い装束になったのでしょう

1月19日

おはようございます 深夜村上天皇と徽子女王に交わされた愛の深さを呟きましたが 伊勢斎宮の研究書ではどの方も徽子への愛は薄かったと書かれます それを読んだ方は徽子は魅力のない人と思いそれが一般論になっていると思います 私は琴の音の歌の情趣から これほど素敵な感性の人が軽んじられるはずが

ないと反発してそれで山中智恵子さんの『斎宮女御徽子女王』を購入して拝読したのでした そこには研究者さん方と全く次元を異にする徽子女王と村上天皇の世界がありました 夜伽に召された回数で解釈すれば研究者さん方のようになります でも残された贈答歌を読み込むと違う世界になります 同じ一つの

エピソードに正反対の解釈がなされるのです どちらを信じるかは自由ですが 私は琴の音の歌の感性から山中智恵子さんを信じました 一昨年来Twitterで私が徽子女王徽子女王とどんなに呟いても関心を持って頂けなかった理由はそこにあったんですね 徽子女王の魅力をわかって頂きたいです

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2022.1.15 華鏡第一部『紫文幻想―紫式部の生涯と源氏物語』をKindle出版することにしました

更新が滞ってばかりで済みません。仙覚の小説として『華鏡』に取り組んでいるのですが、構成についていろいろ思うことあり、日々進展し、の状態で、何が確実に決定かわからない毎日です。一応、三部作の見通しがたち、第三部『万葉幻想―仙覚の生涯と万葉集』を書き進めていたのですが、これも日々新たなことが見えてきて、それを書くためにまた調査が始まりという状態で、これではいつ完成するかおぼつかないし、何よりせっかく完成している『紫文幻想―紫式部の生涯と源氏物語』をいつ世に送り出せるか心配になってきました。

それで考えて、華鏡第一部『紫文幻想―紫式部の生涯と源氏物語』を三部作として完成するより先にKindle出版することにしました。『竹御所 ~花、萎れるままに~』は電子書籍ですが、その後Amazonで紙書籍もいっしょに出せるシステムができましたので、『紫文幻想』は電子書籍と紙書籍の両方をいっしょに刊行することにしました。それで、今はその本文の推敲にとりかかっています。

私の刊行物の基地として作ったFacebookページ【光藝社写真部】ですが、『竹御所 ~花、萎れるままに~』までの出版物と、今後刊行予定の原稿を網羅して載せてあります。いわば私の著作の全記録です。ここに『紫文幻想―紫式部の生涯と源氏物語』を早く加えたいのですが、ここにくるまでほんとうにいろいろ葛藤がありました。電子書籍なんて人にどう思われるかとか、他人の手の校閲を経ていない出版物なんてと蔑まされるだろう、などの思いはほんとうにわたしに深く巣くっていました。

が、それも抜けました。わたしが書いているのは、また、わたしが研究発表したことは、日本の文化の根幹として貴重なことばかりです。というのもどこにも所属せず、どなたの学恩を受けてでの研究でもないので、自由に研究できるし、眼の張り巡らし方も従来の研究者さんと違う視点です。いわばどなたも書いていない世界。それが世に出せないままに終わりたくありません。所属がなく、どなたかの助けもなく、独りで書き進め、それゆえにかえって孤立したり無視されたりの現状を打破するために独り出版社【光藝社写真部】を立ち上げたのでした。

いつかの将来、学閥とか所属とか有名無名などの障壁がとりはらわれて純粋無垢に【光藝社写真部】が屹立したとき、ここに残っている私の出版物が世の皆様に役立つようにと思います。権威が横行する今の世の先を見据えての刊行です。

昨日、それまで忸怩としていて載せられなかった【光藝社写真部】のプロフィール写真を載せることができました。なぜか突然長かった無明の闇を抜けて気持ちがすっとしたからです。十年前の鎌倉ではじめて講演をした時に撮って頂いた写真です。鎌倉の方に鎌倉にも『源氏物語』の文化があったということをお伝えするのだと気概に燃えていた凛とした写真です。それから十年、鎌倉で活動して社会の波にもまれ、すっかり当時の自分を見失っていました。その無明の闇を抜けて、今私は当初の気概を取り戻し、『紫文幻想』に取り組んでいます。

Facebookページ【光藝社写真部】
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