白拍子の風 ■曼珠沙華・京の章 20
範理さまの亡骸は鳥辺野で荼毘に伏され、木幡のご一族の墓地に埋葬されたそうです。ご葬儀の日は晴れて空は冴え亘り、すっかり葉を落とした裸の木々に滲んだ墨のような稜線をみせる東山が、遠くからもはっきりと伺えました。
ご葬儀にはわたくしなどのようなものの参列するべくもなければ、蔭ながらでも最後まで野辺の送りをさせていただくことを思わないでもありませんでしたが、覚悟を決めて家にいました。
生きて範理さまにお眼にかかれるのならなんとでもしましょう。永久に亡骸にとりすがったまま永久にいられるなら、それも考えたでしょう。でも、どうあっても、範理さまはいられないのです。どうあがいても、範理さまはお戻りになれないのです。お別れはわたくしの中では既に済んでいました。二度に亘って範理さまのもとに届けてくださったお使いの方お一人がわたくしを気遣って、ご葬儀の日取りをそっと教えてくださっていました。
わたくしは一人部屋にいました。
坐してただ時間の流れに耐えていました。そうして、そろそろご出発の頃、もう山道をたどっていられる頃、着いて荼毘の準備がされている頃、と逐一を心の中で測っていました。
一筋の煙は白かったでしょうか。清らかにに空へと昇ったのでしょうか。そう思われた頃、はじめてわたくしは動きました。なにに向かうともなく一礼して、髪を鬟に結い、片袖を脱いで垂らし、扇を榊の枝に見立てて翳し、声に出して詠いつつ、そっとその一歩を。早韓神のあの舞を舞うために。
肩に取り掛け、我れ韓神の、韓招祷せんや、韓招祷。
手に取り持ちて、我れ韓神の、韓招祷せんや、韓招祷。
韓招祷せんや、韓招祷。
於介阿知女。
於介。
三度舞いました。
この舞は人長という男の舞人のものなのだが、なぜかおまえには男舞が合う気がする。もっとも、おまえもいずれは一人前の白拍子として立つのだろうから、男舞が似合って当然なのかもしれないのう、というお声が甦りました。
そのときの眼差しが甦りました。
あんなに小さかったのに、片時も忘れることなくいた不思議を改めて思いました。範理さまとの縁の強さが思われました。
宇治での舞も甦りました。
慈円さまと、範理さま……
お二人が同じ一人の人の気がしました。煙となって宇宙に遍満された範理さまは、今は慈円さまの穏やかさそのものでした。
涙がとめどもなくあふれ頬を伝い落ちましたが、ぬぐうことなく舞い切りました。範理さま、これは貴方さまに教えていただいた舞です。だから、こうして貴方さまにお返ししているのです。お空で、これからもずっとわたくしを見ていてください。
其駒揚拍子に移りました。 其駒揚拍子も、三度舞いました。余命幾許もないと言われつつ、あの綺麗に敷かれた白砂のお庭で舞ってくださった範理さま。
ここはわたしの宇宙だよ
そうおっしゃられた範理さまは、ほんとうに宇宙の彼方に行ってしまわれました。どこにいられるのでしょう。今この世での逢瀬は適わなくても、人の命は尽きることなく未来永劫宇宙に遍満するといいます。縁があれば、信じていれば、巡り巡ってふたたび逢う日もくるでしょう。たとえそれが気の遠くなるほど遠い先の世のことであっても。でも、わたくしにはそんな遠い未来のことの気がしませんでした。
不思議に温かい気が満ちていました。気が付くと涙が止まっていました。わたくしの中にも気が満ちていました。足をあげて踏み下ろし、手を翳したとき、はっとしました。範理さまの気配を感じたのです。
気配はわたくしを取り巻いてありました。それと共に、わたくしの中にもありました。範理さまはわたくしと一体となって舞ってくださっていたのでした。この手に、この指先に、範理さまが生きておられました。おまえは一人ではないんだよ。そう言われた気がしました。ふたたびどっと涙が溢れました。
舞い終えたとき、床に突っ伏して、今度こそ思いきりわたくしは自分に声に出して泣くことを許しました。日が暮れるまでずうっと。夜がきて、夜の帳がすべてを包み込んでもずうっと。疲れて、意識が朦朧として、なにもかもが曖昧に受け入れられて、ふらふらと立ちあがるまで。
立ちあがったとき、わたくしは世の中が、自分を取り巻く空気が一変していることを感じました。暗く厳しいものを感じたのです。これがこれからのわたくしをとりまく色合いだと思いました。わたくしはもう以前のような甘えた自分ではいられないことを悟ったのです。範理さまにも、銀嶺姉さまにも、寄りかかって生きていくことが適わなくなった今……
範理さまのご葬儀からしばらくたったある日、定家さまのご訪問を受けました。緊迫したお顔を見てすぐに察しました。銀嶺姉さまはもう生きておられないということを。さっと血の気の引いたのがわかりました。でも、いくら残酷とわかっていても、その宣告から逃れるわけにいきませんでした。
定家さまのお知り合いに範理さまのご葬儀に参列された方がいらして、鳥辺野で奇妙な光景を眼にしたと話しているのをお聞きになられ、気になって検非違使の役人に訴えて調べさせたそうです。
ご葬儀の帰途、その方は不審な乞食を眼にし、ふと気を引かれて後をつけたそうです。というのも、男が花を抱え、人に見られているのも気づかずに、いそいそと前を横切っていったからだそうです。不審というより怪訝で、つい引かれるままに追ったのだといいますが、着いたところは破棄されて身元のわからない死体や骨が散乱する、鳥辺野でもいちばん忌まわしい、ほとんど人の踏み込まない凄絶極まりない場所だったそうです。ですが、近付くにつれ新しいお香の薫りがほのかに漂い、場違いな感じがしたといいます。
そこに銀嶺姉さまはおられました。
古い供養塔が立つ塚と塚の間に筵の上に横たえられて。身にまとっていた装束があの日のままだったので、銀嶺姉さまだということが確認できたそうですが、亡骸は既に腐乱して眼もあてられぬ状態だったと伺いました。
でも、男はそういうことは意に介さずに香を薫き、花を捧げ、枕辺にはどこでどう調達したのか、椀に箸を立てた白いご飯が添えられていました。そのようすから見て男が毎日そうしていたのは明らかでした。そして、男は枕辺に坐して、それは愛おしそうに、身動き一つせず、銀嶺姉さまのお顔に見入っていたとか。愕然としました。あのお美しい銀嶺姉さまが……
いやな想像が身内をかけ巡りました。銀嶺姉さまはあの男に……。考えたくもないことですが、考えないわけにいきませんでした。男の片眼は潰れていたそうです。声もなくしているわたくしに、定家さまは更に妙なことを言い出されました。
「これだけ言ってしまうと悼ましいかぎりですが、夜叉殿、銀嶺殿は案外お幸せな死を迎えられたのかもしれないと思う節がないわけでもないのです」
「どういうことでしょう」
わたくしには定家さまがなにを言いだされるのか見当がつきませんでした。これだけむごい眼に合われて、なにを幸せといえるでしょう。ですが、定家さまのおっしゃられたことはわたくしにももしかしたら銀嶺姉さまは喜んで逝かれたのかもしれないと思わせるに足る、人の幸不幸は傍からはうかがい知ることはできないと考えさせられるできごとでした。
あの乞食はもと資盛さまのお邸の警護にあたっていた武士だったのです。当時は若く人の上に立つようなものではなかったから目立たなかったし、あの乱で傷を負った上、更に片眼を潰していましたので、検非違使庁で見たときも、定家さまにもすぐにはそれと察することができなかったそうです。ですが、取り調べが進んで、そういえばそのような若い武士がいたと徐々に記憶が甦り、それから注意して見ているとたしかにそのときの若武者だったのだそうです。
正清というその男は、宴をはられる資盛さまのお邸の警護をしたとき、召された銀嶺姉さまをひと眼みるなり魂を奪われるほどの恋をしたのだそうです。が、所詮しがない武士の身、資盛さまに愛されてみるみるお立場の華やいでいく銀嶺姉さまはとうてい手の届く相手ではありませんでした。 いっそ刺し違えてでも思いを遂げたい気持を必死におさえて、男は銀嶺姉さまをお守りするだけの思いで任務にあたっていたといいます。
銀嶺姉さまには気づかれる由もありませんでした。間近に接したことはただの一度もなかったといいます。篝火の光もとどかない暗い塀際で、いることさえも認められてはいない立場の男はじっとそれに耐えつつ、煌々と照らしだされる豪奢極まりない宴席の、中でも一際輝いて映る銀嶺姉さまに熱い眼差しを送るだけでした。
乱の後、死ぬことも考えたそうですが、生きていれば銀嶺姉さまに逢うこともあると、それだけの一心で京に戻ったそうです。
宇治で、その思いが適ったのでした。どうなってしまわれたか、それだけが気になっていたのが、ご無事だったことを見届けてこれ以上はないという喜びを覚えたと同時に、白拍子として凜とした風格を身につけられたごようすを見ていっそう打たれ、眼もくらむ心地になったそうです。
法性寺のお歌の会で、はじめて男は銀嶺姉さまの前に姿を現しました。床下に潜んでいて、白氏の琵琶行の女の生きざまにからめてご自身の気概を訴えられるお声にいたたまれなくなり、銀嶺姉さまの心がけの美しさは誰よりもこの自分がいちばん知っていることを告げずにはいられない思いに駆られ、身を隠していることに我慢できなくなったのでした。
渓流のところに男は立っていたそうです。そのときは立場も身なりの凄まじいことも忘れて。それを認めた銀嶺姉さまが思いがけず寄ってこられ、まっすぐに正面から対されて、
「ようやくお眼にかかることができました」
と言われたときには、思わず強く抱きすくめてしまったそうです。銀嶺姉さまは、
「嬉しい」
と呟かれ、男を恍惚とした表情で見つめられたとか。
そのとき男は自分の風采、立場を思い出し、愕然として銀嶺姉さまを突き放して逃げ去ったのでした。
男は二度とこのようなことはありえない、これを終生の思い出としてと決意しながらなお未練がましく紅葉の宴の日も法性寺をうろつき、寺の衆に追い出されてもまた境内に戻り、そうしてふたたび銀嶺姉さまと逢いました。今度はもうお歌の会のときのような心持ではなかったので、慌てて男が隠れようとすると、銀嶺姉さまは、なぜ行ってしまわれるのですか? と叫ばれたそうです。
その声の必死さに男は留まりました。そのとき銀嶺姉さまが自分を今ある姿ではなく、なにか誤解していられることに気付いたそうです。誤解と知りつつなお対しているうちに、連れて行ってください、わたしを、極楽へ、と希まれ、必死さにほだされて首を絞めて殺したのだと。
「男は今でも銀嶺殿が自分をなんだと思っていられたのかわからないと、首を振ってばかりいます。今でも不可解でならないと」
と、定家さまは言われました。
「銀嶺姉さまは、あの方をご自分を迎えにきてくださった聖衆来迎の菩薩さまと思っていられたのではないでしょうか」
すらすらと口をついてでた言葉に、自分で驚きました。
そうだったのです。だから、銀嶺姉さまは男に会うたびに嬉々としたごようすを見せられたのです。男の眼差しの中のご自分に対する切実な思い、志の深さを真に美しいものとして、銀嶺姉さまは敏感に感じとられたのでしょう。銀嶺姉さまの最後の言葉は、有難う、だったそうです。ひと筋の涙と、神々しいばかりの微笑の中で息を引き取られたそうです。
検非違使の役人にそのような話のわかるはずがありませんから、ただ男を責め立てて、それでおまえは女を犯したのだな、と問い詰めたそうです。すると男は毅然としてこう答えました。真実心から愛する人を犯すなどできないと。
身内に戦慄が走りました。なんという愛の崇高さ。今こそ銀嶺姉さまは渇仰していたものを手に入れられたのです。少なくとも定家さまとわたくしの間ではそう信じられました。
銀嶺さま。宇治で話していられたような、天竺の雪の蔵(ヒーマラーヤ)という聳え立つ白い雪山が見下ろす大地ではありませんが、満天の星の下で横たわって眠れたらと希まれたとおり、星空の下でご自分を深く愛してくださる人に見守られて、どんなにかお幸せでいられたでしょう。どうぞ、安らかにお眠りください……
銀嶺姉さまのお骨が戻ってきて供養して差し上げた後、わたくしはお骨を抱えて青墓への旅につきました。 銀嶺姉さまと二人でたどった道を、今は一人で逆にたどっているのでした。湖が眩しく光っていました。比叡のお山がくっきりと青い稜線を描いて対岸に見えました。
慈円さまからはほんとうにあのまま音信が途絶えました。
最初はお忙しいからと思っていました。紅葉の宴のあったちょうどあの頃、慈円さまは兼実さまのご子息の良尋さまを後継者として迎えられて、慈円さまにあっても、兼実さまにおかれてもお忙しくかつ喜びのさなかでいられたからです。
でも、銀嶺姉さまのことであれほどのことがあっても、ついにひと言も慈円さまからのお労りのお言葉は届きませんでした。一介の白拍子のことになぞといってしまえばそれまでですが、それまでのいきさつ、慈円さまのお人柄を考えると、その沈黙は異様でした。はっきりとしたご自覚のもとでと考えないわけにいきませんでした。
こちらからご消息を差し上げる立場ではありませんでした。わたくしは闇の底で遠くに蠢く気配を察しようと全感覚をそばだてるようにして幾日かを過ごしたあと、すべての見極めがついたと認めて旅立ちました。
青墓には一年ほどいました。そうして気持の整理をつけて、ふたたび京に出ました。京は変わっているようでもあり、変わっていないようでもありました。定家さまにだけご連絡いたしました。そして、以前のご縁は断ち、あえて九条家とは離れたところで生きていきたい意向をわかっていただきました。
わたくしの心の中にはきらきら光る湖の凪いだ鏡面のような眩しさだけがありました。それはとても美しくもあり、また寂しくもありました。慈円さまという素晴らしいお方と交わらせていただいた一時期があるという、それだけで善しとする覚悟が、わたくしの中では据わっていました。
でも、慈円さまは思わぬところで、思わぬ形で、この世では適わなかった思いを遂げさせてくださったのです。それはお歌の冊子の中にありました。九条家とは関係のない方々の間で暮らしていましたが、当代を代表する歌人でいられる定家さまや慈円さまのお歌は衆目の集まるところで、こちらで意図しなくても折に触れ眼にするところとなっていました。
それは、西行さまご勧進の御裳濯百首の一部でした。定家さま方は既に前年完成させていらしたのですが、慈円さまは遅れて文治四年のその年ようやく完成を見られたのでした。
ああ、あのころ、と詠じられていた頃のことを思いだし、懐かしさいっぱいの思いでそれを開きました。
一首一首たどっていって、あるお歌のところにきたとき、不意に、ほんとうに不意に、思ってもみなかった涙が迸り出ました。
お歌の意味を理解するよりも先に、全身全霊がそれを察知し反応したのでした。
お歌は慈円さまのお声そのものとなって、生きた説得力もつものとして、わたくしの心に突き刺さるように飛び込んできました。
震える手で、曇った眼で、必死になって先を読み進もうとしました。でも、駄目でした。わたくしにはもうなにも読むこともすることもできなくなっていました。ただ茫然と冊子の中の墨文字をくいいるように見つめるよりほかは。
確かにわたくしは受け止めました。真に慈円さまが放ってくださったお心を。ああ、もういい。もう、これでいいと、心の底から思いました。これがあればわたくしは終生強く生きていくことができます。それは次のようなお歌でした。
奥山の谷のむもれ木苔むして知る人もなき恋に朽ちぬる
そして、
惑ひぬる昨日も今日も見し人の夢になりゆく永き夜の空 (完)