2023年2月15日 Twitterより転載…パウル・ツェラン『罌粟と記憶』『誰でもないものの薔薇』『雪のパート』を読んで、仙覚のほんとうの境地に辿りつきました

なぜか突然パウル・ツェランが気になって、タイトルに惹かれて買っていたまま読んでいなかった三冊の詩集、『罌粟と記憶』『誰でもないものの薔薇』『雪のパート』を読みました。それだけでは理解不能なので図書館に行って飯吉光夫氏『パウル・ツェラン ことばの光跡』 を借りてきて、大体のことを把握して。

ツェランはアウシュヴィッツで両親を殺されていて、そのことが生涯の苦になっていてやり場のない怒りや慟哭の雄叫びを詩にしていたのでした。私がツェランの詩に惹かれるのはそれが「詩」という一般的な言葉ではなく、「詩」ではあっても意味がある言葉ではなく雄叫びという心の底からの発露だったからでした。誰でもないものの薔薇、この語韻、この語呂、意味がないのに心に突き刺さってきます。

買ったまま読まなかったのは、帯などに書いてあるアウシュヴィッツなどの壮絶な人生を読むのが怖かったからです。なのに買ったのは、タイトルの言葉が綺麗だったからです。そうです、タイトルにして雄叫びの心の発露があったのでした。

数日、ツェランに関連した読書と思索で過ごしました。そしてわかったのです。私がこれから書こうとしている仙覚こそツェラン側の人だったということが。比企氏ゆかりの男子ということがばれると殺される運命にある仙覚は、生まれながらにしてツェランが心に負った雄叫びするしかない苦悩を負っていたのです。その発露が『万葉集』の研究に充てられたのでした。

ツェランを読んで、考えたことは必然でした。その一連のTwitterでのツイートを転載させていただきます。

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2023年2月8日

『罌粟と記憶』 パウル・ツェラン第一詩集 どうしてパウル・ツェランの詩集のタイトルってこんなに綺麗なのだろう といつも思う 『誰でもないものの薔薇』『雪のパート』 タイトルだけで買っていました 中はまだ 読む勇気がないまま何十年も本棚に飾っていて 今日 ふと 罌粟と記憶を開いて読みました

詩の言葉がタイトルの美しさと同じことに気がついて この方の詩は私が読んできたたくさんの方々の詩と違う 意味ではなく言葉なのだ と思いました ただただ字の繋がりが美しい 少しツェランを読んでみようと思います

発露 という言葉が浮かびます

誰でもないものの薔薇 このタイトル この詩集に出逢って詩集自体は読んでいないのだけれど 言葉として深いところで影響されていた 私はそれを深めるべきだったのになんか寄り道ばかりして 中世の鎌倉などという日本史にまで踏み込んで 今日 罌粟と記憶を開いた時 私は何もかも中途半端に過ごしてきた

の思いが強くしました 自分の立ち位置について考えることあって罌粟と記憶を開いたのですが 結局この中途半端だった生き方に今自分で疑問を感じているのでしょうね これから仙覚の小説に取りかかるから それまでに自信をつけたいです

 

2023年2月9日

おはようございます しんしんと雪に降り込められる予報に備えて朝から大忙しでした 雪のパートのパウル・ツェラン ランボーは青春の想い出 バルトもシモンも学習したから 発露で見出だしたのはツェランが初めて そんな思いに駈られています 怖くて読めない時期を経てようやく読める時節になったのかも

パウル・ツェラン 私が持っている三冊 罌粟と記憶・誰でもないものの薔薇・雪のパートと 今日借りてきた訳者飯吉光夫氏『パウル・ツェラン ことばの光跡』 事前の知識なく読むか先に解説を読むか悩んだのですが 昨夜詩を読んでこれなら解説を読んでも影響されなく読み進めると思ったので借りてきました

買ったまま一度も読んだことのない三冊の詩集 タイトルの美しさに惹かれて買ったのでした 海外文学は小説の師が仏文の教授でいらしたので仏文関係の読書はしました ツェランは独語だから師の教えで知った訳でなく書店で惹かれてでした ツェランというと帯に書いてある人生が先に知識に入って それを

共有するかりかいしないといけないみたいになってそれで読むことに勇気がいったのですが 昨夜誰でもないものの薔薇を開いて読んで 私はやはりツェランの詩が好きだと悟り やはり読もうと思いました その時思ったのは ツェランの人生と詩は別ということ 例え詩に人生が込められていたとしてもです

今日図書館で『パウル・ツェラン ことばの光跡』を借りに開架の棚の奥のほうの海外文学のコーナーへ行くのに ここのところずっとそこばかりに佇んでいた日本の古典文学のコーナーをさっさと通り過ぎてゆく自分をどこか上の方から俯瞰して見ている自分がいて驚きました 人はこんなにも変わるんですね

飯吉光夫氏『パウル・ツェラン 光の光跡』 第六章大災害のあとで とあとがき を拝読し それから年譜を読んだら 読み終わって自然に涙が出ました そうだった なぜ寺院揺曳を中断してまでツェランに惹かれたのか ここでした 夢窓疎石を書いていた最後に私も9.11に遭い言葉を失った それを書いていて

なんかまだ生ぬるい 私自身明確な答えをつかんでいない と感じていたのです ツェラン 続けて拝読します

 

2023年2月10日

おはようございます 降り始めの雪 多摩東部(23区に隣接する地域です 隣は杉並区)の三鷹市も降ってきました 雪の井の頭公園 撮りに出たいけど 今は不要不急で何かあって原稿が書けなくなったら大変だから我慢 雪の公園はさながら森は生きている状態 行くといつも転がれ転がれ指輪よ と 呟いてしまいます

飯吉光夫氏『パウル・ツェラン ことばの光跡』あとがきより: 死者を想って、他に遣り場のない気持ちのあまり必死に書かれるツェランの詩……

飯吉光夫氏『パウル・ツェラン ことばの光跡』の気になった箇所をノートに書き写しながら読み進んでいるのですが 先ほどツイートして少しわかってきました ツェランほどの苦しみを経験していなくても ツェランがそれで文明論的・一般的論考の贅肉をそぎ落としたその詩を読むのだから突き刺さって当然と

飯吉光夫氏『パウル・ツェラン ことばの光跡』より: 彼の詩は物憂い似而非気分などはどこにも見られない、むしろ緊迫した切実な胸中のあらわれであるのだ。そしてこれはユダヤ人としての彼の戦時中の体験がその何よりの動機を生みだしている。それゆえにこそパウル・ツェランは、戦後のドイツの

いかなる詩人たちにも先んじて、詩作の初心、詩のよりどころ、心の表現に立ち戻ったと言いたい←このご本の拝読から離れられないでいます。平穏に暮らしている私が果たしてツェランを読む資格があるかとしょっちゅう自分に問い合わせさせられるのですが、たぶん私にも自分で気づかない心の奥底での

ツェランと同じ苦悩哀しみ怒りがあるのでしょう、だから詩を読んでいると意味がわからなくても突き刺さる。以前文学を基盤にしていた時は少しはこういうことを身近に置いて生きていた。鎌倉の源氏物語の活動に入って、活動という日常次元に終始していたらすっかりそれを忘れていたと気づいてきました

 

2023年2月11日

おはようございます 眩いばかりの朝の光 雪はもう消えているけど大気が清浄になったからでしょう 昨日連絡を頂いてそろそろ動き出す九月の講座 お受けした時はコロナの終息が見えそうだったからなのにそれから第八波 なのにマスク不用とかとんでもない世の中で九月の講座でマスクはどうなるでしょう

しつこいくらいにパウル・ツェラン関連のツイートをしていますが これが私の小説修行の方法で かつては恩師のクロード・シモンの翻訳とあとがき そのあと高遠弘美先生のプルースト研究 そういう方々の言葉に対する真摯なご格闘と結果を拝見しつつ自分のものにしたいと私もまた格闘して今まできました

ツェラン関連のツイート これが最後にします 飯吉光夫氏『パウル・ツェラン 光の光跡』あとがきより: ツェランはナチスに母親が殺されたことを一つの衝撃的な出来事として受け取って、心の持っていき所のなさを自然の災厄のようにうたう。平穏無事な日常的な生活、そこへ自然の暴威が突如として割って

入る。「ひとつのどよめきーいま真実そのものが、人間どもの中に歩み入った、暗喩たちの吹雪のさなかに」のような詩は軽佻浮薄な人間界に、自然の法則にのっとった回避不可能の事態が生じる様子を伝えているだろう。 一度起こった悲惨事を詩でいくら表現しても、取り返しがつかない。詩はこの出来事の

まわりを空まわりするだけである。この空白部は沈黙といってもいい。← この文章がそのまま 『寺院揺曳』で書いていて甘いと悩んでいた夢窓疎石と9.11との関係に対する答えで ここに触れた時は震撼としました ウクライナの戦争 そしてトルコの大地震 思うこと多々ですが 寺院揺曳に戻って完成させます

すっかり世界が変わりました 境地のことです 鎌倉の源氏物語に出逢って以来 その普及活動ですっかり日常の感性にすり変わり文学の感性を失っていました なのに鎌倉の源氏物語から派生して仙覚の小説を半ば義務的義侠心から書こうと決意して取り組んだものの書けるはずがなく 数年近く枯渇の苦しみの

中で一人のたうちまわっていました 無理矢理紫文幻想を書き 次は仙覚の小説としての万葉幻想 と思いつつ 紫文幻想のようには苦しまず自然に溢れるように書きたいと気持ちの整理に努めていて 白拍子の風に寺院揺曳と かつて書けていた頃の原稿に取り組んだら 書けていた感性が蘇り そこにツェランで命が

吹き込まれたという気がします あとはゆっくり詩集をひもどきながら寺院揺曳を完成させにかかります 戻ってみればかつての自分の自然だった世界 それを取り戻すのにこんなにも時間と労力を費やしました お陰ですっかり鎌倉が過去のことになりましたが講座が九月にあります 新しい境地で臨みます

明日から『寺院揺曳』に戻ります 詩を読んでいました パウル・ツェラン あとからあとから繰り出される言葉 決して有機的なものを含まない言葉の羅列の凄まじい詩群 こんな体験初めてなのですが詩集と眺める私自身の身幅の本当に小さな一画だけが一切の日常から切り離されて存在する現実の気がしました

 

2023年2月12日

おはようございます 誰もゐないと言葉だけが美しい 牧野富太郎の詩です 誰 言葉 たまたまかも知れないけどツェランの詩と同じ 世界苦という言葉があるか知らないけど 人間は誰もが根源的な苦しみを持っていて ツェランの場合はアウシュヴィッツという明確なものがあるからわかりやすかったけど 牧野

富太郎はまだ二十歳前後の若者ではあったけど根源的な苦しみを持っていて 詩はその発露だった のではないかと起きてすぐ思いました ツェランの詩に最初に接した時に感じたこの発露の思い それは根源的な苦しみに対する悲鳴や怒り雄叫びなのでしょう 牧野富太郎もそれだった ある意味形而上的にまで昇華

された苦しみだから言葉になった時 余分なものが削ぎ落とされて美しい 私にそんな深い苦しみがあるかと問えば早くに父を亡くしているし それでも呑気に生きてきたようでも根源的な苦しみはあってだから雄叫びを感じとったのかも知れない など思います

ツェランを読むのを止めたのは寺院揺曳に戻りたくなったからでなく あのまま読み進んだら危ないと思ったから 以前 ある掌編を書いた時 ある方には君は上手いなと言われ ある方にはあのまま行ったら危ないと言われ それで書き方を変えました そうしたらある方からどうしてあれを止めたのと惜しまれた

今思うとあの時ツェランで感じたこのまま行ったら危ないを回避したのかも知れないですね だからそれ以降書くものがつまらなくなり 歴史に逃れた 根源的な苦しみを回避しては本物の文学が書けず でもそのまま行ったら日常生活に差障りが出る 回避したあの時に私は今立ち戻っているのかも知れません

もちろん危ないことは避けるつもり 家族のためにも その拮抗を考えます たぶん寺院揺曳でそれができる

そうっかとやっとここに辿り着きました この根源的な苦しみこそ仙覚さんだったのですね 比企氏残党の素性が知れたら殺される運命 なので終生それを隠して生きるしかなかった その根源的な苦しみからの雄叫びが万葉集研究だったのです 『紫文幻想』では一族の鎮魂の為にと書きましたが それは甘かった

 

2023年2月13日

おはようございます 深夜二冊の詩集を読みました 誰でもないものの薔薇と雪のパート タイトルに惹かれて買っていて読んだことのなかった詩集 飯吉光夫氏のご著書で大体の思惑がついてもうこれでツェランを離れようと覚悟しての拝読 詩集ってなんだろうと思いました 好きで繰り返し読むのが詩集と思って

いたから そういうことの隔絶した世界のツェランの詩集 日常という安易な衣をまとって読んでいること自体が不遜に思えました 雪のパート 綺麗な詩でした 思ったのは今後ツェランを読むにふさわしい人格になろうと これから書く仙覚さんはツェラン側の人です 孤高とか荒涼とかの言葉も必要のない世界

 

 

 

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2023年2月14日 Twitterより転載…ズームで澤田直氏「イメージと哲学 20世紀フランス思想の映像論」を拝聴しました

私はものを書いていますが、私の原点は写真です。随分長くそれを忘れていました。そのあいだに鎌倉の『源氏物語』の活動をしたりして、とにかく私自身のよって立つ基盤を見失っていました。

たまたまTwitterで岩野卓司先生ご主導のズームでイメージ論を学ぶ機会を頂き、なにか気になって澤田直氏の「イメージと哲学 20世紀フランス思想の映像論」四回連続講座を拝聴しました。その最後がロラン・バルトの『明るい部屋』でした。

写真は存在を示すものではない そこにかつてあったことを意識するもの・・・

私は写真が好きです。Twitterでパリの古い写真を流して下さる方がいて、それを見ていると、ああ、この人たちはこの時こんなふうに生活して生きていたんだ・・・、の思いにとらわれます。

この『明るい部屋』のお講義を拝聴して思い出した写真がありました。それが、アンリ・カルティエ・ブレッソンの「決定的瞬間」です。写真の道に進んで最初に習った写真の歴史の中で知った一枚。舗道ですれ違う何人かの人をただ俯瞰で写しただけの写真ですが、見知らぬ人たちがその一瞬すれ違ったという歴史的一瞬がそこにあるのです。

以前書いていた『寺院揺曳 ―まぼろしの廃寺・鎌倉佐々目遺身院』の原稿にその「決定的瞬間」を詳説した文章があります。新年になったら仙覚さんの小説『華鏡』にとりかかろうと思っていたのに、なぜか突然その『寺院揺曳』という過去原稿のkindle出版に舵を切って目下推敲にとりかかっています。

もう少ししたら『寺院揺曳』のkindle出版が終わります。それで気持ちに余裕が出て更新の滞っていたこのブログに気持ちが向いたのでした。

以下、Twitterからの転載です。

 

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2023年1月12日

RTさせて頂いた澤田直氏による「イメージと哲学 20世紀フランス思想の映像論」 私はようやく今日全四回を拝聴しました 最後はロラン・バルトの『明るい部屋』 もう食べてしまいたいくらい好きとかつて思った写真論のこのご本 でも内容をすっかり忘れて情なく思っていたのですが 今日拝聴して

写真は存在を示すものではない そこにかつてあったことを意識するもの という展開に Twitterで流れてくるアジェとかの仏の古い写真をRTさせて頂くたびに ああ かつてこういう風景があったのだ と見とれてRTボタンを押しているのがそれだったんだと バルトが私の中で生きていたことを感じました

でも 絞首刑の青年の写真は じっさいに『明るい部屋』にあったか覚えてなくて 例として分かりやす過ぎて怖かったです 明るい部屋はバルトの晩年の写真論だったと そうなんですね お母さまの例があっての思索の深まり いい時間を過ごさせて頂きました 岩野卓司先生 本当に有難うございました

2023年1月13日

おはようございます 私のロラン・バルト『明るい部屋』は古い版で銀色のカバー ハトロン紙がもう破れています 大切な一冊で本棚のいつも見える正面の棚に 久しぶりに出して見ました 昨日の澤田直先生のお話の余韻をまだ引きずっています 考えたら私には歴史や古典をするよりも先にこの世界がありました

時間と空間 特に時間論が私の根底なのはこの『明るい部屋』が原点なんですね 鎌倉の源氏物語とか目下推敲している佐々目遺身院のような研究とか書き物はその時間と空間を表象するための素材 と言ったら言い過ぎかもしれませんが 考え方としてはそうだったんです だからいくら古典を書いても一般の方々

と違う そうわかったからには私はもう独自の私の路線で突き進みます 昨日のお話ではバルトの写真論は初期と晩年とあって 明るい部屋は晩年 初期のは全くの記号論的で無機質 お母さんの死という体験があっての明るい部屋 バルトにしても自身の体験無くしてこれは書けなかった 私の華鏡もそうなると思う

私のロラン・バルト『明るい部屋』には青インクの線や書き込みがぎっしり ふと開いたら昨夜のお話のメインテーマのお母さんの死から写真論が展開することになったそのページ ここ まさにこの文章 まさにプルーストであり私にはシモンのアカシア こういうのが私の「文学」です ここに還ろう!

ある日私はナポレオンの末弟ジェロームの写真を見た。そのとき私はある驚きを感じて思った。私がいま見ているのは、ナポレオンを眺めたその眼であると。私はその驚きを人に話してみたが、誰も驚いてはくれず、理解してさえくれない←『明るい部屋』の冒頭です 再読したくなって開いての冒頭 まさにこれ

私が感じていることです 誰も理解してくれない 書くことで必死に訴えてきましたが心から理解して頂いたと安堵したことはなかった そういうことだったのですね そして今日 理解してくれる人 バルトに再会しました なんか とても嬉しい

 

 

 

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2023年2月14日 もう2月も半ばになってしまいましたが、今年最初の投稿です。滞っていてすみませんでした。

昨年最後の投稿を今読んだら、新年から仙覚さんの小説にかかると書いていました。そのつもりだったのですが、どういうことからだったか覚えていないのですが、過去原稿の『寺院揺曳 ―まぼろしの廃寺・鎌倉佐々目遺身院ー』を先にkindle出版しておこうと思ってその推敲をしています。もうできている原稿だから1月中には出版できるくらいの軽い気持ちで始めたのにまだ終わりません。やっと近々刊行へのアップロードができるかな、というところにきました。気持ちが軽くなってきました。

その間ですが、Twitterでいろいろな方の情報を得てズームでいろいろなことを学ばせて頂いたり考えること多く、振り返ってみるとそれは今後書いていく上で重要なことなので、Twitterでその都度呟いたことをここに転載しておこうという気持ちになりました。逐次、転載してゆきますね。

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2023年1月6日
あけましておめでとうございます。今年最初の投稿は、昨年暮れにkindle出版した小説『白拍子の風』を紹介させていただきます。

京浜急行金沢八景駅から歩いて数分の高台に上行寺東遺跡という中世墳墓群の遺跡がありました。マンションの建築で発見されたのですが、貴重な遺跡を残してほしいという歴史学者さんたちの保存運動にもかかわらず、横浜市は遺跡を破壊し、マンションを建てました。

その遺跡には岩盤を彫った阿弥陀如来坐像があり、春分の日と秋分の日の年二回、太陽がその頭上から一直線に沈みます。阿弥陀様の背後には遠く朝比奈峠のある山が見えます。その向こうが鎌倉です。V字形に切り通された朝比奈切通も見えました。遺跡の保存は叶いませんでしたが、市はその阿弥陀様の一画を樹脂で固めたレプリカとして残しました。

私が遺跡発掘の仕事に従事していたときにはすでにそのレプリカでしか上行寺東遺跡を見ることができませんでしたが、でも、それでもその遺跡が好きで、一人でよく訪れました。

ある日、いつものように訪ねて、高い階段を上って遺跡の端に立った時、さっと一陣の風が吹いて煽られました。その時、采女の袖ふきかへす明日香風都を遠みいたづらに吹くの志貴皇子の歌が浮かび、すぐに続いて白拍子の風のタイトルが浮かんで、突然構成ができたのでした。

 

 

 

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2022.12.30 『華鏡 紫文幻想』が完成して、今年はようやく仙覚の小説が動き出した良い年になりました


今年も残すところ一日になりました。更新が滞りがちで申し訳なかったのですが、そのあいだ原稿に専心してようやく仙覚の小説が動き出しました。

ここ数年、仙覚の小説を書こう書こうとして書けない年が続きましたが、今年ようやく原稿が動き出して『華鏡 紫文幻想』が完成しました。これは仙覚の小説の前編として書いたもので平安時代編。仙覚の万葉集研究の発端としての村上天皇の命による梨壺の五人が主軸です。

後編が仙覚が生きた時代の鎌倉時代編になります。これをつい先日まで仙覚の小説の後編として『華鏡 万葉幻想』とする予定でした。が、実際に原稿を書き始めたらこの前編・後編の構成を止めて、『華鏡 紫文幻想』はこれで完成とし、『華鏡 万葉幻想』は『華鏡』だけのタイトルにして、これを仙覚の小説としたくなりました。

目下、その『華鏡』第一章「南庭の白菊」が書き終わったところで、比企の乱で仙覚が生まれたところまで書きました。

 

第二章は新年に入ってからとりかかりますが、源実朝がメインになります。実朝には藤原定家から贈られた『万葉集』があります。これが実朝の暗殺後、次の将軍頼経の所持となり、その頼経の命で仙覚が『万葉集』の校訂をしたときに、頼経から貸し与えられて、仙覚の研究の一端を担うのです。ここでそれを書いて、『西本願寺本万葉集』につながる宗尊親王の時代への布石にします。

 

来年は、今までのような停滞はなく、原稿はスムーズに進むと思います。そう願って、今年最後のご報告とさせていただきます。

来年もよろしくお願いいたします。

 

【今年は四冊のkindle出版をいたしました】

『華鏡 紫文幻想』(仙覚の小説の前編)

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『白拍子の風』(小説)

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『『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』の研究』(学会で研究発表した時の資料集)

『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』の研究: 解釈学会全国大会研究発表資料集 | 織田百合子 | 小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

『京・鎌倉の文化交流』(論文集)

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2022.12.24 kindle出版『華鏡 紫文幻想』のご紹介

2022年12月24日

『華鏡 紫文幻想』

Amazonの内容紹介:

『源氏物語』は藤原北家の道長の下で書かれましたが、藤原北家は大化改新を起こした中臣鎌足が祖の「討って奪う」血脈が累々と続いた家系です。それが藤原北家の他氏排斥事件と呼ばれる政変を起こしました。

『万葉集』をはじめ、『伊勢物語』や『古今和歌集』など古典は排斥された側の人たちによって作られました。人生の苦しみ、哀しみをみつめ、心を深めていった人たちの結実が古典なのです。『華鏡』はそういった人間関係からたどる国文学史です。

華鏡 紫文幻想 | 織田百合子 | 小説・文芸 | Kindleストア | Amazon https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0BJ7QNNFV/ref=dbs_a_def_rwt_bibl_vppi_i3

【目次】

第一章 藤原北家・小野宮流藤原実頼まで

一.大伴旅人の大宰府赴任 ―紀貫之『古今和歌集』仮名序

二.歌の聖・柿本人麻呂 ―平城天皇『万葉集』………………【大化改新】

三.河陽の離宮 ―嵯峨天皇『文華秀麗集』

四.二条后高子 ―在原業平と『伊勢物語』……………………【承和の変】

五.陽成天皇の廃位 ―藤原時平『日本三代実録』

六.寛平の歌合 ―宇多天皇『新撰万葉集』…………………【阿衡の紛議】

七.藤原定方の娘 ―白居易「長恨歌」

八.太液の芙蓉 ―紫式部『源氏物語』桐壺巻

九.菅原道真の大宰府左遷 ―宇多天皇「寛平御遺誡」………【昌泰の変】

十.堤中納言・藤原兼輔 ―醍醐天皇『古今和歌集』

第二章 藤原北家・九条流藤原師輔以後

一.内親王の密通 ―紫式部『源氏物語』若紫巻

二.嵯峨の山荘 ―紫式部『源氏物語』松風巻

三.琴の音 ―村上天皇女御徽子女王『斎宮女御集』

四.斎宮の花園 ―紫式部『源氏物語』竹河巻

五.華の後宮 ―村上天皇『後撰和歌集』と梨壺の五人

六.後宮の歌合 ―村上天皇「天徳内裏歌合」

七.村上天皇崩御 ―紫式部『源氏物語』幻巻

八.源高明の大宰府左遷 ―紫式部『源氏物語』須磨巻………【安和の変】

九.後中書王・具平親王 ―藤原公任『和漢朗詠集』…………【寛和の変】

十.雪の越前 ―紫式部『源氏物語』夕顔巻

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2022.12.23 『歴史研究』第706号(2022.12月号)に「内親王の密通」を載せて頂きました

『歴史研究』第706号(2022.12月号)に「内親王の密通」という短い文章を載せていただきました。

鎌倉の万葉学者・仙覚の小説の前編『華鏡 紫文幻想』は、『万葉集』研究の最初として平安時代の村上天皇の命で万葉仮名の訓点作業をした梨壺の五人をメインに書きました。

梨壺の五人の一人に源順がいます。その源順を調べていたら『和名類聚楽抄』という日本で最初の辞書を作った人とあり、『和名類聚楽抄』を調べたら醍醐天皇の第四皇女勤子内親王が命じて作らせたとあります。

それで勤子内親王を調べたら、なんと、この方が村上天皇の朝廷で右大臣だった藤原師輔と密通・結婚しているのです。

そんなことから、え?、え?、え?、となって芋づる式に調べていって出した結論が、紫式部が『源氏物語』を書いた時、勤子内親王が藤壺のモデルではないかということでした。藤壺は言わずと知れた光源氏と密通した内親王です。そして、勤子内親王も藤壺も第四皇女なのです。

詳しいことは煩瑣になりますのでここでは書けませんが、面白い論が書けたと思っています。

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2022.12.21 仙覚さんの小説は前編の平安時代編『華鏡 紫文幻想』が完成しました

大変にご無沙汰になりました。ずっと籠って書いていました。仙覚さんの小説ですが、ここにきてやっと構成が整い、前編が平安時代編『華鏡 紫文幻想』、後編が仙覚さんが生きた時代の鎌倉時代編『華鏡 万葉幻想』になりました。そして、前編が完成しています。

以下、総括した文章をFacebookページ【仙覚取材ノート】と【光藝社写真部】に載せましたのでこちらにも。

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2022年12月21日

源氏物語千年紀の2008年、京都では古典の日が制定され、記念の祝典が催されました。私はすでに鎌倉時代に武士たちが『源氏物語』を愛好していたことを研究していましたので、鎌倉でもシンポジウムか何か記念式典があるはずと思って楽しみにしていました。けれど、いつまで待ってもそういう情報が入ってきません。鎌倉ではまだ『源氏物語』が受容されていたことが一般認識になっていなかったのでした。それで急遽、私は鎌倉の源氏物語文化の普及に努める活動に入りました。十年ほど携わりました。

 

コロナのパンデミックで自粛生活に入って三年が経ち、気持ちも落ち着いて自分の時間を取り戻した時、私にはし残してきた仕事があることに気づいたのです。突然鎌倉の活動に入ってしまったものですから、それまで書いていた原稿が書籍化されることなく放置したままになっていました。

 

私は今、鎌倉の万葉学者仙覚の長編小説に取り組んでいます。その前編となる平安時代編『華鏡 紫文幻想』が終わり、次に後編の鎌倉時代編『華鏡 万葉幻想』に取りかかろうとしています。が、取りかかったら大変な時間と労力を要しますからまた原稿は放置したままになってしまいます。それで急遽決意して、原稿を電子書籍としてkindle出版しておくことにしました。

 

9月に学会で研究発表した時の資料集『『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』の研究』を、10月に『華鏡 紫文幻想』を、11月に時代小説『白拍子の風』を、12月に論文集『京・鎌倉の文化交流』をkindle出版しました。Amazonで販売されています。

 

写真はそのAmazonの販売ページにある著者ページです。

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画像の添付がどういうわけかできないので、著者ページですが、Amazonで販売されている本の書影の下にある織田百合子というところをクリックすると出てきます。

これからまた籠って後編『華鏡 万葉幻想』に籠ります。

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2022.7.20 『華鏡― 紫文幻想―』が完成しました

ご無沙汰いたしておりました。最後の更新が4月26日だからほぼ三か月ぶりです。

その時のを読んだら『万葉集』まで遡って書くことになって、そうしたらテーマが

藤原氏の他氏排斥事件だということがわかったと。

そうなんです。『華鏡』は最初何を書くのか皆目見当がつかないまま書き始めて

それが、書いていくと「どうしてこうなった?」の謎が浮かび、その淵源を求めて

過去に遡って加筆する、ということで書いていたら藤原氏の他氏排斥事件に

突き当たったのでした。

そして、テーマがはっきり見えてくると、俄然書きやすくなって専念するようになり、

それで三か月ものご無沙汰になりました。

一応、原稿にピリオドを打って、推敲も終わり、これからkindle出版に向けての

作業になります。それで、ひとまずご報告を。

最終決定の目次です。

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【華鏡 ―紫文幻想―】

第一章 藤原北家・小野宮流藤原実頼まで

一.大伴旅人の大宰府赴任 ―紀貫之『古今和歌集』仮名序

二.歌の聖・柿本人麻呂 ―平城天皇『万葉集』………………【大化改新】

三.河陽の離宮 ―嵯峨天皇『文華秀麗集』

四.二条后高子 ―在原業平と『伊勢物語』……………………【承和の変】

五.陽成天皇の廃位 ―藤原時平『日本三代実録』

六.寛平の歌合 ―宇多天皇『新撰万葉集』…………………【阿衡の紛議】

七.藤原定方の娘 ―白居易「長恨歌」

八.太液の芙蓉 ―紫式部『源氏物語』桐壺巻

九.菅原道真の大宰府左遷 ―宇多天皇「寛平御遺誡」………【昌泰の変】

十.堤中納言・藤原兼輔 ―醍醐天皇『古今和歌集』

第二章 藤原北家・九条流藤原師輔以後

一.内親王の密通 ―紫式部『源氏物語』若紫巻

二.嵯峨の山荘 ―紫式部『源氏物語』松風巻

三.琴の音 ―村上天皇女御徽子女王『斎宮女御集』

四.斎宮の花園 ―紫式部『源氏物語』竹河巻

五.華の後宮 ―村上天皇『後撰和歌集』と梨壺の五人

六.後宮の歌合 ―村上天皇「天徳内裏歌合」

七.村上天皇崩御 ―紫式部『源氏物語』幻巻

八.源高明の大宰府左遷 ―紫式部『源氏物語』須磨巻………【安和の変】

九.後中書王・具平親王 ―藤原公任『和漢朗詠集』…………【寛和の変】

十.雪の越前 ―紫式部『源氏物語』夕顔巻

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当初の予定では、『華鏡』は前編後編の二部仕立てで、二部が仙覚さんの生涯

という「仙覚の小説」になるはずでした。

が、最終決定になったら、『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』の

問題が私のなかで大きくなり、仙覚さんもその時代の一員です。

それで、『華鏡』は「―紫文幻想―」として単体で、二部の仙覚さんの時代のは

【〇鏡―鎌倉で『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』ができるまで―】

のテーマで新たな作品として書くことにしました。

あ、言い忘れましたが、ずっと「小説」として書き進めていたのですが

時代考証が多く、小説では無理になって、「古典随想」というジャンルにしました。

古典随想 『華鏡 ―紫文幻想―』 です。

kindle出版まで頑張ります。

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2022.4.26 Twitterから転載…【華鏡】の構成を変えました。『万葉集』も入れることにしたらテーマが藤原氏による他氏排斥事件の歴史だという認識になって。

まさか『万葉集』まで書くことになろうとは思っていなかったのに、『万葉集』も見たらそこにまた藤原氏による大伴氏の排斥があり、他氏排斥事件は藤原北家にはじまるわけでなく、不比等の時代から考えなければならないことがわかりました。

それで改めて大伴家持を見ていたのですが、そうしたらそこに「『万葉集』がいつ、誰によって作られたか」の問題が浮き上がりました。私がこの問題をあえて避けていたのは難題だからでなく、仙覚が「ならの御時」を聖武天皇の時代としていることで、私はそれに違和感を持っていたからです。仙覚の小説を書くのに、でも、この人は間違った説を唱えているんですよ、とは書きたくありませんものね。でも、梅原猛『水底の歌』には仙覚にして間違っていると明白に書かれていて、やはりそうなんだ、と奮い立ちました。

梅原猛・大浜厳比古両氏のご著書で「『万葉集』がいつ、誰によって作られたかの問題」もクリアでき、それはそれまで「紫文幻想」を書いてきたことと通底するものに離反することではなかったのでそれを受け入れさせて頂いて原稿に生かすことにしました。それで、結局、今まで書いてきたことを大幅に見直すことになり、構成から考え直すことになりました。

以下、そう至るまでになった経緯をTwitterから転載します。

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4月23日

なんかまだもやもやとしていて原稿に戻れないでいます 大伴家持の万葉集編纂は事象として年代を理解したのですが 家持と光仁天皇の関係とか 天智天皇系の復活とか 深いところの理解がまだ足りてなく大浜厳比古『万葉幻視考』をまた繰り返しています 志貴皇子は万葉集で一番好きな歌人かもしれない

 

その志貴皇子がなにかの鍵になってるみたいなご考察があって 昨夜は家持を追っていたから読み飛ばしていたのですが 今日その項を読んでいます 采女の風袖吹きかへす明日香風 なにかあると 例えば一陣の風が吹き過ぎたりするとふっと浮かぶ歌 その歌人を今頃になって調べているのが不思議です

 

紫文幻想の原稿 もしかしたら今までのは全部テーマをみつけるための渉猟だったとして改めて一から書き直すかも そんな気がしています 梅原猛『隠された十字架』みたいな文学的なタイトルがみつかったらいいなあ とか そんなことまで考えたり

 

4月24日

おはようございます 志貴皇子は桓武天皇の祖父なんですね そして桓武天皇の父で志貴皇子の子の光仁天皇がそれまで天武天皇系の即位だったのがようやく天智天皇系の天皇になった この光仁天皇のときに藤原氏一門の人たちの天然痘での相次ぐ死で天皇家がようやく藤原氏から解き放たれたのだそう

 

ということはそれまでずっと天皇家は藤原氏の勢力内にあったわけで それが藤原不比等 紫文幻想で書いている藤原北家の他氏排斥事件は良房に始まったわけでなく不比等の時代からすでにあったのでした それが家持の大伴氏への排斥で 父旅人はそれで大宰府に左遷されている 万葉集の背後にも藤原氏に

 

よる他氏排斥事件があったのでした 家持が最終的に万葉集の編纂をしたといわれるけど 並列して志貴皇子系統の末裔の人たちがそこにはかかわっている それが志貴皇子の曽孫市原王で 家持は市原王と親しかった と そういう状況がやっとつかめてきました 梅原猛・大浜厳比古両著のお陰です

 

と そこまで系図的に理解しましたが まだ市原王と家持がなぜ万葉集の編纂に関係したか の深い事情が読めてません 志貴皇子は天智天皇の唯一生き残った皇子なので生涯天武系の藤原氏から命を狙われていたと 志貴皇子の歌には一族の読む人が読めばあのことだとわかる怖い意味があるそう

 

と書いて そうっか 藤原氏で考えればいいのだ と気づきました 平城天皇の周辺の藤原氏を探ります

 

4月25日

高岡市万葉歴史館図録の大伴家持の年表を基軸に藤原氏と橘諸兄の年譜を重ね 家持と諸兄の関係などを探っていました 年譜を重ねるとほんとものが見えてきます 家持は父旅人の時代にすでに藤原氏の大伴氏潰しに遭っていて それが旅人の大宰府赴任 令和の元号になった梅花の宴が持たれた太宰府です

 

家持の庇護者橘諸兄は藤原仲麻呂に権力を奪われ反藤原の人です その諸兄が栄花物語に万葉集を作った人と書かれ それを実際に行ったのが家持 その後家持は自身の私歌集を加えたりして平城天皇の時代に最終的に20巻本が勅撰集的に認められる 通底するのは反藤原の精神でした

 

今日は集中してこの辺りを把握したいからあえてTLから離れていました 一段落して時間を見たら四時をまわっていて 仏では選挙がどうなったかしらと思ってこちらに トピックで結果が見えてほっとしてざっとTLをさかのぼって拝見したところです 原稿は旅人から書こうと思っています

 

万葉集になぜ防人の歌があれほど収められているのか不思議だったし 国による歌の収集だから当然くらいに思っていたのですが 家持は難波宮に赴任していて防人の歌の収集担当でした 高岡の図録にそれを見たとき長年の不思議は氷解しましたが 難波宮赴任での仕事ということ殆ど知られていないのでは?

 

図録ではよくわからないのですが 家持の赴任は全国から集められて難波に集結する防人の検閲係だったようです そこで防人の歌 に接して万葉集に組み入れた この難波赴任が 栄花物語にある橘諸兄が万葉集を作った話の翌年です もしかして最初から防人の歌を集める目的での赴任だった?

 

華鏡 推敲三回目にしてまた構成から考え直しています 目下取りかかっている紫文幻想は【華鏡一】 後編になる鎌倉時代の仙覚さんは【華鏡二】 にしました で 華鏡一は今迄19章だったので気がついて折角なら万葉集や古今和歌集にならって20章にしようと無理矢理作ってみました 文章から大幅に書き直していきます

 

今迄小説を書くというしがらみの中で極力自分を抑えて書いていたので無理がありました 小説をやめて水底の歌や万葉幻視考のような路線にしようと昨日決めたら気持ちが楽になりました でも まだ文章に感情が入って来ない それで一.のようなはじめにあたる章を設けました 感情が戻るのを待ちます

 

仮寝して起きました 午前3時 就寝中に思念がまとまって書くことが見えてきました 「【華鏡一】は藤原氏による他氏排斥事件の歴史です」とはじめようと思います なにかひとつ古典を取り上げるたびに浮かび上がった藤原氏の他氏排斥事件 いつか総括しないといけない気持ちになっていたところに

 

万葉集まで この万葉集にかかるまでまだどこか半信半疑みたいな曖昧な気持ちがあってまとめられなかったのですが 気持ちが整うっていいですね 仮寝の前までどうとりかかろうって焦っていました

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2022.4.22 Twitterから転載…【私説華鏡】第一部「紫文幻想」の展開について

昨日から大事な展開に入ってきて、昨夜また新たに重要な展開になりましたので、記録としてTwitterへの投稿をこちらにまとめます。

 

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4月21日

万葉集がいつ誰によって編纂されたのかを知りたくていろいろ読んでいるのですが 決定的なことのわからないことはどの本にも突っ込んだ書き方がされてなくて隔靴掻痒 これが学者さんの書かれる世界なんですね 昨秋の鎌倉ペンクラブの講座のあとにある方から織田さんの書き方は梅原猛『水底の歌』を彷彿すると

 

言われて読みました あのときの爽快さを思い出してまた開きました やはり突っ込んだ書き方をされている 隔靴掻痒気分が吹き飛びました このご著書には相当な反発があったらしいけど書くってこういうことだと思う 紫文幻想が反発されるほど注目して頂けるかは別として恐れず書くだろうな私もと思う

 

梅原猛『水底の歌』第四章「古今集序文考」を拝読しています 感応という言葉 久々に接しました 以前密教を学んでいた時に接した言葉 「仏が自分に働きかけてくる。仏と自分とが深い魂の内部で感応する」と梅原氏も書かれる 感応とはそういう世界 そして以前私もそういう世界に生きていたのでした

 

心震える思いで読んだ文章を引用させて頂きます 「現代は精神の世界においては驚くべき低俗の世界である。驚くべき卑俗な精神が我が物顔にこの世界をのさばり歩いている。私は先日ある親愛なる歴史学者から「お前の異常な仕事の原動力は何か」と尋ねられた。それは、絶望だ。卑俗な世界に対する絶望が

 

私の仕事に対する原動力になっているのである。せめて精神の価値の認められる世界、そういう世界に私は生きたい」…… 感応という言葉で解釈する古今集万葉集の世界 凄く納得しました 一方で 感応という言葉を理解しないまたは拒絶する学問の世界はやはり私には無理 感応に飢えていたんですね私は

 

水底の歌は昨秋の講座の後の二次会で示唆して頂いてすぐ拝読したのですが 古今和歌集仮名序の平城天皇をよく知らなくて 今在原業平の祖父と知って読むと意味が深いです 万葉集にかかわるほど和歌に造詣深い天皇の血を業平が継いでいるわけですから 逆に平城天皇はそれほどの感性の方だったなら納得と

 

4月22日

梅原猛『水底の歌 下』第四章「古今集序文考」拝読し終わりました 未読だった後半は昨年末ではまだ無理で 古今集の紀貫之 業平祖父の平城天皇など 紫文幻想でたどって時代を熟知しての今だからすべてすうっと入ってきました 人と年代の事象で考証する梅原氏のご論は私もそうだから結論に凄く納得

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«2022.4.21 ツイッターから転載…【私説 華鏡】第一部「紫文幻想」の進行状況のご報告