« 7. 十九世紀的人間の楽しみ・・・ | Main | 9. 超音速ジェット機コンコルドの機長さんたち・・・ »

8. 角田文衛先生の『紫式部伝―その生涯と「源氏物語」』のこと

 角田文衛先生という学者さんをご存知ですか?

 ご存知の方は、先生を国文学者と思ってらっしゃいますか? それとも、考古学者・・・

 私が先生のお名前を知ったのは、紫式部の邸宅があった場所を特定した国文学の論文「紫式部の居宅」ででした。ですから、当然、私の頭のなかでは、先生は国文学者。

 よく、学会にいくと、併設して、その分野の図書販売がおこなわれています。高価な学術書や、一般ではなかなか目につきにくい専門書が、フロアいっぱいに陣どられたそれぞれの出版社のブースに所狭しと並びます。それを割引価格で購入できるのも嬉しく、学会へいくひとつの楽しみになっています。

 で、国文学の学会へいくと、そこには角田文衛先生の、『紫式部とその時代』や『王朝の映像』など高名なご著書があり、先生が国文学者でいられることに疑いをもつなど、夢にもあり得ませんでした。

 ところが・・・

 遺跡発掘調査の仕事に携わっていたある年、大崎にある立教大学でおこなわれた考古学総会のプログラムを見て驚きました。そこには、「基調講演 角田文衛。演題 ポンペイの遺跡発掘調査について」・・・

 目が点になりました。あの、角田文衛先生????

 遺跡関係の方は、ほとんど源氏物語などという優雅な領域に関心をもっていられませんから、周りのどなたに伺っても、「さあ・・・、源氏物語? 角田先生は古代学の権威だよ」と。

 でも、よくある名前の同姓同名ならわかりますが、「角田文衛」というお名前に、同姓同名がいられるとは、とうてい思えません。

 半信半疑で、立教大学へ赴きました。そして、配られたパンフレットを見て愕然。やはり、ポンペイの遺跡発掘調査について講演される「角田文衛」氏は、「紫式部研究で高名な」角田文衛氏だったのです。そして、ポンペイの遺跡で発掘所長として携わられたときの経験を、映像を交えながらとうとうと講演されたのでした。つまり、ポンペイの発掘を誰かの聞き語りとしてでなく、ご自分の体験として。

 どうしてこんなことが・・・、と今まで不思議でなりませんでした。

 それが、今年の一月に刊行された角田先生の『紫式部伝―その生涯と「源氏物語」』(法蔵館)のあとがきで明らかになったのです。謎が解けるって、こういうことですね。もう、私は、本分はさておいて、この「あとがき―紫式部と私―」を、真っ先にむさぼるようにして拝読しました。

 少し、引用させていただきます。

 「この素晴らしい紫式部の作品に感動した私は、後に与謝野晶子の現代語訳や『湖月抄』を幾度となく通読し、その舞台となった京都がむやみに恋しい土地に思えるようになった。」「高等学校を卒業し、私は考古学を専攻する目的を持って京都に移ったが、心情的には、京都ではなく平安の京(みやこ)に居を移したつもりであった。」

 角田先生の学究姿勢は、「歴史学の方法論についての体系を作るためにヨーロッパの古典考古学を究めることで」、そのために氏は、「大学卒業後の三箇年間はローマに滞在」されました・・・。しかし、「高等学校の二年頃に兆した平安文化への興味は消えることなく、ヨーロッパ留学から帰った昭和十七年頃から、片手間であったが、再びこの方面にも力を注ぐようにな」られたそうです。

 「昭和二十六年、古代学協会を創立した頃、『源氏物語』への関心は更に盛り上がった。その頃から、『源氏物語』の中の人物史や紫式部伝を実証的に研究しようという意欲が湧いたのである。」

 きりがありませんので、引用はこれくらいにしますが、そうした中で、紫式部が住んでいた場所を特定した「紫式部の居宅」を発表されました。その場所は、今の京都御苑と通りを隔てたところにある廬山寺。境内を訪れると綺麗な白砂の敷かれた「紫式部の庭」などが整備されています。受付では、ご論文「紫式部の居宅」も抜刷冊子で購入することができます。
 http://www7a.biglobe.ne.jp/~rozanji/index.htm#MAIN_TOP

 私が角田文衛先生のご論文に惹かれるのは、それが「土地」に即して肉薄して感じられるからです。居宅のご研究で先生を知ったからというのでなく、先生のご論文にはどれにも「実際の場所に即した現実感」がお有りなのです。

 それが不思議でなりませんでした。どうしてこういう文章が書けるのだろうと。どうしてこの方は、他の国文学者の方と思考回路が違うのだろうと。

 本職が考古学者でいられるからだったのですね。

 来年2008年は、『源氏物語』が完成した千年紀にあたります。『紫式部伝―その生涯と「源氏物語」』は、その記念に法蔵館から刊行されました。紫と銀を基調とした表紙カバーの雅で素敵なご本です。

 以前、法蔵館刊行の真鍋俊照先生のご還暦記念論文集『仏教美術と歴史文化』に「北条実時と『異本紫明抄』」という論文を載せていただいた関係で、法蔵館の編集者の方とお話する機会がありました。私が角田先生への驚愕をお伝えすると、「九十四歳になられる今も、凛として、精力的にお仕事されてましたよ」とのことでした。

 私は、立教大学でのご講演のときのお姿しか知りませんが、なんとなく、「ポンペイの角田先生」と、「「紫式部の角田先生」ではイメージが違って、京都の一出版社の奥に入られてご自分の本の校正をされる氏を、まったく違う人のイメージで想像してしまいました。古色蒼然とした、ドイツの古い小説のなかにでてくる人物のような・・・

追記:角田文衛先生は、藤原定家の小倉山荘の位置についてもご論文を書かれています。以前、そのコピーをもとに、特定された場所を求めて嵯峨の地を巡りました。論文というのは、学問ではなく、サスペンスだなあといつも思います。謎があるから挑戦し、解決に導く・・・、まさにサスペンスですよね。定家の小倉山荘を訪ね歩いた小さな旅も思い出深いものになりました。写真のブログに載せてあります。綺麗なカワセミの絵の門があったり・・・、よかったら訪ねられてください。文化・芸術のカテゴリーにはいっています。
http://ginrei.air-nifty.com/

織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/

|

« 7. 十九世紀的人間の楽しみ・・・ | Main | 9. 超音速ジェット機コンコルドの機長さんたち・・・ »