3. 「孔雀の庭」について
孔雀について書いてみたくなりました。
原稿の自費出版を決め、書店流通に見切りをつけたとき、自分でネット会社を立上げ、本の紹介をして、皆様に知っていただこうと考えたことを先に記しました。会社となれば、名称が必要。本を刊行するとなると、奥書ページにつけるロゴ・マークが必要。と、さまざま必要尽くしにいいアイデアはないかと考える日が続きました。
原稿が最終章に近づいた今、そろそろ本格的にロゴ・マークの準備にとりかからなければと思うものの、だからといってそう簡単に素敵なアイデアが浮かぶわけがありません。それでぱらぱらとイラスト素材集を見ていたら・・・、あったのです。孔雀の絵が。
突然、懐かしさに胸に熱いものがこみあげました。これだ!!と、即座に心が決まりました。私にとって孔雀は郷愁あふれるとっても身近な鳥だったのです。
幼いとき、東京都品川区の戸越というところに住んでいました。家から歩いて数分とかからない近さで戸越公園という公園があり、そこが毎日の遊び場でした。江戸時代に細川家の別邸だった回遊式の大名庭園が、品川区に寄贈されて公園になったところです。
こどもですから、そんな由緒ある歴史なんて関係ありません。通りをはいればそこは別天地。ごつごつした岩がころがる渓谷があり、滝があって水が激しく渓谷に流れ落ち、その脇の橋をわたって築山にはいっていくと、途中に大きな石燈籠があり、ぐるっと回って一番高いところにでると、下に広々とした回遊式の苑池が見下ろせ・・・
逆側では、池の中に人の歩幅で飛び飛びに置かれた石の橋があって、踏み外したら大変とおそるおそる渡っていく・・・。小さなこどもには、大人の歩幅の間隔は空き過ぎで、それこそえいっとジャンプしなければ、次の石に飛び移れない。怖いのに、怖ければこそ、また戻って行ったり来たり。
その橋をわたった先には、高さを違えてつくられている平場が三つあり、おそらくそこはそれぞれ江戸時代にはお屋敷が建っていたのでしょうけれど、それは残っていなくて、ただ豪華な藤棚があり・・・、その下にお砂場がつくられていました。
べつの平場には、なんと本物のD51の蒸気機関車があり、それには自由にあがったり下りたりできて・・・。危険なので上に乗らないことの貼紙があっても、こどもになんの効力があるでしょう。大人しく機関車の運転席におさまっているだけなんてことはなく、背中によじ登って、またがって、高いところで妹とじゃれ合って遊んでいました。
そして、そのD51と同じ平場の反対の端に孔雀の檻があったのです。回遊式の築山を巡るにはその檻の脇をとおらなければなりません。D51に飽きると築山を駆け回っては汗をかいていましたから、日に何度も檻の前を通りました。檻には二羽の孔雀がいて、毎日その檻を覗いては話しかけていました。一日中遊んでいますから、孔雀が羽根を広げるのは何度も目撃します。すると、あ、また開いたと目を瞠って感動し・・・。そういうこども時代でした。
不思議ですね。動物園ではないから、他になにもいず、ただ孔雀だけがいたのです。記憶がたしかなら、檻は中で二つに仕切られていて、それぞれに一羽ずつというか、あるときは一方の折に二羽いて、合計三羽だったときもあったような。今思うと、江戸時代に細川家の方々が孔雀を飼ってらして、それがずっと慣習として引き継がれていたのでしょうか。
昨年、隣接している国文学資料館を訪ねた折に戸越公園に寄ったら、あまりの変貌に驚きました。通りに面した入口には立派な大名屋敷の門が建ち、さびれてどちらかといえばそれが風流だった庭園も、ところどころ白いコンクリート舗装が目立ち、足を踏み外したら水の中に落ちそうで怖かった飛石の橋はなく、ただのコンクリートの橋になってしまっていました。きっと危険だからそうしたのでしょうけれど、もったいないなあと、つくづく思いました。そして、孔雀の檻はなく、孔雀のすがたもありませんでした。
孔雀を見なくなって、どれくらいたつでしょう。孔雀が身近な鳥だったなんて、ロゴ・マークを探して素材集を見るまで、思い出しもしませんでした。たったひとつの小さなマークに、こんなにも思い出が深く甦るなんて。なんだか「失われた時を求めて」の主人公が食べたマドレーヌみたいな話になってしまいした。
孔雀については、もう一つ忘れることのできない思い出があります。それは、国立国会図書館で行われた「明治期刊行図書マイクロ化プロジェクト」に従事していたときのこと。丸善さんと富士フイルムさんによるメセナの事業のなかでの出来事でした。
それは、仁和寺所蔵の宋画で国宝の「孔雀明王像」が明治時代に木版化され、行方不明になっていたその版木が発見されたので、光村印刷会社さんが復元を試みて完成し、展示するというもの。それをNHKがドキュメント番組につくって放映したのでした。私はそれを上司だった富士フイルムのNさんに教えていただいたのですが、いただいたDMのカラー写真の孔雀明王像をひと目見たときから、すっかり虜になってしまいました。もちろん、展示は観にいきました。
孔雀は、インドの樹林のなかで毒蛇を食べて生きている生き物だそうです。そこから仏教では悪を払いのける聖なる鳥として崇められ、その象徴が孔雀明王になっているのだそうです。ただ美しいだけでなく、孔雀にはそういう獰猛さがあるのです。
書きはじめるときりがないので、この話は次回に持ち越すことにします。仁和寺の孔雀明王像は、ご覧になっている方も多いと思いますが、とにかく繊細で綺麗。仁和寺で検索すると寺宝として紹介されていますから、まだの方は是非訪ねられてください。ここでは、木版製作した京都の竹笹堂さんのURLを載せさせていただきます。
http://www.rakuten.co.jp/takezasa/772389/
織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/