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2008.1.25 糸魚川―静岡構造線と翡翠峡

 山梨県の石和にある帝京大学山梨文化財研究所の敷地内には、「やまなし伝統工芸館」という、ちいさな博物館がひっそりと建っています。中に入って、さまざまなコーナーを突っ切った奥の一帯が、鉱物の展示コーナー。私はそこが好きで、ここのシンポジウムに参加すると必ず中に入ってめぐってきます。

 山梨は鉱物が豊富な県なんですね。特に水晶が。シンポジウムの合間に近くを散策すると、とにかく水晶関連の看板が目につきます。なにしろシンポジウムは二日間の泊まりがけですから、二日目の早朝、一人起きて、歩いてまわるんです。

 何故、一人かって。それは、同性の知り合いがいないこともありますが、みんな、前夜の懇親会で、早朝はぐっすり。というか、4時過ぎまで飲んで、ようやく散会。二日目のスケジュールは9時開始ですから、6時頃なんて、みんな夢のなか・・・というわけです。それで、一人歩いていて、水晶の看板を目にするのですが、あと、目につくのはぶどう畑。ぶどうの葉が緑に茂って、とても素敵な光景です。懇親会へは、最初の網野善彦先生とお話した年と次の年の二回参加しましたが、以降、止めました。飲めないし、4時までのおつきあいって、かなり辛いし・・・

 でも、今日ここで書こうとしているのは、同じ鉱物でも、水晶ではなく、翡翠です。帝京大文化財研究所の一画にある「やまなし伝統工芸館」前に、素晴らしく大きな翡翠の原石が、庭石として置かれているんです。それはもう、立派。巨大な石です。

 翡翠の原石をアルビタイトといいます。ずっと以前、「翡翠峡」という小説を書くための取材で、新潟県の糸魚川市を訪ねました。糸魚川の翡翠といえば、考古学の世界で有名。縄文時代にすでに糸魚川の翡翠は各地へ転出しています。青森県の三内丸山遺跡でも、出土品として、大きな翡翠の加工品が展示されていました。

 翡翠といえば勾玉。そんなふうに考古学的な色合いの濃い印象の鉱物ですが、私にとっての翡翠の感覚は、地中のロマン。フォッサマグナとか、糸魚川―静岡構造線関連での鉱物なんです。「翡翠峡」という小説では、主人公に、太平洋側の静岡から構造線をたどって日本海側の糸魚川へ抜ける旅をさせました。

 私がその地を訪れたのは、11月15日。何も考えずに、ただ都合のいい日程で行ったら、なんと、その日がその年の山へ入れる最後の日。翌日だったら、せっかく行っても無駄だったと知り、ぞっとした覚えがあります。雪に埋もれる地というのは、東京に住む人間には思いもかけないことがあります。

 糸魚川では、明星山の麓の姫川の支流に入りました。そこは、翡翠の原石がごろごろ、ほんとうにあちこちに点在しているのです。翡翠は、原石をアルビタイトといいます。真っ白な綺麗な石です。緑の翡翠は、それを割ったなかに入っています。割らないと見えないわけですが、川の中に転がっている巨岩のなかには、表面にうっすらと翡翠の緑を見せているものもあります。私は川のなかに入って、石と石を踏んで渡って、夢中になって巨石を撮ってまわりました。

 それで、翡翠の原石を知っていたので、はじめて山梨の帝京大文化財研究所を訪れて、片隅のちいさな博物館のアプローチに、その巨大な原石を見たときは、懐かしさに目が釘付けになりました。以来、毎年、シンポジウムに行く楽しみの一つとなったのでした。

 糸魚川の翡翠についてちょっと書いておきます。翡翠はもともと地中深く、マントルとかそれほど深いところで生成される鉱物です。(曖昧な書き方ですみません。いずれ、検証するとして・・・)。それが、川の浸食とか山崩れとかで、川の流れに乗り、河口へ運ばれるのです。明星山の麓の翡翠は、そうして流れてきた転石です。

 そのときは一泊してもう一つの翡翠峡を訪ねました。それが青海川でした。去年の新潟県中越沖地震のときに、山崩れで埋まった駅のあの「青海」です。車でずっと山をのぼって、そこから手書きの標識を目安に、ひたすら狭くて急な山道を下って・・・、やっとの思いでたどりついたところに開けた「翡翠峡」は、明星山の麓の明るさとうって変わって、鬱蒼と茂るまさに「秘境」。たくさんのアルビタイトの巨石が目に飛び込みました。

 糸魚川―静岡構造線は、フォッサマグナという地溝帯の縁を沿っています。静岡から、山梨・長野と地中を走って、新潟の糸魚川で抜け出ます。姫川がその境なのです。明星山の隣の山は、真下を構造線がとおっているので、常に崩れて砂山のようでした。

 私が、糸魚川―静岡構造線とか、フォッサマグナとかの言葉に惹かれて止まないのは、そこに地中の生成を見る思いがするからです。ふつうなら、絶対に見ることのできないはずの、地球の活動を。翡翠は、その象徴なのでしょうね。

追記: 三内丸山遺跡の資料館で展示されている糸魚川の翡翠を載せます。

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織田百合子Official Webcite http://www.odayuriko.com/

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