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2008.2.15 媚薬のような定家の歌

 昨日、『新古今和歌集』について書いて定家の歌に触れたら、禁断症状がでてしまったような感じです。長く禁欲生活をつづけていたような気さえしています。

 定家の歌に熱中したのはいつだったでしょう。きっかけが何だったか、その前後を思いだせないのですが、図書館にならんでいる定家関連の本を借りて読みふけった時期がありました。中に塚本邦雄氏『新古今新考―断崖の美学』がありますが、それは最後のほうです。が、『新古今和歌集』には、まさに「断崖の美学」といった極みの美学があります。そのころは、まだ、『新古今和歌集』が何か、定家がどういう歌人かも、それほど知らずに入ったので、開示された世界は強烈でした。

 塚本邦雄氏と書くと、話がそれていってしまいそうなので、かいつまんでお話しますが、氏は後京極良経の歌を非常に評価していられます。たぶん、定家よりも。たぶん、それは、作歌される方ならではのアンテナなのだろうな・・・と、私は思っていますが。ともあれ、私は、素人的には地味で堅実な良経歌の良さに、塚本邦雄氏経由で目覚めました。

 歌そのものは歴史と関係ありませんから、歴史的には、良経は九条兼実息で、後鳥羽院宮廷に仕えた摂政。『新古今和歌集』では仮名序を書いた人・・・でいいのですが、歌を知っていて、例えば光行との交流などを書いたり読んだりしていると、良経そのひとが人間として立ちあがって動いてくれます。定家も、後鳥羽院も・・・

 塚本氏が絶賛される良経の歌を一首、あげさせていただきますね。
  うちしめりあやめぞかおる時鳥(ほととぎす)鳴くや五月の雨の夕暮

 また話がそれていってしまいますが、私は国文学者岩佐美代子先生の大ファンで、先生の出されるご著書はほぼ網羅して拝読させていただいています。中でどれが好きかといわれても、どれもどれもなのですが、中に読売文学賞を受賞された『光厳院御集全釈』があります。これも、夢中になって読ませていただきました。

 ちょうどそれを読んでいたころ、歴史学者の佐藤和彦先生とお話する機会があり、先生は『太平記』時代のご専門で、光厳院にはご造詣深くいられますから、ふと、バッグに入っていた岩佐先生の『光厳院御集全釈』をとりだして、「こういうご本があるんですけど・・・」と、恐る恐るお見せしました。

 佐藤先生は驚かれて、「知らなかったなあ。これは、凄い。僕も買いましょう」といわれて、食い入るようにページをめくりつつ、目を通されていました。光厳院の歴史を知りたいと思われる方は、どんな歴史書よりも、岩佐先生のこのご本に目を通されたほうがいいですよ。それはもう、緻密に、歴史と、院ご自身の心の襞の奥にまで入って理解させていただけます。

 で、話を戻すと、光厳院も、岩佐先生経由で歌を知っているから、『太平記』など歴史で光厳院の情勢を読むことになっても、ただ歴史として「名前」だけが動くのでなく、「ああ、あの燈(ともしび)の歌を作られた人・・・」というふうに、情緒をもって読むことができます。

 定家の歌の妖艶さを書こうとしてはじめたのですが、思いがけず話が膨らんでそれていってしまいました。

 図書館で網羅して読ませていただいた定家関連の歌の本は、それは私を魅了してやまず、読みふけっているうちに、いつかしら、作歌そのものの秘密というか、読者としては歌の読み方というか、そういう客観的な力も身についた気がします。特にそれは、塚本邦雄氏のご著書が効果大ですね。氏には、『夕暮の諧調』というご著書があります。これも媚薬のようなご著書で、こういう本を読ませていただくなかで、私は『新古今和歌集』世界の理解に深まりました。

 それについてまとめようとしたタイトルの「媚薬のような定家の歌」ですが、書いているうちに拡散してしまいました。代わりに、『新古今和歌集』全般、『新古今和歌集』そのものが媚薬的世界なのだということで、今日は閉めさせていただきます。

 いつまた光厳院の話にいけるか覚束ないので、タイトルを裏切りますが、光厳院の燈の歌の連作をご紹介させていただきます。

  さ夜ふくる窓の燈つくづくと影も静けし我も静けし
  ふくる夜の燈の影をおのずから物のあわれに向かいなしぬる
  過ぎにし世いまゆくさきと思い移る心よいずらともし火のもと
  ともし火に我も向かわず燈もわれに向かわずおのがまにまに

織田百合子Official Webcitehttp://www.odayuriko.com/

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