2008.2.22 長尾雅人氏『中観と唯識』から興福寺の無着・世親像へ・・・
昨年暮れに、「織田百合子」の公式サイトを立ち上げるために、ドリームウィバーの対応書や何か参考になるものをと、書店をうろうろ回っていたら、仏教書の棚の前にさしかかり、ふと目を止めたのが、長尾雅人氏『中観と唯識』でした。岩波書店刊行で、「待望の復刊」ということを記す目立つ帯がついていたのでした。
なんとなく気になっていた本ですので、手にとって中を繰らせていただきました。そうしたら、すうっと、身体の中心に気がとおって、心がとても穏やかになりました。
そういえば、唯識なんて、夢中になって読んでいたのはいつだったかしら・・・と懐かしくなり、購入しようと価格を見たら、七千円を出ています。字は細かいし、今は読んでいる余裕がないからと、一度はあきらめました。が、その後もぐるぐると書店をまわっていても、心の中ではこの本のことばかり考えています。それで、再び仏教書のコーナーに行ってこの書をとると、やはりすうっと心が澄んでいきます。
そうか、ここのところずっと歴史ばかり追っていて、こういう心の書から離れていたからなあと、自分の今の心境が、如何に殺伐としているか気づかされて、愕然としました。読書って、そのときどきの読みふける傾向で、そのときの自分のありようを知らされますね。結局、こんなに心が透き通るならと、『中観と唯識』を買って帰りました。清涼剤としてはちょっと高価でしたが・・・
その後、ずっと、本は本棚に置かれたままでした。サイトを立ち上げたり何やかやと、『紫文幻想―源氏物語写本に生きた人々―』のために、心を尽くしていたからです。でも、PCを打っていて、ふと目をあげるとこの本がある・・・。すると、ふっと、心が落ち着く・・・、みたいなことを繰り返していて、清涼剤としてはとても効果大でした。
先日、三島由紀夫の「中世」を読んでいたら、まさに「これぞ、文学!」の思いが湧いて、いつからこういう薫り高い文学から離れていたのだろうと、感慨に浸ってしまいました。『紫文幻想』を書いていても、源光行の人生を追って書いているので、どちらかといえば伝記、歴史の範疇・・・。文学とはほんとうに久しく遠ざかっているのです。
「中世」は足利義政を主人公とする中世が舞台の小説です。読み始めてすぐ、そこに底流する仏教観に、心が浸透されました。そして、そうか、三島は『豊饒の海』で唯識を書いていたのだった・・・と思念が行き、そうしたら、なんだかとてもその世界が懐かしくなって、ふと目を向けたその先に、長尾雅人氏『中観と唯識』がありました。
そうか、やはり、読みたいなあ・・・という気になって、目次を繰り、「転換の論理」という項目を選んで読み始めています。わからないながらも、心の澄んでいく世界です。
そうして、無着・世親という名の頻出するこの本の世界から、興福寺の無着・世親像を思い出しました。このお像に拝したのは、たしか東京国立博物館だったと思うのですが、展覧会会場ででした。奥まった部屋の一室に、特別な扱われ方でお二人は立っていられました。
http://www.kohfukuji.com/kohfukuji/01_index/f_main_d.html
凄い、と思いました。
たぶん、この二体の仏像は、彫刻のなかでも他を圧する最高峰・・・という気がしました。
いったいに、仏師といわれる方々は、どれくらいに仏教を修めて仏像をつくられるのでしょう。運慶・快慶といった方々の仏教理解は、高位の僧侶といった方々に匹敵するレベルかもしれません。無着・世親二体にあらわれている静謐・・・。唯識の祖のこのご兄弟を、これだけの風格で彫り上げるには、並大抵の仏教理解ではできない気がします。おそらく、難しい教義はともかく、全身全霊で彫る彫刻作業は、仏教の修行と悟りの行為そのものになのでしょうね。
『中観と唯識』に無着の文字が目にはいったことから、こんなふうな思考の流れになっています。私はご兄弟のうち、無着になんとなく惹かれ、この文字を目にするだけで、すうっと心が澄んでいき、まさにわたしにとっての清涼剤なんです。仏教の専門の方には怒られてしまいそうな不埒な話ですが、これも一種の救いと思って許されて欲しいですね。
ちなみに、世親には『唯識二十論』があり、真鍋先生には読むよう勧められています。で、一応、「読んで」はみましたが・・・。こういう著は、読んで、活字に目をとおして、理解して、わかる・・・というものではありませんから、大変。なんだか、いろいろ書いていたら、これらの世界が懐かしく甦ってきました。
織田百合子Official Webcitehttp://www.odayuriko.com/