2008.2.6 みんな源氏物語を生きて・・・、後白河法皇までも
昨日、『とはずがたり』二条が女楽で出奔したと書きましたが、それは、ご兄弟の後深草院と亀山院がいろいろ勝負事をして、負けたほうが罰ゲームの催し事をしたときのこと。再度の復讐戦で後深草院が負け、伏見殿で音楽会をすることになったのでした。その趣向が、『源氏物語』の「若菜」巻にある六条院での女楽だったのです。
「若菜」巻は、臣下としては最高位について幸福絶頂の光源氏が、さらに地盤固めのようにして迎えた女三宮降嫁事件のために、それまで平和だった六条院の調和が乱れ、「光る君」の話が一挙に暗転していく最初の巻です。その典型的なエピソードが、六条院の女楽でした。
長年連れ添った糟糠の妻、何ひとつ足りないところのない紫の上に対して、まだそれほど際立った取り柄もない幼い女三宮。紫の上に対して何の不満ももっていなかったにもかかわらず、ただ自身の妻としてふさわしい地位の女性がいないとの理由で、内親王の女三宮を正妻に迎え入れた光源氏です。けれど、迎え入れたものの、女三宮のあどけなさ、物足りなさはどうしようもなく、何とかして紫の上たち先輩方に侮られないよう苦心惨憺するのです。そうして教えこんだのが琴でした。
『源氏物語』での女楽は、女三宮が琴、明石の君は琵琶、紫の上は和琴、という取り合わせです。その合奏は素晴らしく成功し、中でも紫の上の和琴は、楽器のなかでも難しいのによくできたのですが、何といっても女楽の企画自体が女三宮をひきたてるためのもの。並みいる立派な女性陣のなかで、なんとか引けをとらずによくできた女三宮に対し、光源氏はほっと胸をなでおろし、その晩は女三宮のもとで休みます。
結局それが女三宮の降嫁以来、耐えに耐えていた紫の上の我慢に限界をきたし、その夜から発病。以降、「御法」巻の臨終へと悲劇は雪崩のように加速するのです。
が、『とはずがたり』の女楽は、紫の上の不幸など無関係に、ただ華やかな余興としてはじまります。が、そこでも、二条にとっては紫の上と同じような屈辱の場が待ち受けていました。
二条はその美貌と才気とで後深草院をはじめ、男性陣の心を捉えてきましたが、父大納言が早逝しているので、紫の上と同じく地位が不安定です。そこに、二条の後見人である祖父(善勝寺大納言隆顕の父)が、自分の娘を引き立てようと、当日になって、その娘を二条より上席に移してしまうのです。しかも、祖父は新参のその娘を女三宮に見立てて琴を弾かせ、二条には身分の低い明石の君の琵琶。
衆目のもとでいきなり下の席に移動させられ、抵抗する二条。善勝寺大納言も、恋人の西園寺実兼もとりなしてくれるのですが、隆親は譲らず、あまりのことに二条は出奔してしまったのでした。結局、『源氏物語』と同じ経緯の踏襲となってしまいました。
どうにも、女性陣の命ををかけた必死の訴えに対し、男性陣の浮薄さは救いようがありません。(隆顕と実兼は別として・・・)『源氏物語』自体、紫式部が身を削る思いで執筆したというのに、それを扱う権力者道長も浮薄でした。現代でも、女性の読者は、並びいる女性主人公の人生のなかに自分の人生を見出そうと真面目に接しているのに対し、どうも『源氏物語』の華やかな面ばかりが強調されて流れています。
その一つの理由としてあげられるのが、主人公光源氏が男だからではないでしょうか。読者としての男性陣は、みんな光源氏になってしまうようです。内心、みんな、そこのところで陶酔しきっているのですね。如何に自身が魅力ある男性で、苦難に対してもめげずに頑張っているか・・・。光源氏がそうあったように、と。だから、自分がしかけた恋で女性が傷つくことに対して、完全に不感症なのです。そんなのは付随してくる問題でしかなく、そういうのはあって当たり前、数あるほど勲章・・・、の世界。
先日、高橋昌明氏『平清盛 福原の夢』で、清盛が光源氏を意識していた一方で、後白河法皇も、ご自身を光源氏とて、清盛は明石入道、徳子は明石の君とみなしていたと書かれているのを拝読したときには驚きました。平和で、余興に打ち興じていられるよき時代の後深草院がご自身を光源氏と思いなして生き、二条を幼時から引き取って育んだのも、光源氏と紫の上の関係を踏襲してのことというのは理解できなくありませんが・・・。頼朝に「天下の天狗」とまでいわしめた後白河法皇と光源氏では、ちょっとイメージが違いすぎます。清盛は・・・、清冽さにおいて似合うかも・・・(エコヒイキ!)
『芸術新潮』源氏物語特集号で、三田村雅子氏が、鎌倉に下向された後嵯峨天皇の皇子、第六代将軍の宗尊親王を、「鎌倉のプリンス」と見出しをつけていられました。そう、宗尊親王も、たしか『増鏡』だったと思いますが、「この皇子こそ光源氏のよう・・・」と周囲に愛でられて育っています。幼少時からそうだったなら、成長してもその自覚があって当然。おそらく、宗尊親王の御所における源氏物語熱の根底には、二条と後深草院に負けない「源氏物語を我が身に生きる」風潮があったことでしょう。
なんだか書ききれませんが、というより、昨日書こうと思っていた「源氏物語を生きる」内容とちょっと気分が違っているのを感じているのですが、それは、今日、出光美術館に行って「王朝の恋」と題する『伊勢物語絵巻』の展示を見てきたことが大きいと思います。
「王朝の恋」というからには、絵巻や色紙にはさぞかし華やかな十二単の女性が多く描かれていることと思っていました。それが意外にも、描かれているのは主人公の「業平」のような男性ばかり。女性は必要に応じての脇役。添え物としての登場でしかありませんでした。単なる「目的格」存在なのです。
ふーん、王朝の恋の主役は「男」だったのだ・・・と思ったとき、『源氏物語』の主役が男であることから、軒並みの権力者が、自身を「光源氏」化して生きたことが、理解できた気がしました。『源氏物語』は女性にとっては「恋」の物語ですが、男性には「権力」の物語なんですね。
それにしても、紫式部は女性なのに、男性に対してここまで「勘違い」させてしまう文学を作り出したなんて・・・。でも、もしかしたら、これが一番の紫式部の男性に対しての「一矢を報いた」結果になったのかもしれないですね。皮肉にも。
そして、国宝『源氏物語絵巻』の凄さ。こうして見て、改めて思うのは、この絵巻は決して表面的な事象を捉えて描いていない。それどころか、本文にはない意図をすら加えて、深い深いところの物語を適切に絵画化している。この絵巻では、決して女主人公は添え物ではありません。見事に「中心」です。表面的に中心なだけでなく、心も、中心に描かれています。
三田村雅子氏の『芸術新潮』の解説で一例をあげれば、例えば「御法」巻。ここは病み果てた紫の上のもとに、光源氏と育ての子の明石中宮が訪れ、最後の別れとなる場面ですが、こちらを向く紫の上の顔をしっかりと描き、まず読者の胸に苦悩を突き刺す。向き合う訪問者の二人のうち、明石中宮が紫の上に近く、光源氏は画面左下へ遠心力で撥ね退けられるようにして遠くいる。三田村氏は「この距離が最後に心を許したのは明石中宮であって、女三宮降嫁という裏切りをした夫を許していないことを表現している」というようなことを書かれています。
この深さ・・・、昨日見た『伊勢物語絵巻』や色紙、それから江戸期に流行した数々の源氏絵、それらにはまったく見受けられません。それは、男性陣がみずからを光源氏化して余興に打ち興じる浮薄さと共通すると思うのは私だけでしょうか。
付記: 浄土式庭園」に白水阿弥陀堂の苑池の写真を追加しました。
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