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2008.2.4 瀬戸内海の光の波頭と井伏鱒二さんの『さざなみ軍記』

 井伏鱒二さんの『さざなみ軍記』は大好きな小説のひとつです。

 私は小説を読んでも印象だけが残って、ほとんど細部を覚えていないのですが、強烈に残る印象というものがあって、それが強烈なほど、好きな小説になります。

 『さざなみ軍記』から受けたその強烈な印象は、「きらきらした眩いばかりの光の波頭」。どうしたらこんなに見事な描写ができるのかしらと、私が小説家になってもこれはできない・・・と、ただただ感嘆したものでした。

 それが、偶然にも井伏さんの故郷、広島県福山市を訪れたことで、「どうしたら」の謎が氷解しました。井伏さんは、その光の波頭を全身に浴びて見て育ったのです。

 それは、阪神大震災の起きる前年秋のことでした。何故、これを書くかというと、福山へ行くには新幹線で神戸を通過します。それが、あの震災で新幹線が不通になり、「あのとき通過した地を、今だったらできないんだ・・・」と、二重の意味で震災が実感されたのでした。

 そのころ、遺跡発掘調査の仕事についていて、プレハブの調査事務所での会話。前夜の「中世の遺跡を勉強する会」で知ったばかりの「草戸千軒町遺跡」に行きくなった私は、「日帰りは無理ですよね」と、教えてくださった調査員の方に訊ねたのです。最初、「そりゃあ、無理だよ」と笑っていたその方が、しばらくして時刻表をもってきて、「ひょっとして、無理じゃないかもだよ。ほら、新幹線のぞみの始発で発てば、10時には福山に着くから・・・」と。

 そんな訳で、10月の下旬、休暇をいただいて、一人、東京駅6時発の新幹線のぞみ1号に乗り込みました。たしか、明石あたりを通過したときが9時でした。

 「草戸千軒町遺跡」というのは、福山市の芦田川の中州で発掘された中世の遺跡で、当時「日本のポンペイ」といわれていました。発掘によって、忽然と中世の都市があらわれたからです。地元の人は、それ以前から陶磁器や墓石、古銭など、生活用品が折々に掘られてでてくるので、不思議に思っていたそうです。

 今はもう、発掘も終わり、遺跡は埋め戻されています。私が早急に訪ねなくてはと思ったのは、その埋め戻し作業が完了するかも・・・というお話を聞いたからでした。

 行くからには、福山について、ガイドブックを買って調べます。そうしたら、なんと、福山市は井伏鱒二さんの故郷だったのです。俄然、私は色めきだって、それから、「草戸千軒町遺跡」がメインなのか、井伏さんの文学散歩がメインなのか、どっちかわからない興奮に駆られてしまいました。そのとき、新幹線の車中で読みふけったのが、携帯用に買ってもっていった文庫本の『さざなみ軍記』でした。学生時代に一度読んだだけの小説を、旅行が決まったとき、即座にあれを持っていこう!と思ったのです。

 「草戸千軒町遺跡」については、ホームページの【中世の遺跡と史跡】でご紹介していますので(http://www.odayuriko.com/)、それをご覧になっていただくとして、今は、井伏さんの文学に絞って書かせていただきます。

 鞆は、芦田川の河口にある中世の湊町です。ここが、『さざなみ軍記』では、「室の津」として描かれているというので、昼までに芦田川中流の中州を見たあとは、鞆に出て、井伏さんの文学空間を満喫してきました。

 このことを知って、改めて井伏さんの作品を見直すと、「草戸千軒町遺跡」について書かれた文章もありますし、『鞆ノ津茶会記』があります。何も知らずに読んでいて、それでも面白かったのが、このときの旅行を機に改めて読んで、もう堪能しました。安国寺という寺院も訪ねましたが、こここそ『鞆ノ津茶会記』の舞台なのです。

 仙酔島のことなど、そのときのことを書けばきりがなくなるので止めますが、この旅行で、『さざなみ軍記』の「光の波頭」が、たんなる描写ではなく、井伏さんの身体に浸み込んでいる記憶、肉体となった記憶なのだ、だからこそ、ああいう描写になったのだ、ということを痛切に、身に染みてわかりました。瀬戸内海は、「光の波頭の海」、「光るさざなみの海」で、今でも思い出すと光に包まれるような気持ちになります。

 文学は、理で書いても、ああいうふうにはなりません。肉体に同化して朦朧となった記憶が文字に滲みでるのでなければ・・・

 『さざなみ軍記』は、都落ちしていく平家の若い公達が主人公です。たしか、「室ノ津」だったと思いますが、土地の娘との淡い恋も描かれていて、軍記というのにとても優雅です。それが、『平家物語』の経正の優雅と結びついて、私のなかにはあります。先ほど、ホームページに経正ゆかりの「竹生島」の写真をアップしたら、琵琶湖の湖面のきらきらした光の波頭に、突然この物語が甦りました。瀬戸内海と琵琶湖では違うのに、経正を介して共通するものがあるのを、不思議に思います。

 竹生島に上陸して振り返って見たときの琵琶湖です。
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織田百合子Official Webcitehttp://www.odayuriko.com/

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