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2008.2.2 『芸術新潮』源氏物語特集号とターナーの夕焼け

 『芸術新潮』で源氏物語千年紀記念の特集が組まれていて、「国宝≪源氏物語絵巻≫全56面一挙掲載!」とあるので買いました。絵巻の図版は、五島美術館とかいろいろな展覧会に絵巻が出展されるたびに図録を買ってもっているので、もういいだろうと思いながら、やはりついつい買ってしまいます。

 中の特集記事の解説は三田村雅子氏。『新潮』に「記憶のなかの源氏物語」という連載を長いあいだ続けて来られて、終えられたばかりです。(たぶん、数年に渡って。たぶん、完了しています。)

 これは、源氏物語の享受史や研究史を、もの凄く精密に調べて書かれた、もの凄く膨大なもの。もうずっと文学系の雑誌を見ることから離れていたので、私はこの連載を知りませんでした。去年、駒澤大学の聴講ゼミで高橋文二先生が院生さんに、「あの連載、どこまで進んだ?」と問われたことではじめて知り、広尾の都立中央図書館へ行って、初回から最新回までのコピーをとってきました。室町時代までの内容でした。

 興味深く拝読させていただきました。私としては、今書いている『紫文幻想―源氏物語写本に生きた人々―』と重なる内容ですので、鎌倉時代をどのように捉えて書いていらっしゃるのか、確かめておく意味もありました。それについての結果は、上梓した『紫文幻想』で見ていただくこととして、現在、国文学界で鎌倉時代の源氏物語について、「源光行」の名をだして書かれているのは三田村氏だけといっていい気がします。少し前は研究史として、そうそうたる学者の方々が書いていられましたが。

 この『芸術新潮』でも、「鎌倉に花ひらくプリンス宗尊親王(むねたかしんのう)の夢の本」の項が、しっかりと見開き二ページで紹介されていました。右のページに私がテーマとしている北条実時書写の『尾州家河内本源氏物語』が、左のページに藤原定家の『青表紙本源氏物語』が、綺麗なカラー写真で載せられています。

 源氏物語の話はこれだけにして、今日ここで書きたかったのは、同じ雑誌のうしろの方に、興味ある記事をみつけたのです。「天文学者が実証した画家たちの夕焼け色観察力」と題するものです。

 なんでも、「アテネの自然科学者たちが、地球温暖化の歴史を科学的にあとづけるため、ルネサンス以降の絵画を分析している」のだそうです。

 「夕焼けを描いた作品の色調を測定することで、制作当時の地球成層圏に浮遊していた火山性ダストの量が推算できるという」ことなのだそうです。

 「研究者たちは、1500年から1900年のあいだに制作された『夕焼け画』554点の画像を集め、作品ごとに『赤と緑の色彩比』を測定し、たとえばターナーの作品が、火山噴火の直後とそれ以外の時期でどう変化するか調べた。」

 この年代のあいだの1883年にインドネシアのクラカタウ火山の大噴火があります。

 結果は、「噴火後3年以内に制作された『火山性の夕焼け画』は、他にくらべてきわだって赤っぽく描かれていたことが判明した」そうです。それは、掲載されている、噴火前の絵と、噴火後の絵とでは、明らかに赤みが違うことで一目瞭然でした。

 私はターナーの絵が大好きです。好きな画家を一人挙げよといわれたら、たぶん、ターナーと答えるかも。(日によって違うから、ダ・ヴィンチとかモローとかいうときもあるでしょうし、いい加減ですが。)ターナーの絵が印象派に影響を及ぼしたといいますが、あの空気感がたまらないですね。なので、代表例にターナーが挙げられているのも必然と思います。

 記事では、「歴代の画家たちがきわめて忠実に夕焼けの色を表現してきた」とありますが、だからこそ、それでこそ、ターナーの絵であり、印象派なのに・・・と、私は思ってしまいました。

 私は夕焼けの時間帯の空の色が大好きです。雲を撮っていて続いているのは、あの色があるからとさえ思います。限りなく澄んだ青い色に、オレンジの色が入って、そこに白とグレーの微妙なトーンが複雑に絡み合って、もうなんとも表現できない見事さです。

 所属している月光の会に、有賀真澄さんとう画家さんがいられて、よく上野の東京都美術館に招待していただくのですが、彼の絵の色の繊細さ、微妙さ、複雑さ、美しさ、その絶妙さにいつも感嘆して帰ります。文章では絶対にあれは「書けない」。いくら言葉でそれを表現しようとしても、「できない」。無力さに打ちひしがれる思いで、いつも帰途につきます。

 それが、空を撮るようになったら、それに近いものを「自分のもの」とすることができるようになった・・・。これは、驚きでした。とくに、夕焼け時の空の色の、一刻一刻変化する微妙さ。もう、夢中でシャッターを切ります。そして、そんなとき、いつも、有賀さんを思い浮かべているのが不思議ですね。

 地震雲というと不気味ですが、撮っているのは「空」。そして、「雲」。まさに、光と影の、色の世界。印象派であり、「ターナー」です。私自身はたいしたことのない一人の人間に過ぎなくても、空は雄大であり、宇宙です。それを、自分の手で「ものにすることができる」なんて・・・。その醍醐味がなければ、いくら「予知」という大義名分があっても、雲の撮影は続きません。

 地震雲といえば、古来、偉大な文学者も着目されています。古くはゲーテ。そして、近代では島崎藤村。地震雲の研究史のなかでそれを知ったとき、なんだか「間違ったことではない」保証をされたような、非常に力強い味方をみつけたような気持ちになりました。私はまだ読んでいませんが、ゲーテの色彩に関する文章は、それは見事とか。きっと、空の、夕焼け時の微妙な色を観察しあげた結果でしょう。

追記: 昨年撮った夕焼け画像を添付します。火山の噴火だけでなく、大きな地震があるときも、空に影響します。スマトラ地震の年の夕焼け観測の回数は異常でした。

161 077 007 146

追記2: 2月3日、鹿児島の桜島が噴火しました。1月30日の珍しい彩雲はこの前兆だったのでしょう。

織田百合子Official Webcite http://www.odayuriko.com/

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