2008.2.18 「宮廷のみやび」展の「御堂関白記」と道長の経筒
最終週の今頃になってお勧めするのもどうかと思いますが、まだ一週間ありますので、展示で印象深かったことを記しておきます。
まず、最初の展示室に入って驚いたのは、いきなりそこに「御堂関白記」があって、それが寛弘四年(1007)八月の金峯山詣でのところで、しかも、そのときに埋められて、江戸時代に発掘された道長の経筒があること。
今まで、何度か「御堂関白記」は観ましたが、寛弘四年の箇所ははじめて。経筒も何回も観ていますが、その埋納を記した部分の「御堂関白記」と同じ空間で観るのははじめて。さらに経筒といっしょに発見された、道長書写の「法華経」まであり、これは観るのもはじめて・・・と、私にははじめて尽くしの驚くべき空間が演出されていました。
書は人を表わすといいますが、図録から、道長の人となりをほうふつとする解説を引用させていただきます。それは、自筆「法華経」についての部分です。
公家によるこうした写経行為が通常、功徳を積み、後世の保障を目的としており、その信仰を示すものとされているだけに、ともすれば謹厳な面持ちを持つ、言い換えれば緊張感が漂うような印象を見るものに与えるのに対して、道長は実にゆったりとした雰囲気の中でこの経巻を書写していたように感ぜられる。位人臣を極めた人間のゆとりを感じさせる文字といえよう。
以前、平家納経について書いたときに、清盛の筆跡について触れましたが、清盛の字は、一瞬見ただけで目が釘付けになったほど清冽。シャープな筆致で、ほれぼれするほど綺麗でした。道長の字は、あれほど長く太平の世に君臨しつづけた人物のものとは思えない、とても穏やかな、ゆるやかな感じです。これが両者のそれぞれの人生を象徴しているとしたら、ほんとうにそうだと思ってしまいました。
『源氏物語』という偉大な業績を成し遂げるのに必要不可欠だった道長と紫式部の関係に水をさしたくないので言い控えてしまいますが、後年両者が決裂したという事実。それが、こういう筆跡の道長に対する紫式部の暗黙の判断で、清盛にだったら、あるいは式部は最後まで従ったのでは・・・、などという気がしないでもありません。道長を私は嫌いではなく、それどころか憧れの人でもあるのですが・・・
同じ第一室に、『源氏物語』五十四帖のうちの二十帖が展示されています。おかしいのですが、これはいわゆる定家書写とかの特別なものではないし、「御堂関白記」や経筒が国宝なのに対して、重要文化財です。名宝に優劣つけるわけではありませんが、ずっと淡々と「御堂関白記」を観てきた人たちが、このコーナーに来たとたん、「あ、源氏物語!」と、口に出して感嘆し、先に見入っている人が振り返って、「そうなんですよ・・・」みたいに、知り合いでもないのに、突然知り合いのように肩を並べていっしょに見始めるような光景が繰り広げられたこと。多くの名品に圧倒されたとばかりに黙々と見て回る人の会場で、その一画だけがなんだか華やいでいました。『源氏物語』の力って凄いですね。
この五十四帖は、解説によると、「この『源氏物語』は、藤原定家の手による『青表紙本』、源光行・親行親子の校訂した『河内本』といった著名な二系統の写本とは別本系統の古本三十九巻に、『青表紙本』十五巻を加えた五十四巻からなる」そうです。鎌倉時代に書写されたもので、別本系統では最も古く、「平安時代における『源氏物語』の姿を知ることのできる重要な伝本」だそうです。
この「『源氏物語』の姿」についてですが、展示されていた五十四帖は、サイズ・形ともに折り紙のような大きさの、ほぼ正方形のものでした。私は思わず心のなかで、「小さい・・・」と呟いてしまいました。なぜなら、見慣れている『尾州家河内本源氏物語』がその二倍以上はあるだろう大きさの長方形なのです。
これについては、逆の話を読んだことがあり、おかしいのですが、以前、写本を研究されている方の本を読んだときのこと。この方は、京都における写本である『青表紙本源氏物語』を見慣れてらしたので、はじめて『尾州家河内本源氏物語』を目にしたとき、「大きい!」と、大変驚かれたとのことでした。
それくらい、京都の『源氏物語』と、鎌倉の『源氏物語』は違うのです。受容の形態が違うのでしょうか。その研究者の方は、「さすが威厳を保とうとする鎌倉武士の作ったもの・・・」というような理解を書かれていました。
第一室の「御堂関白記」と『源氏物語』で話が終始してしまいましたが、ほかにも回るほどに一々「目を点、口からため息」にするしかない「凄い」方々の書ばかり。このブログで書かせていただいてきたお名前だけを列挙させていただいても、後鳥羽院、後深草天皇、花園天皇、重盛、飛鳥井雅経、俊成、定家、為相。圧巻は、最後の部屋の一番最後の展示で、明恵上人の「夢記」。絶句して、思わず立ちすくんでしまいました。
あと、これは書いておかなければといのが、「粘葉(でっちょう)本和漢朗詠集。昨年夏に近藤陽子先生の王朝継ぎ紙教室に三回だけでしかありませんが、参加させていただいて以来、魅了されてやまない「料紙」の世界です。これも、図録から解説を引用させていただきます。
「薄茶・白・黄・赤・藍などの具引きを施した上に、亀甲・牡丹・雲鶴・唐草などの文様を雲母(きら)で摺りだした舶載の美しい唐紙(からかみ)」は、料紙の説明。唐紙に舶載のものがあったんですね・・・。見慣れた唐紙とはやはり少し違いました。
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