2008.2.19 三島由紀夫「中世」から日野の法界寺へ・・・
文庫本『ちくま日本文学 三島由紀夫』で「中世」を読んでいたら、ふと、日野の法界寺を思い出して、HP【古典と風景】http://www.odayuriko.com/に画像をアップしました。登場人物が足利義政で、応仁の乱という言葉に触発されてのことです。堂内は撮影禁止で、外観だけの写真ですが・・・。境内は、当時はもっとずっと広かったそうです。
「中世」は、一月の源氏物語の会で、高橋文二先生から読むよう勧められた小説です。源氏物語のお話のなかでのことでしたが、どういう脈絡だったか忘れました。が、読まなくてはという気持ちだけは残っていて、図書館の全集で探そうと思っていたところ、通りがかった書店の店頭に積み上げられていたこの文庫本をみつけたのでした。「中世」が入っているかしらと、まさかそんな都合のいいことが・・・と思いながら手にとると、入ってました! それで購入して帰って、早速読んでいるというわけです。
高橋先生は源氏物語がご専門ですが、三島由紀夫にも造詣が深くいらして、『三島由紀夫の世界―夭逝の夢と不在の美学』という本も出されています。私は長年のカルチャーのお講義のなかで、三島由紀夫の古典への造詣の深さに触れたお話に、とても養っていただきました。戦争中、燈火管制のもとで、三島由紀夫は世情への暗澹たる思いを抱きながら、一人『新古今和歌集』に浸り、そうすることで自分のなかに美学を鍛え上げていった・・・とか。
谷崎潤一郎も、戦争中、『源氏物語』の現代語訳に没頭しつつ、殺伐とした世の中にあっても、みずからの精神の孤高性を保っていたといいます。
古典にはそれだけの力があります。というか、長い歴史を生き抜いた古典には、それだけの命の輝きがあるのでしょう。暗い戦時下で、どれだけの文学者が古典の輝きに照らされて生きる思いを研ぎ澄まされてしのいだか・・・
「中世」も、そうした三島由紀夫の古典への造詣を語る作品のひとつと思っていました。そうしたら、意に反して、れっきとした小説・・・。困ったなと、一瞬ひるんだのですが、読みに入ったら・・・
ひるんだというのは、目下のところ執筆中ですから、感情に入り込まれるような他の作品は読まないことにしているからです。なので小説はもうほんとうに、随分久しく読んでいません。
が、「中世」は・・・、一瞬でも目を通したら、そのままぐぐっと読み進まざるを得ない。そういう小説でした! もう内心あきらめて、「これは、読むしかない」と・・・
「中世」については、とうてい書き流せませんので止めますが、その代わりに、「応仁の乱」で触発された日野の「法界寺」について少し書きます。京都府伏見区の日野にある寺院で、日野富子をだした日野氏の菩提寺です。
日野は、古典を読んでいるかぎりでは馴染みの土地ですが、観光地としてはほとんど人の訪れることのない一帯です。でも、近くには醍醐寺があり、勘修寺(かじゅうじ)があり、小野小町ゆかりの随心院があり、といったふうに、とても由緒ある地域なのです。勘仲記を読む会に参加して、中世のこの時期のことを何も知らなかったので、京都に行く機会があったとき、一念発起して訪ねました。
出発前に、仏教美術史家の真鍋俊照先生にお会いすることがあり、その話をしたら、「是非、法界寺の小壁を見てきなさい」と言われました。「飛天の壁画があって、仏教美術史上とても貴重なものなのです」とのことでした。法隆寺の金堂壁画は焼失してしまいましたが、それに匹敵するほどの価値だそうです。鎌倉時代の作です。真鍋先生のお話で、それまで漠然とだった日野の旅行の目的が、明確に「法界寺」の壁画に定まったのでした。
その壁画は、国宝の阿弥陀堂のなかにあります。真鍋先生のいわれた「飛天像」は、お話をうかがっているうちに、「ああ、あれが・・・」と、飛天像では美術書を繰ればかならず目にする有名なものです。ですから、そういう貴重な物件なら、さぞ厳重に保存されていることでしょうからと、ほんとうに拝観させていただけるのか、心配でした。
が、お寺の方に申し出て、幾ばくかの拝観料を払うと、そのお寺の方が「どうぞ、ついて来てください」と、いとも簡単にその国宝建築のなかへ招じ入れてくださったのには驚きました。壁画はその内陣にあり、お寺の方の懐中電灯に照らされて浮かびあがる飛天は、まさに美術書で目にしたことのある飛天で、嘘のような驚きにつつまれながら、一生懸命目に焼きつけながら拝観させていただきました。
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/hitenzou.htm(下のほうに飛天の画像があります)
この阿弥陀堂ですが、形式が常行堂といって、私が惹かれてやまない様式の寺院建築です。それは、宇治平等院の鳳凰堂を思い浮かべていただければわかりやすいと思いますが、正方形の空間の中央に阿弥陀さまを配し、周囲が巡れるようになっています。たいていその四面の壁に目もあでやかな彩色壁画がほどこされています。
門外漢の私などは、美術史的にそんな呑気な綺麗事の言い方をしてしまいますが、ほんとうは、常行堂は、九十日間、不眠不休で念仏を唱えながらぐるぐると阿弥陀さまの周りを周りつづける「常行三昧」という行をするお堂です。比叡山横川で円仁によってはじめられました。なぜか、私はこの行に心惹かれているのです。大原三千院の往生極楽院、中尊寺金色堂、白水阿弥陀堂、大分の富貴寺など、みんなこの形式です。訪れて、内陣に入ると、今も、どのお堂にも、剥落してはいますが、当時はさぞ目も彩だっただろう壁画のあとが残っています。
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