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2008.1.31 高野山霊宝館の国宝『阿弥陀聖衆来迎図』のこと

 高野山の霊宝館に、『阿弥陀聖衆来迎図』(あみだしょうじゅうらいごうず)という、とても巨大な来迎図があります。来迎図は浄土教系の仏画です。が、私がその存在を知ったのは、青山のNHK文化センターに通っていたときの、真鍋俊照先生のお話のなかででした。真鍋先生は密教の僧侶でいられますが、仏教美術がご専門ですので、浄土教の美術についても教えていただいていたからです。

 浄土教美術と密教美術の違いを一言でいうと、描かれているほとけ様が、浄土教の場合は阿弥陀さま、密教は大日如来となります。なので、『阿弥陀聖衆来迎図』は浄土教の仏画となります。

 来迎図というのは、「往生しようとしている人」を、たくさんの菩薩さま方を従えた阿弥陀さまが、迎えにこようとして、雲に乗っておりて来られる図です。あちらから降りて来てくださるのですから、ほとけ様が「来る」構図です。

 密教では、即身成仏が主眼ですから、ほとけ様が助けに来てくださるのを待つことはしません。ひたすら大日如来というほとけ様の前で観想を積み、その境地に達するよう目指します。つまり、密教では、人間が「行く」構図です。

 今、ほとけ様の前で、と書きましたが、正しくは「はさまれて」でしょうか。というのは、密教の仏画である曼荼羅には二種あって、一つは胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)。もう一つが金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)です。観想は、この二幅の曼荼羅を左右両脇にして、その中心に人間が座して行います。そして、一体となることを願うのです。

 専門でない私がこれ以上書くのははばかれるのですが、このあたりのことを、真鍋先生から毎回とても丁寧に教えていただいていました。それは、とてもしなやかでふくよかで、素人の私にもとてもわかりやすいお話でした。

 一例をあげますと、胎蔵界曼荼羅の中央上部に△のマークがあります。それを先生は指して、「ここにこのマークがありますね。ほとけといっても、人間の目には見えません。見えないし、ほとけは遍満しているものですから、人間はどこに向かって拝めばいいかわからない。人間は見えないと不安なんです。だから、仮にここにこういう目印を置いて、それに向かって拝めばいいんです。すると、人は安心するのですね・・・」というような。

 もちろん、その△のマークがそんな他愛ない話でないことは明らかです。でも、一般庶民の素人の私たちには、それで十分。まさに、「安心」するわけです。以来、私も、拝むときは、「どこに向かってするのでもない、ただ仮にこのほとけ様に向かって拝んでいるのだけれども、この具体的な形象はこの世での仮の手だてなのであって、ほんとうはもっと奥の広い宇宙に遍満するほとけの世界に向いているのだ」というような感覚になります。

 曼荼羅といっても、ご存じない方もいられるでしょうから、ご参考までにURLを付しておきます。企業のサイトのようですが、とても綺麗です。左が金剛界曼荼羅で、理性の世界の「智」を。右が胎蔵界曼荼羅で、慈悲の世界の「理」をあらわすそうです。両方を合わせて「金胎不二」(こんたいふに)といい、すなわち宇宙です。
http://www.j-reimei.com/mandala.htm

 『阿弥陀聖衆来迎図』から話がそれてしまいましたが、来迎図というと有名なのは、知恩院の『阿弥陀二十五菩薩来迎図』です。「早来迎」の名で知られる、とても綺麗な仏画です。構図がシャープなので、何も知らないで見ていたころは、来迎図のなかでは一番惹かれていました。が、これは、来迎図のなかで、もっとも時代がくだったときのもの。というのは、人間世界はせっかちですから、阿弥陀さまが降りてこられるのを次第に待っているのがもどかしくなり、「早く降りて来てください」との願いに応えて、ほとけ様の一行が急スピードで降りてこられる図なのです。だから、構図が急角度。そのためにシャープに見えるというわけです。
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kaiga/butsuga/item06d.html

 高野山の『阿弥陀聖衆来迎図』は、阿弥陀さまが真正面を向いて中央に座していらして、その周りをにこやかに菩薩さま方が取り巻いてられるという、とてもゆったりして穏やかな構図です。斜めに降りてこられる構図しか知らなかった私には驚きでした。
http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/kaiga.html

 真鍋先生のお話を聴いて、是非とも拝観したくなった私は、所蔵先の高野山霊宝館の展示状況を調べました。貴重なものですから、展示は劣化・破損を恐れて、二年だったか四年だったか、何年おきにしか展示されないとのこと。そして、そのときは前年に終わったばかりでした。がっかりしましたが、その後まもなく、どこかの展覧会で出展されるとのことで駆けつけ、無事拝観させていただき、感動した思い出も懐かしいですね。展覧会会場の一つの壁面を占めてしまうほどの、とにかく巨大な仏画でした。

 昨日、彩雲を見て、『阿弥陀聖衆来迎図』を思い出しました。彩雲を見ると、いつも仏画を思うのは、ほとけ様が乗っていられる雲、「紫雲」が、この彩雲ではないかと思うからです。

 地震予知を目指して、私はここ四年ほど、いわゆる「地震雲」を撮っています。「地震雲」といっても特殊な雲ではありません。ただ、一定の形状や発生の仕方があって、経験の積み重ねでそれが地震の予知に繋がるのです。そういうなかで、彩雲ともかなり遭遇しました。
http://ginrei.air-nifty.com/

 実をいうと、彩雲は、大きな地震の前触れです。地震が起きる原因の地中での岩盤の破壊時に電磁波が発生し、それが地表に湧き出て大気中に遍満すると、それがプリズムのようになって彩雲となる・・・・、簡単にいってしまうと、そういう経緯になります。ですから、彩雲ができるほどの空というのは、よほど電磁波が多いということ。大きな地震の前触れということになります。といっても、見えたその地域で起きるのでないので、脅える必要はありません。ただ、世界のどこかで・・・。それは、遠い国での発生でも、日本で彩雲になって見られる規模、ということ。(自分さえ助かればいいというのではなく・・・)

 私が不思議に思っているのは、古代の人は、この地震との関連を知っていたのかしらということ。紫雲というと綺麗ですし、瑞雲といえばおめでたいようですが、そもそも来迎図は往生しようとする人のためのもの。彩雲の綺麗さだけに捉われたわけでないだろう、古代の人の感性を私は凄いと思ってやみません。

 長くなっていますので閉めますが、高野山の『阿弥陀聖衆来迎図』は、もとはといえば比叡山の重宝でした。織田信長が比叡山を焼き打ちで攻めたときに、これを燃やすわけにいかないと、お寺の人が懸命になって持ち出し、高野山に収めてもらったという経緯で、現在高野山の重宝となっているそうです。

織田百合子Official Webcite http://www.odayuriko.com/ 「寺院揺曳」6をアップしました。

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