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2008.3.8 どうしてこうも定家の歌はふくよかなのでしょう・・・

 いつも思うのですが、藤原定家の歌は他を圧倒して別格ですね。上手な歌、好きな歌、凄い歌はたくさんあり、私も、「好きな歌を一首」といわれたら、別の方のをあげたりするかもしれませんが、定家の歌はそういう次元にとらわれない、もっとずっと格調高い別次元のものに感じます。

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 こんなこと、国文学関係の方にいったら、何を今更といわれてしまうでしょうけれど、今回、『紫文幻想―源氏物語写本に生きた人々―』を執筆中で、その原稿がちょうど後鳥羽院仙洞に話が及んできたものですから、その関係の本を借りに図書館へ行きました。そうしたら、「定家」を関する本が何冊かあって、みんな以前、もう夢中になって拝読したもの。

 当時、私はまだ「歌」に目覚めていませんでしたから、何だか気になって借りて、読んだら嵌まって・・・という具合に、私の歌修行は「定家」の歌を読むことから・・・、正確にいえば、「定家」の歌の読み方を詳説してくださったこれらの本を読むことからはじまりました。

 だから、歌の歴史や作歌のイロハ抜きに私の歌世界は広がっていますので、かなり偏っているとは常々思っていました。

 でも、最近、?・・・・、もしかしたら偏っていないかも・・・、と思うようになっています。というのは、定家の歌は、発表当時、「新儀非処達磨歌」といって、歌壇で対立する相手方から非常な誹謗・中傷を受けていたのです。「達磨のようにわけのわからない歌」というわけです。

 でも、その「新儀非処達磨歌」とレッテルの貼られた歌のなかに、かの有名な「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」があるのです。そして、定家のこれら「新儀非処達磨歌」と退けられた歌の作風が若い歌人に浸透し、その後の歌界を席巻し、今に至っているのです。その最先端の人というのが後鳥羽院だったことは、以前記しました。後鳥羽院の「見る目」がなければ、いくらいい歌でも引き上げられることなく、時代の闇に埋もれてままになっていたでしょう。

 『新古今和歌集』が成るには、後鳥羽院の力が必要でした。けれど、その後鳥羽院を衝き動かすには、定家の歌の「斬新さと華やかさと寂寥が表裏一体の歌風」がなければあり得ませんでした。

 やはり、定家の歌には、何か、はかり知れない魅力があります。

 そんなことを、最初に知った何冊かの本をご紹介させていただきます。これを読まなかったら、今の私はないと思っているような本たちです。図書館の本たちですが、久しぶりに借りてきて手元にありますので・・・・。ずっと以前に読んでいるので、夢中になって読み進むというのではなく、ぱらぱらと開いては定家の世界に浸っていて、「やはり、ふくよかだなあ」という感慨に浸っています。

 図書館からお借りしているのは、拝読順に、
  『定家の歌一首』 赤羽淑 桜楓社 昭和52年
  『妖艶 定家の美』 石田吉貞 塙書房 昭和54年
  『定家百首 良夜爛漫』 塚本邦雄 河出書房新社 昭和48年

 当時はまだネットで探して購入なんて考えられなかったので、似た本を探して購入したのが、
  『藤原定家 美の構造』 吉田一 法政大学出版局 1986年
  『新古今新考―断崖の美学』 塚本邦雄 花曜社 1981年

です。読みこむということは、いくら一人で熱心に活字をたどっても、著者の、作品の、奥深く入り込むことなどできません。作品の背景には歴史があり、作者が得た宗教や知識・思想・哲学があり、読者によって読み解かれた感性の蓄積があります。個人の力など皆無に等しいのです。最初は受け売りかも知れなくても、その作品に接したその時点までの、歴史・思想・感性を知って、そこをスタートとして自分の世界を築いていくことがとても大切と思います。現代は個性を重視するまりに、こういうことからくるふくよかな発想を枯渇させてしまっているのではないでしょうか。

織田百合子Official Webcitehttp://www.odayuriko.com/ 

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