2008.3.14 源氏物語千年紀情報・・・紫式部が生きた時代の考古学展!
源氏物語千年紀を記念して、イベントがたくさん企画されています。このときでなければあり得ない貴重な企画ばかり・・・。見逃してはもったいないと思うのですが、主だったものが京都に集中しているのは、当たり前とはいえ、辛いです・・・
昨日、それら情報をチェックしていたら、とても興味深いものがありました。それは、京都市考古資料館で開催中の「紫式部の生きた京都」展。
http://www.kyoto-arc.or.jp/
私は以前、遺跡発掘調査の仕事に従事していましたので、こういう企画にはもう、目がキラッです。
だいたいに、東京の、言ってしまえば当時としては片田舎だった三鷹で掘っていても、遺跡からはほとんど遺物は出ませんでした。
石器時代や縄文時代は別です。野川とか井の頭公園とか、水のある場所なら石器も土器も、それなりに貴重なものが出土していました。が、文明が進んだ時代になると、東京での中心地は、古代なら府中。近世になると江戸。その中間に位置する三鷹での遺物や遺構の出土はほんとうに寂しい限りでした。
ほんのわずか陶磁器とかの出土品があると、「あった!!!」とばかりに大切に大切に処理して保存します。それが小さな破片でも。
そこへ、例えば鎌倉で掘っていられる方とかが見学にいらっしゃいますよね。そうすると、それら大事に扱われている遺物を見て、「何、これ・・・」と、訝しそうに手にとられて訊きます。そしておっしゃるには、「こんなの、俺たちだったら誰も掘った時点で拾いあげないよ」と。
唖然としつつ、泣きたいくらいな気持ちでした。
それは、逆に、私たちが見学にいったときに、溢れるくらいに出土した陶磁器などの山を見れば実際にそうだと実感させられます。私は、遺物の勉強は、携わっていた遺跡内ではなく、見学させていただいたあちこちの遺跡でさせていただきました。鎌倉では中世を。近世は本郷の東大内での発掘などで。
そうして見学させていただいた中で、西でしか発掘されない「白瓷(しらし)」という陶磁器があるのを知りました。そして、もう、私はその陶磁器に魅了されてしまいました。いわゆる白磁になるのかもしれませんが、その区別はまだ私のなかでついていません。私が見せていただいたのは、たしか、国産の白磁で、いわゆる中国の白磁とは違う気がしました。ネットで画像があったので載せさせていただきますが、私が拝見したものは、もっと薄くて、口縁に綺麗な反りがあったような・・・(曖昧でごめんなさい。でも、このサイトでBACKをクリックしていただくと、その説明がバッチリ成されていました。感激!!感謝です。)
http://www.sisia.or.jp/homepage-contest/hpc2004/minoyaki/J-15/REKISI/SIRASI.HTM
ただ、そのときに説明されたのが、「これが平安時代に貴族が日常使っていた食器で、京都ではざっくざっく出るよ」とのこと。なんて優美な形状でしょう。それに、白い・・・。主に鎌倉で目の保養をさせていただいた「武士文化」での食器とのあまりの違いに私は絶句し、目が釘付けになりました。
書ききれなくなりそうなのでまとめますが、とにかく、考古学の展示というのは、当時の人が実際に手にとっていた器物を目にすることができるんです。「紫式部の生きた時代の考古学展」なら、紫式部が実際にどういう生活をしていたかを知ることができるんです。そこに「白瓷」もあるでしょうか。あれ以来、一度も目にしていないので楽しみです。一見ならずとも、何度でも見学させていただきたい展示です。
例えば、「藤原道長建立の法成寺(ほうじょうじ)緑釉瓦・仁和寺八角円堂緑釉瓦・天徳四年(960)の内裏火災時の焼けた壁土や土器 など」というような遺物が並んでいるんですよ!! 開期はすでにはじまっていて、来年の一月まで。京都へ行かれる機会があったら、是非お寄りになってください。
織田百合子Official Webcitehttp://www.odayuriko.com/