2008.4.20 今年も「あしなが学生募金」がはじまりました。
用があって渋谷に出ました。駅で、大きな声を張り上げている高校生の男の子。そして、並んで三人の女の子。それぞれ募金箱をもって立っています。
あ、今年も・・・と思って見ると、やはり胸に、緑の文字で「あしなが基金(もう少し詳しく、ですが・・・)」と書かれた白いたすきが。そうです。今年も学生たちによる「あしなが学生募金」の街頭募金がはじまったのです。
この募金は、病気や災害で父親を失い、母子家庭となった少年・少女の、進学の夢を助けるためのもの。募金していただいたパンフレットによると、「1970年に交通遺児の高校進学支援募金を秋田大学生が提唱」とあります。最初は交通遺児のためのものでしたが、今は災害遺児、病気遺児、それから自死遺児にも支援の輪が広がりました。
「あしなが」は、小説「あしながおじさん」によるもの。うろ覚えですが、身よりのない少女が「あしながおじさん」が助けられて成長していくというもの。小学生のとき、夢中になって読みました。それにあやかっての命名の募金。なんて夢があるんだろうと、この募金のはじまった当初から、私は個人的に関心をもってきました。それで、街頭募金の期間中、箱をもって立っている学生さんたちを見ると、できるかぎり寄っていって箱に幾らかずつ入れさせていただいています。一回に大きくお札で・・・よりも、どの学生さんのグループにも入れられるようにと、500円硬貨で・・・。だって、金額はともかく、誰も入れてくれなかったというより、一人でも多くの人が入れてくれた・・・という感触の方が、学生さんたちには励みになるでしょ!
私は中学二年のときに父を亡くしました。私立の女学校だったから、お葬式が済んで登校したとき、同級生たちがそれぞれ労わってくれた中で、「もう学校を辞めるんだと思ったわ。私んちなんかサラリーマンだから、父が死んだら実践なんて行かせられないって、母が言ってたもの」という言葉があり、妙に心に残っています。
幸い、私の家はサラリーマンではなく、父はフリーのカメラマンで、定収入確保のための写真店を営んでいましたから、そのお店を母が継いで、生活はそれまでどおりやっていけたし、学校も辞めなくて済みました。
でも、それなりに苦労もしました。まず、国文科に進みたかったのに、母を手伝うために写真の大学へ進まなくてはならなかったこと。中学・高校と文学関係の部活ばかりしていたので、当然誰もが間違いなく国文科進学と思ってくださっていた状況にもかかわらずです。とても惜しまれましたし、説得もされました。担任以外の先生も動いてくださって母に当たってくださったり・・・。でも、最後は私の決断で写真大学に進み、今に至っています。
そして、今、こうして書いている中で知り合って見ていただいている先生方からは、「もし貴女がそのまま国文に進んでいたら、今頃は学者になれていたのに・・・」と言っていただいています。たぶん、そうでしょうね。なのに、進路が違ったばかりに、今書いている国文の内容の『紫文幻想―源氏物語写本に生きた人々―』も学説として発表できず、自費出版するしかないのです。
そうなんです。今だから書けるものを書いていて、遠回りが決して無駄ではないことを承知で言いますが、若いときの進学如何は、その人の人生を左右するのです。決して悩んだり苦しんだりしているわけでありませんが、迂回は確実に「大変」です。一度軌道をはずれたら、もとに戻すのに相当のエネルギーがいるのです。できるなら、一人でも多くの若い方に、私のような苦労、遠回りをしないで済むようにしてさしあげたい!と切に思います。
今の私の立場では、街頭募金に寄付するしかできませんが、夢は「織田百合子」の名前で、それが募金に役立つ一環になること。時々、今からでも事務局のお手伝いをしたいと考えないこともないのですが、それをしていると原稿に支障をきたします。私の役割は、原稿を仕上げて、本にして、それが社会のなかで立場を作って、そのことで「織田百合子」が若い方のためになることができるようになること。
長い長い原稿を書いていて、苦しいときもありますが、最終目的の半分の位置を占めるこのことのためにも止められないと思うのです。最終目的のもう半分は? それはもちろん、書いた作品に命を吹き込むことです。
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