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2008.4.4 河添房江先生の『光源氏が愛した王朝ブランド品』を読む 2・・・孔雀について

 『源氏物語』から離れて、少し個人的なことになりますが、楽しい発見がありました。それは、孔雀について。

 私は、このブログも、ホームページ本体も、タイトルを「孔雀のいる庭」しています。それは、何も、孔雀のあの華麗さに憧れてではなく、孔雀が私にとってとても親しい鳥、一番身近な思い出のある懐かしい動物だからです。

 このブログの最初の頃にも書きましたが、幼いころ、東京は下町の品川区に住んでいました。家のすぐ前に戸越公園という、江戸時代の大名庭園が区に寄贈されて公園になっている場所があり、そこが私の遊び場でした。朝から夕方まで、私と妹はまるでその公園が自宅の庭であるかのようにして遊んでいたんです。

 大名庭園というからには、もとは大名のお屋敷だったということ。そう、細川家の別邸でした。中央に池があり、その周囲を築山が囲む立派な回遊式の庭園でした。公園になってもそれはそのままそっくり残されていて、池の端には巨石を並べてぽんぽんと踏んで渡っていく橋があり、そこを過ぎて築山に入っていくと滝があって、ほんとうに瀑布の水が落ちていました。夏にはその滝壺が私たち子供の遊び場となり、さらに築山を登っていくと、途中に大きな石燈籠があったり、一番高いところから見下ろす池は広々と水を湛えていました。

 さらに進んでまた平地に出たところの端に檻があって、そこに孔雀がいたんです。最初は三羽いたと思うのですが、いつからか二羽になったような記憶です。毎日毎日、私と妹はその築山を駆け巡って遊んでいましたから、孔雀とは毎日接していました。檻に向かって話しかけるのが日課でした。見事な羽根を広げる姿を何度見たでしょう。見ている目の前で広げてくれるときもありますし、遠くで遊んでいて広げるのが目に入ると、駆け寄って行ってしばしうっとり眺めていました。幼い私には、孔雀は決して特別な鳥ではなかったのです。

 昨年、原稿を書いていて、自費出版で本にしようと考えたとき、最後のページにロゴマークを入れたくなり、どんな図案にしようか考えました。最初はカラーのような植物をデザイン化したのを考えていたのですが、参考のために図案集を見たときに、孔雀のイラストが目に入り、そうしたら途端にかつての記憶が甦って、「これだ!!」と、即座に心が決まりました。ちょうど、プルーストの『失われた時を求めて』で、主人公がマドレーヌを口にした途端に記憶が甦ったような、そういう感覚でした。

 原稿が長引いているので、ロゴマークもまだ作成途中ですが、一応、下絵はできています。あとはロットリングで描くだけ・・・。おのずから、タイトルは「孔雀のいる庭」になりました。とても自然な発露でした。

 でも、いったい何故あんな小さな公園に孔雀がいるのかなど、考えたことはありませんでした。他に動物がいるわけでなく、孔雀だけがいたんです。それを、ブログで紹介しているときに、ふっと、「そうか、孔雀は、もと大名屋敷だったときに飼われていたんだ・・・。それが公園になってからも檻ごと残って・・・」と気がつきました。たぶん、そうなのでしょうね。でなかったら、あんな貴重な鳥が、ほとんど地元の人しか来ない小さな公園にいるはずありませんもの。

 前置きが長くなりましたが、河添先生の『光源氏が愛したブランド品』に、舶来の陶磁器や薫物に混じって、舶来のペットという項目がありました。女三宮の唐猫は有名ですが、他に鸚鵡や孔雀が・・・とありました。

 ん、孔雀?と、孔雀の文字に目がない私は、このご本を手にとってぱらぱらと内容を見ていたときに、まっ先にこの項目を読ませていただきました。そうしたら、なんと、道長の邸宅に孔雀が飼われていたことがあるらしいんです。引用させていただきます。

 『栄花物語』では、道長が建立した法成寺の庭が、極楽浄土もかくやとばかり孔雀と鸚鵡が存在する庭園として語られています。もっとも、長和四年(1015)二月十二日の条のように、宋商人の周文裔から大宰大監の藤原蔵規を経由して、孔雀が三条天皇に献上された際、道長はそれを下賜されています。
 道長は孔雀を土御門邸で飼育し、孔雀は卵を十一個産みますが、百余日を経ても孵化しなかったといった苦労話もあったようです。

 道長の土御門邸の庭に孔雀がいたなんて・・・。「孔雀のいる庭」は、道長の庭でもあっただったんだ・・・・・・・・と、勝手に道長と運命の糸で結ばれているように思ってしまった私は顰蹙でしょうか。

 でも、考えてみれば、細川邸で飼われていたこと自体が、「孔雀と鸚鵡は天皇をはじめ皇族や摂関家の庭にしか置けない珍獣だった」ことの名残りだったのではないでしょうか。たまたま家の近くにあった公園がそういう由緒の庭園で、幼いゆえに自分の庭のように縦横無尽に遊んでいただけのことですが、ほんの個人的に懐かしさからつけたタイトルが、道長につながるなんて、なんて幸運なんでしょう・・・と思ってしまいました。戸越公園には、お屋敷が建っていただろう平場に、池を見おろす格好で藤棚がありました。たぶん、今でもあるでしょうから、藤の花の頃、行ってみましょうか・・・

 もうじき五月。孔雀が羽根を広げるのは繁殖期の五月が見事だそうです。放し飼いの動物園へ行って撮るのを楽しみにしています。撮ったらまたご紹介させていただきますね!

織田百合子Official Webcitehttp://www.odayuriko.com/

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