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2008.4.18 永井路子氏『平家物語の女性たち』を読んで・・・日野法界寺と平重衡のこと

237  フランスのヌーボー・ロマン系統で小説作法を学んだために、歴史小説には今まであまり接してきていません。それを、何故、今頃になって集中して永井先生の作品を読ませていただいているかといえば、今書いている『源氏物語』写本の世界をいずれ小説化したいとの思いがあるからです。

 『平家物語の女性たち』は小説ではありませんが、『紫文幻想―源氏物語写本に生きた人々―』で書いている源光行が、青春時代に接した、あるいは近くで垣間見した女性たちだから・・・。光行は平家文化圏で育った人物です。

 このご本では、登場人物が分類されていて、「恋人たち」「妃たち」「人妻たち」「二人のヒロイン」となっています。

 「恋人たち」では、祇王や小督局、千手前など。
 「妃たち」では、祇園女御、二代后。
 「人妻たち」では、小宰相、維盛妻、そして、大納言典侍など。
 「二人のヒロイン」は、建礼門院と二位の尼時子です。

 「二人のヒロイン」を読み終えてからご紹介しようと思ったのですが、昨日読んだ「大納言典侍」のことが終日頭から離れず、ともすると思い出してそのことを考えている状態ですので、書くことにしました。

 大納言典侍は、平重衡の北の方です。私は重衡のフアンで、特に千手前とのエピソードは、『平家物語』でも数少ない東国の女性の登場ですから、格別の思い入れをもっています。

 種明かしをしてしまいますと、「白拍子の風」という小説を書いたとき、第一部の「京の章」では平家文化全盛期に白拍子として絶頂を極めた銀嶺姉さまを主人公にしていますが、実は、この物語はそもそも第二部の「鎌倉の章」を先に書き始めていて、その主人公の人物造型に千手前のエピソードがありました。でも、第一部を書かなくてはならなくなって完成させたら、そのままになって、未だ手つかずでいますが・・・

 話がそれてしまいましたが、南都焼討の重罪を負った重衡は、囚われの身となって鎌倉に護送されます。そこで頼朝の配慮で千手前という女性と一時的な温かな日々を送るのですが、やはり南都の僧侶たちが許さず、斬られるために南都へ送られるのです。残された千手前は悲しみのあまりに出家したとも、早逝したともいわれます。

 大納言典侍は重衡が鎌倉に護送されているあいだ、日野に隠れ住んでいました。そして、奈良へ向かう途中の重衡と再会するのです。

 このあたり、『平家物語』のなかでも一際印象の深いところです。永井先生のこの章でも、心を込めて現代語訳で再会を紹介されています。私もここで引用したいところですが、辛いので遠慮・・・としか。

 そして、この一文に出会いました。「大納言典侍は日野にある法界寺で供養した」と。

 じつは、以前このブログで、「三島由紀夫『中世』と日野法界寺」を書いたとき、この寺院が重衡ゆかりでもあることを知りました。それより以前、『平家物語』を読んだときには、京都の土地勘がなくて法界寺と結びつかず、法界寺を訪ねたときは、目的がまったく違うものにあって気がつきませんでした。ブログにまとめようとしてネットを検索している中で知り、驚いたのでした。

 重衡と北の方大納言典侍との最後になったこの別れの場面は、一度読んだだけでも一生忘れられない重さです。それが、日野の法界寺だったなんて・・・

 大納言典侍はその後生き延びて、同じく生き延びる運命を授かった建礼門院徳子に仕えて生涯を過ごします。

織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/(【古典と風景】に日野法界寺と、重衡が千手前と過ごした鎌倉の地の大蔵幕府跡の写真があります。)

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