2008.4.13 山吹の花が満開です。そして、山吹といえば玉鬘・・・
山吹の花を植えたくて緑化センターを探したことがありました。でも、季節が違ったのかなくてあきらめていたところ、別のホームセンターでもう売れないとばかりに奥の方に投げだされていた小さな鉢植えがあり、購入しました。
これも、木蓮のとき同様、50センチばかりの丈で、水遣りも放棄されていたからひからびていて、育つかなあと思いつつ植えたものです。そのときは「八重山吹」とあり、私としては一重が欲しかったのですが・・・
それが、ご覧のとおりの華やかさ。しかも、八重でなく、一重。楽しみに見守っていたのですが、年毎に増えてみるみる藪状態。種が落ちてどんどん株が増えるんです。ここまで成長するのにそんなに年数はかかりませんでした。リビングの正面に見えるような位置に植えたので、毎年春になると窓の外が黄金色に輝き豪勢です。
山吹は古い花のイメージがあるのでしょうか。ガーデニングのブームにあまりとりあげられない気がします。でも、私の庭感覚は基本的に源氏物語の「野分」なので、荒れた感じが好きなんです。庭作りとしては邪道なのを充分承知で。だから、なんでも、茂ったり、枝垂れたりするような風情ある木ばかり植えてしまいます。
mixi仲間に本物の庭師さんがいらして、その方がアップされる庭の木や花はそれは見事。取り合わせから植物の種類から、なにもかも当然として、私が一番感動するのはその植物の生気漲る葉の色。こってりと緑が深くて内部から輝いているんです。同じエビネを育てても、葉の色の深みが徹底的に違う・・・。私のエビネが可哀想になってぼやいたら、葉の下にワラを敷くといいですよって教えていただきました。じかに土がつかないように。
仕方ないですよね。手入れが違うんですから。私はほんとうは庭仕事って好きなんですが、原稿に集中すると気持が向かなくなって放りっ放しにする日が重なる。自然、庭は荒れ放題の「野分」状態。でも、もともとそれが好きだから、「風情あるなあ」なんて、勝手に悦にいっています。なのに、季節がめぐると、お花たちはきちんきちんと咲いてくれて、楽しませてくれてます。
源氏物語のなかで実際の植物としての山吹の記憶はないけれど、山吹色といえば玉鬘。光源氏が新春の晴着を容易するのに、それぞれの女性の個性にあった色の装束を択びます。それぞれ納得のいく選択のなかで、玉鬘は山吹の色の装束。若さが輝くばかりに匂いでているのがよくわかります。
http://www.sachio-yoshioka.com/2002jp/0109/p7.html
でも、こんなことを恋人にされたら辛いでしょうね。実際、紫の上は、光源氏が明石の君のために択んだ高貴な紫と白い色に屈辱を感じます。現代の感覚からしても、この取り合わせには目をみはりますよね。ここのところ、読むたびに、作家としての紫式部の凄さを思います。
織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/