島原は新撰組ゆかりの地です。源氏物語写本新発見ニュースではじめて「角屋」さんを知った私としては、訪ねた壬生のこの地の至るところに、見覚えのあるあの新撰組の水色の三角マークが見えることに驚きました。
そして、別本系源氏物語写本が発見された「角屋」は、まさにその新撰組と切っても切れないご縁の揚屋でした。揚屋とは、太夫などの女性を置かずに、宴会に伴ってそれら女性を呼んではべらせるお店。女性を抱える家は置屋というのだそうです。
ちなみに島原は花街で遊郭ではありません。花街と遊郭の違いも説明されましたが、花街は女性が芸で勝負する世界。なので日中は歌舞の練習に余念がない世界です。花街と遊郭の違いは明らかで、練習した芸を発表する歌舞練習場があるかないかだそうです。江戸でいえば、遊郭である吉原には歌舞練習場がなく、花街である新橋にはあって、それが今の新橋演舞場になったとか・・・
そんなふうに花街の説明をしたのは、これが源氏物語写本が角屋から発見されたことに深く関係するからです。
太夫といわれる女性たちは、歌や舞などの芸だけでなく、和歌や連歌といった教養面でも優れたものを要求され、それ応えるだけのものを身につけていました。「今日の宴席は連歌の会」といわれて呼ばれれば、一緒に連歌を読むだけの力があったのです。当然、万葉集から古今和歌集など熟知していたでしょうし、源氏物語も読んでいたでしょう。そして、高度な知性の客人らと、それら会話を楽しんでいたことと思います。
新発見の源氏物語写本は、もしかしたら太夫たる女性が客のお公家さんから贈られたものかもしれません。高貴な方をも満足させる応対をお気に召して、個人的にその方が贈ったのでしょう。花街ゆえに残った源氏物語写本・・・、ドラマにしたいような世界が垣間見えました。
新発見の別本系統の写本「末摘花」は、ほぼ正方形の小さな型でした。私などは東国育ちで、写本も『尾州家河内本源氏物語』から興味をもちはじめたので、大学ノートより大きな長方形のタイプが通常と思っていました。が、西の写本は小さな正方形。ある写本研究家の方の文章を読んだら、もともと西の写本ばかり研究されていて、それから『尾州家河内本源氏物語』に接したとき、あまりの大きさに驚いたと書いてありました。そんなふうに、写本でさえも、西と東の文化に違いがあるのですね。
「末摘花」は、書体もはかないようなとても優美なものでした。展示には説明のパネルもありましたが、撮影は禁止。専門の博物館ではないので写本に関する特別なチラシはなく、ただ目に焼き付けて帰るしかありませんでした。
写真は、新撰組初代筆頭局長の芹沢鴨が、殺されるその晩に最後の晩餐となった宴会を開いた、まさにその部屋の襖絵です。源氏物語写本の撮影は許されていませんでしたが、この部屋だけは「どうぞ」ということだったので、この写真を載せておきます。
●以下はネット検索したものからの引用させていただきます。
鎌倉後期の源氏物語写本か 「末摘花」元料亭に保存
2008年3月10日 19時18分
鎌倉時代後期に書かれたとみられる源氏物語の写本=10日午後、京都市下京区
京都市下京区の元料亭「角屋」に保存されている源氏物語の1帖が、鎌倉時代後期の写本とみられることが分かり、財団法人角屋保存会が10日、発表した。写本は全54帖の1つ「末摘花」で、冊子状の65ページ(縦横約16センチ)。
多数残っている藤原定家の写本「定家本」などと異なった記述がある珍しい「別本」に位置付けられ、女性が光源氏に贈る和歌を書きつける場面などに定家本より詳しい描写があった。
調査した大阪大の加藤洋介准教授(平安文学)は「鎌倉時代に源氏物語がどのように読まれていたかを知る貴重な資料。紫式部による原典の記述を残したか、誰かが加筆した可能性がある」と話している。
筆体や墨の濃淡などから鎌倉時代後期に書かれた可能性が高く、江戸時代に公家などが所有していた写本を角屋が譲り受けたと推測される。
写本は15日以降、角屋で一般公開される。(共同)
京都・島原の揚屋(あげや)だった国の重要文化財「角屋(すみや)」(京都市下京区)に伝わる源氏物語の写本が、鎌倉時代後期に書かれたことが加藤洋介・大阪大准教授(平安文学)らの調査でわかり、角屋保存会が10日発表した。源氏物語の写本は鎌倉時代初期の歌人藤原定家の校訂による「定家本」の系統が大半だが、今回の写本は定家本の系統とは異なる希少な「別本」だった。15日から7月18日まで角屋で一般公開する。
写本は第6帖の「末摘花(すえつむはな)」で、縦横16・2センチ、65枚。仮名書体や紙質などから制作年代を特定した。同時代の末摘花の写本は約10件現存するが、別本は重文指定の「陽明文庫本」など2件のみで、定家本に比べて末摘花の容姿などの描写が詳しい。
加藤准教授は「定家の手を経ていない別本は、紫式部が生きた平安時代の写本により近い可能性があり、重文級の貴重な発見だ」としている。
角屋は江戸時代初期から続いた料亭で、皇族や公家ともつながりがあり、写本は寄贈された可能性があるという。(2008年3月11日 読売新聞)
織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/