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2008.5.23 京都紀行7・・・待賢門院璋子・建礼門院徳子ゆかりの「白河・六勝寺の辺り」

164 167 179 182 183  今朝の読売新聞朝刊に瀬戸内寂聴先生の「平安の女性に貫いた愛情」と題された角田文衛先生への追悼文がありました。ここのところの源氏物語千年紀に関連して、ご著書の『紫式部伝』や、ご監修の『京都源氏物語地図』など、すっかり『源氏物語』だけがご専門の先生のように思ってしまいかねない状況でした。

 が、瀬戸内先生のこのご文章で思い出したのです。角田先生にはもう一つ(もちろん、一つなんかではありませんが・・・)、強烈な、じつに魅惑的な、偉大なご業績のご著書があったのです。それは、待賢門院璋子(たまこ)の生涯を描いた『椒庭秘抄』。うっかり、それを忘れていました。瀬戸内先生はこう書かれています。

 中でも璋子の生涯を描いた『椒庭秘抄―待賢門院璋子の生涯』は、読後に受けた鮮烈な感銘を忘れることは出来ない。それ以来、私は璋子の生涯に深い興味を持ち、やがて、璋子に憧れた西行を書くことになる。

 それが、瀬戸内先生の『白道(びゃくどう)』なのですが、このご著書も私には「読後に受けた鮮烈な感銘」を忘れることができない一冊です。『椒庭秘抄―待賢門院璋子の生涯』拝読後、すっかり私も璋子という女性の囚になってしまいました。白河院に愛された璋子にゆかりの白河の地は、現在の京都の平安神宮や動物園のある一帯だそうです。「勝」がつく天皇・上皇・女院の御願寺が六つあり、総称して六勝寺と言いいました。

 以前、中世都市研究会が京都で開かれたときに、その現地説明会で、実際に白河の発掘に当たった埋蔵文化センターの調査員の方の案内で、この地を歩いたことがありました。そのとき、六勝寺のうち一番大きな法勝寺は動物園の場所で、九重塔が建っていたのは観覧車のあたりと説明を受けました。その観覧車が一枚目の写真です。二枚目は通りに立って白河院跡方向を眺めています。右側が動物園です。

 寺院にはそれぞれ建立された方がいられます。璋子の御願寺は、円勝寺。法勝寺の南西に位置しています。じつは、今回の京都旅行の一番の目的は、角田文衛先生の『平家後抄』にあった晩年の建礼門院徳子ゆかりの地を撮ること。最晩年となった金仙院(現在の高台寺)の写真は前に載せました。その金仙院に移る前、徳子は白河の「善勝寺」に住されていたのだそうです。その善勝寺があったのが、円勝寺に接した南。奇しくも、私が憧憬する二人の女性ゆかりの寺院は隣接していたのでした。

 善勝寺は「勝」の字がつきますが、皇室の方々の御願寺ではないので六勝寺に入っていません。以前、『とはずがたり』に登場する「善勝寺大納言」を調べていて、どこにあったのかを知りたかったのですが、わかりませんでした。『平家後抄』に地図が載っていて、円勝寺に接した南と理解したのです。円勝寺は現在の京都市美術館の場所ですから、それを目印に訪ねました。建礼門院徳子の妹が嫁いだ隆房の四条家の菩提寺です。

http://homepage1.nifty.com/heiankyo/heike/heike40.html(「平安探偵団」より白河・六勝寺地図)

織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/

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