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2008.5.19 京都紀行5・・・角田文衛先生『平家後抄』より晩年の建礼門院徳子が見た光景「高台寺」

019 007 041 055 077 099 111  執筆中の『紫文幻想―源氏物語写本に生きた人々―』では、源光行の生涯を追って書いています。その光行が平家文化の中で育ち、父ともども建礼門院徳子と縁が深かったことがわかってきました。

 建礼門院徳子は、一般には大原寂光院で終焉を迎え、その地に眠っているとされています。が、平家が壇ノ浦で滅亡したといっても、一門がすべてそこで滅んだわけでないことを書かれた角田文衛先生は、徳子はその後白河の善勝寺に移り、それから鷲尾の四条家ゆかりの金仙院に移って、そこで終焉を迎えたと書いていられます。

 『平家後抄』にこうあります。

 今日、鷲尾の地は、一帯が高台寺の墓地となっている。丘尾の平坦部に立って西方を眺めると、梢の合間からほとんど真直ぐに四条河原町通の高島屋京都店や阪急百貨店四条河原町店のビルが望まれるし、また西南の方を見下すと、六波羅蜜寺や池殿町の辺が指呼の間に望まれる。池殿町はすなわち平清盛の別邸・六波羅第の池殿の所在した場処であり、そこにはかつて建礼門院が安徳天皇を産まれ、また高倉上皇が崩じた殿舎があった。

 建礼門院が最晩年を鷲尾荘=金仙院で送られたことは、ほとんど確実といってよい。女院は毎日、朝な夕なに金仙院の桟敷からどのような心情をもって眼下の六波羅第址のあたりを見渡しておられたのであろうか。(中略)これを知る手掛りは全く遺存していないが、歴史学者としてはこの辺が最もゆかしく覚えられるのである。

 今度の京都の目的の一番がこの角田文衛先生の書かれた「徳子の視点の光景」を撮ることでした。それで、京都駅をおりるとまっ先に高台寺に向かったのです。5月10日のことでした。雨がひどく、ふつうなら写真に不向きの日に思われますが、最初の二枚のように、建物を撮るには太陽光に照らされる屋根の反射がない日の方がいいんです。それで、傘をさしながらでの撮影も苦になりませんでした。しっとりとしたいい情緒に仕上がっていますでしょ!

 金仙院はやはり角田先生の書かれたとおりに高台寺裏手に広がる墓地でした。一応巡ってみましたが、下に高台寺があるために眼下の光景を見おろせる隙間がなく、仕方なくおりて高台寺に入りました。角田先生のご推察の徳子が葬られた場所が境内の中なんです。角田先生は、

 想うに女院は、早く没した最愛の妹―隆房の妻―の近くに葬られたのではなかろうか。と仮定すれば、鷲尾の中腹の稜部―現在、伏見城より移建したと伝えられる重要文化財の時雨亭と傘亭が建っているあたり―に家成の三重塔があり、それに近接して女院の陵(みささぎ)が営まれたと推定されよう。

と書かれています。一枚目の写真が傘亭。二枚目が時雨亭です。三枚目のつつじは時雨亭の脇に咲いていたもの。徳子の晩年の境地を偲ばせるような可憐な感じに花は咲いていました。

 その下の二枚は時雨亭から小堀遠州作の名園である高台寺苑池におりる道すがらの光景です。こういう現世から離脱したような高いところに徳子は過ごし、葬られたのでした。

 最後の二枚は、高台寺の駐車場から撮りました。裏山の墓地からは眼下を見おろせなかったのであきらめていた光景でしたが、駐車場に来たらこのとおり。塔は八坂塔。京都の土地勘がないので、角田先生の書かれる高島屋がどの方角か迷いました。でも、一応、ずばりドンピシャの方角でなくても、徳子の視線で見た光景として撮ってきました。家に帰って地図で確認すると、六波羅は画面左(八坂塔の左寄)になるようです。

 5月14日、角田文衛先生は永眠されました。16日に知人からのメールで教えられました。その方とは、京都で角田先生のことで話をして大いに盛り上がってきたばかり。お約束の場所に向かうタクシーの中で、たまたま高島屋の前を通過。「あ、ここだ・・・」とめざとく思ったものでした。先生のご著書に触発されて撮りに出向いたまさにこの時期に先生の訃報を知るなんて・・・と絶句しています。さまざまな先生のご業績に心から感謝しつつ、ご冥福をお祈りもうしあげさせていただきます。

http://www.kodaiji.com/guide/annai.html#keidai(高台寺境内)

織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/

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