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2008.6.12 玄奘の『大唐西域記』をめぐって

 昨日、聴講させていただいているゼミで、玄奘の『大唐西域記』に話が及びました。専門の仏教とは関係のない国文学のゼミなのですが、訓点について教授が話されているなかで、『西域記長寛点』というのがあり、それは『大唐西域記』のことで、長寛年間に興福寺の僧侶が訓点を入れたものである・・・というような流れでした。

 たまたま購入されたばかりの『大唐西域記』が研究室にあると思いだされて、教授がわざわざ取りに行って見せてくださいました。古書店で購入されたという貴重書です。

 それを開いたとき、あ、これ、読んだことがある・・・、とそんな気がしたのです。それは、玄奘が記したインドへの求法の旅の際の見聞録です。でも、上下2巻になったその貴重書そのものを読んだ覚えはないので、直訳全部を読んだのか、どなたかが要約されたのだったのか、思い出せません。でも、とにかく読んだ覚えがあって、それは質・量ともにかなりなハードな体験で、そして、そのとき、とても感動したのです。そして、昨日、その貴重書のページを開いたとたん、そのときの感動が一気に甦って、そのあと気分はずっとさわやかでした。

 その本を読んだことを何故そんなに明瞭に覚えているかには訳があって、こんなことを書くと真面目な仏教者の方から顰蹙を受けてしまいそうですが、それまで、私は「アンチ玄奘」でした。経典の訳者として、真諦や鳩摩羅汁の方から入った私は、そのお二方と訳を異にする玄奘に対して、なんとなく反目するような気分をもっていました。単純に野球で阪神ファンの人がアンチ巨人を吹聴するような次元の話です。仏教の世界に「アンチ」などもっての他と怒られてしまいますね。

 それで、仏教に関心をもってさまざま本を読み耽っても、玄奘に関する分野だけは意識的に避けていました。が、何かの折に、やはりこれは読んでおかなくてはと思って、図書館にあったその本を借りて一気に読んだのでした。そして、やはり、読んでよかったと思いました。玄奘を勝手に嫌いと思っていた思いをすっかり拭い去ることができましたから。

 昨日から、その本がどういうタイトルだったか、『大唐西域記』の訳本だったのか、どなたかがまとめられたものだったのか、一生懸命思い出そうとしているのですが、どうしてもわかりません。図書館のあのコーナーのあの棚にあった本・・・とまではっきり覚えているのですが。先ほど、図書館の蔵書検索でそれらしいキーワードを入れてみましたが、該当する本はありませんでした。

 でも、昨日、思いがけず西域記の文章に触れて、その時代の真摯な魂に触れて、ロマンあふれる光景を彷彿とすることができて、今もこころがとてもゆたかです。仏教書の世界には、思念が触れるだけで精神の中枢を取り戻させられる力があります。

 こんなことを思うのも、その前日まで読んでいた井上靖さんの『敦煌』の影響も大きいと思います。久々に小説を書くことになって、文体を模索しはじめたとき、ふっと、『敦煌』を思ったのでした。高校時代に夢中になった本です。それで、小林秀雄さんの監修でだされた文学全集の井上靖さんの号を出して、二日間、読みふけりました。堪能しました。そして、心が西域の光景と仏教に対する思いとに満ちあふれました。そんな翌日に『大唐西域記』がでてきたのです。これもなにかの因縁なのでしょう。そういえば、先日行った東京国立博物館の「国宝 薬師寺展」にも、玄奘像がでていました。

 なんだかとりとめのない話になってしまいましたが、私にはちょっとした西域事件でした。

織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/

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