2008.6.6 『とはずがたり』二条が見ただろう、極楽寺坂からの鎌倉遠望・・・成就院より
その途中にある成就院から見下ろして見る鎌倉の光景は有名です。なにしろ、こんなふうにして一望のもとに鎌倉を眺められる唯一のスポットですから。そして、その参道の両脇に紫陽花が植えられていて、花を見る好スポットとしても有名です。この季節のこの光景の写真をご覧になった方は多いでしょう。たまたま稲村ガ崎を歩いた帰りでしたが、紫陽花が咲きはじめたばかりでみずみずしく、以前から訪ねてみたかった場所なのでラッキーでした。
『とはずがたり』二条は、鎌倉へはこの極楽寺坂を通って入りました。これも有名な一節を。
あくれば鎌倉へ入るに、極楽寺という寺へ参りて見れば、僧の振る舞い都に違わず、懐かしく覚えて見つつ、化粧坂という山を越えて鎌倉のかたを見れば、東山にて京を見るには引き違えて、階段(きざはし)などのように、重々に、袋のなかに物を入れたるように住まいたる、あな物侘びしとようよう見えて、心とどまりぬべき心地もせず。
二条は極楽寺に参拝しました。そこで見た極楽寺の僧侶たちは「都に違わず」とありますから、姿・形、挙措・動作の一切が洗練されて優美だったのでしょう。長い旅路でずっとむさ苦しい環境のなかにいた二条に、「都に違」わない光景は、心潤すほっとしたものだったことと思います。当時の仏教が、いかに現代と違って、華やかなひとつの文化として人々の心に浸透し、憧れられていたかを伺い知る貴重な一節と思います。
ここでは化粧坂からとなっていますが、このあと由比ガ浜へおりていますので、成就院のこの場所から眺めた光景を描写したと思っていいのでしょう。その鎌倉は、「ぎゅうぎゅうに物を袋に詰めた」ように家屋が折り重なって建っているように見えた。とても京都で東山から見下ろした都の光景には似ても似つかない侘しいものだった、そうです。
この感覚、わかりますね。最初に鎌倉に慣れて、それから京都の街区をタクシーで走った私は、行けども行けども道が尽きない平安京の広さにびっくりしましたから。二条は鎌倉の狭さにびっくりしたわけですが、「階段のように折り重なって、袋のなかにぎゅうぎゅう物を入れたみたいに住んでいる」という表現、上手いなあと思います。たんに、「坂のうえから見た鎌倉は狭い」だけでないこの表現があるからこそ、二条の鎌倉入りの印象を際立たせているんですね。
それにしても、かつての極楽寺が後深草院に愛されて宮中の雅を知り尽くしている二条の目にも「それと同等」と映ったほど、当時の極楽寺は栄えていたんです。現在からは伺い知れない文化圏がここにあったんですね。
写真は三枚とも成就院前からの遠望。浜は由比ガ浜。下の方に参道へ昇る階段入口の山門が見えています。三枚目右奥に見えている青い屋根の伽藍は材木座地域の光明寺です。
織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/