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2008.6.28 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 1

262_2  6月22日・・・急に思い立って写真展を開くことを決めました。きっかけはパワーポイントで編集して鎌倉の源氏物語について講演をしたいと思ったこと。それで写真を選びはじめたら、それだったら写真展ができる・・・と気がついたのです。おかしいですね。昔とった杵柄で、写真展などとっくに思いついていいはずなのに、ネット社会に埋もれていたらパワーポイントしか念頭にありませんでした。

 6月23日・・・会場を予約しました。八王子市学園都市センターのギャラリーホールです。こちらではいつも源氏物語の会で会議室を利用させていただいています。ネット予約が可能で、空き状況の確認もできるのでとても便利です。都心のギャラリーだったらこんな急な予約は不可能と思いますが、とりあえず空き状況を確認したら、8月28日(木)~8月31日(日)の四日間がとれました。秋にと思ったのですが、それはさすがに満杯。それ以降だと年末になってしまいます。忙しいとは思ったのですが、二か月後の8月末ならかえって一挙に片付けられていいかも。

 6月24日・・・試案としてワードで流れを作ってみました。タイトルも決めて、【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】。不思議ですね。特に考えていたわけでもないのに、ワードで打ち始めたらすうっとこのタイトルが浮かんだのです。写真は鎌倉を撮りはじめてからもう10年以上にもなるほど溜まっています。その頃はまだフィルムカメラでしたから、スライド状態。PCで使用するにはスキャナーで取り込まねばならず、試案の段階でそれをしている暇はありません。とりあえずHPに載せたりしてPC内に取り込んである画像で編集してみました。写真と古典のコラボレーション的構成です。キャプションを写真のスペースと同じくらいな量にして、根拠となった古典や論文の引用を重視しての展示予定です。以下のような内容です。(ここではとりあえず文字だけ載せますので、写真はHPでご確認ください。)
 1.『源氏物語』に、
   現在紫式部の原本は残っていません。なのに、私たちが『源氏物語』を読むことができるのは、昔の人々が累々と書写し残してくれた写本があるからです。
  
(写真は、源氏物語のイメージ画像)
 
2.『源氏物語』の二大写本とは、
   藤原定家校訂の『青表紙本源氏物語』と、源光行・親行親子校訂の『河内本源氏物語』です。『青表紙本源氏物語』は京都で、『河内本源氏物語』は鎌倉で成立しました。現在活字化されて私たちが読んでいるのは、『青表紙本源氏物語』系統の本文です。
  
(写真は、嵯峨の定家小倉山荘付近)
 
3.定家と光行の青春は、
  平家文化全盛の時代でした。20歳前の二人は平家の公達たちを憧れの眼差しで仰ぎ見ながら歌を詠み合うなどして文学的感性を培っていました。
  
(写真は、厳島神社)
 
4.光行の父や叔父は、
   平家に仕えていました。光行も、後徳大寺実定や源通親のもとで福原京をつくる造営の準備作業に勤しんでいることが『源平盛衰記』にあります。
  
(写真は、京都高台寺より六波羅遠望)
 
5.源平の争乱のあと、
   光行は鎌倉幕府に仕えます。頼朝・頼家・実朝に仕えました。特に文学青年実朝には『蒙求和歌』他の三部作を贈るなど親身になって尽くしています。
  
(写真は、鎌倉大倉幕府跡)
 
6.鎌倉には、
   後に新古今歌人となる飛鳥井雅経がいて、頼家に蹴鞠を教えていました。その蹴鞠の腕を買われて雅経は上洛します。
  
(写真は、京都御所の蹴鞠会場)
 
7.後鳥羽院により
   『新古今和歌集』が成立します。飛鳥井雅経は撰者になっていました。が、光行は鎌倉にいたために一首しか入選しませんでした。その後光行は上京して後鳥羽院に仕えますが、承久の乱後また鎌倉に戻ります。そして鎌倉で生涯を終えます。
  
(写真は、水無瀬離宮跡)
 
8.『河内本源氏物語』は、
   鎌倉で光行によって校訂作業が開始されました。それはえんえんと続けられ、子息の親行に引き継がれます。親行は鎌倉で将軍家に仕えていました。そこでは北条実時が小侍所別当として近侍していました。武士でありながら高い教養を重んじる実時は親行と懇意になります。そして、親行に源氏物語の講義をさせるなど、宗尊親王の御所で『源氏物語』ブームを引き起こします。
  
(写真は、源氏物語イメージ画像)
 
9.『尾州家河内本源氏物語』は、
   『河内本源氏物語』の中でも最も由緒ある写本です。それは親行が『河内本源氏物語』を完成させた3年後に、実時が直接親行から借りて書写したものであることが奥書からわかるからです。横浜市金沢区にある称名寺と隣接する金沢文庫は実時が創建しました。『尾州家河内本源氏物語』は、最初は金沢文庫に収められていました。が、鎌倉の滅亡とともに流出。足利将軍家から徳川家へと所有者を経たあと、現在は名古屋市の徳川美術館に併設されている蓬左文庫の所蔵になっています。重要文化財に指定されています。2008年は源氏物語千年紀ですが、源氏物語というと京都のものとばかり思われていて、記念のイベントも京都に集中しています。けれど、鎌倉でも『尾州家河内本源氏物語』のような立派な写本を生みだす文化がありました。2008年はこの写本の完成750年の記念の年でもあります。それを祝いたいと思います。
  
(写真は、横浜市称名寺苑池)

 6月25日・・・ワードの試案をある方にお見せしたら、「これは面白いなあ。僕も見たいよ」とおっしゃっていただきました。手応えを感じて嬉しかったです。

 6月27日・・・用があって八王子市学園都市センターに行ったついでに予約の確認をしたら、催物案内に載せるので「催物詳細記入票」に記載して届けてくださいとのこと。行事スケジュールをどこかに貼って紹介していただけるそうです。こんなのはじめて!! 『紫文幻想 ―源氏物語写本に生きた人々―』を知っていただくためにこのブログを立ち上げたりして、今まで何もかも一人でやってきたのでなんだかとても暖かい気持ちになりました。

 6月28日・・・モバイルPCルークスをやっと本格的に使用する下準備として、今までランダムに使っていた状態を白紙化したくなり、吉祥寺のヨドバシへ持っていってリカバリをしてきました。これはパワーポイント用に購入していたものですが、その目的にたどりつかないまま何年かたってしまいました。それでオフィスは2003。まだXPです。そのあいだにパワーポイントは2007になっていて、これはその前のバージョンより性能がとてもよくなっているので遅れてよかったかも。このソフトも購入してインストールしていただきました。さあ、いよいよやるぞ!といった心境です。

 冒頭の写真は源氏物語ミュージアム展示室での撮影です。写真展にこれらの画像も使わせていただけるかなどのそういう確認もこれからしていきます。

織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/

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