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2008.7.31 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 18

046  今日で七月が終わり。明日からはもう八月です・・・、当たり前の話だけど、わたしにとっては緊急事態です。

 七月までは呑気に準備していて間に合うと思ってやっていたのですが、今朝カレンダーを見ると、28日の写真展初日まで、もう三週間とちょっと。まだパネルも注文してないし・・・と、焦ってしまいました。八月に入ったら注文して・・・と決めていても、実際に日数を数える段階に入るとこうなんですね。

 ご案内の葉書も届いたままに放置してあって、ふっと、大判だから80円切手と心積もりしていたけど、本当にそれでいいのかしらと心配になりました。それで、出先でみつけた駅前郵便局に飛び込んで、持っていた一枚をだして、「これの送料は幾らですか?」と訊ねました。若い職員さんは最大サイズのメジャーをだして測定し、「80円です」と。ほっとしましたが、ほんとうに大丈夫かまだ心配で、一枚だけ友人に80円切手を貼って送ってみました。そして、電話で説明して、「送料が不足だと不足料金を請求されるか、戻るかするから、何かあったら教えてね」とお願いしました。友人は、「まあ、楽しみ・・・」と言って笑ってました。明日、結果がわかると思いますが、いざとなってくると不安が募るから余分な心配までしてしまうようです。

 写真は小野の随身院です。襖絵って、豪華でいいですね。割りと撮らせていただける寺院の襖絵が多くて、楽しみです。もちろん、国宝級で撮影不可というのは多いですけど・・・。昔の人は素敵な光景を「絵のよう」と表現しました。今の人は、「絵のよう」「絵葉書みたい」を「リアルでない」というふうにとって蔑視しますが、私は昔の人の感覚と同じで、「絵のよう」は最大の褒め言葉に思います。昔の人にとっては、「絵」も素晴らしいことだったわけで、それはこうした襖絵を見るとわかります。どうも、現代人の感覚は小さいですね。絵を過少評価して。「絵」であってどこが悪いの?って思います。

 今夜、徹夜してでもキャプションを終わらせたい・・・とは思っているのですが。

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2008.7.30 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 17

395 ご案内の葉書は500枚刷りました。印刷は、本の出版でもそうですが、最初の単位の例えば100枚とかは高いんです。版を作るのにお値段が張るんですね。紙代なんてそれに比べたら僅かです。だから、300枚でも、500枚でも、100枚からほんの千円単位で違うだけ。なので、500枚刷りました。

 出来上がる話をしたときに、主人が「何枚刷ったの?」というので、私は基本の100枚よりすごく多く注文したイメージが強くて、いつのまにかそれが頭のなかでどんどん膨らんで、「1000枚」なんて答えてしまいました。そうしたら主人があきれて、「内の会社で何か刷るときだって、500枚だよ」と。私は会場にも置いていらした方が欲しかったら持っていっていただきたいし、余っても将来の履歴代わりにみたいなことを思っているので、「いいじゃない・・・」とあっけらかんと答えていました。そして、届いた箱を開けたら、「500枚」。思いが増殖してたんだ・・・とおかしくなりました。もちろん、主人に訂正しましたが、主人はもう気がそれていてどうってことないような返事でした。

 写真は、比叡山無動寺谷の明王堂です。千日回峰行の根本道場です。「白拍子の風」という小説で主人公にして書いた慈円が、若いときに籠ったのがこの無動谷でした。兄の九条兼実の日記『玉葉』では、「無動寺法印」と呼ばれています。慈円は幼いときに出家させられ比叡山で過ごします。その後、兼実に摂関家のために働くよう言われ、反発して籠ったのが無動寺谷でした。慈円には「正しい道」意識があって、自己の意志と関係なく入れられた仏道の道ですが、真実の道ということに生涯ずっと心の基点を置いていました。それが、「慈円の道理」です。この意識のもとで、慈円は承久の乱へ突っ走ろうとしている後鳥羽院を宥めつづけ、後鳥羽院へ向けて書いたのが『愚管抄』です。大隈和雄氏のよってわかりやすく説かれた「慈円の道理」。それを知って、すっかり私は慈円のファンになりました。そして、それが小説へとなったのです。

 慈円が住んだ無動寺谷のお堂は写真の明王堂ではありません。無動寺谷に無動寺という寺院はなく、点在するそれぞれのお堂があるだけです。訪ねたとき、慈円由緒のお堂までたどりつきたかったのですが、あまりにここまで下りた谷が深くて疲労が激しく、その逆の上りを考えたら帰りのケーブルに間に合うかおぼつかなくて、あきらめました。ただ、ここが千日回峰行のお堂と知っただけでも感激でした。この前庭からははるかに琵琶湖が望めます。慈円はこういう光景を望んで何を思っていたのか考えるだけでも深い思いに浸ります。

 展示する写真にキャプションをつけています。『新古今和歌集』の時代の章に、慈円ゆかりとしてこの写真を選びました。「後鳥羽院・定家・飛鳥井雅経・慈円」の四人です。ただ『新古今和歌集』歌人として慈円を入れたのですが、最初、光行と接触がないからはずそうか迷いました。でも、どうしても慈円は入れたくて、残しました。キャプションをつけていたら、慈円は『平家物語』の編纂者に比定されています。そして、光行は執筆者の一人といわれています。どこかで接点があったはずです。探っていったら、これもまた深い世界になりそうです。キャプションにそれを書くことにしました。

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2008.7.28 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 16

097 DMの印刷が仕上がって届きました。とても綺麗です(自画自賛・・・)。写真と文章を娘に渡してデザイン処理してもらったものです。印刷はネットで京都の印刷所にお願いしました。

 この写真展はあまり知られていない鎌倉の源氏物語文化を、少しでも皆様に知っていただいて、できたら、鎌倉で、鎌倉の源氏物語を祝う源氏物語千年紀のシンポジウムを開きたい一心で企画しました。

 なので、訴えたいことがたくさんで、まず、①紫式部の原本がないこと、②写本によって現在読むことができること、③藤原定家校訂の『青表紙本源氏物語』と源光行校訂の『河内本源氏物語』は二大写本ということ、④『青表紙本源氏物語』は京都で、『河内本源氏物語』は鎌倉で成立したこと、⑤金沢文庫創設者の北条実時によって書写された『尾州家河内本源氏物語』は、完成した間もない『河内本源氏物語』を借りて書写した由緒ある写本ということ、⑥今年は源氏物語千年紀であると同時に、『尾州家河内本源氏物語』の750年記念の年であること・・・等々です。

 それを、一生懸命切り詰めて書いたのが、葉書の右側の文章です。切り詰めても、結局はこれだけのスペースをとって、文字がかなり小さくなってしまいました。

 写真は称名寺境内の苑庭で、実時の邸宅があった場所から望んで撮りました。実時も窓際に佇みながらこうした光景を見ていたのだと思います。そんなとき、源氏物語について考えたことあったでしょう。そんなことを写真の説明として渡したら、娘が池のなかに浮かべて影をつけて読みやすくしてくれました。

 まだ全部の写真のキャプションができていないので、葉書の発送は来月早々になるでしょう。ご希望がありましたら送らせていただきますので、メールでお伝えください。

 所属している短歌結社月光の会の黒田和美さんが逝去されました。心身ともにとても美しい方でした。主宰の福島泰樹先生と早稲田短歌会でご一緒されていて、楚々とした奥床しい風情とは裏腹のとてつもない気骨をお持ちでいられました。大好きな方でした。朝、訃報を受けて気持が沈んで、ほんとうのところ写真展への意欲も消えてしまいました。でも、そんなことを言っていられないと自分を鼓舞してこのブログを書いています。きっと、黒田さんも応援してくださると思って・・・。辛いですね。

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2008.7.27 異常に強い夕焼け

035 024 西北西の空です。日没に関係のない東の雲まで紫に染まるほどの異常な夕焼けでした。同時に北東側の空では縦に何筋もの稲光が走り、不思議でした。この時間、千葉・茨城一帯ではもの凄い雷雨だったそうです。その後、異様に濃い色の虹が観測されたとか。こちらでは虹は見られませんでした。

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2008.7.26 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 15

16  展示する写真が決まったので、個々に添付する解説を書き始めました。そうしたら、意識が整理されたのか、突然、「御挨拶」が書けてしまいました。写真選定の作業中は、何をどうまとめるべきか、全然思考がはたらかなかったのです。

 御挨拶は展示場の最初のパネルに「写真展 写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―」のタイトルと並べて貼ります。

 もう一枚、「源光行関連年表」と「人物相関図」を作成して、それを二枚目のパネルに貼ります。それから写真を貼ったパネルを10枚。なので展示するパネルは合計12枚にということになりました。キャプションを作り終えてこれでいいと思ったらパネルを購入します。とりあえず、早くキャプションを作り終わらなくてはと思っています。というのも、キャプションをつけてみたら、この写真ではなく別のにしよう・・・ということがもう現実に起きていますので。

 写真は鎌倉の朝比奈切通しです。前面を海、残りの三方は山に囲まれた鎌倉には、海から入る以外は山を切り通して作った「切通し」を通らなければなりません。朝比奈切通しは鎌倉と称名寺のある六浦を結んでいます。この切通しができるまで、鎌倉から東京湾側へ出るには峠を越えていかなければなりませんでした。山を切り崩して道を通したので、写真でおわかりのように、両側が切り立った崖のようになっています。外から侵略の軍勢が入れないように非常に細くつくってありますから、樹木が覆いかぶさって、夏でもまるで高山にいるような涼しさ。朝比奈切通しは特にその景観が顕著です。

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2008.7.24 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 14

214  一応、展示用の写真を決めたと思っていました。それで、レイアウトしてみたんです。

 展示は作品展ではなくストーリー性のある流れの展示ですので、写真を一点一点独立させるつもりはありません。最初から、一枚のパネルに何枚か・・・というつもりでした。

 パネルは90×180、つまり畳一枚の大きさです。これは、先日、東京ビッグサイトで行われた文具展へ行って希望にぴったりのものをみつけています。それを横に並べて、一枚につき「第一章」「第二章」とするつもりでした。そこに写真を何枚貼るかですが、選んでいるとどうしても捨てがたいものがでて、1パネルにつき5枚というふうに昨日までの段階では決めていました。

 今日、娘が、イラストレーターを使って、10分の1サイズで展示見本を作って見せてくれました。すると、1パネルに写真5枚は窮屈なのです。結局、「第一章 源氏物語の世界」というタイトルも入れるとなると、1パネルに4枚が最適ということになりました。娘は面白がって勝手に写真を嵌めてみたりしてくれたので、結構リアルに雰囲気がつかめました。

 昨日の段階では1パネル5枚で、それを9枚でした。そうすると写真は45枚です。が、4枚となると、1パネル毎に1枚ずつ削除していかなくてはなりません。これを今日しました。すると、9枚では半端な気がして10枚にしたくなり、結局、1パネル4枚を10枚、写真の総数40枚で収まりがいいのではないでしょうか。1枚増やした分を、金沢文庫以後の源氏物語ということにしました。ほぼ決まった新しい構成を書いておきます。

 第一章 源氏物語の世界
 第二章 源氏物語写本の世界
 第三章 平家文化の時代(パネル二枚)
 第四章 鎌倉 その1
 第五章 鎌倉 その2
 第六章 『新古今和歌集』の時代
 第七章 承久の乱前後
 第八章 称名寺と源氏物語
 第九章 その後の源氏物語

となります。写真を選んでいる間、とても贅沢な毎日でした。大変かと思ったのですが、PCに取り込んでデスクトップ上でスイスイできるのでとても楽でした。それよりか、おもいがけず意識の深みにまで写真の世界が浸透して、夢のなかでまで選んでいるのです。起きて、今のは夢だったのだと気がついてびっくりしました。遺跡の世界で陶磁器の破片を接合するのに毎日毎日破片ばかり見て一緒の個体物はないかと見て過ごしたときに、夢のなかで接合できた喜びに浸ったあのとき以来の深層体験。意識が純化してきたんだなあと嬉しくなりました。物事がまとまっていくことと、意識が純化していくこととは繋がっているのですね。

 写真は名古屋の蓬左文庫前の庭に咲いていた大きな白い牡丹です。『尾州家河内本源氏物語』が所蔵されていて、拝観させていただきたくて訪ねたときに咲いていました。こんなに見事な大きな牡丹ははじめてで、さすが徳川家ゆかりの文庫と思いました。綺麗ですよね。

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2008.7.22 源氏物語千年紀情報・・・新発見源氏物語写本「飯島本」の公開は8月3日までです!

 昨日、別本系源氏物語写本「大沢本」の新発見のニュースがありましたが、これはそれではなく、少し前の7月中旬にやはり新発見報道された「飯島本」のお知らせです。最近、写真展を準備しているものですから、いろいろなことに気がまわらなくてうっかりしていました。昨日の報道で、そういえば「飯島本」の件をブログに載せていなかったと思い出した次第です。

 冷泉為和書写といわれ、室町時代の写本です。54帖すべて揃っているので、『青表紙本源氏物語』や『河内本源氏物語』とは違う、紫式部自身の原本に迫る可能性も・・・と期待されているそうです。

 これが、六本木の国立新美術館に現在出展中なんですね。8月3日までですので、急いでお知らせさせていただきます。(もう、皆様とっくにご存じでしょうけれど・・・)。会場は、第60回毎日書道展特別展示「『春敬の眼』珠玉の飯島春敬コレクション」です。間に合ううちに思い出してよかった・・・

 それにしても、さすが千年紀ですね。国文学者のあいだで千年紀を機に写本の研究が進んでということだそうですが、とても素敵と思います。空の上で紫式部さんが意図してくださっているのかな?

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2008.7.21 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 13

47  写真展展示用の写真を選んでいて、どうしても必要と思うのに無い無いと思っていたら、どうやらそれらはネガで撮っていた時代のものらしいことに思い当たったのが先日です。

 デジカメの現在からさかのぼって、デジカメでも今は外付けHD、それもPC毎につけてあるから三台に保存は分散。その前がCD-ROMで、その前がMO。その前はフィルムカメラで撮っていて、リバーサル。何故、リバーサルにしたかというと、遺跡の発掘調査に携わっていた関係で、調査発表やシンポジウムでの講演にスライドでお見せする必要や報告書のための印刷用からでした。それで、鎌倉を取り始めたのとリバーサルフィルム時代は重なっています。

 ネガで撮っていたのはそれ以前ということで、これは写大以来の習慣からです。焼き付け専門です。鎌倉に興味をもつ以前ということで、京都が主体。結局、東寺や六波羅蜜寺など、探していたのはネガの時代なんですね。

 これはもう重要とばかりに、昨日、思い切ってしまい込んだ書庫の奥から、猛暑と埃にまいりながら、ふうふういって取り出しました。が、二つあった箱の間違った方をだしてしまって、狙いのネガにまだ至りません。

 面白かったのは、箱をあけたら、プーンと酢酸の匂いがひろがったこと。懐かしい暗室の匂いです。白黒のネガだったら自分で処理したわけだから水洗不足とショックを受けるところでした。カメラマンだった父は暗室作業を重視した人で、水洗だけはしっかりやりなさいと教えられました。父の焼いた写真は変色しないとは業界の方のあいだで浸透していたそうです。

 話がそれてしまいましたが、もう一つの箱を取り出すのにまた挑戦するかまだ未定です。構成上、六波羅蜜時が必要なのはわかっていますが、その後べつのポジなどで埋められるかも・・・という気がしています。

 一応50数枚ピックアップして、ワードで順に並べてみて印刷してみました。50枚もあると、我ながら圧巻ですね。捨てがたくて、史跡によっては二枚、三枚と並べたく選んであったのですが、展示順の一覧にすると、そこだけ複数枚というのも不自然で、結局一か所につき一枚となりそうです。

 ●先ほど、テレビで新発見の別本系統の源氏物語写本のニュースをしていました。大阪の堺市で開かれたシンポジウムで、国文学資料館館長の伊井春樹先生がお話されていました。大沢本というようです。54帖全部揃っていて、鎌倉時代の書写で、定家の『青表紙本源氏物語』より古い・・・となると、凄い貴重な発見です。源氏物語千年紀のおかげで、写本の世界がクローズアップされています。昨年までと比べたら、私などには嘘のようです。解説でアナウンサーの方が、「紫式部に原本はみつかっていません。今私たちが読むことができるのは写本があるからです。」と言っていました。そっくりそのまま同じことをDMに書いて入稿したばかりなので、娘を顔を見合せてしまいました。

 ●写真展のお知らせ用DMのデザインができ印刷に入りました。私は写真を選んで、必要事項を書いて、娘に渡しただけ。娘がイラストレーターを使って葉書の表面、裏面のデザイン処理をしてくれました。勤務しながらだから無理ができず、夜中とか今日のような連休とかを使ってようやく仕上がり、入稿となった次第です

 ●写真は待賢門院璋子の法金剛院境内の滝です。たしか、璋子自身の采配の滝とか・・・。角田文衛氏のご著書ですっかり璋子の虜になりました。光行とは関係ないから写真展にはいらないと思っていたのですが、構成を深めていったらやはり必要になりました。これが入って時空が埋まったので、六波羅蜜寺はあえて探さなくてもいい気になっています。

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2008.7.20 浄土式庭園【白水阿弥陀堂の写真】

A3 A5 A7 A8 A2  写真展用の写真を選んでいると、ポジで撮っていたためにご紹介できないで不自由していた写真がいろいろ出てきます。この際と思っていっしょにスキャンしています。

 これは、浄土式庭園で有名な福島県いわき市の白水阿弥陀堂です。平泉出身の女性が嫁いで作った庭園ですから、平泉の文化を引き継いでいます。平泉の毛越寺は浄土式庭園で有名です。名前も「泉」という字を二つに分けて「白」と「水」の命名だそうです。

 ここは遺跡発掘調査によって全容が明らかになりました。水を張って写真のような景観が復元されたものです。一枚目は国宝阿弥陀堂です。内部は撮影禁止ですが、中で案内してくださったお坊様のお経をきくことができ、拝ませていただきました。

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2008.7.19 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 12

188  章立てに合わせてだいたいの展示用写真のピックアップを終わりました。といっても、やっと最初の段階で、これからが詰めですが。

 漠然とはじめたので最初に立てた章立ての順序が間違っていたことに気がつきました。なので正しい方をここに改めてご紹介させていただきます。

第一章 源氏物語の世界
第二章 源氏物語写本の世界
第三章 平家文化全盛の時代
第四章 鎌倉その1
第五章 鎌倉その2
第六章 『新古今和歌集』の時代
第七章 承久の乱前後
第八章 源氏物語と称名寺

 と、こうなりました。最初の案では「鎌倉その2」を承久の乱のあとにしていました。

 おおよそ写真は埋まったのですが、ここにきてまた新たな問題が発生。ポジ原稿分をスキャンすればすべて終わりと思ったのに、あるべき写真がないんです。それも、撮ったことをかなりしっかり覚えている必要な写真ばかり。東寺とか神護寺などです。それで気がつきました。ポジ以前はネガで撮っていたんです。なので、ここにきて更にネガ原稿のスキャンをしなければならないはめになりました。あ~あ、です。なぜって、この猛暑のなか、ネガを整理したアルバムを古い書庫から取り出さなければならないんですから。汗だくは覚悟しても、埃まみれはうんざりです。

 今までは漠然と京都へ行っていましたから、東寺とか神護寺など有名な観光地は踏破しています。でも、光行主体に撮りはじめてからあまり期間がたっていないので、章立てにしてみて光行個人として重要な現場の写真がないことに気がつきました。でも、まあ、急な企画なので仕方ないと割り切ってはじめたのですからあきらめるしかないと覚悟はしていました。なのに、さらに東寺の写真が必要になって・・・、埃まみれを考えたら・・・、東寺なら駅前ですから帰りのついでに撮って来れます。日帰りで京都へ行ってしまいたくなりました。

 原稿はいつも締切ぎりぎりにならないと発奮しない質なのに、写真展はどういうわけかもうすっかり動いています。まだ時間があると思いつつも、いざとなって間に合わなかったら大変という物理的強迫観念が心のどこかにあります。なにしろ私にとっては前代未聞のとっさの思いつきではじめた個人展。とにかく、写真を決めてしまわないと落ち着きません。

 冒頭の写真は小野小町ゆかりの小野随身院です。中が撮影可でしたので、思いきり撮らせていただきました。この日巡ったのは日野の勧修寺と法界寺、小野随身院、そして醍醐寺です。京都市内から離れた観光客のまばらな一帯ですが、とても由緒と風情があって歴史を堪能した一日でした。

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2008.7.18 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 11

57 59  鶴岡八幡宮の御鎮座祭の写真です。フィルムカメラで撮っていたので、お紹介したくてもできずにいました。やっと昨日スキャナー取り込みができました。

 これは毎年12月16日の夜、境内の舞殿前で行われる御神楽の神事です。頼朝の時代からえんえんと行われ、800年の歴史をもっています。コロンビアのCD『日本古代歌謡の世界』の解説書の「其駒揚拍子」という御神楽の項に、毎年それが演目として行われると書いてあり、知りました。

 12月16日といったらもう真冬です。しかも、夜。ダウンコートに身を包んで、それでも寒さに震えながら管絃をする方や巫女さん方が来られるのを待ちました。

 何回か行きましたが、これは最初の年の撮影です。神事ですのでフラッシュ、ストロボの類は禁止されています。手ブレはともかく、巫女さんや人長の方の舞はスローシャッターで切るともう幽玄の世界。それはそれとして雰囲気が醸しだされるので良しとすることにしました。

 鎌倉は武士の都というイメージが強いのですが、頼朝当時からこうした雅な文化が並行してありました。東大寺のお水とりでも、寄進者として頼朝の名前が読み上げられる部分があります。以前、何かの記念祭で、そのお水とりの神事が鶴岡八幡宮の境内で奉納されたことがありました。東大寺での行事をそっくりそのまま鶴岡八幡宮でしたのです。このときも夜でした。神秘なことこのうえない経験でした。鶴岡八幡宮というと初詣とか、そういった賑わいの方にしか現代の人は馴染みがないようですが、神事の世界では今もえんえんと神秘で雅な伝統が引き継がれています。これも鎌倉なのです。

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2008.7.17 虹の写真

45a たぶん、1997年8月の撮影です。写真展用の写真を選びにポジ原稿の分の整理に入ったらでてきました。

 まぎれこんでいたようなので、撮影年月日が曖昧。デジカメ画像ならマウスを合わせれば年月日がわかります。ついうっかりそうやってみたのに、何もでなくて、「そうだ、これはポジフィルムだったんだ・・・」と気づきました。撮影はリバーサル一辺倒だったのが、今はデジカメ。PCも今は一辺倒ですが、私が小説の講座に通いはじめたころはワープロが出始めたちょうどそのころ。写真も文筆活動も、技術革新の変遷期を生きています。

 これは南西です。この方向にこんな虹が見えただなんて。よく見ると副虹なんですね。

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2008.7.16 糸魚川ー静岡構造線【新倉の断層と翡翠峡の写真】

3 5 4 6  写真展のための写真を選んでいて、デジカメで撮った分を一応終わり、それ以前のポジで撮った分の選定に入りました。そうしたら、ずっと前からこのブログでご紹介したかったのにスキャナー処理しなければならない為にできないでいた新倉の断層の写真がでてきました。それで、閑話休題で写真展から離れてフォッサマグナ関連の写真を載せます。

 糸魚川ー静岡構造線は、太平洋側の静岡から、日本海側の糸魚川までを、本州を分断するかたちで走る構造線です。フォッサマグナの西縁にあたります。静岡側はちょうど登呂遺跡のあるあたりですが、地中深く走ってそのまま海中に埋没しているためにあまりよくわかりません。糸魚川側はかの有名な親知らず海岸になります。

 以前、地中奥深くの神秘に魅せられて、糸魚川―静岡構造線をたどる旅をしました。といっても、ずっと沿ってたどったわけでなく、ポイントポイントを訪ねただけですが。

 新倉の断層は構造線の中ほどの山梨県にあります。早川町というところで、身延山の近くです。ここでは地中奥深く埋没しているはずの構造線が露出しているのです。しかも、大逆断層というかたちで。

 逆断層とは、簡単にいうと、古い地層が新しい地層の上になってずれている断層のこと。例えば50センチ規模みたいな小さな断層なら歩いていて、どこかの地層で見ることもありますが、新倉の断層の規模といったら・・・

 ここは車からおりてかなり歩いていかなければならない場所で、しかも歩いて行く先には見えない立地条件で、そこに着いて見上げると突然目の前に高い崖となって断層が迫って見えるという感じで目にします。誰もが思わず、「わぉ~!」と声を洩らさずにいられません。というのも、ちょうど私が行ったとき、京都の国際会議場で開かれていた国際地理学会に集まった世界中の地理学者さんたちが、会議の翌日現地見学会としてここに訪れていたのと一緒になったのです。世界の名だたる地理学者さんでさえ声をあげずにいられない光景が目の前に開かれたのです。

 一枚目がその断層です。ここは川原で、断層は対岸の崖。小さな川なので後ろにさがって撮るスペースがなく、よほどの広角でないと全貌を写し切れません。やっとこれだけ撮ったのですが、気軽にただ一機種のカメラで訪ねてしまったことを後悔しました。右上から左下へスパッと斜めに走っているのが断層の境目です。緑の樹木が生えている地層と、岩肌が露出している地層が見事に違うのがわかります。二枚目と三枚目はその説明の標識です。

 三枚目はおまけで、新潟県の明星山麓の翡翠峡です。これは糸魚川側を訪ねたときのもの。このときの写真もたくさんご紹介したいのですが、またにします。でも、当分無理そうなので一枚だけ。翡翠の原石の巨大なアルビタイトが川の中にごろごろと散乱しています。写真中央の巨石もその一つで、緑の翡翠がなんだか料紙を開いた絵巻のような感じで覗いていました。

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2008.7.15 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 10

157  角田文衛・加納重文氏編『源氏物語の地理』を読んでいます。久々に嵌まって堪能させていただいています。面白いですね。わかっていくことがこんなに楽しいなんて・・・

 源氏物語にでてくる地名はだいたいわかっているつもりでした。でも、こうしてしっかり書かれたものを拝読すると、理解が如何に曖昧だったかに唖然とします。

 例えば、京都とは無縁に生きてきた私にとって、内裏・平安神宮・京都御所は、高校時代は同じものとばかり思っていました。というより、そんな三つもあることも知りませんでした。もっともこれは私の通っていた高校の修学旅行が京都でなかったせいもありますが・・・。修学旅行は中学が東北で、高校は九州。それで、中学のときは『奥の細道』に埋没し、高校では卑弥呼の邪馬台国九州切に嵌まりました。そのあいだも源氏物語は読んでいたのですが、地理的把握抜きのまったくの「文学」でした。その区別がついたのはもうほんとうについこの何年か前のことです。私が疎すぎるのかもしれませんが、古典好きを標榜していてこの始末です。

 そして、去年とか一昨年とかにはじめて京都御所を訪れ、それらの違いに気がついたとはいえ、今度はその京都御所の位置が、朱雀大路からこんなに離れて、しかも北の端のほうにあったなんて・・・と愕然としました。最初から綿密に地理を理解して源氏物語に親しんでいたら、もやもやしたものなんかなく読めただろうな・・・と思っても後の祭りです。それで、この際、きちんと理解しておこうと思ってこの本を読み始めたら、面白いこと。いつも思うのですが、角田文衛先生は考古学出身でいられるから思考回路が一緒というのか、すうっと入ってくるんです。何が重要で、何が楽しくて止められないかあなど、まったく同じです。

 最近ようやくきちんと把握したことに、道長の土御門第があります。法成寺や紫式部の邸宅とされる廬山寺については知っていましたが、土御門第がこんなに正式に場所が特定されていたことを知りませんでした。それは、京都御所内の仙洞御所のあたりということ。それならば、先年御所を訪ねたときに歩いた場所です。知っていたらもっと意識して写真を撮るんだったと悔しく思いました。

 写真はその仙洞御所のあたりの空です。遺跡とか史跡を撮りにいっても、当時のままの建物、ひいては光景があるはずありません。写真はそこにあるものを撮るのですから、ないものは撮れない。自然の地形を撮ってきて、そこに想像力で当時の光景を思うだけです。樹木なら自然だから・・・と思っても、100年や200年の若い木が平安時代、鎌倉時代の息吹を知っているはずありません。それで、よく空を撮って帰ります。空は悠久の昔から変わりはないはずですから。この写真もそんな思いでシャッターを切りました。

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2008.7.13 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 9

230_2  DMを作ることにしました。これは昨年の東京国際ブックフェアで駅などに広告として置くDM葉書を引き受けてくださる会社が出展されていて、気にとめていたからです。本を刊行する段階になったら利用してみようかなと。今年、なんとなく去年の賑わいがないと感じたのは、この会社がなかったことと、あと、グーグルも見当たりませんでしたね。電子書籍が漫画にばかりターゲットを絞っているのが気になって、今年の規模の縮小を感じたのですが、やはりどこか違います。ほんとうは今日聴きたい講演があってもう一度行く予定をしていたのですが、どうしても気が乗らなくて、代わりにDM制作になりました。

 駅での配布はともかく、あともう二か月を切っているわけですから、写真展のご案内はもう印刷に入らなければなりません。それで、急遽思い立って今日作ることにしました。そうしたら、お伝えしたい内容が豊富なものですから、ふつうの葉書サイズでは無理。二枚並べた形の大きなサイズで作るしかないことになりました。

 まず、写真を選んで、説明の文章をワードで書いて・・・とそこまでして、娘に頼みました。自分でイラストレーターを駆使できればいいのですが、できなくて。こういうときになると頼まなければならないのが面倒で、「私もイラストレーターを習おうかな」と主人にいうと、「君は無理だよ」とあっさり言われてしまいました。娘の作業を見ていて自分でもそう思っています。フォトショップは何とか必要な作業はできますが、イラストレーターは根本的に数字に強くないと駄目ですね。娘は数字に強いからイラストレーターは苦でないらしく、代わりにフォトショップの方が嫌いのようです。

 写真はそのDM用に選んだものです。写真展の主旨を説明して、「紫式部の『源氏物語』が藤原定家校訂の『青表紙本源氏物語』になり、源光行・親行親子校訂の『河内本源氏物語』になり、北条実時書写の『尾州家河内本源氏物語』になっていく過程を、定家・光行・親行・実時といった方々の足跡を追うかたちで構成しました。」と記しました。写真はその実時が眺めた光景です。説明には、「写真は横浜市金沢区にある称名寺の苑庭です。称名寺は金沢文庫と同じく北条実時の創建です。実時の邸宅があった場所から望んで撮りました。実時はこうした光景を見ながら源氏物語の書写を思ったのでしょうか。」と書きました。娘はその説明をシャドーをつけた文字で池の水面に入れてくれました。

 実時の邸宅は池より少し高台になった平場に建っていました。かつては旧い金沢文庫が建っていたところです。取り壊されて、今は称名寺とは隧道でつながる新しい文庫になっていますが、私が文庫に興味をもって通いはじめた頃はまだ旧い建物でした。入ると擦り切れて壊れそうな木の階段があって、その踊り場に大きな仏像が置かれていて・・・といかめしいばかりの雰囲気でした。今はそのほとけさまも新しい展示室のガラスのケース内に安置され、火災などから守られています。

 DMはとにかく来週中には印刷仕上げて発送に入りたいと考えています。ご希望がありましたら送らせていただきます。メールでお一報ください。

織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/(【古典と風景】に称名寺の項があります。)

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2008.7.12 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 8

388 ショックなことに気がつきました。昔の写真展のつもりで、写真のサイズは何となく全紙とまではいかなくても、半切かなあと思っていました。今はデジカメだから半切という基準ではなくても、それくらいの大きさと漠然と考えていたのです。

 でも、デジカメで撮った写真は写真として撮った訳でなく、目的が「記録」だったので、そんなに大きい必要がなく、また大きいと撮れる枚数が極端に少ないとか、PCに取り込むのに時間がかかるとかの理由で、最高画質では撮っていなかったのです。それに気づいて詳細を考慮したら、せいぜい大きくてA4・・・つまり写真サイズに換算すると四つ切と呼ばれる大きさ止まりとなったのです。

 半切なら、例えばそれを壁面に10枚並べれば一応見栄えがしますが、四つ切ではその倍は必要? 一枚一枚の完結作品という訳にいかず、一史跡につき二枚とか三枚の連作で・・・とするしかなくなりました。写真を選びに入っていますが、根本から考えなおさなくならなくなって、一瞬青ざめました。でも、まあ、できないことではないので、気分を一新して考えます。

 それにしても、フィルムカメラ時代からデジカメへの移行にこんな落とし穴があったなんて。作品を念頭に撮っていなかったのを切り替えて、これからは最高画質で撮ることにします。幸い、ヴィスタになって、PCに取り込む時間ももの凄く速くなりましたから。

 写真は比叡山から琵琶湖を見おろして撮りました。比叡山は以前書いた小説「白拍子の風」の主人公として描いた慈円さまが修行に籠られたお山です。それは無動寺という寺院で、私はそこに行きたくて、地図を頼りにたどっていったのですが、深い谷の底で、降りても降りてもたどりつかず、これではたどりついても今度は帰りが思いやられるといった厳しさでした。それもそのはず、そこは比叡山の千日回峰行の出発点となるお堂だったのです。「さすが慈円さまが籠られた修行のお山」を実感しました。それにしてもさすが比叡山のすがすがしさ。写真を選んでいてこれがでてきたとき、慈円さまは今度の写真展には入らないけれど・・・と思いつつ、しばし見入ってしまいました。

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2008.7.11 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 7

051 東京ビッグサイトで開催中の第15回東京国際ブックフェアに行きました。去年、執筆中の『紫文幻想』の電子書籍化を思い立って、この会場の一部であるデジタル パブリッシングフェアに行って、シャープさんのブースなどで電子書籍化の原理を把握しようと躍起になっていた、あれから一年がたったということです。

 去年の目論見では、原稿はすぐ完成させて、秋には刊行。そうしたらそれを電子書籍にして・・・でした。それが、思いがけず原稿の内容が一新するような新しい材料をある方からいただき、8月に最初から書きなおしはじめて、到底秋の刊行なんて無理。それどころか2月には・・・とか、5月にはとにかく・・・と思いつめた期限もとっくに過ぎて、まだ原稿は最終章の山場にさしかかったまま滞っています。のみならず、8月下旬に写真展の企画まで入れたりして、『紫文幻想 ―源氏物語写本に生きた人々―』の刊行はいったいどうなるのでしょう・・・(笑)。源氏物語千年紀に向けての発奮だったのですから、写真展が終わり次第、とにかく秋には刊行したいと思っています。

 そんなわけで、デジタル化はまだ先の先の話。デジタルの世界は遅くなればなるほど技術が進歩するばかりでなく、乱立している各メーカーさんの技術も淘汰されていくし、安価になるという傾向があるから焦りません。ここはまず写真展。それから原稿→出版。それから電子書籍。ですね。そんな気負いのなさもあってか、今年は昨年に比べてデジタル部門の活気が今一って感じたのですが、気のせいでしょうか。電子書籍も、売上主体で考えるから仕方ないのでしょうけれど、漫画の電子書籍化ばかりがメインで、これが日本の現状?って思ってしまいました。

 メインの方のブックフェア会場へはあまり興味なかったのですが、せっかく来たのだからと覗いたのが運の尽き。だいたい書店を覗いて買わないで済むなんてことがあるはずがなく、ましてこの会場では一律二割引き。その上、一般書店では見られない貴重な専門書がずらっと並んでいるのですから、結局また買ってしまいました。図書館で、閉架になっている本が開架で見られるような喜びです。今日は最初に買った思文閣出版さんのでもう重たくて持てない状況になったので、他は見るのを止めました。購入した図書は、稲垣弘明氏『中世蹴鞠史の研究―鞠会を中心に―』、これは連載をはじめた小説『花の蹴鞠』のために。それから、角田文衛氏・加納重文氏『源氏物語の地理』、これは前から欲しかったのですが機を逸していたもの。そして、石山寺第五十二世座主鷲尾遍隆氏監修『石山寺の信仰と歴史』です。

 帰りの車内で『石山寺の信仰と歴史』を読んでいたら、第四章「伽藍のすがた」で山岸常人先生が多宝塔は頼朝の建立と書いてられました。訪ねたときになんだか頼朝の話があった記憶があるのですが、建立とまでの認識がなかったので驚きました。冒頭の写真がその多宝塔です。

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2008.7.10 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 6

1997月10日・・・東京ビッグサイトで東京国際ブックフェアがはじまりました。ほんとうは行こうと思っていたのですが、聴いてみたい講演が明日にあり、今日は予定を変更して国際文具・紙製品展のほうへ行きました。写真展の展示に何かアイデアをいただけるものがあればと思ったのです。結果は、カラーパネルというもののあるのを知り、カタログをいただいてきて収穫有りでした。昔の写真展は全紙とか半切とかの印画紙に焼き付けたものを、木のパネルに貼りつける作業をしたものでした。今はデジカメ画像を印刷してもらうので、焼き付けの手間はいりません。ただ、展示にデジカメ画像というのはどういう状況なのか、あまり注意して見ていなかったのでピンときていません。とりあえず、いろいろ見ていきます。

 写真は京都御所です。

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2008.7.8 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 5

076  写真展に展示する写真を選んでいます。前にも書きましたが、歴史を意識して撮りはじめた頃はフィルムカメラ、それからデジカメになって、保存がMO→CD―ROM→外付けHDと複雑。外付けのHDはPC毎につけてあるので三台あります。三台目が最新で、これに写真展関係をまとめていきます。機械の変遷とともに撮った写真の歴史があります。散在していた写真を整理するのにいい機会ですね。

 まず最初にCD-ROMに収めたのからピックアップをはじめました。なぜなら、少量だから。これはすぐに終わって、次にこれも少量の最近まで使っていたHDから。そして、いよいよMO分を。これはMOの機械自体をしまい込んでしまっていたので、撮りだして、埃をぬぐってはじめました。2003年分が入っていました。というのも、デジカメの使いはじめが2003年だったのです。懐かしい写真ばかりでした。

 最後に、残りのHDをしました。ここに去年の厳島神社が入っているはずなのに、分類を間違えていて、「photo」のファイルにないので焦りました。だって、厳島神社はカラフルですから、結構、写真展ではポイントなんです。これは「picture」のファイルに入っていてほっとしました。これでデジカメ分はすべて三台目のHDにまとまりました。一応、これだけでも写真展はできそうと、安心できました。残っているのはフィルムカメラ時代の分。スキャナー撮り込みをしなければならない分です。ここに称名寺の冬景色が入っているので、やはりこれは無視できません。これから頑張ります。

 でも、三台目にまとめてからは簡単。写真を選ぶのが大変でしょうといわれますが、以前だったら焼き付けた写真かマウントしたポジフィルムを前に大騒動、というところですが、デスクトップの画面でスイスイ移動したり削除したり増やしたり・・・ができるんです。まだスキャナーしなければならないことも忘れて楽しんでやってしまいました。

 冒頭の写真は石清水八幡宮です。2003年11月8日撮影。石清水八幡宮を会場に「風土と文化」学会の例会が行われて行ったときのものです。特別展示の絵巻などを見せていただけて、有意義な一日でした。石清水八幡宮は日本の歴史だけでなく、世界の歴史としてエジソンが電気を発明したときに使った竹が石清水八幡宮のだったり、谷崎潤一郎の『芦刈』がこのあたりが舞台だったりと、いろいろ由緒があるのですね。驚きました。

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2008.7.5 稲光の写真

141 133 103  昨日4日夜の北の空です。窓から見える光景がもの凄いのでカメラを向けてみました。ふつう、稲光は一分とか三分とかの長時間露光にして、その間に光ったものをキャッチするという手法でなければ撮れないのですが、昨夜はあまりに頻繁に光るので、ただ次々とふつうにシャッターを切っているだけでこんなに撮れました。怖くなかったら外にでて思いっきり撮りたい衝動に駆られたくらいの凄まじさ。さぞ天地創造の映画のような凄い写真が撮れたでしょうね。

 それにしても、昨今、空が不穏です。関西とか北九州方面では異様な赤さにレリーフ焼けした夕焼けが観測されています。雷も異様な夕焼けも、新潟地震・スマトラ地震の前に見ました。同じような経過をたどっているとすると・・・と思うと気になっています。

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2008.7.4 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 4

064 7月4日・・・はじめてパワーポイントを使ってみました。まだスライドを何枚か作っただけですが、楽しい!! かなり嵌まりそうです。やはり私の原点は写真なんだなあ、って思います。ちなみに作ったスライドは、「(タイトル)写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―」「(第一章)源氏物語の世界」「(第二章)源氏物語写本の世界」「(第三章)源氏物語写本の種類」・・・、とここまで。パワーポイントでいうスライドとは、本でいえば章立ての事なんですね。これに当てはまる写真を入れていきます。

冒頭の写真はたぶん京都の廬山寺です。紫式部の邸宅跡といわれています。京都御所に近接する場所で、その京都御所は道長の土御門第があったところ。土御門第ってどこだろうとずっと思っていましたが、源氏物語千年紀のお陰でとりあげられることが増え、わかりました。効用ですね。

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2008.7.3 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 3

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7月1日・・・今まで撮った写真を総ざらえしてピックアップしなければなりません。展示に使う写真は鎌倉から京都まで。鎌倉を撮っていたのは遺跡発掘調査の仕事に従事していたときですから、もう10年以上も前になります。ということはフィルムカメラ。2003年後半からデジカメを使いはじめましたが、最初はMO保存。その後CD。それから外付けHD。それも、PCが増えるたびにそれ専用にHDを付けていったものですから、もうどこに何が入っているのか・・・。とりあえず、一番少なそうなCDからの分を完了しました。

7月3日・・・プロジェクターを買いました。最初、何もしらなかったときは、パワーポイント用のプロジェクターというのがあるとばかり思っていました。それで、ヨドバシへ行って、「プレゼン用のプロジェクターはどこですか?」って聞いてしまいました。店員さんは吹き出さずに、「どれも一緒なので、ホームシアターの階にあります」と丁寧に教えてくださいました(笑)。それから何度か足を運んでつらつら見つつ、機種を選んでいました。最終的には明るさと解像度、それに画像のシャープさで決めました。それには戸田覚氏『プレゼン成功100%』という本がとても参考になりました。ほんとういうと、パワーポイントの「はじめての」本も買っているのですが、戸田氏のこの方がずっと役立ちそうです。このご本から決めたプロジェクターの私なりの購入基準は、「まず持ち運ぶので小型モデルの2キロ以下。明るさは2500ルーメン以上。そして解像度はXGA.」でした。

 写真は鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿。たまたま新しく塗り直したばかりの夜間の撮影でしたので、なんだか模型みたいに写ってしまいました。赤い舞殿の左手奥、階段の上ににライトアップされてグリーンに写っている本宮があります。2005年12月3日撮影です。

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2008.7.1 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 2

60504uji1206月29日・・・写真展の日程・内容等についての詳細を決めました。思い立ったのが急だったので、細かいいところは何も考えていず、いただいてきていた「催物の行事予定表」に書きいれながら決めていきました。まだ二か月も先と思っていたのに、行事予定表は一か月前に公表。そのためにはもう提出期限ぎりぎりだったというわけです。会場や、知り合いの方への公表は8月になってからでいいくらいに安穏としていたのに、急にせっつかれる思いになっています。とりあえず、決まってしまったのでここに記します。

【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで】
会場: 八王子市学園都市センター第二ギャラリー
会期: 2008年8月28日(木)~8月31日(日)
時間: 初日28日は、13:00~
     29・30日は、10:00~20:00
     最終日31日は、18:00まで

6月30日・・・使用料を納めてきました。主人に、「君、そのギャラリーって費用がかかるんだよね。都心の○○サロンとかだったら無料だし、バックアップもしてくれるのに」っていわれてしまいました。でも、こんな急に思い立ってとれる会場なんてないし、それに源氏物語千年紀は今年だし、あともう残り半年・・・。今年だから意味ある写真展をそんな二年も先まで予約が詰まっているような会場を待つわけにいきません! 「もう、予約しちゃった・・・」と答えるしかありませんでした。主人には搬入と搬出を全面的に手伝ってもらいます。受付ではそのための駐車場の申込用紙を渡されたり、会場に置くソファなど別料金備品の申込が可能と説明を受けたり、とにかく急に話が具体的になって、今まで原稿の執筆とバーチャルなブログ世界にだけ浸っていた私としては、とても新鮮な思いを味わっています。

冒頭の写真は宇治平等院の洲浜です。以前も載せたかな? 忘れてしまいましたが、写真展用にピックアップしているのでいろいろでてきます。古い絵葉書ではこの洲浜は遠浅の砂浜になって延びています。遺跡発掘の成果で当時のかたちに復元されました。『源氏物語』の宇治十帖の舞台は平等院のあるこの場所ではなく、対岸の方です。そちらに源氏物語ミュージアムがあります。

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