2008.7.15 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 10
角田文衛・加納重文氏編『源氏物語の地理』を読んでいます。久々に嵌まって堪能させていただいています。面白いですね。わかっていくことがこんなに楽しいなんて・・・
源氏物語にでてくる地名はだいたいわかっているつもりでした。でも、こうしてしっかり書かれたものを拝読すると、理解が如何に曖昧だったかに唖然とします。
例えば、京都とは無縁に生きてきた私にとって、内裏・平安神宮・京都御所は、高校時代は同じものとばかり思っていました。というより、そんな三つもあることも知りませんでした。もっともこれは私の通っていた高校の修学旅行が京都でなかったせいもありますが・・・。修学旅行は中学が東北で、高校は九州。それで、中学のときは『奥の細道』に埋没し、高校では卑弥呼の邪馬台国九州切に嵌まりました。そのあいだも源氏物語は読んでいたのですが、地理的把握抜きのまったくの「文学」でした。その区別がついたのはもうほんとうについこの何年か前のことです。私が疎すぎるのかもしれませんが、古典好きを標榜していてこの始末です。
そして、去年とか一昨年とかにはじめて京都御所を訪れ、それらの違いに気がついたとはいえ、今度はその京都御所の位置が、朱雀大路からこんなに離れて、しかも北の端のほうにあったなんて・・・と愕然としました。最初から綿密に地理を理解して源氏物語に親しんでいたら、もやもやしたものなんかなく読めただろうな・・・と思っても後の祭りです。それで、この際、きちんと理解しておこうと思ってこの本を読み始めたら、面白いこと。いつも思うのですが、角田文衛先生は考古学出身でいられるから思考回路が一緒というのか、すうっと入ってくるんです。何が重要で、何が楽しくて止められないかあなど、まったく同じです。
最近ようやくきちんと把握したことに、道長の土御門第があります。法成寺や紫式部の邸宅とされる廬山寺については知っていましたが、土御門第がこんなに正式に場所が特定されていたことを知りませんでした。それは、京都御所内の仙洞御所のあたりということ。それならば、先年御所を訪ねたときに歩いた場所です。知っていたらもっと意識して写真を撮るんだったと悔しく思いました。
写真はその仙洞御所のあたりの空です。遺跡とか史跡を撮りにいっても、当時のままの建物、ひいては光景があるはずありません。写真はそこにあるものを撮るのですから、ないものは撮れない。自然の地形を撮ってきて、そこに想像力で当時の光景を思うだけです。樹木なら自然だから・・・と思っても、100年や200年の若い木が平安時代、鎌倉時代の息吹を知っているはずありません。それで、よく空を撮って帰ります。空は悠久の昔から変わりはないはずですから。この写真もそんな思いでシャッターを切りました。
織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/