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2008.8.29 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 37

052_2 040_3  今日もたくさんの方にいらしていただき有難うございました。最初、10:00オープンなのですが、11:30近くまでお一人もいらっしゃらなくて、早い時間に設定したのを後悔しました。今度こういう企画をしたら、11:00にしようと思ってしまいました(笑)。

 昨夜、閉めて、八王子駅に向かったころ、雷が鳴り始めました。地下を通ったりして雨がそんなにひどい印象もなく帰宅したのですが、それが深夜の大災害のはじまり。

 朝、起きたら、八王子が大変なことになっていて、JR中央線は土砂崩れで高尾―八王子間が不通になっていました。東海から東北にかけての太平洋岸一帯が大雨と雷の警報。朝は晴れていたものの、夜にまた同じ気象警報。ひとまず私は八王子まで行かれるものの、来てくださる方が帰れなくなったらどうしようと心配な一日のスタートでした。お約束していた方に無理しないで・・・と心で祈るしかなくでかけたのですが。

 でも、一応、無事、一日を終わりました。ネットを見ていただいた方ともお目にかかって、はじめての経験で、「こそばゆい」ってこういう感覚をいうのでしょうね。

 一枚目の写真は、厳島神社へ行ったときにお土産店で買った「経正の琵琶青山」。みつけたとき、狂喜して買ってしまいました。展示に経正関連の写真があり、キャプションに青山の項がありますので、会場に持っていきました。青山をご存じない方がいらしたらご説明するのにいいかなあと・・・。でも、さすが、源氏物語のタイトルに惹かれていらしてくださる方ばかりの会場で、その必要はなく、小さな琵琶は出番のないままひっそりと談話室(下の写真右側)のテーブルの上に置かれています。

 下の写真は、廊下に置いた案内板。こういう案内板があることに気付かず、何も用意していなかったので、昨日は展示の飾り付けをしながら焦りました。それで、ふと思いついて、例の長い料紙を貼って、そこにDMの葉書を貼って、急遽作りました。家で白いOA用紙に印刷して作った案内よりいいかもと気にいっています。

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2008.8.28 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 36

6x8 Lb3 Zlu 写真展がはじまりました。朝9:00に赤帽さんにパネルを運んでいただいて設置をしはじめました。余裕と思っていたのに、なんと、全部のパネルを吊るし終わったら開場時間30分前。焦りました。

 作業というのは単純で、着々とこなしさえすれば成し遂げられると思っていたのが大間違い。それにはそれ相応の時間がかかるのです。パネルに写真を貼る作業が長引いたのも、そのためでした。

 とりあえず、無事オープンして、たくさんの方にいらしていただいて、初日が終わりました。詳細や感想を載せたいのですが、明日もありますので体力を温存しなくては。ほぼ一日中立っていましたのので、整体体操をします。

 今日は写真だけのせておきます。一番下、三枚目は到着したときの空っぽの会場。上二枚が展示終了後です。日曜日までやります。よかったらいらして下さい。

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2008.8.27 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 35

043 仕上がったばかりのパネルを一枚ご紹介します。これは五枚目。「第四章 鎌倉その一」という部分。第四章なのに五枚目というのは、第三章の「平家文化の時代」が二枚あるからです。鎌倉も二枚あって、「鎌倉その一」は頼朝が生きていた時代。「その二」は頼朝没後の意味です。

 写真展なのに、キャプションに意味があって、それが複雑で・・・と、はじめてこの世界を知る方には何が何だか・・・になってしまうかもしれません。でも、それが書物と違って助かるのは、ただ写真を見て過ぎていただくだけでも楽しんでいただけるかなあと。40枚ありますから、最初の道長の土御門邸からずっとたどって、源平の争乱を経て鎌倉になり、『新古今和歌集』の時代になって、承久の乱・・・・、とその間、定家とか光行は人生を翻弄されているわけです。

 歴史や事件は文字の世界ではなく、生きた人間がそこにいて、実際に大波をかぶっているということなんです。写真の背後に、そういった人たちの人生や思いがあったということを思って見ていただけたら嬉しいです。

 鎌倉の章なのに、このパネルの四枚目の写真は「京都府 日野法界寺」です。???と思われるでしょ。ここに重衡の人生をこめました。南都焼討の罪でで捉えられ、鎌倉に護送された重衡は、頼朝の理解を得て一年間、大倉幕府の一隅に住みます。それが三枚目の写真で「大蔵幕府跡」です。が、南都側がそれを許さず、頼朝は彼を南都に送り返し、重衡は討たれて亡くなります。妻の輔子がその法要を行ったのが日野の法界寺でした。

 と、写真展の流れはそんなふうな小説仕立てです。ご存じの方には一目瞭然。はじめての方にはちんぷんかんぷん・・・かもしれません。明日以降、どうなることでしょう。

 とりあえず、事前経過報告はこれで終わりにさせていただき、明日以降、「その日報告」をさせていただきます。実況中継用にPCを持ち込みたいところですが、いらしてくださった方ともお話したいし、あきらめました。会場でお目にかかれたら嬉しいです。「ネットで」「ブログで」とおっしゃっていただきたく存じます。

 では、また、明日以降に。

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2008.8.27 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 34

 いよいよ明日、写真展の開幕です。午前中に行って、主人と飾り付けをします。運送の手配も終わっていて、あとは現地へ行くだけ・・・と言いたいところですが、目下まだ貼り付けの作業中です。めどはついているので焦ってはいませんが、いつものとおりの「最終日決着」です。昨夜中に終わっていれば、今頃楽だったのに・・・

 でも、黒いパネルにカラー写真、料紙のキャプションは、仕上がって見ても我ながらお気に入りです。今日の作業写真をアップしたいのですが、終わるまでわかりませんね。もしかしたら、事前報告はこれが最後かも。経過を見守ってくださっていた皆様、有難うございました。

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2008.8.26 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 33

007  先日、国立新美術館へ新発見の「飯島本源氏物語」を観に行ったときに会場で購入してきた料紙です。写真展の芳名録として使いたいと思って、気に入った料紙を探していたときだったので、これぞとばかりに奮発して買ってきました。

 ビニールに入って封がされていたので、その日のうちに好きな香りの匂い袋を入れておきました。記名されるときにほのかに薫ったら素敵です。

 ただ、こういうご記帳のされ方ってないでしょうから、罫線とか、どうしようと、まだ考えていません。昨日、文具店の芳名録の売り場でA4サイズの「これなら・・・」と思うのをみつけて、それにすればくよくよ悩まなくて済む、なんて考えはじめています。

 さっき、とりあえずどういう感じになるか、ビニールの封を切って出してみました。銀座の鳩居堂へ行くといつも買ってくる白い錦織の匂い袋は、ちゃんと薫っていてくれます。でも、一枚ずつ出したときに効果あるかな?

 サイズは「35×136センチ」とちゃんと表示されていますが、数字に弱い私は出してみるまでピンときてなくて、出してから、「こんなに長いんだ・・・」と内心びっくり。長方形を想像していて、それなら二つ折にして連歌懐紙風に使えばいいとばかりに心づもりしていましたので、どうしよう・・・と。

 でも、これならこれで、蛇腹のように折りたためば芳名録風の長方形で仕えるわけだし、これで行こうかな?と考えました。そうでなかったら、昨日みつけたA4サイズのを買ってきて、料紙は会場のあちらこちらに配置して、雰囲気を盛り上げてもらうよすがに・・・

 と、まだパネルに写真を貼り終わってもいないのに、こんな呑気なことを考えていていいのでしょうか。でも、明後日になると、ほんとうに写真展がはじまるんです。それを考えると、夢のよう。個人でこんなことができるなんて・・・と不思議な気持ちです。

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2008.8.25 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 32

003  写真は展示パネルに貼る写真のキャプションです。写真がA4、キャプションはB5です。それぞれ計40枚です。

 この料紙のようなOA用紙は、ずっと以前、それも10年とかになる昔に、池袋かどこかのフェアで在庫処理みたいにして売っていたのを買っておいたもの。気に入ってずっと持っていました。

 今回、この紙があったことを思い出して、最初からこの紙に合わせてキャプションの容量を決めたみたいなところがあります。40枚以上あるから大丈夫と思ったら、継ぎ紙みたいに使ったことがあって、やってみたら朱色のが一枚余っただけでぴったり。まるでこの写真展のために用意しておいたみたいです。綺麗でしょ。娘は、なんだか写真よりも周りのことに手間をかけてる写真展ねと笑います。

 料紙といえば芳名録。先日の国立新美術館の書道展の会場で気に入った料紙を買ってありますが、芳名録として使うには罫線が必要です。それをどうするか目下考慮中です。とりあえず、今日は筆ペンを何本か用意しました。

 DMの葉書を送らせていただいているので、いろいろ懐かしい方からご連絡をいただきます。青森から来て下さる方もいて、恐縮の限りとはいえ有難いなあと感じ入っています。それから、ネットで知り合っていても、実際にはお会いしたこともない方が何人か。嬉しいですけど、恥ずかしい気も・・・・。このブログをご覧になっていらして下さる方は「ブログで」と言って下さると嬉しいです!!

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2008.8.24 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 31

172  展示パネルに貼る源氏物語写本の系譜の図が出来上がりました。だいたいの構想を娘に伝えてイラストレーター処理を頼んででかけたら、門外漢の娘は「私にもわかるように勝手に変えたから・・・」と、「勝手な仕様」で仕上げていました。笑っちゃいますね。でも、これが肝心なんですよね。私一人がわかっていてもどうしようもないことで、はじめて「写本の世界を見る」来場者の方にわかっていただくのが目的なのですから。

 昨日は疲れて最終チェックをしないで寝てしまったので、娘はぷんぷん。朝、ざっと見て間違いはないようですのでアップしておきます。これをA3印刷してパネルで展示。A4モノクロでコピーしたのを会場に置き、いらした方に持って帰っていただきます。これを手に写真を見てまわっていただいたら、流れの意味もわかっていただけると思います。

 ざっと流れを説明させていただきます。

 紫式部が書いた『源氏物語』は式部自筆の原本がなく、写本で伝わっています。
 藤原定家校訂の『青表紙本源氏物語』と、源光行校訂の『河内本源氏物語』は写本の中でも古く権威があって、二大写本といわれます。
 その二人は従来学問の家どうしのライバルとして張り合って写本をしあげたようにいわれてきました。ですけれど、年表や事跡を綿密に追っていくと、二人は決して張り合っているわけでなく、逆に協力し合ってしることがわかります。
 それを私は二人が過ごした青春時代が平家文化の只中だった事に着目。二人が平家の方々に文化的恩恵を受けて育っていることから、『源氏物語』写本の作業は平家の方々を偲ぶ追悼の意から成されたと解釈しました。
 それが、図の左上の囲みの平家文化全盛期の意味です。そこから二人の人生遍歴がはじまり、『新古今和歌集』時代、承久の乱を経て、京都で定家の『青表紙本源氏物語』が、鎌倉で光行の『河内本源氏物語』が成立するのです。
 たまたま今年が千年紀ということで、写本の発見が相次ぎました。定家の『青表紙本源氏物語』が独走と思われていた時代も、これからは大沢本の時代になるというようなこともあり得るでしょうね。この図を構想していたときまだこんなことは想像していませんでした。末尾に「飯島本」「大沢本」を入れて作ることができて思いがけず嬉しく思います。

 今日はこれからパネルに写真を貼り込む作業にかかります。それで図をスキャナーでとる時間がなく、簡単にカメラで撮って載せました。ゆがんでいるのはその為です。

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2008.8.23 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 30

028 恐ろしいことに展示初日までもう一週間を割っています。材料は揃っていますが、貼り込みはまだ。キャプションの印刷もこれからです。猛暑で気もそぞろ、体力減退からくる意気消失で、のびのびが続いていました。幸い、突然一昨日から涼しくなって、今度は寒いくらい。風邪をひいたら大変なので気をつけながら奮起することにします。

 写真の他に展示ボードは文字のみのを二枚。写真展タイトルと「ごあいさつ」。それから光行関連の年表と源氏物語写本の系譜。プロフィールなどです。さっさとこれらを処理しておかなければならなかったのに、意気消失で気分が絞れず昨日に至っていました。

 が、涼しくなったのではじめました。それで印刷してみたのですが、予定ではA2だったのを、A3ですますことに。これは、大型印刷に持ち込む時間がなくなったのと、写真がA4なので、文字のだけ巨大ではバランスが悪いとの判断からです。A3なら家でプリントできますので、校正しながら進行させています。

 やりはじめると集中できて、やらなくては・・・と漠然と考えていたのとは別種の思考も浮かんだり。やはり物理的手の作業が脳を活性化させてくれるのですね。猛暑で思考が萎えていたのは、体自体が動いてなかったからでした。

 今作っているのは「源氏物語写本の系譜」です。これは大学院の聴講でご一緒の方からの注文で、「系譜を作っておいてね。そうでないと難しくて・・・」とのこと。なるほどと思い、ずっと以前に試作品を作っていました。これも猛暑で、「もう、いいや・・・」と投げ出していたところ、涼しくなって気力を取り戻して再開しています。試作したのは昨年なので、最後は昭和の「源氏物語の活字化」でした。今年に入って写本の新発見が相次ぎましたので、「新発見写本 大沢本・飯島本」を入れて締めました。この系譜図は結構気に入っています。まだどこにも見かけない図と自負しています。

 冒頭の写真は宇治上神社です。社殿奥に、何日か前に載せた赤い几帳があるのが見えているのですが、暗くておわかりにならないかも。庭の盛砂が厳かでした。神社には清浄な空気が満ちています。

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2008.8.20 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 29

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  プロラボのイ-ストウエストさんにお願いしていた写真の焼き付けが仕上がりました。ポジと、デジタルではコンパクトカメラと一眼レフとでみんな画面サイズが違うので、A4サイズに統一して40枚です。

 久しぶりの印画紙仕上げ。やはり透明感あって、深みがあって、気持ちいいですね。コクがあるって感じ。印刷したものとは一味も二味も違います。

 ちょっとテーブルの上に並べてみました。上は数枚。下は40枚全部です。

 昨日はコアボードが届いています。3×6(さぶろく)という畳大のボードが15枚も届くのでどうなることやらと思っていたら、7ミリ幅が15枚では、広げない限りそんなに家が狭くなるわけではなく、ほっとしています。

 これで、ボードと写真と揃いました。「ごあいさつ」みたいなものも作りはじめています。「貼り」の作業に入ります。そうしたらまた経過を撮ってご紹介させていただくことにします。

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2008.8.18 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 28

112  写真を貼って展示するパネルを注文しました。これは、ビッグサイトで行われた文具展に行って探し、気に入ったのをみつけてカタログをいただいてきていたもの。スチレンボードの黒いもので、コアカラーボードといいます。ふつうのスチレンボードは白ですが、これは黒いもので、それも白いボードに黒い表面加工したのではなく、均一に黒い材質になっているものです。「切ってもヘリの部分まで同じ色」というセールスポイントです。

 一人でする写真展ですから、一枚一枚をパネル処理して吊るすなんていう膨大な作業をするつもりは最初からありませんでした。どうしたらそれを簡略化できるか考えて、そうだ、畳一枚の大きさのパネルに何枚か張り付ければ、搬入も楽だし、飾り付けも簡単、と思ったのです。

 畳一枚の大きさのボードは3×6(さぶろく)というのだそうです。フィルムで4×5(しのご)は知っていましたが、フィルムより明らかに大きい畳サイズが数字が小さいなんて、何の単位だろうと聞いたら、主人が「尺だよ」と教えてくれたので笑ってしまいました。フィルムの4×5は「インチ」です。いまどき、尺の単位が生きてるんですね。

 展示は3×6のボードにA4サイズの写真四枚と、B5サイズのキャプションをそれぞれに付けます。「第一章 源氏物語の世界」から「第九章 源氏物語のその後」まで、途中「第三章 平家文化の時代」が二枚なので、計10枚。それにタイトル・ご挨拶・光行年表・人脈図・プロフィールなどを貼ったパネルが二枚。全部で12枚と思っています。ネット注文したところでは5枚単位で購入すると半額になるので、12枚とか13枚とかちょうどよく買うより、5枚セットを3箱購入した方が安価でした。注文してすぐ振り込んだので明日届きます。

 私の家は、いわゆる住宅街のふつうの家屋。画家さんのようにアトリエがあるわけではありません。そこに畳大のパネルが15枚届くんです。どうなってしまうんでしょうね。予測つきませんが、明日からボードに囲まれて暮らします!!

 写真は宇佐八幡宮の蓮池です。

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2008.8.17 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 27

013_2  八王子へ行って、郷土資料館とギャラリー会場のある八王子市学園都市センターに写真展DMを置かせていただいて来ました。

 写真は会場がある「八王子東急スクエアビル」です。JR八王子駅北口をでるとすぐ目の前に聳えたっています。わかりやすいので間違う心配はないでしょう。京王八王子駅からだと、JR八王子駅をめざして歩いてこられれば問題ないと思います。京王八王子駅からは数分かかります。

 今日、ミクシィの日記に写真展の件を載せました。孔雀のブログをはじめてからすっかり遠のいていましたので、久しぶりです。

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2008.8.16 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 26

053  会場に展示する「ご挨拶」と「源光行関連年表」を、大型出力用に娘にイラストレーターで処理してもらいました。90×180の畳サイズのパネルに縦に貼るのでA2です。我が家のプリンターはA3までしかできないので、娘は三分割してプリントし、切り張りして仕上げてくれました。

 文字は28ポイント。小さい気もしますが個人でする限界として許していただきましょう。通常博物館で見る「ご挨拶」など、どれくらいの大きさの文字でなさってるのでしょう。今までそんなところに注意して見たことがないのでわかりません。

 あと、人脈の相関図を作らなければと思っています。手書きではできているのですが、複雑で、パソコンで描けるか不安です。いよいよとなったら手書きのを貼ってしまおうか・・・などと(笑)。娘に頼めばできるのですが、仕事も詰まっているし、これ以上の迷惑はかけられません。こんなときにイラストレーターの技術があるといいんですね。人脈図はエクセルで挑戦してみます。

 写真は源氏物語ミュージアムの展示室で撮りました。第一室です。ここは撮影が許されていて嬉しいですね。牛車とか、胡蝶の装束をつけた童舞に続いて、この中宮彰子さまがいらしたような室礼の一画がありました。色合いが好きで壁紙に使っています。

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2008.8.15 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 25

024  昨日、写真の焼付けの依頼をしてきました。イーストウエストさんというプロラボさんです。その代官山のサービスセンターに伺いました。
http://www.eastwest-inc.co.jp/servicecenter/center_daikanyama.html

 プロラボさんなんて、写大の学生時代以来ですね。その後、写真に携わっていても、羽田空港時代も、遺跡発掘調査時代も、報道用の写真はみんな自分のところの現像処理で間に合っていましたから。昨日も昔のプロラボさんの話をして、私もほんの短期間ですが、新橋の日本発色さんで働かせていただいたことがありますから、思いがけず昔が甦りました。でも、その日本発色さんがもうなくなって、近くではコダックのEPRが製造中止でなどというお話まで伺うと、時代の移り変わりとはいえ唖然としました。EPRにこだわって使っていた私たち人種にはショックな話です。

 展示する写真は全部で40枚。そのうちの、ポジからの焼き付けが7枚。あとの33枚はデジタルです。源氏物語の歴史を追うテーマの写真展ですが、私の写真の歴史にもなって面白いと思いました。先日も書きましたが、写大時代はフィルムカメラのモノクロ。羽田空港時代もそうです。遺跡発掘調査では報告書用にモノクロとカラーのリバーサル(ポジ)。個人ではずっとネガカラーで焼付を依頼していました。この時代が長く、今回どうしても欲しいと思った六波羅蜜時もこのなかです。でも、ネガカラー分は探し出すのが大変で、今回は見送りました。

 ポジを使うようになったのは、遺跡発掘調査の発表で会場でスライドを使う必要から。それと、焼き付ける必要がない手軽さからでした。なので、それは鎌倉を撮るようになってからのことで、必然的に鎌倉の写真はポジです。

 デジタルに移行したのは2003年10月です。今でもはっきり覚えているのですが、当時北極で磁気嵐が起きていて、長野でオーロラ観測ができた話題になったときです。執筆で夜中に起きていることが多い私は、夜空が異様に赤いので何だろうと不思議に思って見ていました。すると、翌日の新聞に長野でオーロラが観測されたとの記事。写真を見ると、私が見ていた赤い夜空そのものでした。私は「関東でも観られたオーロラ」という歴史的事実に立ち会ったんだと感動しました。空を撮るようになったのはそれからです。そして、機動性と、現像に出さなくて済むという手軽さ、経済性で、その後はすっかりフィルムカメラから離れました。

 でも、雲を撮るのが最優先のデジタルでしたから、機動力が優先。まさか作品として展示するなど考えていませんでしたから、画素数を最大には撮っていなかったんですよね。今回の33枚のうち29枚がコンパクトカメラで撮った分。一眼レフで撮ったのは全くの最近分でわずか4枚という悲惨な現状です。昨日のイーストウエストさんでも、応対して下さった中島さまに画素数が小さい旨のご指摘をいただきました。それは承知での展示ですということでお願いしました。これからは画素数を最大にして撮ることにしなければ・・・

 焼付は来週早々にあがります。いよいよ現実味を帯びてくるでしょうね。具体物を目の前にしたら。(まだ、何かと用事に追われて、それを処理するのにいっぱいで、写真展の実感が湧きません。)

 でも、DMの葉書を送らせていただきましたので、少しずつ反応をいただいています。長くご無沙汰している方にも送らせていただいたら、「ずいぶん面白そうなことをしているんですね」ってすぐメールでいただいたり・・・(文化庁のお仕事をされている方からのこのお言葉は嬉しかったですね。やはり、文化に携わる方には面白いテーマだってことを確認した思いで。)

 今、これを打っているあいだに郵便が届いたので見たら、月光の会でお世話になっている太田代志朗さんからの封書が入っていて、「写真展には伺いたいと思います」って。図書新聞に書かれた梅原猛先生の対論集『神仏のしづめ』のご書評が同封されていて、太田ワールド満載のご執筆で、なんだか懐かしく拝見させていただきました。太田さんとはちょっと時代がずれていますが、同じ「中世」にかかわる者としての同士です。

 昨日も一つ嬉しいメールをいただいていて、それは朝霞市博物館の学芸員の方からで、お送りさせていただいた私の葉書をコピーして館内に貼って下さるって。朝霞市博物館では10月から11月にかけて源氏物語千年紀の企画展をされるんです。その関係で送らせていただきました。企画展は楽しみですし、この企画展のお話から奮起して写真展を決意したようなところもあります。

 ともあれ、あまり写真選定に没頭したせいか現実に浮上しきれなくてまだ頭が冴えませんが、そうもいってられませんので、動くことにします。来週早々、できあがった写真を手にしたら感動するんでしょうね。

 冒頭の写真は宇治上神社です。源氏物語ミュージアムから宇治川へと戻る途中にあります。もう一つ宇治神社があるのですが、立ち寄りませんでした。でも、宇治神社こそ、宇治十帖の八の宮邸があったとされる地なんですよね。写真展では間違っているとご指摘されそうですが、宇治神社と同じ対岸の神社としてこの写真を展示させていただきます。好きなんです、この写真。ミュージアム等で現代の人が当時を復元した「平安時代」でなく、ここには本物のそれがある気がして。

 ■これを書いているあいだに、終戦記念日の放送がありました。黙祷しながら思ったのですが、文化は何よりも強いんです。文化を正しく認識して心に組み入れていたら戦争になんてならないんです。源氏物語は文化です。日本の大事な文化です。その文化のために私は写真展をしようとしているのだと思いました。

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2008.8.13 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 24

083 写真展のご案内のDMの発送作業をしています。旧知の仲の方にはほぼ終わりましたが、この写真展は旧交を温めるのが目的でなく、源氏物語写本の真実の歴史を知っていただくためにするわけですから、できるだけたくさんの方に知っていただきたいと思います。それで、どういうところにお送りするのが有効か、逐次考えていきます。

 DMにはメインの写真の他に簡単な解説をつけました。ご紹介させていただきます。

■織田百合子写真展
写真でたどる源氏物語の歴史
―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―

 日程: 2008年8月28日(木)~8月31日(日)
         28日(木)・・・・・・・・・・13:00~20:00
         29日・30日・・・・・・・・10:00~20:00
         31日(日)・・・・・・・・・・10:00~18:00
 会場: 八王子市学園都市センター 第2ギャラリーホール
         042-646-5611
        (JR八王子駅北口駅前 八王子東急スクエアビル11階)
 お問い合わせ先: 
oda-yuriko@spa.nifty.com         

 『源氏物語』は紫式部が書きました。けれど、紫式部自身の手になる原本は残っていません。現在私たちが読むことができるのは、昔の人が書き残してくれた写本があるからです。
 藤原定家校訂の『青表紙本源氏物語』と。源光行・親行親子校訂の『河内本源氏物語』は、二大写本といわれています。『青表紙本源氏物語』は京都で、『河内本源氏物語』は鎌倉で成立しました。
 重要文化財『尾州家河内本源氏物語』は、金沢文庫の創設者である北条実時が、完成して間もない『河内本源氏物語』を親行から借りて書写しました。
 あまり知られていませんが、このように鎌倉には素晴らしい源氏物語文化がありました。源氏物語千年紀の今年は『尾州家河内本源氏物語』完成750周年の記念の年にもあたります。
 紫式部の『源氏物語』が『青表紙本源氏物語』になり、『河内本源氏物語』になり、『尾州家河内本源氏物語』になっていく過程を、定家・光行・親行・実時といった方々の足跡を追うかたちでこの写真展を構成しました。ご観覧いただけますなら幸いに存じます。

 と、ここまでが写真展を決意したときの気持ちのなかの流れでした。が、展示する写真を選んでいるうちに、私のなかでもっと違う流れがくすぶりはじめ、それが何か明快につかめなくてずっもやもやしていました。それで写真の焼付を依頼にだすのも、DMの発送も、すべて滞っていました。なぜなら、そのもやもやはこの写真展の根幹を成すものであり、それがわからない限り、自信をもって「いらしてください」というご通知をする気にならなかったからです。写真の焼き付けも、もしかしたらテーマ次第では変えなければならなくなるかもしれなかったからです。

 深い、深い、もやもやでした。でも、一昨日あたりから、期限が迫っているものですから、少しずつDMの発送をはじめました。そこに少しずつ思いをしたためさせているあいだに、少しずつ思っていることの真実が垣間見えてきました。そして、今朝、目覚めたときに、それが文章にまとまりました。これを会場で「ご挨拶」として飾ろうと思っています。当日までに多少の変更はあるでしょうけれど、でも、たぶん、これがこの写真展の根幹です。

 源氏物語二大写本である『青表紙本源氏物語』と『河内本源氏物語』は、亡くなった平家の方々を偲ぶ心から生まれました。
 『青表紙本源氏物語』の校訂者藤原定家と、『河内本源氏物語』の校訂者源光行は、一歳違いの同世代です。二人が二十歳のころは平家文化全盛期でした。二人はそこで平家の公達方といっしょに歌を詠みあうなど、熱い青春時代を過ごしました。いわば、二人の文学的感性は平家文化の土壌のなかで培われたのです。
 平家が朝敵となったとき、二人は親しかった方々の、恩ある方々の、滅びゆくのを、成す術もなくじっと辛さに耐えてみすみす見送るしかありませんでした。
 
でも、二人の心には、平家の方々の想い出は、華やかだった文化の想い出とともにずっとあり続けました。源氏物語写本の校訂作業は、そういう二人の心におのずと芽生えて始められました。なぜなら、平家文化は王朝世界という源氏物語文化のこの世での具現にほかなりませんでしたから。
 この作業に没頭しているあいだ、二人は平家の方々と生きて交流できたのです。ひたすら懐かしく至福のひとときだったはずです。二人は決して学問として源氏物語写本を仕上げたのではありません。文学として、おのれの、ひいては平家の方々の生きた証として、それを成し遂げたのです。
 この写真展は作品展ではありません。小説や論文を書くための取材の過程で撮り溜めた写真を時系列に並べたら、おのずとこのような世界が浮かびあがりました。
 定家の心になって、光行の心になって、ご覧になっていただけましたなら幸いに存じます。


 ■DMをご希望の方にはお送りさせていただきます。メールでご一報ください。冒頭の写真は、金沢文庫に隣接する、同じく北条実時創建の称名寺の苑庭です。浄土式庭園として、西に日が沈む時間にほんとうにこの世ならぬ美しい光景を見せてくれます。この一枚は展示用として選定しました。

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2008.8.10 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 23

080  もう8月10日ですね。写真を選んで、キャプションを書いて、DMを作って・・・と、そこまでは頑張ったのですが、ここにきてずっと気持が停滞しています。内心焦ってはいるのですが、どこか奮い立つものがなくて。こんなことでは駄目と一応、キャプションに手を入れたり、住所録の整理をしたりはしているのですが・・・。きっと写真選定があまりに贅沢な時間だったから、終わって気が抜けてしまったのでしょう。またとない人生の至福のひとときでしたから。

 昨日、朝、福島泰樹先生からメールで、今夜の吉祥寺曼荼羅での毎月の定例コンサートへのお誘いがありました。短歌絶叫コンサートです。行って元気をいただいてこようと思っています。ご紹介させていただきますね。毎回、すがすがしい気持ちで帰途につかせていただいています。

■十日、吉祥寺曼荼羅!■
 中上健次十七回忌追悼「蝉王健次の歌」他、十七歳で命を断った長澤延子「ランル
の旗」など新曲を用意し、お待ち申し上げます。元「頭脳警察」勝呂和夫の泣きのギ
ターを堪能下さい。

 出演 福島泰樹(短歌絶叫)
    永畑雅人(ピアノ・アコーディオン?    勝呂和夫(ギター)

 8月10日(日) 午後7時30分開演
 曼荼羅 電話 0422-47-6782 
 吉祥寺南口(公園口)下車。正面「丸井」前、井の頭通りを渡らずに、右直進1分、
「無印良品」前。

 写真は京都御所です。襖絵があでやかでした。

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2008.8.8 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 22

359  北京オリンピック開会式をテレビで観ながら打っています。今、日本選手団の入場が終わったところです。旗手の福原愛ちゃんが可愛くて、あまり映らなかったのでもっと見たかったなあ・・・、というか、旗で顔が隠れてました。もったいない・・・

 カウントダウンから観ていました。さすが歴史の重さ。文化の深さ。感嘆するばかりでした。日本が誘致していますが、決まったら開会式をするんですよね。そうしたら、どんな趣向で何を売りにするのでしょう。日本の文化といったら、私には源氏物語ですが、それをメインに押し出して、北京のあの凄い壮大さはでないでしょう。演じられている中国の俳優さん方を見ながら、あれが道長で、あの女性は紫式部・・・?と想像しながら、どうしても雄大さには行きつきませんでした。

 で、写真展準備の経過報告を書かなくてはと、今PCに向かったのですが、あの迫力に負けない画像なんてないなあ・・・と。探して、いっそのことサプライズで三内丸山遺跡のにしようか・・・などと思ったのですが、これにしました。日吉大社社殿の「きざはし」です。綺麗でした。

 日吉大社は比叡山の麓、坂本の中心にあります。『明月記』にも定家が参拝に訪れているのが書かれていますし、気になっている神社でした。それで、比叡山に行くなら是非と参拝させていただきました。歴史上、日吉社というと「神輿」にかかわる話がよくありますが、その神輿もあり圧巻でした。

 定家が訪れているのだから、是非展示の一枚にと選んだのですが、キャプションが上手くつきません。悩んでいたら、光行が16歳のころ、『日吉社五首歌合 』に詠進しているのに気がつきました。それで、日吉大社のキャプションは光行のそれです。

 というように、目下、キャプションの内容を詰めています。ほぼできあがっているので校正の段階です。昨日、これを会場で配布させていただく資料に刷りこもうと思いつきました。となると、資料のサイズはA4というわけにいかず、A3・・・。しかも両面印刷・・・。これは印刷を依頼するしかないと決めました。何枚刷ればいいのでしょう。単位は100枚からで、200枚、250枚、そして500枚。100枚で足りるのか全然足りないか。200枚では? 500枚だったら余り過ぎ?・・・と、いろいろ思案しなければならないことだらけです。

 そろそろ写真の焼き付けも出さなくてはならないですね。ちょっぴり焦ってきています。DMの葉書も、まだお出ししていません。ほんとうのところ夏バテでしょうか、うだつのあがらない状態から抜け出せなくて活動まで行けないんです。それで、籠ってできるキャプションを仕上げることにして集中・・・ということ。でも、北京五輪もはじまったことだし、活力を貰えるかな?

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2008.8.7 今日も荘厳な夕焼け空になりました。

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  一枚目の株虹のような現象を幻日といいます。太陽を中心に左右にできる現象です。雲が発生していて、その雲に磁気があると起きるようです。今日の夕刻も左右にできていましたが、左のが巨大でくっきりしていました。これだけ大きな幻日は珍しいと思います。

 同じ雲がその後見事な夕焼け色に染まりました。荘厳で、日常にいながらにしてこんな光景を目にすることができるなんてと、しばし佇んで堪能しました。

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2008.8.6 今日の異様な空

151_2 013_2 一枚目は16:46撮影の南西から西にかけての空です。南西から噴霧器で撒いた霧のような雲が広がりました。こういう日は異様な色に空が染まる夕焼けになります。それで出かけるのにカメラ持参で出ました。

 案の定、16:49撮影の空は二枚目のようでした。吉祥寺にての撮影ですが、もっと広々とした全景で撮りたかったですね。

 各地でゲリラ豪雨とか、雷雨とかの異常な気象が続いています。稲光はしょっちゅうの昨今です。雷というと2004年の新潟県中越地震前を思い出します。嫌な感じです。

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2008.8.6 源氏物語千年紀情報・・・『尾州家河内本源氏物語』の展示が蓬左文庫であります!

 名古屋市の蓬左文庫のHPへいきました。本の執筆と、急な写真展開催とで追われ、しばらく周囲に気が向かなくなっていました。ふと、気付くと、『尾州家河内本源氏物語』をめぐって行動しながら、源氏物語千年紀の今年の企画を何も拝見していなかったんです。やはり、企画はされていました。当然ですよね。そんなことにも思いが至らなかったなんてと唖然としています。

 でも、間に合いました。展示は何期かに区切られていて、第一期の絵巻の展示は終わっていましたが、『尾州家河内本源氏物語』はこれからでした。ご紹介させていただきます。

■蓬左文庫展示 源氏物語千年紀『源氏物語』の世界
    ●展示期間
     ・ 5月21日~7月21日
     ・ 7月24日~9月28日
     ・ 11月12日~12月14日
     ・ 平成21年1月4日~2月15日
     ・ 2月18日~4月5日
    ●会場
     ・ 展示室1でコーナー展示

「特別展の期間をのぞく通常展示のなかで、『源氏物語』にまつわる写本をはじめ、絵画・書籍・工芸品など、その成立以来さまざまさかたちで享受されてきた『源氏物語』の世界を紹介していきます。
現在の展示(7月24日~9月28日)の前半期(8月28日まで)では、建中寺所蔵の「源氏物語図屏風」が、
後半期(8月29日から)では、蓬左文庫所蔵、重要文化財の「源氏物語(河内本)」が展示されます

  『尾州家河内本源氏物語』は、私が最初に読ませていただいた山岸徳平先生の『尾州家河内本源氏物語開題』がそうなっていたので、ずっとそう呼称させていただいていますが、今は別の名称になっているようですね。正式に把握できたら変えるしかないでしょうけれど、わかりやすいのでこのまま使わせていただいています。

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2008.8.5 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 21

45  終日、キャプションを作っていました。ほんとうは他にすることがいろいろあるのですが、なんだか気が乗らなくて・・・。DMの発送もすでに終わらせているくらいの意気込みだったのですが。

 DMは、発送したら一気に写真展が私個人のものでなく、公になります。それが怖くてというわけでないのですが、慎重になっているのは確かです。始める前は一気に住所録を作って、お願いしたい向きには封書で丁寧にいきさつを説明して・・・と思っていたのですが、なんだか意識が停滞気味です。こういう日もありますよね。うだつのあがらない・・・。各地で雷雨とか異常な夕焼けとか不穏なので、その撹乱もあるのでしょう。

 住所録は新たにまとめようと思って、日曜日に「住所録」というソフトを買ってきました。一番オーソドックスなものをと思っていたのに、いざ選んだのは「一斉メール送信」機能がついたもの。「New」とあるからには新しい機能なんでしょうね。入力したアドレス先に一斉に送信できるというのは、今後必要かもって思いました。

 今日、卒業した「写大」の同窓会会報が届きました。せっかくの写真展ですから、写大にも通知してどこかに載せていただこうと思っていたので、見たら、HPに送信すればいいようです。今夜あたり、まずそこからはじめてみましょうか。写真は挫折したものとばかりに文学一辺倒に走ってきたのが、源氏物語千年紀に関連して、『河内本源氏物語』ができた由来を「写真」で説く・・・というのも、私には原点への回帰です。

 写真は京都の法金剛院の苑庭です。待賢門院璋子ゆかりの寺院です。仁和寺に近いところにありました。白河法皇に愛されつつ、鳥羽天皇中宮になり、崇徳天皇・後白河天皇の母となった女性。角田文衛氏待賢門院璋子の生涯―椒庭秘抄ですっかり虜になりました。この一枚は清盛の関連で最初選んでいたのですが、枚数の都合上泣く泣く削除しました。白河院のご落胤説もある清盛です。実際に会っていたのかどうかわかりませんが、同じ一つの世界に生きた二人なのでしょう。宮尾登美子さんの『平家物語』では、導入部がこのあたりでとても雅な世界に描かれていました。こじんまりとしたいい庭園です。石組の滝もあって。

 この待賢門院璋子と、時代が下った阿仏尼の肖像画が同じなんですよね。私は最初璋子の肖像画として知ったので、そのイメージが勝って、阿仏尼の方が流用と思っているのですが、真実はどちらなのでしょう。

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2008.8.3 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 20

092  選定が終わった写真の一覧をご紹介させていただきます。本番では右から並べますが、これは左から一列目が第一章「源氏物語の世界」、二列目が第二章「源氏物語写本の世界」、三列目と四列目が「平家文化の時代」です。以下、第九章まであります。

 何だ、こんな写真か・・・と思わないでくださいね。写真は全部記録用に撮ったものばかりで、まさか展示するなんて夢にも思っていませんでした。だから、「作品」ではないんです。まして、「芸術写真」ではありません。すべて取材に行ったときのもので「記録」です。

 なので、会場では「キャプション」が命。個々の写真に長いキャプションをつけます。それも私が要略した説明ではなく、できる限り、それを撮りに行くきっかけとなった古典や論文の引用をつけさせていただきます。いわば、写真と古典のコラボレーション的展示です。

 一例をご紹介させていただきますと、左上、すなわち第一章の最初の一枚は、「藤原道長の土御門殿」で、京都御苑内の仙洞御所のある一画です。『紫式部日記』冒頭で有名な土御門殿は、ここにありました。それを角田文衛氏のご論文から、「仙洞御所の北池と南池との境をなす狭い部分に架された石橋の辺が土御門殿の南限であり、北限は清和院御門に通ずる広い道路敷地の北の緑地帯南辺である。大宮御所と仙洞御所の境界は、大体のところ土御門殿の西限とみてよかろう。」というふうにキャプションをつけました。二枚目の孔雀は河添房江先生の『光源氏が愛した王朝ブランド品』に、土御門殿に孔雀が飼われていたという記述があったので、そこを引用させていただいています。

 娘は、写真に長い説明をつけると人が立ち止まって読むから流れが悪くなると、忠告してくれます。展覧会でも、キャプションばかり読んで展示物から気がそれていることに気がつかない方が多いそうです。でも、流れが滞るほどご来場くださる方がいらっしゃるなら、それは喜ばしいことで、まさか困るほどにはならないでしょうからと、意を決しての「長いキャプション」です。それだけ、私はこの写真展で訴えたいことがあるのだとご容認ください。

 写真は作業台の上で撮りました。おしゃれに布か何かを敷いて撮ることもできましたが、あえて閉じたノートPCの上に置いて。コードが乱れていますでしょ。優雅な源氏物語世界に浸りながら、作業はまったくのふうふうといった現実世界です。

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2008.8.1 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 19

23 七月中旬に新発見のニュースがあった源氏物語「飯島本」を見てきました。まぎらわしいのですが、つい先日ニュースになった「大沢本」とは別の写本です。

 どちらも54帖揃っていることで画期的ですが、こちらは室町時代の書写だそうです。国立新美術館で開催中の「『春敬の眼』珠玉の飯島春敬コレクション」展で公開されています。明日3日が最終日。気にしていたのですが、あれこれと忙しくしているあいだにうっかり忘れるところでした。今日も別の場所へ行く途中、ふと思い出して、急遽帰りに回りました。

 でも、凄いコレクションでした。書道をなさっている方には、見て回るのに時間がいくらあっても足りないでしょうね。私は、空海とか、あとは国文学で親しみのあるお名前の方々のを中心に見させていただきましたが、とにかく凄いとしか・・・。貫之筆、行成筆、公任筆・・・といったものはともかく、俊成、定家もともかく、九条兼実あり、良経あり、飛鳥井雅経あり、伝宗尊親王筆あり・・・。道長の金峯山埋経があって、さらに驚いたのは、源氏物語絵巻詞書断簡の存在・・・。伝寂蓮筆と伝伊房筆でした。そして、石山切もありました。しかも、見慣れたあの伊勢集が。

 思いがけずここで一つの収穫がありました。それは、料紙。写真展の受付に芳名録を用意しますが、私はそれを市販のものでなく、料紙を綴じないでそのまま置きたいと思っているんです。それで、ここのところ折あると料紙の売り場に行ってどれにしようか迷っていたのですが、今一決めかねていました。料紙教室に長く通っていれば溜まっているのに・・・と悔やんでも仕方ありません。それが、書道の展覧会なので、墨や筆に混じって料紙が並べられていたのです。もちろん、購入して帰りました。吉祥寺で見ていたものは使いやすいサイズで、そのまま置いて大丈夫と思っていましたが、買ってきたものは半切という大判。それをそのまま受付に置いても面白いけれど、半分に切るかも・・・と思案です。若い方にも気楽なように硬めの筆ペンを置いて、料紙に書く楽しみを味わっていただけたらというのが目的です。だって、源氏物語の世界は色の世界。紙と布・・・。布は手にしかねますが、紙は一応準備できますものね。

 「飯島本」の見られる展覧会は明日までです。まだの方は是非おでかけなさってください。「大沢本」もそのうちに拝見できるといいですね。

 写真は仁和寺です。ここも襖絵の撮影が許されていて、嬉しくて何枚も撮ってしまいました。法親王という方々はこうしたお部屋で暮らしていられたんですね。親王さまのご住居だから、仁和寺は他の仏教寺院と違って雅です。

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2008.8.1 吉祥寺美術館「小磯良平展」のお知らせ

 吉祥寺ロフトに用があって歩いている途中、ふと、小磯良平展のポスターが目につきました。ん? と思って読むと、そのビルの中の武蔵野市立吉祥寺美術館で開催中です。しかも、入館料が100円。まさかと思って見直しても、やはり100円。いくら市民のための美術館でも、小磯良平展が100円とは・・・と信じられない思いで見入ってしまいました。

 今は時間がいくらあっても足りない状況なので迷いましたが、でも、入ってみました。さすが、良かったです!! 詳細をお知らせしますので、お近くの方は是非いらしてください。

●小磯良平展
 場所: 武蔵野市立吉祥寺美術館
          JR線・井の頭線吉祥寺駅北口
          伊勢丹新館(FFビル)7F
          0422-22-0385
 会期: 7月26日(土)~9月7日(日)
 

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