2008.8.5 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 21
終日、キャプションを作っていました。ほんとうは他にすることがいろいろあるのですが、なんだか気が乗らなくて・・・。DMの発送もすでに終わらせているくらいの意気込みだったのですが。
DMは、発送したら一気に写真展が私個人のものでなく、公になります。それが怖くてというわけでないのですが、慎重になっているのは確かです。始める前は一気に住所録を作って、お願いしたい向きには封書で丁寧にいきさつを説明して・・・と思っていたのですが、なんだか意識が停滞気味です。こういう日もありますよね。うだつのあがらない・・・。各地で雷雨とか異常な夕焼けとか不穏なので、その撹乱もあるのでしょう。
住所録は新たにまとめようと思って、日曜日に「住所録」というソフトを買ってきました。一番オーソドックスなものをと思っていたのに、いざ選んだのは「一斉メール送信」機能がついたもの。「New」とあるからには新しい機能なんでしょうね。入力したアドレス先に一斉に送信できるというのは、今後必要かもって思いました。
今日、卒業した「写大」の同窓会会報が届きました。せっかくの写真展ですから、写大にも通知してどこかに載せていただこうと思っていたので、見たら、HPに送信すればいいようです。今夜あたり、まずそこからはじめてみましょうか。写真は挫折したものとばかりに文学一辺倒に走ってきたのが、源氏物語千年紀に関連して、『河内本源氏物語』ができた由来を「写真」で説く・・・というのも、私には原点への回帰です。
写真は京都の法金剛院の苑庭です。待賢門院璋子ゆかりの寺院です。仁和寺に近いところにありました。白河法皇に愛されつつ、鳥羽天皇中宮になり、崇徳天皇・後白河天皇の母となった女性。角田文衛氏『待賢門院璋子の生涯―椒庭秘抄』ですっかり虜になりました。この一枚は清盛の関連で最初選んでいたのですが、枚数の都合上泣く泣く削除しました。白河院のご落胤説もある清盛です。実際に会っていたのかどうかわかりませんが、同じ一つの世界に生きた二人なのでしょう。宮尾登美子さんの『平家物語』では、導入部がこのあたりでとても雅な世界に描かれていました。こじんまりとしたいい庭園です。石組の滝もあって。
この待賢門院璋子と、時代が下った阿仏尼の肖像画が同じなんですよね。私は最初璋子の肖像画として知ったので、そのイメージが勝って、阿仏尼の方が流用と思っているのですが、真実はどちらなのでしょう。
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