2008.8.24 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 31
展示パネルに貼る源氏物語写本の系譜の図が出来上がりました。だいたいの構想を娘に伝えてイラストレーター処理を頼んででかけたら、門外漢の娘は「私にもわかるように勝手に変えたから・・・」と、「勝手な仕様」で仕上げていました。笑っちゃいますね。でも、これが肝心なんですよね。私一人がわかっていてもどうしようもないことで、はじめて「写本の世界を見る」来場者の方にわかっていただくのが目的なのですから。
昨日は疲れて最終チェックをしないで寝てしまったので、娘はぷんぷん。朝、ざっと見て間違いはないようですのでアップしておきます。これをA3印刷してパネルで展示。A4モノクロでコピーしたのを会場に置き、いらした方に持って帰っていただきます。これを手に写真を見てまわっていただいたら、流れの意味もわかっていただけると思います。
ざっと流れを説明させていただきます。
紫式部が書いた『源氏物語』は式部自筆の原本がなく、写本で伝わっています。
藤原定家校訂の『青表紙本源氏物語』と、源光行校訂の『河内本源氏物語』は写本の中でも古く権威があって、二大写本といわれます。
その二人は従来学問の家どうしのライバルとして張り合って写本をしあげたようにいわれてきました。ですけれど、年表や事跡を綿密に追っていくと、二人は決して張り合っているわけでなく、逆に協力し合ってしることがわかります。
それを私は二人が過ごした青春時代が平家文化の只中だった事に着目。二人が平家の方々に文化的恩恵を受けて育っていることから、『源氏物語』写本の作業は平家の方々を偲ぶ追悼の意から成されたと解釈しました。
それが、図の左上の囲みの平家文化全盛期の意味です。そこから二人の人生遍歴がはじまり、『新古今和歌集』時代、承久の乱を経て、京都で定家の『青表紙本源氏物語』が、鎌倉で光行の『河内本源氏物語』が成立するのです。
たまたま今年が千年紀ということで、写本の発見が相次ぎました。定家の『青表紙本源氏物語』が独走と思われていた時代も、これからは大沢本の時代になるというようなこともあり得るでしょうね。この図を構想していたときまだこんなことは想像していませんでした。末尾に「飯島本」「大沢本」を入れて作ることができて思いがけず嬉しく思います。
今日はこれからパネルに写真を貼り込む作業にかかります。それで図をスキャナーでとる時間がなく、簡単にカメラで撮って載せました。ゆがんでいるのはその為です。
織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/