2008.8.27 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! 35
仕上がったばかりのパネルを一枚ご紹介します。これは五枚目。「第四章 鎌倉その一」という部分。第四章なのに五枚目というのは、第三章の「平家文化の時代」が二枚あるからです。鎌倉も二枚あって、「鎌倉その一」は頼朝が生きていた時代。「その二」は頼朝没後の意味です。
写真展なのに、キャプションに意味があって、それが複雑で・・・と、はじめてこの世界を知る方には何が何だか・・・になってしまうかもしれません。でも、それが書物と違って助かるのは、ただ写真を見て過ぎていただくだけでも楽しんでいただけるかなあと。40枚ありますから、最初の道長の土御門邸からずっとたどって、源平の争乱を経て鎌倉になり、『新古今和歌集』の時代になって、承久の乱・・・・、とその間、定家とか光行は人生を翻弄されているわけです。
歴史や事件は文字の世界ではなく、生きた人間がそこにいて、実際に大波をかぶっているということなんです。写真の背後に、そういった人たちの人生や思いがあったということを思って見ていただけたら嬉しいです。
鎌倉の章なのに、このパネルの四枚目の写真は「京都府 日野法界寺」です。???と思われるでしょ。ここに重衡の人生をこめました。南都焼討の罪でで捉えられ、鎌倉に護送された重衡は、頼朝の理解を得て一年間、大倉幕府の一隅に住みます。それが三枚目の写真で「大蔵幕府跡」です。が、南都側がそれを許さず、頼朝は彼を南都に送り返し、重衡は討たれて亡くなります。妻の輔子がその法要を行ったのが日野の法界寺でした。
と、写真展の流れはそんなふうな小説仕立てです。ご存じの方には一目瞭然。はじめての方にはちんぷんかんぷん・・・かもしれません。明日以降、どうなることでしょう。
とりあえず、事前経過報告はこれで終わりにさせていただき、明日以降、「その日報告」をさせていただきます。実況中継用にPCを持ち込みたいところですが、いらしてくださった方ともお話したいし、あきらめました。会場でお目にかかれたら嬉しいです。「ネットで」「ブログで」とおっしゃっていただきたく存じます。
では、また、明日以降に。