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2008.9.30 源氏物語千年紀情報・・・横浜美術館「源氏物語の1000年―あこがれの王朝ロマン―」展

Cawhrscx Cajg2qhr  昨日、横浜美術館の「源氏物語の1000年―あこがれの王朝ロマン―」展へ行きました。東横線がみなとみらい線に乗り入れてはじめてです。今まで横浜美術館へ行くには東横線の終点桜木町駅でおり、ランドマークタワーを通過して・・・みたいなコースでした。

 が、みなとみらい線直結になったら、みなとみらい駅でおりたらもう目の前。便利になりました。二枚目の写真の左の高いビルがランドマークタワー。右端下の四角い低い屋根が横浜美術館です。みなとみらい駅でおり、地上にでたときに見えた光景です。昨日は雨でランドマークタワーの最上階が雲で覆われていました。

 「源氏物語の1000年―あこがれの王朝ロマン―」展は今までにないと思われるような雅やな展示でした。紫式部の肖像画の掛け軸が多数、主に狩野派による源氏絵の屏風がたくさん、そして最後の一室は現代の源氏物語関係の絵で、それが瀬戸内寂聴先生の単行本の表紙になった絵の屏風・・・・。最初の一室の由緒ある文化財、次のコーナーの写本関係などを通ったあとはもう、きらびやかな源氏物語世界そのものに突入です。

 珍しい展示と思いました。これなら、源氏物語をこれから読みはじめようと思った方がご覧になったら、きっともう小説のなかの光景が目に浮かぶようになるでしょうね。今まで、国宝絵巻とか、貴重書の写本とか、そういう文化財や学術関係の視点でばかり展示を見るものと思ってましたので、とても新鮮でした。美術展は、「展示」なのです。展示は、感じることなんです。知ることばかりが目的ではないんだという原点を改めて考えさせられました。監修は瀬戸内寂聴先生。最後になってそれを知ってなるほどと思って帰りました。

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2008.9.27 実践女子大の源氏物語千年紀記念講演・・・横井孝先生の写本のお話

558  実践女子大の源氏物語千年紀記念講演がこれから毎週土曜日に開催されます。詳細は下でお知らせさせていただいています。その第一回が今日でした。横井孝先生の「源氏物語の100年」というお話で、楽しかったです! 100年?、0が一個足りない・・・っていう事ではなく、明治以降の源氏物語写本の研究経緯の内容です。

 長く書く時間がないので要約させていただきます。

 今のように簡単に活字で読むことができなかった時代は『湖月抄』で『源氏物語』を読んでいて、それは『青表紙本源氏物語』系統の本文でした。が、それは藤原定家の手が入っていて紫式部の原典そのものではないということで、『河内本源氏物語』が発見されれば或いは原典がわかるかもと期待されていた・・・

 大正10年に『平瀬本源氏物語』が発見され、その後『尾州家河内本源氏物語』が発見されるなど『河内本源氏物語』系統の本文が発見されて、紫式部の原文がわかるかもという期待で一時期『河内本源氏物語』系統への熱狂がおこった・・・

 が、『河内本源氏物語』もまた源光行・親行親子の手が入っていることがわかると、その熱狂は急激に冷めていった・・・

 昭和28年から池田亀鑑氏が『源氏物語大成』を刊行され、そこで『青表紙本源氏物語』の大島本こそがもっとも『源氏物語』の本文として信頼しうると提唱されたことで、『青表紙本源氏物語』が世を席巻し、全集本はすべて『青表紙本源氏物語』系統という現在に至っている・・・

 が、阿部秋生氏が『源氏物語の本文』という本を出され、そこに、そもそも『青表紙本源氏物語』系統、『河内本源氏物語』系統という分類で処理しようとしたところに間違いがあると指摘。それまで、池田亀鑑氏の膨大な精力あるご研究に圧倒されて大島本一辺倒に疑問の余地ももたなかった事実に気がつくと、別本系統に期待が移る下地ができた。

 昨今の連続する『源氏物語』別本系統の新発見ニュースは、阿部氏のご論が熟成してきた時期ゆえのこと・・・

 というようなご論旨でした。私も写本の流れについてはいろいろ見ていましたから、一応理解してはいたつもりでした。が、阿部秋生氏の『源氏物語の本文』は知らなかったので、早速探して読ませていただこうと思います。阿部先生のご著書で一番写本の流れを理解させていただいていたのですが、そうした存在の学者さんだったんですね。

 阿部先生は帝国大学をご退官後、実践にいらして、それから数年ほど籠って地道にご論を積み重ねていられたそうです。そうして発表されたのが今書いたような内容のご論旨。実践に移られての熟成ということのようです。

 会場では、日野のキャンパスで開催される所蔵品の展示図録も配布され、拝見しました。とても楽しみな内容。10月4日からです。

 写真は富士山の見える夕景。ここのところずっと写真展のことで歴史のほうにばかり目が行っていましたから、気分を一新したくてまったく違う画像を探してみました。

 

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2008.9.24 秋空の季節になりました! 曼珠沙華もいつのまに・・・

082 071 029 067 写真展の頃の八月末はゲリラ豪雨や凄まじい雷雨で、とうてい撮るなどできない空模様が続きました。写真展で忙しかったので、それだけは助かりました。撮っておかなくては・・・と思うほどの貴重な空がなくて。

 九月に入って気がつくと既に空は秋の空。顕著な筋雲・鱗雲など毎日のようにでています。綺麗な空は撮らないともったいなくて、疲れていてもついついカメラを持って出てしまいます。

 ほんとうはいよいよ源氏物語千年紀イベントの本格始動の秋。それに関連して、ここ2、3日は『紫式部日記』などをとりだして、千年紀記念の由来となった記事などを書いておきたいと思っていたんです。

 なのに、ご覧のような空の頻出。三枚の空の画像はここ三日間のものです。綺麗でしょ。ふつうに住んでいる町でこういう偉大な画像が撮れるなんて・・・と、いつになっても感動の薄らぐことはありません。おかげで気分はすっかり理系。源氏物語千年紀から遠のいてしまいました。思考回路が違うんです。写真と文学とでは・・・

 最後は玉川上水べりに咲いていた彼岸花。別名、曼珠沙華。いつのまにか咲いていました。

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2008.9.22 源氏物語千年紀情報・・・『源氏物語絵巻』の切手発売日です!

 今日は『「源氏物語」一千年紀』切手の発売日です。早速郵便局に行って購入してきました。忘れないようカレンダーにマークしておいて、ずっとわくわくと待っていたんです。

 ほんとうは夏前、既にネットで注文しています。だから、今日売り切れていても入手できない心配はないのですが、まだ届かないものですから、やはり当日に見たいですよね。でも、ネットにあった「台紙付き」は置いてなくて、「大きな郵便局にはあるかもしれませんが・・・」とのことでした。

 図柄は、『源氏物語絵巻』が八枚、『紫式部日記絵巻』が二枚。『源氏物語絵巻』は徳川美術館所蔵のと五島美術館所蔵との両方が入っていました。背景は国文学研究資料館所蔵の「源氏物語団扇画帖 若紫」です。だから、国文学研究資料館で切手の発行記念講演会が催されるんですね。催し物案内にそれをみて、何だろうと不思議に思っていました。下記に詳細を添付させていただきます。調べたら、今日が申込の最終日でした。もっと早くご紹介しておけばよかったですね。

●国文学研究資料館講演会

 

源氏物語一千年紀」記念切手発行記念講演会 平成20年10月6日(月)13時30分から 
『源氏物語』の名が初めて文献に現れる西暦1008年から1000年に当たる、2008年を記念し、9月22日(月)に郵便事業(株)から記念切手が発行されることとなりました。当館では、これを受け、講演会を開催することとし、その冒頭で本記念切手の初版刷りの切手 の贈呈式を併せて開催します。
○「源氏物語一千年紀」記念切手 初版刷り切手贈呈式
○講演会
 (1)源氏物語朗読・講演
    「声に出して読む源氏物語-源氏物語の魅力を語る」
    講師:加賀美幸子(NHK番組キャスター)
 (2)対談「源氏物語トーク」
    伊井春樹(館長)、加賀美幸子
開催場所:国文学研究資料館大会議室
定員:200名
申し込み:事前申し込みが必要。折り返し受講票を発送します。
申込方法:住所、氏名、電話番号を記入し、往復葉書、FAXでお申し込みください。
※電話、電子メールでは、受け付けていません。
申し込み先:〒190-0014 立川市緑町10-3 国文学研究資料館源氏物語記念講演会担当宛
FAX番号:042-526-8604
締切 平成20年9月22日(月)
参加無料

織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/(目下、写真展をご紹介させていただく為の編集中です。大幅なリニューアルも考えて苦戦しています。リモートサイト等をいじってしまったものですから

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2008.9.18 東博の六波羅蜜寺展と、運慶の大日如来坐像を拝観してきました。

 上野の東京国立博物館で開催中の六波羅蜜寺展に行ってきました。ずっと行かなくてはと気にかかっていたのに、写真展などで行かれずにいました。そうしたら、日曜までとのこと。急遽出向きました。なにしろ、あの清盛像が東京にいらしているんです。拝観しないわけにいきません。

 清盛像は、企画展示室の入ってすぐのところにありました。ずっと対面させていただきました。このお像は何度見ても不思議です。生きている感じが凄いんです。それに、シャープ。どこかで会ったことがある・・・、その声、その人を見る癖・・・、そんな気持ちがずっとして、誰に似ててそんなことを思うのだろうと必死に考えたのですが、わかりませんでした。

 急いで書いてますので飛ばしますが、隣の展示室では先日真如苑さんに落札されて海外流出をまぬがれたあの運慶作大日如来坐像がいらっしゃいました。こちらも清盛像と同じく是非拝観させていただきたかったもの。とても清らかな造りで、美しいお像でした。密教を教えていただいた真鍋先生からは、大日如来は「童形」ということに意味があるということをいわれています。このほとけさまもふっくらと優美な童形でいらっしゃいました。

 あと、私にとって偶然の出会いで観劇だったのは、国宝展示室の『群書治要』。これは実時が学んだ書として一度見ておきたかったものです。説明には金沢文庫本より古い京都のものとあって、実時のではありませんでしたが、観覧できて嬉しかったです。この「群書治要」は綺麗な料紙に書かれていて、さすがでした。

「『群書治要』(全50巻)は唐の秘書監魏徴らが太宗の勅によって,群書の中から治政上参考になる語や資料を抄出して編纂したもの。染紙や飛雲を漉きこんだ料紙に端正な書風で書写された本巻は,数人の手になる寄合書であり,現存最古の伝本としても貴重である。」 (東博オンライン文化遺産より)

 それから、慈円の自筆願分がありました。日吉神社に納めたもので晩年のもの。こんなに立派な慈円の自筆ははじめてです。いつも走り書きのような筆跡を拝見していたので、驚きました。神々しいくらいに崇高な筆跡でした。

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2008.9.17 王朝継ぎ紙による五十四帖『源氏物語』―その愛とかなしみ―・・・のお知らせ

 近藤陽子先生より待っていた秋の継ぎ紙展のお知らせをいただきました。源氏物語千年紀にちなんだ企画です。ご紹介させていただきます。

●『源氏物語』―その愛とかなしみ―
   王朝継ぎ紙による五十四帖  監修:近藤富枝
 会期: 10月14日(火)~19日(日) 11:00~19:00(最終日は17:00まで)
 会場: 清月堂画廊 中央区銀座5-9-15 03-3571-2707
              地下鉄A5出口 松坂屋別館裏手

 王朝継ぎ紙はほんとうに美しくため息とともに見るしかないほどほれぼれします。ご存じの方はともかく、はじめての方は是非お出かけになってください。ほんとうに、これが日本文化なのだ・・・と思います。中世のわび・さびとはまた違った日本文化の世界です。

●いただいたお葉書に近藤富枝先生のご講演情報がありました。京都で、残念ながら私は伺えそうにありませんが・・・。「11月18日 於:京都文化館」だそうです。展示は、11月18日(火)~20日(木)です。

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2008.9.15 日野市にあった鎌倉時代の寺院、真慈悲寺について・・・

 昨日は日野市の百草園に隣接する八幡宮さまのお祭で、一年に一回ご開帳される阿弥陀さまを拝観してきました。写真では拝見していましたが、実際に目にするのははじめて。かたちが鎌倉の大仏さまのような雰囲気なのでもっと大きいと思っていたのですが、こじんまりとした可愛らしいお姿でした。

 この阿弥陀さまの背面にはぎっしりと銘文が書かれていて、そこに「真慈悲寺」の名があります。願主は女性です。昨日は百草園のなかで峰岸純夫先生の記念講演もあり、この女性が安達氏のゆかりということのお話でした。今野慶信さんの着眼されたことを引き継ぎ深められたというご内容でした。安達氏は霜月騒動で一族が一掃されていますが、女性の流れで血筋は絶えずに継承されているのですね。角田文衛先生の『平家後抄』と同じですね。

 真慈悲寺という寺院は、かつて私が立川で発掘調査に従事していたころはまだ「幻の」という言葉が冠されていました。『吾妻鏡』に頼朝の御願寺とありながら、実際にあったことが確かめられていなかったのです。

 が、最近ではそれが百草園のある全山が寺域だっただろうということがわかってきています。日野市では真慈悲寺ボランティアプロジェクトを立ち上げて、たくさんの方が頑張っていられます。ほんとうは私も発足時の会員で、認定証も持っているのですが、なにしろ百草園や郷土資料館まで通うのに1時間半は見なければならず、最初の年に真夏の週二回か三回の研修を熱心に通ったら体調を崩してしまいました。また源氏物語写本の研究との両立は不可能ということで脱落しました。なのに、峰岸先生は変わらずににこにこと「講演がありますからいらっしゃいませんか」などと、いつも誘ってくださいます。有難いですね。

 全山一帯が寺域だろうというような大きな寺院だった真慈悲寺。「幻の」というロマンに惹かれて興味をもった私ですが、ほぼ全容がわかってもさらに興味をそそられる歴史です。ボランティアの方の活動も深まって、個人個人でいい研究をされているごようすも見てきました。源氏研究に走らなかったら私も・・・と、ちょっと恨めしい気持ちが湧いてしまいました。

 阿弥陀さまの背面の銘文を掘ったのが真慈悲寺の住持と思われる「慶祐」という方で、私は源氏物語関係で鎌倉で書写作業をしていた「けいゆう」という人物に聞き覚えがあり、同一人物だったら面白いと思い帰ってから調べました。そうしたら、「慶融」という別人。「慶祐」については資料がなく研究が進まないといわれてましたので、こんなときに峰岸先生のお役に立てたらと気持がはやったのですが、残念でした。

織田百合子Official Website http://www.odayuriko.com/

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2008.9.10 写真展で展示した写真それぞれのキャプションをご紹介させていただきます。

089●ごあいさつ
 源氏物語二大写本である『青表紙本源氏物語』と『河内本源氏物語』は、亡くなった平家の方々を偲ぶ心から生まれました。『青表紙本源氏物語』の校訂者藤原定家と、『河内本源氏物語』の校訂者源光行は、一歳違いの同世代です。二人が二十歳の頃は平家文化の全盛期でした。二人はそこで平家の公達方と一緒に歌を詠みあうなどして青春時代を過ごしました。平家文化は二人の生の、文学の、原点でした。
 平家が朝敵となって都落ちしたとき、二人は親しかった方々の、恩ある方々の、滅びゆくのを、成す術もなくじっと辛さに耐えてみすみす見送るしかありませんでした。でも、二人の心には、平家の方々の思い出は、華やかだった文化の思い出とともにずっとあり続けました。『源氏物語』写本の校訂作業は、そういう二人の心におのずと芽生えて始められました。なぜなら、平家文化は王朝文化という源氏物語世界のこの世での具現にほかなりませんでしたから。
 二大写本といわれる両書が、そういう二人によって成されたことは、決して偶然ではないと思います。この作業に没頭しているあいだ、二人は平家の方々と生きて交流できたのです。それは、どんなにか懐かしく、ひたすら楽しい、至福のひとときだったことでしょう。二人は決して学問として『源氏物語』写本を仕上げたのではありませんでした。文学として、おのれの、ひいては平家の方々の生きた証として、成し遂げたのです。
 この写真展は作品展ではありません。すべて小説や論文を書くための取材で撮り溜めた写真ばかりです。そのために一枚一枚に意味があります。それを時系列に並べたら、このような世界が浮かびあがりました。藤原定家の心になって、源光行の心になって、ご高覧いただけましたなら幸いに存じます。

●キャプション
第一章 『源氏物語』の世界

1. 藤原道長の土御門殿跡
 角田文衛氏「土御門殿と紫式部」より/仙洞御所の北池と南池との境をなす狭い部分に架された石橋の辺が土御門殿の南限であり、北限は清和院御門に通ずる広い道路敷地の北の緑地帯南辺である。大宮御所と仙洞御所の境界は、大体のところ土御門殿の西限とみてよかろう。

2.孔雀(多摩動物園にて撮影)
 河添房江氏『光源氏が愛した王朝ブランド品』より/長和四年(1015)二月十二日条のように、宋商人の周文裔から大宰大監の藤原蔵規を経由して、孔雀が三条天皇に献上された際、道長はそれを下賜されています。道長は孔雀を土御門邸で飼育し、孔雀は卵を十一個産みますが、百余日を経ても孵化しなかったといった苦労話もあったようです。

3.京都府 宇治平等院
 角田文衛氏「源氏物語の遺跡」より/光源氏は、宇治に別荘をもっており、それは嫡男の夕霧に伝えられた。この別荘が藤原道長の「宇治の別業」をモデルとしていたこと、そしてそれが平等院の地にあったことは、早く一条兼良が指摘した通りであって、これについては学界に異議はみられない。

4.京都府 宇治上神社
 角田文衛氏「源氏物語の遺跡」より/浮舟の父に当る八の宮の山荘・宇治宮は、夕霧の山荘の川を隔てた真向かいにあり、河辺に接して営まれていた。(中略)夕霧の山荘の真向かいは、宇治神社の境内となっている。(中略)恐らく紫式部は、同じ真向かいと言っても、神社の南に接した河畔、現在、朝日窯元のある場処に宇治宮を想定していたとおもう。

第二章 『源氏物語』写本の世界
5.滋賀県 石山寺
 奥田勲氏「紫式部と『源氏物語』」より/寛弘元年(1004)、紫式部は新しい物語を作るために石山寺に七日間の参籠をしていた。(中略)参籠から何日目か、八月十五日の夜、月が琵琶湖に映えて、それを眺めていた式部の脳裏にひとつの物語の構想が浮かび、手近にあった『大般若経』の紙背に、「今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊び恋ひしく……」と、書き始めた。

6.京都府 蘆山寺
 角田文衛氏「紫式部の居宅」より/紫式部の居宅は、蘆山寺の境内、すなわち京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町三九七番地にあったと判定されるのである。
 角田文衛氏「土御門殿と紫式部」より/土御門殿の東北の筋向いは、藤原為頼・為時兄弟の邸宅、すなわち紫式部の家であった。

7.滋賀県 日吉大社
 池田利夫氏『河内本源氏物語成立年譜攷』治承二年(1178)より/八月二十三日以前か、日吉社五首歌合が催され、光行が出詠したか。俊成判詞あり。/日吉社五首歌合/源光行/よよをへて玉ゆへなきし人たにもつゐにはかくとしられやはせぬ 【注:『原中最秘抄』には光行が『河内本源氏物語』を成すにあたり恩恵を受けたとする四人の名前があり、俊成はその一人です。】

8.京都府 石清水八幡宮
 西澤誠人氏「顕昭攷―仁和寺入寺をめぐって―」より/ 源光行は、『和歌文学大辞典』によると「和歌を藤原俊成・定家に学んだらしい」とあるが、和歌の指導者として仰いだのはむしろ六条家歌人、特に顕昭ではなかったろうか。光行は、石清水社系の歌合にほとんど出詠しており、石清水文芸サークルの代表的一員であった。

第三章 平家文化の時代
9.京都府 白河院跡
 高橋昌明氏『平清盛 福原の夢』より/清盛は伊勢平氏の棟梁の実子ではなく、実は白河法皇の落し胤で、忠盛は育ての親だった。(中略)保安元(1120)年七月一二日、忠盛の最初の妻が急死しているが、この女性を清盛の母と考える点については従来異論がない。彼女の死に際して貴族の日記は、「仙院の辺」、すなわち白河法皇の身近に仕えていた女性だと記す。【注:清盛の側近には光行の叔父「源大夫判官季貞」がいます。】

10.広島県 厳島神社
 高橋昌明氏『平清盛 福原の夢』より/社殿の大規模化は、長寛二(1164)年の平家納経の奉納に前後して始まったと考えられ、仁安三(1168)年十一月に完成をみる。【注:光行は福原遷都の宮城地定めの際、後徳大寺実定・源通親に仕えました。『原中最秘抄』には光行が『河内本源氏物語』を成すにあたり恩恵を受けたとする四人の名前があり、実定と通親息の通光はそのうちの二人です。】

11.大分県 宇佐八幡宮
 『平家物語』より/この経正、十七の歳、宇佐の勅使を承って下られけるに、その時青山(琵琶)を給わって、宇佐へ参り、御殿に向かい奉り、秘曲を弾き給いしかば、いつ聞き慣れたる事はなけれども、供の宮人おしなべて、緑衣の袖をぞ絞りける。聞き知らぬ奴までも村雨とはまがじな。めでたかりし事共なり。

12.琵琶湖 竹生島
 『平家物語』より/経正は詩歌管弦に長じ給える人なれば、かかる乱れの中にも心を澄まし、湖の端に打ち出でて、遥かに沖なる島を見渡し、供に具せられたる藤兵衛有教を召して、「あれをばいずくと言うぞ」と問われければ、「あれこそ聞こえ候竹生島にて候え」と申す。「げにさる事あり。いざや参らん」とて、藤兵衛有教、安衛門守教以下、侍五六人召し具して、小舟に乗り、竹生島へぞ渡られける。

13.高御座(京都御所)
 伊井春樹氏『源氏物語注釈史の研究 室町前期』より/白河院か後白河院の周辺で作成された源氏絵巻(注:国宝『源氏物語絵巻』)が、建礼門院の所有となり、やがて平家滅亡後に将軍家(注:鎌倉第六代将軍宗尊親王)へと伝来したものと考えられる。【注:光行の父光季は建礼門院徳子の安産祈願に催された田楽奉納で神主代を勤めました。】

14.京都府 大原三千院
 『平家物語』より/文治二年の春の頃、法皇(注:後白河)、建礼門院大原の閑居の御住い(注:寂光院)御覧ぜまほしう覚し召されけれども、二月三月の程は風激しく余寒も未だ尽きせず、峰の白雪消えやらで、谷のつららもうち融けず。春過ぎ夏来たって、北祭も過ぎしかば、法皇夜をこめて大原の奥へぞ御幸なる。

15.奈良県 興福寺
 『吾妻鏡』治承四年(1180)十二月二十八日条より/今日、重衡朝臣南都を焼き払うと云々。東大・興福両寺の郭内、堂塔一宇としてその災を免れず。仏像・経論同じくもって回禄すと云々。

16.奈良県 東大寺
 興福寺と同じく重衡の南都焼討で灰燼に帰した東大寺は、建久六年(1195)に再建されます。その落慶供養に上洛した頼朝の供奉者のなかに光行がいます。光行はこれより以前に鎌倉に移住し、頼朝に仕えていたのでした。

第四章 鎌倉 その一
17.鎌倉 鶴岡八幡宮
 『吾妻鏡』元暦元年(1184)四月十四日条より/源民部大夫光行・中宮大夫屬入道善信等、京都より参着す。光行は豊前前司光季(光行父)平家に屬するの間、これを申し宥めんが為なり。【光行は平家に仕えてつかまった父の赦免に、三善康信に伴なわれて鎌倉に下向し頼朝に嘆願したのでした。この時は許されてすぐ帰洛します。】

18.鎌倉 流鏑馬
 鎌倉には頼朝に仕えて飛鳥井雅経がいました。光行と同じく源平の争乱で運命を狂わされて下向した一人です。頼家に蹴鞠を教えており、その腕を買われて後鳥羽院に召され上洛します。そして藤原定家らとともに後鳥羽院歌壇の一員となり、『新古今和歌集』撰者になっていきます。

19.鎌倉 大倉幕府跡
 頼朝が開いた最初の幕府、大倉幕府は現在の清泉小学校の場所にありました。南都焼討の罪で捕らえられ鎌倉に護送された平重衡は、ほぼ一年間、頼朝に一室を与えられここで過します。身の回りの世話をする千手の前とのひとときの平和な日々でした。

20.京都府 日野法界寺
 角田文衛氏『平家後抄 上』より/輔子(重衡の妻)は醍醐寺の僧で東大寺の大勧進の任にあった俊乗房重源を通じて重衡の梟首を貰い受け、骸と同様、日野において荼毘に付した。(中略)彼女はまた近くの法界寺で衆僧を請じて重衡のために追善供養を催し、その冥福を祈り、自らは落飾して尼になったのである。

第五章 鎌倉 その二
21.鎌倉 白旗神社
 鶴岡八幡宮境内にある頼朝を祀る神社です。頼朝亡き後も光行は鎌倉に留まり、頼家、実朝、と源家三代将軍に仕えました。特に実朝には文学の師として多大な影響を与えています。実朝が暗殺されたとき、光行はすでに帰洛しており、子息親行が鶴岡境内のその場に居合わせました。

22.鎌倉 御鎮座祭
 コロムビアCD『日本古代歌謡の世界』解説書より/毎年十二月十六日夕刻五時より、鎌倉鶴岡八幡宮の社頭で、源頼朝公開府以来伝承される八幡宮神職による「其駒人長舞」が奏される。大石段、大銀杏、そして篝火、中々の雰囲気で、なんとも幽玄の世界であった。

23.鎌倉 永福寺跡
 永福寺は頼朝建立の寺院です。宇治平等院と同じ伽藍形式で、大倉幕府裏手にありました。中央が二階大堂、左右に阿弥陀堂と薬師堂が並びます。光行は阿弥陀堂の担当奉行でした。『吾妻鏡』建仁三年(1203)十二月十四日の条では、将軍に就任したばかりの実朝に供奉して光行も参拝しています。
 
24.鎌倉 朝比奈切通し
 一方を海に、三方を山に囲まれた鎌倉には七つの切通しがあります。朝比奈切通しは鎌倉と称名寺のある六浦を結びます。東京湾に面した六浦は当時、唐船が何艘も停泊する外港でした。

第六章 『新古今和歌集』の時代
25.大阪府 水無瀬離宮跡
 後鳥羽院による『新古今和歌集』は元久元年(1205)三月に完成。光行の入集は一首でした。撰者のなかに藤原定家と飛鳥井雅経がいます。後京極良経が仮名序を書きました。【注:『原中最秘抄』には光行が『河内本源氏物語』を成すにあたり恩恵を受けたとする四人の名前があり、良経はその一人です。】

26.京都府 仁和寺
 新儀非拠達磨歌と誹謗されていた定家の歌風に魅せられ、後鳥羽院は和歌に傾倒します。それが『新古今和歌集』になりました。定家がその新しい歌風を確立したのが、仁和寺の守覚法親王主催による『仁和寺宮五十首』でした。/大空は梅の匂ひに霞みつつ曇りもはてぬ春の夜の月/春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるる横雲の空

27.京都府白河 最勝寺跡
『新古今和歌集』より/最勝寺の桜は鞠の懸かりにて久しくなりにしを、その木年経りて風に倒れたる由聞き侍りしかば、をのこ共に仰せて異木をその跡に移し植えさせし時、まず罷りて見侍りければ、数多の年々暮れにし春まで立ち馴れにける事など思い出でて詠み侍りける/藤原雅経朝臣/馴れ馴れて見しはなごりの春ぞともなど白河の花の下蔭

28.比叡山 無動寺谷明王堂
 比叡山南端にある無動寺谷は深い谷です。明王堂は千日回峰行の根本道場です。『新古今和歌集』きっての歌人慈円が、若い頃籠ったのが無動寺谷の大乗院で、兄兼実の日記『玉葉』では「無動寺法印」と呼ばれています。慈円は『平家物語』を編纂したといわれ、光行は『平家物語』執筆者の一人といわれています。

第七章 承久の乱前後
29.京都府 嵯峨小倉山荘跡
 定家は後鳥羽院の勅勘を受けて蟄居。古典籍の書写に没頭します。親行とは『拾遺愚草』の清書を依頼したり、『新古今和歌集』の校合をするなどの交流がありました。貞応二年(1223)書写の『平瀬本源氏物語』横笛巻は親行によるものと思われます。

30.京都府 嵯峨二条良基墓所
 角田文衛氏「藤原定家の小倉山荘」より/定家の小倉山荘の地が二条家の道平の山荘となり、その子の良基に伝えられた(中略)。定家の小倉山荘は、現在の二条墓をその一隅にもつ二尊院門前の善光寺山町中部、東部、往生院町東部―いずれも愛宕路の東側に亙っていた。【注:嘉禄元年(1225)、定家の『青表紙本源氏物語』完成】

31.京都府 高台寺より六波羅遠望
 光行は晩年の建礼門院徳子に娘美濃局を女房として出仕させています。それは徳子が大原から移られた白河善勝寺においてと思われます。その後徳子は鷲尾の金仙院(注:現在の高台寺)に。角田文衛氏は『平家後抄 下』で「女院は毎日、朝な夕なに金仙院の桟敷からどのような心情をもって眼下の六波羅第址のあたりを見渡しておられたのであろうか」と書かれています。

32.京都府 高台寺時雨亭
 角田文衛氏『平家後抄 下』より/鷲尾の中腹の稜部―現在、伏見城より移建したと伝えられる重要文化財の時雨亭と傘亭が建っているあたり―に家成の三重塔があり、それに近接して女院の陵が営まれたと推定されよう。【注:貞応二年(1223)三月、建礼門院徳子崩御】
 

第八章 称名寺と『源氏物語』
33.称名寺 境内苑池
 横浜市金沢区にある称名寺は北条実時の創建です。実時は鎌倉幕府の重鎮として泰時・経時・時頼・時宗ら代々の執権を補佐しました。鎌倉に住む傍ら称名寺境内に別邸を構え、隣接して金沢文庫を創設。また、小侍所別当として将軍に近似。特に第六代将軍宗尊親王が文学少年だったことから、文化・教養を重んじる実時は親身になって仕えました。

34.称名寺 実時邸跡より望む
 実時が仕えた将軍御所には親行の他、飛鳥井雅経息の教定がいました。親行は光行から『河内本源氏物語』校訂作業を引き継いでおり、教定は宗尊親王に源氏物語色紙絵屏風を制作するなど、御所には『源氏物語』熱が起きています。
 『吾妻鏡』建長六年(1254)十二月十八日条より/御所において光源氏の物語の事御談義あり。河内守親行これに候ず。

35.称名寺 北条実時銅像
■『河内本源氏物語』完成
東山御文庫本奥書より/嘉禎二年(1236)二月三日始校書。建長七年(1255)七月七日果其篇 朝儀大夫源親行
■『尾州家河内本源氏物語』完成

夢の浮橋奥書より/正嘉二年(1258)五月六日河州李部親行之本終一部書写之功畢 越州刺史平(花押)【注:実時】(
2011.9.16追記:その後の研究で、『尾州家河内本源氏物語』は実時の正嘉二年書写本そのものではなく、さらに八年後の文永三年頃に宗尊親王によって作られたことがわかりました。実時の奥書はそのときに転載されたようです。)

36.称名寺 隧道
 称名寺境内と金沢文庫を結ぶ隧道です。鎌倉市内で火災にあって蔵書を失った経験から、実時は称名寺と文庫を山一つ隔てて造りました。実時は教定息の飛鳥井雅有と娘を結婚させています。雅有は鎌倉で育ち、教定とともに親子で将軍家に仕えましたので、実時女との婚姻は自然な運びでした。舅実時が往来するこの隧道を雅有も通ったのでしょうか。

第九章 その後の『源氏物語』
37.称名寺 謡曲『青葉の楓』
 謡曲『青葉の楓』は、定家の孫の冷泉為相が称名寺を訪れた伝承を謡っています。為相は為家の晩年の子で、母は『十六夜日記』作者阿仏尼です。鎌倉は藤ヶ谷に住んでいました。称名寺の檀越である金沢北条氏当主は三代貞顕になっていました。

38.称名寺 北条貞顕作庭の景石
 貞顕は六波羅探題として長く京都に滞在しました。鎌倉に戻るとすぐ称名寺の庭園整備に着手しました。写真の景石は発掘調査の際に出土しました。為相が称名寺を訪れたのはこの庭園整備が完成した直後と思われ、貞顕に招かれたものでしょう。六波羅探題在京中から親交があったのかもしれません。

39.名古屋市 蓬左文庫前庭の牡丹
 山岸徳平氏『尾州家河内本源氏物語開題』より/(尾州家本は)最初は、実時の手もとに存し、後には称名寺の文庫に蔵せられ、中頃、足利将軍の手に帰したものらしい。其の後、一部分は三條西実隆の目にも触れた。遂には、豊臣秀次の許に愛玩せられて、近衛信尹、即ち三藐院の極をも附されるに至ったものらしい。それが、大阪の役後、徳川家康の手に帰し、遂に尾州家の什物として、秘襲珍蔵せられて居たのである。

40.京都御所付近
 鎌倉で、『尾州家河内本源氏物語』を成した舅実時、源氏物語色紙絵屏風を成した父教定、『河内本源氏物語』を完成させた親行といった、源氏物語に造詣の深い人物に囲まれて育った飛鳥井雅有は、後年、伏見天皇の宮廷で博識を買われて「源氏のひじり」と呼ばれました。富小路殿は、伏見天皇の父帝後深草天皇の里内裏となって以来、代々持明院統の伝領となりました。

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2008.9.10 源氏物語千年紀情報・・・国文学研究資料館「源氏物語 ~千年のかがやき~」展

 この春、品川区戸越から立川市に移転してきたばかりの国文学研究資料館での源氏物語千年紀記念展です。この展示は春から待っていて、時期が来たらご紹介させていただこうと考えていました。九月に入りましたので詳細を書かせていただきます。

●国文学研究資料館「源氏物語 ~千年のかがやき~」展
会期: 10月4日(土)~10月31日(金) 土曜・日曜・祝日も開館
                           休館・・・10月17日(金)
時間: 10:00~16:30(入場は16:00まで)
会場: 国文学研究資料館一階展示室
      多摩都市モノレール「高松駅」から徒歩7分/「JR立川駅」から徒歩25分
鑑賞料: 有料予定

「『源氏物語』の名が初めて文献に現れる西暦1008年(『紫式部日記』寛弘5年11月1日)から
千年目に当たる 2008年(平成20年)を記念し、特別展示を開催することになりました。
 この千年間、『源氏物語』がどのような形で読み継がれて来たのかを、
画帖・絵巻・写本・注釈書・翻訳書などを通してご覧頂きます。」
とのことです。

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2008.9.9 写真展に展示したパネルを全部ご紹介させていただきます。タイトルの次に第一章から第九章まで続きます。

0 1 2 3 3a 4 5 6 7 8 9 第一章・・・『源氏物語』の世界
第二章・・・『源氏物語』写本の世界
第三章・・・平家文化の時代(パネル2枚)
第四章・・・鎌倉 その一
第五章・・・鎌倉 その二
第六章・・・『新古今和歌集』の時代
第七章・・・承久の乱前後
第八章・・・称名寺と『源氏物語』
第九章・・・その後の『源氏物語』

●写真の下に添付した色とりどりの料紙にキャプションを印刷しました。内容は明日アップさせていただきます。

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2008.9.8 源氏物語千年紀情報・・・実践女子大学「源氏物語千年紀」記念展

220  実践女子大学・短期大学の「源氏物語千年紀」記念展をご紹介させていただきます。

●「みやびへの憧れ―源氏物語千年紀記念 実践女子大学所蔵名品展―」
会期: 10月4日(土)~11月9日(日) 11:00~16:00
会場: 実践女子学園香雪記念資料館 042-585-8804
 入場無料です。
 詳細はHPで!http://www.jissen.ac.jp/

 写真展会場に来て下さった同窓会役員の方が、平成17年度の企画展の際の出品目録資料を合わせて持ってきて下さいました。それを拝見して驚きました。まるで資料の宝庫。博物館のようです。今回も千年紀記念ですから、きっと同じような規模で見せていただけるのでしょうと期待しています。

 私が中高を過ごしたとき、大学も短大も今のように日野ではなく、渋谷で同じ敷地内にありました。それで、大学教授の方が高校の漢文の授業にいらして下さって、質問させていただいたら喜ばれて、大学の研究室に遊びにいらっしゃい、などと誘っていただいたりしました。

 実践女子学園は当時も中高合わせて生徒数3000人いましたから、運動会となると校庭では収まりきれずに浜田山のどこかの施設をお借りして移動して実行していました。高校の最後の年あたりに日野だったことがあり、遠くまで行った覚えがあります。実家は品川ですから、その品川から日野まで、女子高生として未知数の旅路はかなりの遠路に思いました。

 その日野に大学と短大ができて、渋谷は中高だけとなって今に至っています。私としては、セーラー服の中高生が、「美しい」女子大生と一緒の敷地で憧れのまなざしで見ていたころが懐かしいですね。

 記念展の香雪記念館は、当時は中高の校庭の一画にありました。校庭の周りがぐるりと築山になっていて、その茂みの奥にひっそりとある小さな建物でした。謡曲部の部員は使用していたようですが、私は無縁で一度も入ったことはありません。でも、そのあたりのひそやかな風情が好きで、よく部活の先生と石段に腰かけて文学論を話したりしたことはいい思い出です。移転した大学には一度も入っていませんので、今回の記念展は源氏物語千年紀の意味だけでなく、なんとなくなんとなくわくわくしています。

 写真は源氏物語ミュージアムにて撮影。

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2008.9.7 ブログパーツの花個紋時計を設置してみました!

 今までブログパーツを設置したことがなかったのですが、一目見て「あ、使いたい!」って思ってしまった綺麗な花時計です。毎日花個紋の絵が変わるそうです。時々ひらひらと蝶まで舞って、シンプルで気に入っているテンプレートの邪魔をすることなく花を添えてくれるでしょう。それにしても、毎日ということは365種類、花が変わるなんて、デザイナーさんの力量に乾杯!ですね。大変だったと思います

夕方の追記:花個紋時計の針がどんなふうに進んでいるか見たくて、また開いてしまいました。設置した朝は「午前のかたち」だったのに、今は18:00だから針が縦にまっすぐ。当たり前なのに感動しています

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2008.9.6 源氏物語千年紀情報・・・実践女子大学「源氏物語千年紀」講演会

056 これも写真展会場でいただいた情報です。実践同窓会の方がわざわざ持ってらして下さいました。嬉しかったですね。私は実践は高校までで、大学は写真の道を選んだために国文科へは進んでいません。なのに、DMの葉書をご覧になって、「貴女にさしあげようと思って」とおっしゃって、千年紀記念の企画のチラシと、以前、大学で源氏物語関連の写本など貴重書を展示したときの図録を持ってきてくださったのです。

 とりあえず今は日程の早い順として、千年紀記念の講演会のお知らせをさせていただきます。

●源氏物語千年紀記念 実践女子大学・短期大学公開講演会
―『源氏物語』という文化―
             すべて事前申込不要で、無料です。
1. 9月27日(土) 会場:東京ウィメンズプラザ(渋谷区神宮前5-53-67)
     ①源氏物語の100年 ―「下田講義」から「阿部以後」へ― 横井孝先生
     ②『源氏物語』とジェンダー ―歌ことばが創造する「男」と「女」― 近藤みゆき先生
2. 10月4日(土) 会場:実践女子大学 香雪記念館(日野市大坂上4-1-1)
     ①フランスにおける『源氏物語』の研究 エステル・レジェリー=ポエール先生
     ②『源氏物語』におけるキャラクターの造形とその増殖の仕方 山崎ナオコーラ先生
3. 10月11日(土) 会場:実践女子大学 香雪記念館
     ①源氏供養と普賢十羅刹女像 武笠朗先生
     ②平安朝の食文化を見る 大久保洋子先生
4. 10月18日 会場:日野市市民会館(日野市神明1ー12-1)
     源氏映画50年史をたどる 立松和弘先生
5. 10月25日 会場:実践女子大学 香雪記念館
     ①描かれた『源氏物語』―絵巻から浮世絵まで― 仲町啓子先生
     ②『源氏物語』と女訓書 ジョシュア・モストウ先生
6. 11月1日 会場:実践女子大学 香雪記念館
     王朝の香りと装束の雅 第一部・薫り千年―薫物から香道へ― 小畑洋子先生
                    第二部・女房装束―十二単の衣紋 永井とも子先生

時間: ①は13:30~15:00 ②は15:30~17:00
     10月18日は、13:30~15:30
     11月1日は、13:30~17:00

 写真は源氏物語ミュージアムにて撮影。

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2008.9.5 源氏物語千年紀情報・・・伊井春樹先生の「大沢本源氏物語」のご講演

276_2  写真展にいらした方からいただいた情報です。

●中古文学会秋季大会
特別講演 伊井春樹「大沢本源氏物語の伝来と意義」
会場:東京学芸大学 小金井キャンパス 南講義棟4FS410教室
日時:10月4日(土)開場15:00~16:20

 中古文学会初日の中の特別講演で、13:00から開会の辞があり、研究発表があって、休憩をはさんでの特別講演です。それだけの目的で行かれても座れないと思います。でも、13:00に行っても大変そうな気も・・・・。このブログにも「大沢本」で検索されてこられる方がいらっしゃいますので。中古文学会のホームページに詳細が載っています。

 写真は源氏物語ミュージアムにて撮影。源氏物語文化の特色というか、中心は「色」ですね・・・。つくづくそう思います。宝石とか貴金属でない、あって無いような「色」という漠然とした世界が主軸というのにつくづく感嘆します。

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2008.9.4 我が家のうさこちゃん

065  現在のターニャです。前に載せた赤ちゃんのときからもう一年以上たっていますので、すっかり成長しました。

 なにしろ家に来てからこの部屋以外、私たち家族以外を知らないで育っていますから、自分がうさぎだということも認識がなく、すっかり我が家の一員。なついてもの凄い甘えん坊です。

 成長してからこんなふうに隙間にはまって寝るポーズが増えました。ここはソファの上なんですが、ソファはもうかじられてボロボロ。中のスポンジがあちこちから顔をだしています。それだけならまだいいのですが、食べてしまうので身体によくないからこうやってクッションとか木綿のマルチカバーで覆っているんです。このマルチカバーも何代目かです。

 ターニャにとって家族にはそれぞれ役割があって、娘はなでて甘えさせてくれる人。私は朝晩の餌をくれる人、です。その「餌をくれる人」が、写真展のあいだの四日間いなかったのですから、さあ大変。代わりの人がくれていても頭の中では「私はどうなっていくのかしら・・・」と不安でいっぱいだったようです。

 最後の日、荷物を引き揚げて家に着いたときはちょうど娘が相手をしていたとき。が、いくら撫でてあげても、いくら優しくしてあげても、目がしょぼんとしたまま生気がなく、どうしちゃったのかしらと、娘は必死になっていたそうです。そこに玄関のドアが開いて私の声がしたとたん、目がぱっちりとまん丸くなって元気なターニャに戻ったとか。

 心配だったんですね。翌日は四日間の寂しさを払拭しようとの思いからかナーバスになって、強いストレスがあると軟便になってしまうその軟便のしまくり。何度掃除してもするから敷いている畳一枚を駄目にしました。今はもうすっかり立ち直って、糞もあの丸い粒々に戻り元気にしています。写真のポーズは気持ちいいときにごろ~んと寝るときのもの。写真展のあと、久しぶりにこんなポーズを見せてくれました。でも、しっかり私のようすを伺っているんですよ。上の目は気持ちよさそうに閉じていますが、下になっている眼はこちらを見ています。どこかへ行ってしまわないか見張っているんです。

 それにしてもうさぎって可愛いですね。餌が欲しいと寄ってきて私の周りをうろうろ。座っている腰のあたりをつついたりして催促するのですが、その感触がたまらないです!!

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2008.9.3 神々しい夕景

104 086  9月1日の夕景です。部屋の中が赤く異様な輝きを帯びてきたので外にでてみると、西の空が焼けていました。こういうまばゆいばかりの強烈な焼けは綺麗です。周辺には一枚目のような彩雲になりかかった雲が浮かんでいました。

 8月末の連日の猛烈な集中豪雨と雷雨のあとの夕焼け。天変地異というよりも天地創造という自然への畏怖を思っています。

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2008.9.2 写真展が終わって・・・

 一昨日写真展が終わっただけなのに、そんな時空があったのも嘘のような普段に生活にもどっています。でも、違うのは、会場でお話させていただいた方とのお約束を果たすこと。昨日からかかっています。会場でメモして忘れないようにはしていたのですが、いらした方が重なってメモし切れなかったり、メモできない場での応対で「あとで」と思っているうちに忘れていたり・・・、あとで思い出すことがあったので、もっとあるかも・・・なんて心配しています。

 今日は、「キャプションを欲しい」と言っていただいた方がいらしたので、その方々用に手ごろなA4に編集しなおしたりしています。と、そんなようなことでしばらくこういう時間が続きそうです。

 写真展は、せっかく『河内本源氏物語』という二大写本の一方の雄が鎌倉で成立し、『尾州家河内本源氏物語』という重要文化財までが成立しているのだから、源氏物語千年紀の今年、鎌倉でシンポジウムか何かのイベントをしていただけないかとの、そのきっかけになればいいとの一心で決意しました。

 でも、結果は、鎌倉関係の方には届かなくて(どなたにもいらしていただけなくて)、会場は盛況で有難かったのですが、意図した結果にはゆきつかず、危うく落ち込みそうな気分でした。気象庁でも警戒するほどの集中豪雨と雷雨、各沿線の不通もひびいて、「横浜線が不通であきらめました」とか、「今日も昨日のような天候だったら来れなかった」とか、その影響もあったのでしょうけれど。

 でも、落ち込んでもはじまらないし、まだ千年紀は半分残っていますから、これからまた考えることにしよう・・・などと思っているうちに、「見るものを見た」強さから心が定まって、執筆中の原稿に戻ろうとの気持ちが起きてきました。原稿だけでは訴えが弱いと思って写真展をしたのに、不思議です。それには、会場で、「これは本で読みたいなあ」というお声をいただいたことが励みになっています。

 落ち込む結果といっても、それは鎌倉でのイベントに結びつかなかったからというだけで、個々の方とのお話には幾つも幾つも指針をいただきました。「面白い」「切り口が新しい」「こういう写真の使い方もあったのか・・・」など、それぞれに意を強くさせていただきました。

 写真展のあと、パワーポイントで編集して講演させていただこうと考えていましたが、こういう事情でしばらく原稿に向かうことになりそうです。初心にかえって・・・、となることができたのも直接皆様とお話できた「人と人との交流の力」なのでしょうね。有難うございました。

 後処理がすべて終わったら、写真と個々のキャプションをきちんと編集して、ホームページにアップします。そのときまたご覧になっていただけたら嬉しいです。

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2008.9.1 写真展【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】を開くことにしました! ラスト

210  写真展は無事、昨日で終了しました。たくさんの方にお見えになっていただき本当に有難うございました。あいにくの連日の猛烈な雷雨で中央線や横浜線、京王線が不通になったりで、予定していてくださったのに来られなくなった方が大分いらして、残念な面もありました。でも、盛況で有難かったです!!

 書き始めたら一冊の本になるくらいいろいろありますが、今日はこれから片づけものをしなければならないので、とりあえずお礼だけ申させていただきます。ほんとうに有難うございました。

 写真は会場でも展示した蓬左文庫前庭の牡丹です。最後から二枚目の配置で、30数枚をずっと「緊張して」たどってきた最後にここに来ると皆様ほっとされるようで、評判でした(笑)。面白いですね、何の工夫もなく撮ったショットなのにこんなにインパクトがあるなんて・・・

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