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2009.1.30 平等院鳳凰堂壁画に頼通の姿が描かれていたそうです!!

351 304325  1月24日読売新聞朝刊に、「平等院鳳凰堂壁画」に頼通の姿が描かれていたとのニュースが報道されていました。以下、詳細です。

平等院鳳凰堂(京都府宇治市)の本尊・阿弥陀如来坐像の背後にある壁画「仏後壁」(国宝)が、1053年の創建とほぼ同時期に描かれたことが初の本格調査で分かった。

 平等院は制作時期と画題から、創建した藤原頼通が「浄土往生を祈る気持ちと、一族の繁栄を願う思いを、壁画に託したのでは」としている。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090123-OYT1T01043.htm
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009012300199&genre=M2&area=K00

 宇治平等院は藤原道長の別業だったのを頼通が相続し、ちょうど末法の世到来の不安な時代でしたので頼通が寺院として創建したものです。そこに頼通の姿があっても不思議はないですね。

 『源氏物語』で宇治の夕霧の山荘が平等院をモデルにしたものとされます。夕霧は光源氏からこれを譲り受けました。つまり、光源氏は道長、夕霧は頼通、ということになりますよね。紫式部が仕えた道長。そして彼女の書いた『源氏物語』。そこに登場する夕霧が頼通っぽくても当然。頼通は真面目で、そこも夕霧と似ていますね。

 宝塚公演「夢の浮橋」を観に行くので、とりあえずあら筋を再確認しておこうと瀬戸内寂聴さん訳の宇治十帖を読んでいますが、薫と大君・中の君まで進んで、浮舟が登場しはじめたら、とても安穏とした気持ちでは読んでいられなくて止めてしまいました。私はむかしから大君が好きで、ここまではいくら読んでもいいのですが、浮舟は辛い・・・。観劇で、リアルタイムに劇の中で堪能することにします。浮舟は本文で読みましょう。(筋よりも文章の運びに集中することにして!!)

 ・・・ということは、小説は八の宮の姫君たちで充分ものになるけれど、舞台やドラマにするには浮舟のような筋の激しさがないと駄目ということ? 出先統監督のアニメ「Genji」の作りも含めて、いろいろ府に落ちたり・・・、「花の蹴鞠」執筆中なので目下すべてが勉強中です。

織田百合子のHP http://www.odayuriko.com/

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2009.1.29 今夜は、「源氏物語千年紀 Genji」の第三話があります!

 フジテレビ、深夜12:45からの出先統監督「Genji」。先週は「六条」、そう六条御息所が主人公でした。葵の上も登場。凄い迫力で終わるまで「凄い!」「凄い!」と、感心したり溜息をついたり絶句したまま魅入ったり、すっかり虜になってしまいました。出先監督って、ほんとに凄い!ですね。

 『源氏物語』の本文では光源氏と六条御息所のそもそもの出逢いは描かれていません。突然、光源氏がすでに通っていられる高貴な女性として御息所は登場します。そして馴れ染めが説明されていくのです。それを出先監督は真っ向勝負で光源氏が学問を教えて欲しいと願い出て、論文審査の諮問のような厳しい応酬の果てにお眼鏡にかない、晴れて学問の師と弟子になって通いはじめ、源氏に恋心が芽生えて、やがて・・・と手を抜くことなくめんめんと描いていく。

 六条御息所はといえば、源氏よりも先に源氏にどうしようもなく惹かれていく自分を見ていて、立場上、そして、年上というハンディからそれを抑えに抑えている。けれど、生命の根幹から彼女自身を突き上げてやまない愛欲は、賢い彼女をして理性と本能とで真っ二つの苦しみに突き落とす・・・。とてもアニメという範疇では片付けられない深い、というか、重い、それは凄い描き方・・・

 アニメって、いいですね。抽象的・哲学的会話が許される・・・。小説でこんな描き方をしたら顰蹙です。少なくとも、私が新人賞をいただいたときの周囲の反応にはそういうところがありました。すなわち、「小説はリアリズムだからね・・・」と。

 でも、アニメだと、美しい映像とともに、そんな会話がいとも見事に融合していて安心して見られる・・・。ロマンをロマンとして堪能しながら、しかも人間心理の深いところにぐさっと切り込んで止まない・・・。出先監督が大和和紀さんの『あさきゆめみし』のドラマ化を途中で変更してオリジナルでなさった経緯が納得でした。

 こんな『源氏物語』、見たことない! が私の正直なところの感想です。

 今夜は「夕顔」とのこと。深夜というのだけが私にはネックですが、頑張って起きていることにします。

織田百合子のHP http://www.odayuriko.com/

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2009.1.29 photoshopによる写真加工・・・「ソラリゼーション+エッジの光彩」でこんなに!

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 下の写真が原画です。井の頭公園の夕陽が映る池の水面です。それにphotoshopの「ファイル」から「ソラリゼーション」→「エッジの光彩」と処理しただけで、上の画像のように。

 ソラリゼーションて、暗室で写真の焼付をしていたときの手法です。結構好きで、よく試していました。露光した印画紙を現像液につけ、完全に現像が終わらないうちに一瞬だけ暗室の光をつけるんです。すると、印画紙に白と黒の化学反応が反転した画像が浮かびあがる・・・、それはそのときそのときの条件でできあがる画像なので、どういうものになるか予測つかない・・・、奇跡的に面白いものができるときもあるし、狙ったのにとんでもなくつまらないものになることもある。その妙味。かなり遊びました。フラミンゴの写真を焼いていたとき、失敗で現像液からあげていた印画紙があり、暗室の灯りをつけたら勝手にソラリゼーションになって、それが狙って作っても絶対できないような芸術作品に。ちょうどトリ年だったので年賀状に使ったら好評だった思い出が・・・なんて。

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2009.1.26 月組宝塚東京公演【夢の浮橋】を観にいくので・・・

079  源氏物語千年紀はとてもさまざまな分野で源氏物語についての企画を呼び醒ましてくれました。

 研究の世界での写本発見のブームもそうですし、これによって源氏物語の「写本」が一般的に知られるところとなりました。光行の『河内本源氏物語』を追って書き始めた当初は、「何をそんなマイナーな事を追ってるの?」とか、「そんな難しい事を書いても誰も読んでくれないわよ」と、周囲から冷やかに見られていたのが、いつかしら反転して、私よりもいち早くそういうニュースを知った方から連絡が入ったり、新聞の切り抜きを送っていただいたりと、思いがけない嬉しい変化をしました。

 宝塚でやはり源氏物語千年紀にかけて【夢の浮橋】をするという情報も、そうした中で得ました。そして、早速、「チケットを取ったの。行かない?」というお誘いをいただいて、思いがけず何十年かぶりに、宝塚の公演を観にいきます。ちょっとどきどき・・・

 宝塚は小学生の頃よく観に行きました。寿美花代さんや明石照子さんがトップの頃で、寿美花代さんが客席におりて「おいらはヴァガボンド・・・」と歌って回られた目も覚めるような光景は圧巻でした。急に中学の私立受験をすることになって、半年ほど俄か勉強にと家庭教師のお姉さんについたのですが、母がその方へのお礼にと宝塚のチケットを用意したんです。でも、その生粋の芸大の学生でいらしたお姉さんは、宝塚なんて・・・と内心軽蔑した素振りがありありで、気が乗らないまま二人で出掛けました。が・・・、あまりの華麗さに魅惑されたお姉さんはすっかり夢中になって、客席に降りたスターの方を見ようと座席の上に立ちあがってしまったので、折りたたみ式の座席がすとんと畳まれて落ちてしまう・・・といった一幕も。終わってみたら、宝塚なんてと鼻でくくっていたお姉さんはすっかり虜になっていました。

 最後に観たのは榛名由梨さんの光源氏。春日野八千代さんみたいな風格ある光源氏で素敵でした。うしろに控える新人の大地真央さんが初々しくて、目を離せないほど綺麗で、世の中にはこんなに綺麗な人がいるんだ・・・って、驚きでした。

 その後、ベルばらブームでした。観たかったのですが、環境がそんなふうでなくて観ていません。「ベルサイユのばら」は私の小説作法の原典でもあるので、観たい思いはあったのですが・・・。ベルばらの歴史のなかのロマン、というか、歴史という限界状況の中での切羽詰まった人間関係が「白拍子の風」のヒントです。だから、「白拍子の風」もアニメ化したい思いが未だあります。どなたか絵の上手な方、描いて下さらないでしょうか・・・。はじまったばかりの出先統監督の「genji」を観ても、やはりその思いがふつふつとします。「白拍子の風」はもう一つのブログ「ゆりこの銀嶺日誌」にアップしています。
http://ginrei.air-nifty.com/ginrei/cat3729097/index.html

 今回の【夢の浮橋】もふつうなら観にいくチャンスにならなかったでしょうけれど、源氏物語千年紀のお陰です。宇治十帖は一応読んでいますが、とりあえず複雑な筋を思い出そうと、原文ではなく、瀬戸内寂聴さん訳を目下読み進んでいます。

 写真は宇治の源氏物語ミュージアムにて。薫が八の宮の姫君たちを垣間見ています。

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2009.1.24 朝焼けのの雲にフェルメール「デルフトの眺望」を思い出して!

045 057 052  強烈な朝焼けというのではありませんでしたが、雲の下が綺麗なオレンジ焼けをしはじめたのが窓から見えたので撮りに出ました。今朝は全天雲が覆っていて、その部分部分が昇る朝日の方位と無関係に朝焼けしました。

 撮っていて、ふっと、久しぶりに思い出したのがフェルメールの「デルフトの眺望」。フェルメールが日本でこんなに有名になる前、私はプルーストの『失われた時を求めて』からこの絵を知って、以来惹かれています。だから、私のフェルメール観は風景画家・・・でした。今の皆様の認識とちょっと違うかな。

 『失われた時を求めて』の中で、フェルメールはエルステールという画家を登場させ、かなり詳細に画風とかを論じています。フェルメールはそのモデルなのだそうです。だから、プルーストは作品の中でエルスチールという画家を描きながら、頭の中ではフェルメールを思い浮かべていたというわけ。そこで、もの凄く綿密に画家の複雑な色彩を分析、論を展開しています。

 雲を撮っていて、ふと惹かれる色彩の時、「あ、デルフトだ・・・」と気がつきます。それは朝と夕刻。つまり、雲が金色がかった透明なオレンジに焼け、周囲の雲には様々なトーンの薄いグレーの雲。そして、真っ白な雲。背後にところどころ覗く空は綺麗な水色・・・という状況。こういう空がたまらなく好きです。そしてある時気がつきました。これって、プルーストだ!って。プルーストによって解説されたフェルメールの色彩だって。

 フェルメールの色彩は、青とオレンジのアンサンブル・・・ってどなたかが書いてらっしゃいました。青とオレンジ・・・、まさに朝と夕刻の空です。

 今朝の雲に久々にプルーストを思い出して懐かしい気分でいっぱいです。何故って、目下『源氏物語』に精力を費やしていますが、私の原点はフランス文学。カルチャーで小説作法を学んだのが早稲田の教授で日本におけるネーボーロマンの旗手、平岡篤頼先生でした。ちょうど日本でもヌーボーロマン全盛期の頃で、クロード・シモンがノーベル賞を受賞され、平岡先生はその翻訳者でいられましたから、まさにヌーボーロマン旋風の真っただ中にいて、それを身につけさせていただきました。プルーストもその時に読みました。

 プルーストの小説は「意識の流れ」という手法で書かれています。ジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』も同様の小説ですが、この二作品を読んだ経験はとても大きいと思います。私はこの二大作品に『源氏物語』を加えて「意識の流れ」の三大作品と思っています。

 「意識の流れ」という小説作法を最初に教えていただいたのは、小説のカルチャーに移る前に通っていたシナリオセンターの森栄晃先生からでした。青山にあったシナリオセンターには10年ほど通いましたが、それは技術を身につけるというより、森栄晃先生の洞察力ある深い人生観のお話を伺うのが楽しみだったから。他のクラスでは皆様デビューされるのに切磋琢磨されていましたが、私がいた最終クラスはおかしな人が集まっていて、プロデビューに興味なし、ひたすら森先生のお話で人生の指針を身につけようといる人ばかり。そういう私たちを見て、先生が、「ではいっそ小説の歴史を教えてあげようか・・・」とばかりに始められたお講義の中ででした。だから、私は大学では文学を学んでいませんが、実質的に「深い」お講義を森先生からいただいています。近代小説の金字塔フローベルとか、象徴主義ランボーとか、・・・・懐かしいですね。

 昨年五月、森栄晃先生は他界されました。お嬢様からのお年賀状のお返しでそれを知りました。先生のご意思で公表されなかったそうです。先生からはほんとうにたくさんの事を教えていただきました。

 東宝映画の企画部長をされていらしたから黒澤明監督ともご交流があって、『影武者』公開時にはいち早くシナリオを手に入れられて、それをテキストに黒澤映画の魅力を分析しながら教えてくださいました。そのときのお話で一番記憶に残っているのは、「対比」ということ。映画『影武者』では冒頭、武田信玄が峠から湖を見おろす場面からはじまります。そして最後は亡くなった信玄の遺体が湖に沈められるところ。つまり「高→低へ」「空→水底へ」という構図がここにあります。そういうふうにシナリオ(小説)を書くときにはメリハリをつけなさい・・・、というお話でした。一応、今も、何かを書くときには先生のお言葉を思い出しつつ書いています。

 森先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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2009.1.22 今夜は、「源氏物語千年紀 Genji」の第二話があります!

 先週はじまった源氏物語千年紀の記念企画、出崎統監督の「Genji」の第二回の放送が今夜です。先週は見逃してはいけないと眠いのを我慢して必死になって起きていました。0:45からって、中途半端な時間ですよね。でも、綺麗だった・・・。溜息の出る美しさ。久々に堪能しました。さすが出崎監督(といっても、それほどご業績を存じあげている訳ではありませんが・・・)、ストーリーよりも人間と人間の心と心の交流だけに焦点を絞って、アニメとはいいながら通常のドラマよりも綿密に「心情」が描かれていました。

 だから、見終わっての感想は、「あれ? 光源氏と藤壺以外に出ていたかしら・・・」といった感じ。「桐壷」巻だから当然重要なはずの桐壷帝や母君の更衣も、頭中将も、一回か二回、ちょこっと説明役程度に登場しただけ。あとは全編、幼い光源氏が元服して仲良くしていた継母の藤壺と会えなくなるまでの二人の交流。華やかに美しい明るい幼少時代から、だんだん許されない恋と知って暗く切なく苦しくなっていく過程が、ずうっと二人の登場するエピソードで綴られていました。切なさは『源氏物語』の原点です。ここを綿密に描かなければこの物語はただの不純な許せないお話に終わってしまいます。

 今夜の主役の女主人公は六条御息所だそうです。【フジテレビ、深夜0:45~1:15】です。

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2009.1.21 源氏物語の文(ふみ)・・・

358  カルチャーの高橋文二先生の源氏物語のお教室では「浮舟」を読んでいます。今年最初のお講義は、匂宮が中の君のもとに届いた浮舟の手紙を見つけて問いただすところでした。そこには「立文」とあり、正式の形式の手紙だそうです。

 それで、手紙の形式について先生が少しお話をされて、「ちょうどいいので持ってきました」と、刊行されたばかりの川村裕子先生の『王朝の恋の手紙たち』(角川選書)を紹介して下さいました。そこには「浮舟」のその箇所の手紙も取り上げられています。早速私も拝読させていただきたくなりました。

 この日の先生のお話で心に残った事があるので書き留めますね。それは、浮舟が「憂し」と思っている事について。薫に愛されて宇治に置かれている浮舟ですが、美しく整えた邸宅に住まわされても、都での立場上訪れの間遠な薫を待つ生活です。いくら華やかに暮せても心の華やぐことはなく、我が身を「憂し」と浮舟は感じています。

 その「憂し」について、高橋先生は、「この言葉は自分を責めるところから出てくるんですね。女性が使う言葉で、自分を責めるから憂しなんです。自分のどこが悪いんだろうと。男はこうは思わない。同じ状況で光源氏が使うとしたら、それは『辛し』です。男は相手が悪いから自分がこんな目にあうと、相手を責める訳です。」との事。男と女の間の永遠の真理がこんな言葉一つに伺われるなんて!! とびっくりしつつ凄い納得しました。これは源氏物語世界で周知の説なのでしょうか。それとも高橋先生の独自のご解釈? どちらにせよ、高橋先生ならではのお講義です。その深さにはいつも参ってしまいます。

 川村裕子先生のブログ「川村裕子の王朝と猫」は可愛くて、ほんとにこれ国文学者の? って、最初目を疑いました。トップページのデザインは多分アニメのココロちゃん(曖昧でごめんなさい)。プロフィールページのデザインは「サンリオ村」で、サンリオのキャラクターが勢ぞろいです。目をみはって、その次に書店に行ったときに、「ほんとうに国文学者でいられるのか」確かめてしまいました。そうしたらたくさん出してらっしゃって、それも、一般素人さん読者にとてもわかりやすく配慮されたものが多く、ブログのデザインと通じるものがあって、成程、と思いました。「わかりやすく・・・」は古典ではとても貴重です。私に欠けているものなので啓蒙されました。

 写真は源氏物語ミュージアムでの撮影。「手紙」なので思い出して使いました。

織田百合子のHP http://www.odayuriko.com/(「花の蹴鞠」のアップを準備中です。ようやくテーブルレイアウトを終わって、イメージ画像を挿入。目下テキストのCSSに挑戦中です。)

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2009.1.19 綺麗に染まった夕刻の雲・・・

044 064 069  夕方、西北西発生の雲が綺麗に焼けました。雲自体が磁気を帯びているらしく、みるみる染まっていきます。空は青いのに、雲だけが焼けて、アンバランスで不思議な空でした。

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2009.1.15 源氏物語千年紀情報・・・連続テレビアニメーション、出崎統監督の「Genji」今夜放送開始!!

250d  源氏物語千年紀の記念企画、出崎統監督の「Genji」が今夜放送開始です。「毎週木曜日深夜0:45 フジテレビ」という事だそうですが、地域によって時間が違うのでサイトを参照して下さい。30分毎で全11話。光源氏が明石上と出会うまでが描かれるているそうです。
http://genji-anime.com/

 この企画があるのは知っていて楽しみにしていました。なのに忙しさに埋没していたら、すっかり放映日のチェックを忘れていました。友人から「昨日の夕刊見た?」とメールを頂いて今日とわかりました。危うく見逃すところ・・・、助かりました! 昨日の読売新聞の夕刊に両面見開きで出崎監督とこのアニメが紹介されているんです。綺麗だし、詳しく紹介されているので是非ご覧になってください。

 出崎監督は、改めて私などの説明など必要ないでしょうけれど、「あしたのジョー」「ベルサイユのばら」「エースをねらえ」を手がけられた監督。その方の光源氏って、どうなるのでしょうね。当初は大和和紀さんの「あさきゆめみし」のアニメ化だったのを、途中からオリジナルでやりたいと思うようになられたとか・・・。インタビューで「葵の上がいい」って答えていらして、珍しいなあって思ってしまいました。

 読売新聞によると、出崎監督の手法はアニメとはいいながら実写のような見事さ。「陰影の強調」「入射光・透過光」などが駆使されていてドラマの雰囲気を綺麗に醸しだしています。カメラマン的手法ですね。映像は「創りあげる」と美しいです。もちろんリアリズム写真を否定するものではありませんが、目下のところの正直な気持ちです。

 去年一年、源氏物語千年紀に気持ちが終始したら、現実世界での源氏物語イメージを撮る難しさという壁にもろにぶつかってしまいました。アニメなら大和和紀さんに限らず、いくらでも色の再現、イメージのデフォルメ化が自由です。写真家でスタートした身なので、当初はそれでもなんとか源氏物語風に写真を撮りたいと頑張ったのですが、私自身が思い描くイメージとおりの再現なんて、たぶん、京都に住んでいても無理とあきらめました。

 それで、最近Photoshopによる画像加工に活路を見出して、これで作品ができるかな? ってやっています。冒頭の写真はその一枚。源氏物語ミュージアムで撮らせていただいた一枚をPhotoshopで変形処理したものです。まだどんなことができるか試している段階です。

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2009.1.14 孔雀の写真・・・合成や加工処理の勉強中です!

008  写真の合成を試みるのに素材を探してたら、「孔雀」としてご紹介した写真の他にもいろいろあることに気がつきました。一括したテーマに収まりきらないからあえて取り上げなかったのが、そのままになっていたんです。

 この孔雀は角度としては最高なのに、手前に木の枝が伸びているのが惜しい・・・、画像処理でなんとかこの緑の葉っぱをとれないかなあ・・・なんて思ってしまいました。

 ホームページに「花の蹴鞠」のページを作るのに何に四苦八苦しているのかいろいろ読んで、やっと基礎的なことがわかりました。以前使っていたDreamweaverは「テーブルレイアウト」が基本で、私はそれに慣れていたんです。が、今回、CS3になった新しいDreamweaverではテーブル方法ではなくCSSを使う・・・。まったく違う世界になってしまってました。どうりで今までと同じ方法を試みて上手くいかなかった訳・・・

 という訳で、目下Dreamweaverの猛勉強中です。いずれ「テーブルレイアウト」はすたれてCSSのみになるそう・・・でも、今はまだテーブル仕様の方が普遍的・・・、目下のところどちらでもいい・・・、となると迷いますね。CS3専用の解説書にはテーブル方法の説明がなくCSSのみで、読んでも読んでも???と四苦八苦していました。やっとテーブルを使ってのレイアウトを説明している本に出会って視界がクリアになりました。

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2009.1.13 寒い朝が続きます・・・畑の霜の光景

032  朝焼けを撮りに出ると写真のような霜がおりた光景に出逢います。冬は空気がピリッとしまって綺麗です。

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2008.1.12 Photoshop による写真の合成 1

A028 028f   Photoshop で写真を加工する面白さにはまりそうです。本当はもう「花の蹴鞠」のサイト用に一枚できたのですから、小説のアップにかからなければならないのですが・・・(笑)

 これはまだ途中ですが、経過をお知らせしますね。最初は撮ったままの孔雀の写真。下はPhotoshop で加工したもの。主に「編集→変形」と、「フィルタ→表現処理」を使いました。こんなに変えられるんです。虜になるのもわかりますでしょ!

 imageとしては孔雀を切り抜いて他の画像に嵌め込みたかったんです。が、「選択範囲→色域指定」処理では一色分しか有効でないので、孔雀のように何色もの単体には使えないことがわかりました。「花の蹴鞠」用に作ったときは桜をこの処理したので、単一色だったから簡単だったのですね。

 でも、この孔雀の画を使いたいので方針を変えて、空の部分に大きな花を埋め込もうと思っています。それにはやはり「切り抜き・透明化」が必要。いつも単色とは限りませんから、「選択範囲→色域指定」だけに頼るのはやめてパスを使って切り抜く方法をやってみようと思います。

 と、娘にそんなことを言ったら、それにはまずパスの練習をしなさい!って、『 Illustrator トレーニングブック』(広田正康著・ソーテック社)という、まるで幼稚園生用の絵本のような可愛い本を渡されました。(最近、Photoshopの件で専門的なことを訊くので娘はえばっています。まるで「おっかない先生」のよう。とりあえず私も従順にしています・・・笑) 帯に「これから始める人のイラレ練習帳」とあります。これまで一応、Photoshop も Illustrator も「立派な」解説書は購入してあります。けれど、そういう技術書って初心者には堅苦しいだけでやる気を起こさせませんよね。最初からじっくり読んでいっても頭の中がこんがらかるだけ。それに対して前回ご紹介の『一週間でマスターするPhotoshop CS3』とかこの本のような実践に即した本は手っとり早くわかりやすくていいですね。

 孔雀の合成画像は完成したらまたご紹介させていただきます。

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2009.1.11 昨日の朝焼け・・・また金色の後光のような放射

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030_2  昨日、また金色の朝焼けを撮りました。しかも雲間から後光のような光の放射まで。大気中に磁気が蔓延しているとこういう現象に遭います。よく見ると雲のない大気の部分にまで光の放射があるのが見えるでしょ!

 下の三枚は午後の雲。発生の仕方が圧巻でみるみる天頂に延びていきました。その周縁では絹糸のような細さでたなびく雲が綺麗にかがやく彩雲になっていました。地元に居ながらにしてこんな光景を見ることができるなんて・・・。空は荘厳です。

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2008.1.10 Photoshopで写真を合成してみました。「花の蹴鞠」のimage写真出来上がり!!

049 165a 165b 165c  ホームページに連載小説「花の蹴鞠」のページを作る準備をしています。それにはそのページの基本となるイメージ画像が必要。昨年web講座の終了直後からどんな画像にしようか考えていましたが、やっと思案がまとまりました。

 それには素材となる画像の他、Photoshopによる加工技術が必要です。今まで写真の明るさなどの補正程度しかしたことがなかったので、年明け頃からPhotoshopのマスター本を読んでいました。

 といっても、そんな専門的な本ではないんですよ。購入したのは『一週間でマスターする Photoshop CS3』(杉浦未羽著・毎日コミュニケーションズ刊)という超初心者のための本。娘には「なんでこんな本・・・」とあきれられましたが、これが超超使いやすかったんです。書店で何冊かパラパラと見て、一目でこれ!と決めてしまいました。

 で、私が必要だったのは複数の写真の合成の技術と、合成するための透明化。それをこの本で探すと木曜日の項に「レイヤーを使って複数の画像を合成しよう」があり、その手順どおりに進めたら、できました!! これからそれを説明させていただきます。

 まず、イメージ写真を仕上げるにはできあがった状態のイメージが自分の中にあることが必須。小説「花の蹴鞠」は主人公飛鳥井雅経が桜を愛した話ですから、まず桜の写真を用意しました。それが一枚目。

 それから、古風な中に華やかさを出したいので基調色を臙脂色と決め、それにふさわしい写真を探し出して用意しました。それをPhotoshopの「編集→変形」で加工してイメージどおりにしたのが二枚目。この「編集→変形」技術もこの本の「画像を変形する」項目に説明されてあったのを実行したものです。

 そして、合成するには桜の花の写真の背景を透明にしなければなりませんから、木曜日の手順を忠実にそのとおり実行して作り、最後に二枚を重ねたのが三枚目。四枚目はそれをさらに色調整して希望の色調にしたものです。

 これからこの画像を使って、ホームページに「花の蹴鞠」ページの作成にとりかかります。でも、まだ関門はあって、それがサイトのデザイン。私は今主流となっている「中央に細長く、縦に長いデザイン」が嫌いなんです。画面いっぱいに広がって見えるいわゆる画面全体が一枚の絵のようになっている方式にしたい。でも、web講座で習った基本が「中央に・・・」の方式で、自分流にするにはまた工夫しなければなりません。それをこれから頑張ります。

 目下、webの世界の無限の可能性に魅せられています。その第一歩がこの画像の加工。写真は一枚の写真で充分世界を訴えられますが、「中世」に目を向けている私にとって一枚の写真でそれを訴えるのは至難の業。だって、中世の景色は現代のこの世に存在しないんです。遺跡の写真を撮っていたころはまだデジタルになる前で、その頃からそれに苦しんでいました。エッセイ「寺院揺曳」のための写真を撮ろうと鎌倉に行っても、すでに廃寺になってしまい、現在はふつうの民家が密集する住宅地になっている「佐々目遺身院」の写真は撮れません。

 これはもうコラボレーションしかない・・・、それには撮るときに露出を計算し尽くしての合成写真が・・・と思っていた矢先にデジタル時代に突入。複合技術が簡単にできるようになりました。写真学生だったころ、それはもう綿密な計算をして合成写真を撮っていました。ここに画像を入れるには、重ねるもう一枚のその部分は黒くなるよう撮らなくては。。などと。それがPhotoshopでマスターさえすれば誰でも簡単にできる時代になって、私には脅威以外の何物でもありません。

 素材となる写真はあきれるくらいにいっぱい持っていますので、これからこういうイメージ写真をたくさん作っていきたいと思います。できたら壁紙配信してもみたいし、サイトでの展覧会なども考えていて、楽しみです。

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2009.1.7 今日も輝く金色の夕焼け・・・

046 044  とても綺麗で鮮烈な夕焼け雲でした。所用で手が離せなくて刻々変わる日没時、見晴らしのいい場所にかけつけた時は太陽が沈み切るほんの寸前でした。それが一枚目の写真です。下の写真はその直前の彩雲です。

お詫び:HPに写真展「写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―」と連載小説「花の蹴鞠」の二件をアップしようと思っているのですが、目下まだ準備中。年末にウェブの勉強をし直してやっとメドがたったり、お正月の忙しさもようやく終わったので、これから手をつけていきます。

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2009.1.6 今日の夕焼け・・・後光のような輝く放射

021 040  北西発生の雲の西に延びた部分が日没太陽にかかって綺麗な後光の放射状にかがやきました。上の写真がそうですが、太陽は下の黒い雲の背後にあって、そこから上の雲に光をあてています。

 二枚目は北西に発生している雲の状況です。西側が焼けています。

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2009.1.4 1月2日朝の彩雲

021 048 090  一月二日朝、小規模でしたが太陽にかかった雲が彩雲になりました。刻々と変化して観ていて見飽きず、お正月に彩雲なんてとラッキーでした。

 このブログに載せた彩雲の写真をご覧になった方から「この雲は彩雲(あやぐも)といって、ヒマラヤ登山の際によく観ました」と教えていただきました。ヒマラヤは私の憧れ。心の孤高の中心です。登山は叶いませんが、せめて麓から山を見あげてみたいですね。

 この日の彩雲は昇る朝日にかかって撮影条件としては最悪。太陽は右下位置にあります。それを写し込むと太陽部分は真っ白、空が真っ黒・・・でとても雅な彩雲風景に写りません。四苦八苦して撮った構図です。実際はもっと綺麗でしたが、お正月に彩雲という機会も滅多にないでしょうから載せておきます。

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2009.1.3 篝火の炎・・・

057 060 061  安養寺さんのお護摩に行ったときに境内に焚かれていた篝火です。

 篝火って、本当に好きです。源氏物語などの舞台には欠かせないし、以前書いた「白拍子の風」という小説では、平家の公達の催す宴会に招かれた銀嶺姉さまを、暗い庭から篝火の炎越しにじっと見守りながら警護の務めをする若い武士が恋の炎を掻き立てられるという設定をしました。

 百人一首では、大中臣能宣に「御垣守(みかきもり)衛士(えじ)の焚く火の夜は燃え昼は消えつつものをこそ思へ」があります。なんと暗い情景の中に赤々と燃える恋の火でしょう。一度覚えたら忘れられない情景。この一首のイメージで私の「白拍子の風」の銀嶺姉さまの運命は決まりました。「白拍子の風」は私のもう一つのブログ「ゆりこの銀嶺日誌」に載せてあります。
http://ginrei.air-nifty.com/ginrei/cat3729097/index.html

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2009.1.2 密教の新春のお護摩・・・

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 武蔵野市吉祥寺にある安養寺さんでは毎年年の改まる1月1日0時から新春の護摩祈祷を修されます。申し込むとお札に「家内安全」とか「身体健全」「心願成就」などの願い事を書いてお護摩の火をくぐらせて一年の望みを叶えてくださいます。

 写真は今年のもの。この地に越して来てのある年、年越し寸前の時間帯に吉祥寺の街を歩いていたとき、どこからか除夜の鐘が鳴り響いてくるのに気がつき、たどって行って安養寺さんにたどりつきました。それから毎年主人と私はお詣りに行って、お護摩を焚いていただいたお札を持ち帰るのが習慣になっています。密教儀礼は寺院の奥深くで行われて、一般の人の目にすることは敵わないように思いがちですが、こんな身近に拝することができるなんてと、内心今も奇跡のように思い毎年楽しみに伺います。

 写真は上から、①始まったばかりの室内。左に並んだ方々が朗々とお経を読み上げてくださいます。②実際に火を焚かれる導師様は一段高く座られて修されます。最初小さかった炎がだんだん高くあがってゆらゆらと揺らめきます。写仏でお不動様を描いたとき、背後に火焔を描きました。私はこの炎を見るといつもお不動様の火焔を思います。右にいられる僧侶の方の手だけが写っていますが、持っていられるのが私達が申し込んだ祈祷のお札です。ここでこれを火にかざして下さるのです。

 安養寺さんでは最初に書いたように除夜の鐘を鳴らします。それが、一般の人が衝かせていただけるんです。大晦日の深夜11時半頃にはもう長い列ができて順番を待っています。最近では外人さんのお姿を見ることが多くなりました。これこそ日本文化の体験ですね! 0時直前にお護摩を焚かれる僧侶の方々が一列になってこの鐘楼に昇られ、一周して儀式をされます。それから一般の人が衝く出番となります。僧侶の方々は一列のまま庭内を通ってお護摩祈祷の場へと移動され、0時からお護摩がはじまります。もし来年行かれるなら、この鐘楼の儀式に間に合うよう行かれることをお勧めします。最後の写真は鐘楼の前の篝火です。

織田百合子のHP http://www.odayuriko.com/

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2009.1.1 あけましておめでとうございます。

199  新年を迎えて年頭のご挨拶を申しあげます。昨年は(不思議ですね、つい昨日までのことなのに・・・)源氏物語千年紀に終始しましたが、今年は何にテーマを絞っていくことになるでしょう。いろいろ考慮中です。とりあえずしなければならないことは「花の蹴鞠」の連載とHPの改築。どちらも楽しんでしようと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 写真は琵琶湖にふりそそぐ光のシャワー。綺麗で夢中になってシャッターを切り続けました。

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