2009.1.21 源氏物語の文(ふみ)・・・
カルチャーの高橋文二先生の源氏物語のお教室では「浮舟」を読んでいます。今年最初のお講義は、匂宮が中の君のもとに届いた浮舟の手紙を見つけて問いただすところでした。そこには「立文」とあり、正式の形式の手紙だそうです。
それで、手紙の形式について先生が少しお話をされて、「ちょうどいいので持ってきました」と、刊行されたばかりの川村裕子先生の『王朝の恋の手紙たち』(角川選書)を紹介して下さいました。そこには「浮舟」のその箇所の手紙も取り上げられています。早速私も拝読させていただきたくなりました。
この日の先生のお話で心に残った事があるので書き留めますね。それは、浮舟が「憂し」と思っている事について。薫に愛されて宇治に置かれている浮舟ですが、美しく整えた邸宅に住まわされても、都での立場上訪れの間遠な薫を待つ生活です。いくら華やかに暮せても心の華やぐことはなく、我が身を「憂し」と浮舟は感じています。
その「憂し」について、高橋先生は、「この言葉は自分を責めるところから出てくるんですね。女性が使う言葉で、自分を責めるから憂しなんです。自分のどこが悪いんだろうと。男はこうは思わない。同じ状況で光源氏が使うとしたら、それは『辛し』です。男は相手が悪いから自分がこんな目にあうと、相手を責める訳です。」との事。男と女の間の永遠の真理がこんな言葉一つに伺われるなんて!! とびっくりしつつ凄い納得しました。これは源氏物語世界で周知の説なのでしょうか。それとも高橋先生の独自のご解釈? どちらにせよ、高橋先生ならではのお講義です。その深さにはいつも参ってしまいます。
川村裕子先生のブログ「川村裕子の王朝と猫」は可愛くて、ほんとにこれ国文学者の? って、最初目を疑いました。トップページのデザインは多分アニメのココロちゃん(曖昧でごめんなさい)。プロフィールページのデザインは「サンリオ村」で、サンリオのキャラクターが勢ぞろいです。目をみはって、その次に書店に行ったときに、「ほんとうに国文学者でいられるのか」確かめてしまいました。そうしたらたくさん出してらっしゃって、それも、一般素人さん読者にとてもわかりやすく配慮されたものが多く、ブログのデザインと通じるものがあって、成程、と思いました。「わかりやすく・・・」は古典ではとても貴重です。私に欠けているものなので啓蒙されました。
写真は源氏物語ミュージアムでの撮影。「手紙」なので思い出して使いました。
織田百合子のHP http://www.odayuriko.com/(「花の蹴鞠」のアップを準備中です。ようやくテーブルレイアウトを終わって、イメージ画像を挿入。目下テキストのCSSに挑戦中です。)