2009.1.24 朝焼けのの雲にフェルメール「デルフトの眺望」を思い出して!
強烈な朝焼けというのではありませんでしたが、雲の下が綺麗なオレンジ焼けをしはじめたのが窓から見えたので撮りに出ました。今朝は全天雲が覆っていて、その部分部分が昇る朝日の方位と無関係に朝焼けしました。
撮っていて、ふっと、久しぶりに思い出したのがフェルメールの「デルフトの眺望」。フェルメールが日本でこんなに有名になる前、私はプルーストの『失われた時を求めて』からこの絵を知って、以来惹かれています。だから、私のフェルメール観は風景画家・・・でした。今の皆様の認識とちょっと違うかな。
『失われた時を求めて』の中で、フェルメールはエルステールという画家を登場させ、かなり詳細に画風とかを論じています。フェルメールはそのモデルなのだそうです。だから、プルーストは作品の中でエルスチールという画家を描きながら、頭の中ではフェルメールを思い浮かべていたというわけ。そこで、もの凄く綿密に画家の複雑な色彩を分析、論を展開しています。
雲を撮っていて、ふと惹かれる色彩の時、「あ、デルフトだ・・・」と気がつきます。それは朝と夕刻。つまり、雲が金色がかった透明なオレンジに焼け、周囲の雲には様々なトーンの薄いグレーの雲。そして、真っ白な雲。背後にところどころ覗く空は綺麗な水色・・・という状況。こういう空がたまらなく好きです。そしてある時気がつきました。これって、プルーストだ!って。プルーストによって解説されたフェルメールの色彩だって。
フェルメールの色彩は、青とオレンジのアンサンブル・・・ってどなたかが書いてらっしゃいました。青とオレンジ・・・、まさに朝と夕刻の空です。
今朝の雲に久々にプルーストを思い出して懐かしい気分でいっぱいです。何故って、目下『源氏物語』に精力を費やしていますが、私の原点はフランス文学。カルチャーで小説作法を学んだのが早稲田の教授で日本におけるネーボーロマンの旗手、平岡篤頼先生でした。ちょうど日本でもヌーボーロマン全盛期の頃で、クロード・シモンがノーベル賞を受賞され、平岡先生はその翻訳者でいられましたから、まさにヌーボーロマン旋風の真っただ中にいて、それを身につけさせていただきました。プルーストもその時に読みました。
プルーストの小説は「意識の流れ」という手法で書かれています。ジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』も同様の小説ですが、この二作品を読んだ経験はとても大きいと思います。私はこの二大作品に『源氏物語』を加えて「意識の流れ」の三大作品と思っています。
「意識の流れ」という小説作法を最初に教えていただいたのは、小説のカルチャーに移る前に通っていたシナリオセンターの森栄晃先生からでした。青山にあったシナリオセンターには10年ほど通いましたが、それは技術を身につけるというより、森栄晃先生の洞察力ある深い人生観のお話を伺うのが楽しみだったから。他のクラスでは皆様デビューされるのに切磋琢磨されていましたが、私がいた最終クラスはおかしな人が集まっていて、プロデビューに興味なし、ひたすら森先生のお話で人生の指針を身につけようといる人ばかり。そういう私たちを見て、先生が、「ではいっそ小説の歴史を教えてあげようか・・・」とばかりに始められたお講義の中ででした。だから、私は大学では文学を学んでいませんが、実質的に「深い」お講義を森先生からいただいています。近代小説の金字塔フローベルとか、象徴主義ランボーとか、・・・・懐かしいですね。
昨年五月、森栄晃先生は他界されました。お嬢様からのお年賀状のお返しでそれを知りました。先生のご意思で公表されなかったそうです。先生からはほんとうにたくさんの事を教えていただきました。
東宝映画の企画部長をされていらしたから黒澤明監督ともご交流があって、『影武者』公開時にはいち早くシナリオを手に入れられて、それをテキストに黒澤映画の魅力を分析しながら教えてくださいました。そのときのお話で一番記憶に残っているのは、「対比」ということ。映画『影武者』では冒頭、武田信玄が峠から湖を見おろす場面からはじまります。そして最後は亡くなった信玄の遺体が湖に沈められるところ。つまり「高→低へ」「空→水底へ」という構図がここにあります。そういうふうにシナリオ(小説)を書くときにはメリハリをつけなさい・・・、というお話でした。一応、今も、何かを書くときには先生のお言葉を思い出しつつ書いています。
森先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。