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2009.2.28 室内で写真撮影をするための「小さなスタジオ」が届きました!!

Kujaku0004_2 昨日、注文していた「フォトスタジオ ミニ」が届きました。名前のとおりに「フォトスタジオ」です。それが「ミニ」というのはミニサイズということ。「50㎝×50㎝」の小ささで、卓上に置いて撮影できる優れもの。先日知人に誘われて行ったギフトショー(会場:ビッグサイト)でみつけて、思わず購入してしまったものです。

 私の原点は写真です。でも、もっと原点をたどると、「室内での撮影」だってことに最近気づきました。どんなに綺麗な景色を撮っても心が満足しないんです。なんだろうってずうっと考えていて、「光線だ!!」と気がつきました。出先統監督のアニメ「Genji」を見ていてのインスピレーションです。

 出崎監督のあのアニメはスタジオ写真撮影の光線の技法が駆使されています。私が『源氏物語』とは別にとても近しみを感じて見ているのは、あの光線の状況になんです。凄く心が潤います。なんだかとても懐かしくてずっと、「何だろう、この郷愁感は」と思っていました。ただ画面が綺麗だけでは済まない、私のなかのこだわりです。

 昔、カメラマンだった父は写真サークルを主宰していて、毎月一回、自宅でモデルさんの撮影会を催していました。その為に、家には、畳のお座敷に、天井からかけた「ホリゾント」が設置してありました。ふつうに暮している部屋なのに、撮影会の日になると私と妹は追い出されて、ホリゾントがおろされ、本格的な写真館さながらのスタジオに変貌です。

 ホリゾントというのは、写真スタジオに行くとある、あの天井から床までおろす長い背景紙のことです。モデルさんがポーズとるのに十分な大きさですから、そんなものが室内にある暮らしが如何に変わっているか想像がつきますでしょ。でも、私と妹にとってはそれが日常でした。

 そんなこともあってか、中野坂上にあった東京写真短期大学(現・東京工芸大学)の写真技術科に入学したときは、何も考えることなく「広告写真部」に入部しました。これも、スタジオなど室内で、自分でライティングして光源を設定する撮影方法が主です。

 私にとって風景とか目の前にあるものを撮るのは、感覚的に「私の写真」ではないんです。でも、世の中には綺麗な風景、素晴らしい世界・・・がありますよね。でも、いくらそういうものを撮っても心が満たされない・・・。どうしてだろうって、ずうっと、それこそ仕事で写真を撮らなくなって、自分勝手に撮っていい環境になってずうっと考え続けていました。さながら自分探しの旅みたいに、結構苦しかったんですよ(笑)

 それが、「光源だ!」と気づいたのは、ほんとうに出崎監督のお蔭かもしれません。自分で調整する光源の美しさ! 自分で世界を作ることのほれぼれとした満足感! これはもうほんとうに至福です。

 そんなときにギフトショーでこの「フォトスタジオ ミニ」と出会ったんです。お値段も、こんなものを家の中のどこに置くかも考えずに、思わず買ってしまいました。そして昨日届いたのを今朝開けて、最初に撮った写真が冒頭の孔雀です。ただ設置して、光源をONにして、カメラを構えて、シャッターを押しただけの、何の工夫もない1ショットです。でも、この「ミニ」がなかったら、こんなライティングを作るのは大変なんですよ! 最初の一枚はこの孔雀の置物と決めていました。何の工夫もない、何の変哲もない一枚ですが、これから工夫して「私なりの写真」ができるよう、しばらく部屋には設置したままにすると家族に宣言してしまいました。

 いつか、この「フォトスタジオ ミニ」自体を撮ってご紹介しますね。

http://www.odayuriko.com/(織田百合子HP「孔雀のいる庭」)

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2009.2.28 福島泰樹氏主宰短歌結社【月光の会】のHP,再開のお知らせが届きました!!

 昨夜月光の会のメルマガが届き、HPが再開したとのお知らせがありました。「花の蹴鞠」を連載させていただいている歌誌『月光』はここの同人誌です。他に季刊『月光』もあり、それは第三次の創刊号がまもなく刊行になります。「中原中也特集」です。福島泰樹先生の短歌絶叫コンサートのお知らせもあり、ご覧になっていただけたらと思います。
http://www4.ocn.ne.jp/~gekko/

 会員HPに私のサイトも載せていただいていました。HP「孔雀のいる庭」は、昨年夏の写真展【写真で見たどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】のページを作ろうとして中断したままです。せっかくだから新しくなったDreamweaverを買って、心機一転で頑張ろうとしたのが裏目にでてしまったんです。DreamweaverがAdbeとなって、仕様がすっかり変わっていたんです。それを知らずに今まで通りのことをしようとして、デキナイ!!、の驚がく的事件が・・・。それから解説書を買って四苦八苦して読んで、その辺の事情がわかり、これはもう素人の手には負えないと覚悟して、昨年末にWeb講座に通いました。新しいDreamweaverではhtmlを理解していることが必須なんです。四日間の短期講座(飯田橋にあるバンフートレーニングというところです!!)でしたが、これで「Webはデキナイ!!」意識から解放され、今はスッキリ、気分爽快。そろそろ「孔雀のいる庭」のリニューアルに手をつけようかな! って思っていた矢先でした。

 月光の会に紹介されたばかりのHPが「準備中」のままでは気の毒ですから、昨夜、久しぶりにHPに手を入れました。更新が途絶えていることの≪お詫び≫です。気がとがめていたのが思いがけずこういう事態になって、一応言い訳めいたお知らせを入れて、これもほっと一息です。

http://www.odayuriko.com/(織田百合子HP「孔雀のいる庭」)

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2009.2.26 今夜は、「源氏物語千年紀 Genji」の第七話があります!

 今夜は開始時間が変わって1時から。お蔭で今日もすっかり忘れて Photoshop に夢中になっていたのですが余裕です。

 先週は「朧月夜」でした。光源氏が須磨に左遷されることになる危ない情事の相手、朧月夜です。結果としてそうなのだから、原作にいくらしとやかで奥床しいところのある女性に描かれていても、アニメの特徴、出崎監督の特徴の、核心だけを突いて単刀直入に切り込む描き方をするとならば、先週のような性格・行動に描かれるのも納得です。少し、アニメの手法に慣れてきたようです。私も。

 朧月夜という女性に対しては面白い話があります。近藤富枝先生のご著書に書かれていたことですが、先生が教えていられるカルチャーの生徒さんに「どの姫君が好き?」という質問をされたそうです。それも、長く通ってほぼ人員に移動のない同じ人たちのカルチャー初期の頃と、中年のご婦人となった最近とで二回。

 若き主婦だった頃のその方々の好みはたしか「紫の上」や「明石の君」などが主で、「朧月夜」は嫌いといった方が多かったそうです。なのに、10年か20年か経っての二回目の答では「朧月夜」が好きと答える方が何人かいらして、若い頃のような彼女への反発の視線は消えていたとか・・・。さらに、「せっかくの人生なんだから、彼女のような恋をしてみたかった・・・」(表現は違ったと思いますが・・・)、というように、いつのまにか許している・・・。人間誰しも終わりが見えてくると、今までのやり方で本当によかったのだろうかと振り返る傾向の結果でしょうと、近藤先生も面白がっていらっしゃいました。やり残したというのは「危険な恋」。悔いが残るとしたら、多くの女性にとって「危険な恋」をしなかったこと・・・

 そんなふうに、朧月夜という女性は、同性の妬みを買うほど華やかな方です。何しろ光源氏を失脚させてしまうのですから。

 でも、表向きはそうですが、それは結果からのことであって、紫式部は決してそういう女性に彼女を描いていません。それはもう平安絵巻の雅な美しさの極致として描かれています。それでもってして、かの藤原俊成が歌人の心得として「源氏物語を読まない歌詠みは遺恨」と言ったほどに。俊成のこの言葉がめんめんと受け継がれて、現代短歌となった今の歌人の感性にも源氏物語は鳴り響いているのです。

 では、俊成は『源氏物語』のどこをメインに捉えていたのでしょう。

 それは、「花宴」巻。朧月夜というが登場して光源氏との情事がもたれる場面のあるところです。なので、一般的に、俊成は二人の出逢いのこの場面を評して「源氏物語は優艶」と言ったといわれています。

 でも、私はちょっと違って、俊成が評価したのはもう少し先の、光源氏が名を明かさなかった朧月夜の身分を探りあてて再会する二度目の場面ではないかと思っています。

 先週のアニメでも扇が重要な役割を果たしていましたが、最初の逢瀬のときに二人は互いの扇を交換します。その扇の持ち主が朧月夜と知った光源氏は、再会を果たすべく朧月夜邸に乗り込みます。でも、女性は奥床しく十二単の袖を覗かせて「居る」ことを示しながら御簾の奥に侍るだけ。それがずらっと何人も並んでいるものですから、光源氏にはどの袖の人がお目当ての朧月夜かわかりません。

 そこに扇が重要な役割を果たします。光源氏が来たとわかって女性たちはざわめきますが、朧月夜は一人先日の情事がばれたら大変という思いと、すぐにも再会に飛びつきたい思いとの狭間で揺れ動き、苦悩に声も出ません。

 光源氏は伊達男が遊びに来た振りをしてさもいたずらめいた感じで女性陣に声をかけます。咄嗟の応答に知性ある雅な答えをしなければなりませんから、怖気づいて誰も答えられないでいる中で、私こそと思う誰かがそれなりに応じます。すると光源氏は、「うろたえることもなく応じてくるこの人が先夜の女性であるはずはない」と判断するのです。(コワッ!!)

 さらに進んで、朧月夜と思う女性を探りあてた光源氏。声も出ずに溜息をもらすだけの彼女を、「この人こそ」と光源氏が思う・・・。もうそれは優艶な美しさです。洩れた溜息がほのかな桜色に染まって見えるほどに。

 この場面の描き方の凄さ!! 紫式部の感性・筆法満開の場面です。俊成でなくてもあまりの見事さにどきどきします。俊成は後に歌の作風として「幽玄」ということを打ち出しますが、私は朧月夜のこの場面がことに俊成をして感銘せしめたのだろうと思っています。

 紫式部の原文に比しての、私の解説のなんて味気ないこと! 我ながら書いていてもどかしいのですが、とりあえず出崎監督とは違った原著の朧月夜を知っていただきたくてこのことを書いておきます。

 あと5分で一時です。今夜は「葵の上」でしたっけ。車争いもある劇的なこの巻を出崎監督がどう料理されるか楽しみです。

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2009.2.26 photoshopによる写真加工・・・写真の修正が簡単に綺麗に!!

169 A169  上と下は同じ画像です。世界のラン展で買ってきた白い蘭。当日撮ったときには綺麗だったのに、次の日に撮ったのが下の画像です。肉眼では気付かなかったのですが、花びらのエッジがところどころ茶色くなってもう劣化がはじまっていました。

 それを Photoshop のコピースタンプツールを使って修正したのが上の画像です。ブログでは小さくてに見分けがつきづらく恐縮ですが、特に中央より下半分の花びらのエッジを見比べてください。変色した茶色の部分が消えてみずみずしい綺麗な蘭になっていますでしょ!!

 コピースタンプツールというのは、困った部分を、周囲と同じ色によって同化させて見えなくする技法です。この画像の場合、正したい茶色の部分のすぐ近くの白い色を掬って、茶色の部分に貼りつけるんです。これはほんのピンポイントの修正ですが、もっと極端に物質一個をまるまる消してしまうなんてこともできます。もちろん、お顔のシミの修正なんて初歩中の初歩。恐ろしいですね。

 でも、お陰で蘭は切り花にしたばかりのみずみずしさを復活することができました!! Photoshop の技法を全部マスターするなんてできませんが、一つずつ試していくことで使いこなせるようになればと思っています。

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2009.2.24 東京国立博物館【妙心寺】展に行きました・・・『花園天皇宸記』が展示されていました!!

Ran032b  展覧会に行くまで妙心寺についての知識がなかったのですが、行って驚きました。花園天皇にご縁が深い寺院だったのです。

 もちろん、妙心寺展というからには、臨済禅が主体の展示です。ですがここではその花園天皇の『花園天皇宸記』について書かせていただきます。何故って、岩佐美代子先生の『京極派和歌の研究』『京極派歌人の研究』に接して以来、私はこのあたりのことにとても関心をもっているのです。

 最初に「京極派和歌」について説明させていただきますね。京極派和歌というのは、伏見天皇宮廷における歌壇で、藤原定家のひ孫の京極為兼がリーダーシップをとって成した和歌のことをいいます。詳細はHPにアップしているエッセイ「寺院揺曳」に記していますが、そこから少し引用してみます。鎌倉後期のこの時代は皇統が分裂していて、「持明院統」と「大覚寺統」に分かれていました。
http://www.odayuriko.com/(織田百合子HP・・・「寺院揺曳」第9章~)

 為兼ひきいる京極派和歌の基盤である持明院統の天皇をここにあげさせていただくと、後深草天皇の皇子でいられる伏見天皇にはじまり、後伏見天皇・花園天皇・光厳天皇となります。いっぽう二条家が師範の大覚寺統は、亀山天皇の皇子後宇多天皇から後二条天皇、そして、後醍醐天皇でいられます。この方々が、ほぼ交代々々に天皇の位につかれて権力交代がなされ、それにともなって臣下の方々の栄達、失脚が繰りかえされました。帝位につかれた方々を歴代順に列挙させていただくと、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇・伏見天皇・後伏見天皇・後二条天皇・花園天皇・後醍醐天皇・光厳天皇となり、そこに持明院統、大覚寺統のどちらかをあてはめて考えると、いかに政権がめまぐるしく変わったかわかります。

 勅撰集は上皇や天皇といわれる方の命によってなされるわけですから、自然、勅撰集にも、持明院統派の勅撰集、大覚寺統派の勅撰集というものができました。撰者ももちろん、院宣をくだす天皇の思し召しがなければえらばれることさえないわけですから、二条、京極、冷泉の三家をになった当主の方々はおのずと政権抗争に巻きこまれ、明けくれることになります。京極為兼は持明院統で『玉葉和歌集』を編み、二条為世は大覚寺統で『新後撰和歌集』『新後撰和歌集』を編んでいます。

 と、「寺院揺曳」ではこの皇統分裂に定家の御子左家の分裂が絡んでいるようすを書きました。御子左家は定家息為家のあと、為相の冷泉家、為氏の二条家、そして為兼の京極家の三家に分かれます。為兼は持明院統に仕えて伏見天皇の非常な信頼を得た人物です。政治的にも、和歌の上でも・・・。為兼が鎌倉幕府の逆鱗に触れて佐渡に島流しにあっても、宮廷では帰ってくるまでずっと為兼の教えた「京極派」を「師」のいないまま自分たちで磨き上げて待ち続け、為兼の帰洛後に一挙に開花したのが京極派和歌なのです。

 話を『花園天皇宸記』に戻します。岩佐美代子先生の先にあげた二大ご著書は、岩佐先生がまだ活字化されていないこの『花園天皇宸記』を、たしか国会図書館で、ご自身で面々と書き写して研究されたご成果といつかどこかで拝読しました。以来、私のなかで『花園天皇宸記』は特別な位置を占めているのです。

 花園天皇という方は、伏見天皇の皇子でいられますが、皇位は兄の後伏見天皇が継がれます。その後、鎌倉幕府の介入による両統迭立条件より、天皇は大覚寺統の後二条天皇に。そしてふたたび両統迭立条件より、持明院統の花園天皇が帝位につかれたという経緯のなかにいられます。

 が、伏見天皇は厳しい方で、皇位を長子の後伏見天皇の系統とされておきたく、花園天皇には即位されるに際して、「決して自分の子に皇位を継がせぬよう。時が来たら後伏見天皇の子の光厳天皇を天皇に・・・」と厳命されました。皇統の乱れを防ぐためとはいえ、花園天皇には悲しいお話ですよね。

 でも、花園天皇はそれを忠実に守られ、ご自身の役割として、光厳天皇の養育にあたられます。花園天皇には非常に学問に秀でた方でしたから、それを光厳天皇に教えられたのです。光厳天皇もよく花園天皇になついて学び、花園天皇の意に応えられました。【妙心寺展】にはその花園天皇が光厳天皇に皇位につくことの心がけを教えるために書かれたという「花園天皇宸翰誡太子書」も出展されていました。

 とにかくこのあたりの方々の心がけ、学問、歌道に対する態度が美しいんです。岩佐先生経由ですから、当然岩佐先生の主観が入ってしまっているでしょうけれど、私もすっかり京極派歌壇に嵌ってしまいました。今は鎌倉初期の飛鳥井雅経「花の蹴鞠」を書いていますが、ゆくゆくは雅経の孫の飛鳥井雅有が伏見宮廷に使えます。雅有は為兼がはじめて東宮伏見天皇のもとに出仕したときにはすでに古老になっていました。「花の蹴鞠」が大河の流れとして、伏見天皇に仕える雅有まで描けたら面白いのですが・・・

 話がとめどもなく、かつ散漫になってしまいました。書きたいことがあとからあとから湧いてきます。それほどこのあたりの状況は文学者として魅惑的です。すべて岩佐先生のお蔭です。岩佐先生のご著書、読売文学賞受賞の『光厳院御集全釈』(風間書房)は読んでも読んでも尽きることのない、マグマのように燃えて滾る魅力に溢れた素敵なご著書です。

 上野の東京国立博物館【妙心寺展】は今週の日曜日(3月1日)までです。 

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2009.2.21 王道をゆく、出埼統監督のアニメ「源氏物語千年紀 Genji」!!

A002 先日は危うく第六話「朧月夜」を見逃しそうになるまで写真加工に熱中して、続けている「今夜第○○話があります!!」の記事を書き損ねてしまいました。直前に気がついて一応欠落しないまでにはセーフでしたが、前回の感想を書く時間がありませんでしたので、改めて今日ここにまとめておきます。

 先週第五話の副題は「宿世」。「すくせ」と読みます。前世からの因縁で決まっている運命、とでもいうような意味でしょうか。とても重い言葉です。決してあってはならないことなのに、どうしてもそうなってしまった人生・・・みたいな状況で使われます。理性では抑えきれないから、前世からの因縁としか考えられない・・・。ここでは光源氏が継母藤壺と密通し、不義の子を宿してしまうまでになる・・・という大変な事態が描かれます。

 出埼監督の「Genji」は、第一回が「光る君」、第二回が「六条」、第三回は「夕顔」、第四回が「藤壺」、第五回が「宿世」でした。

 内容から推して原作に振り当てると、第一回「光る君」は「桐壷」。第二回「六条」は「帚木」。第三回の「夕顔」はそのまま「夕顔」です。第四回「藤壺」は「若紫」、第五回「宿世」も「若紫」。そして第六回「朧月夜」は「紅葉賀」と「花宴」です。

 源氏物語五十四帖の巻名を順に並べると、①桐壷、②帚木、③空蝉、④夕顔、⑤若紫、⑥末摘花、⑦紅葉賀、⑧花宴、⑨葵・・・です。出埼監督「Genji」では空蝉と末摘花が抜かされてしまいました。

 実は第四週「夕顔」が終わったあと、私は勝手に次週は「空蝉」と決め込んでいました。『源氏物語』を読み始めて早々の、夕顔・空蝉の二人は、10代の光源氏が経験した「深い恋」の重要なエピソードであり、読む私たちにとって印象がもの凄く強い女主人公です。特に空蝉は「中の品」の女として、作者紫式部が受領階級の娘という自身の境遇を重ねて書いただろうとされる女性。この女性を飛ばすなんて思ってもみませんでしたから、私はてっきり「夕顔」のあとは「空蝉」と思いこんでしまったのです。

 が、「空蝉」は飛ばされて、次からは「藤壺」「宿世」。第四週目がはじまったときのタイトルに「藤壺」の文字を見出したとき、私は一瞬茫然とし強い衝撃を受けました。出埼監督のこのアニメに対する姿勢が理解できたのです。出埼監督は『源氏物語』を巻を忠実に追っての制作をなんか考えていないのだ、監督はこのアニメをドラマの王道で成そうと思ってられるのだ・・・と。

 何故、二人とも身分の低い恋人なのに、夕顔は取り上げられて、空蝉は飛ばされたか・・・。答えは簡単です。それは夕顔は六条御息所にとり殺されるから。空蝉は御息所にかかわっていないのです。監督にとって夕顔も描く必要のない、つまり思い入れなど何もない女主人公だったのです。だから、第三回に描かれた「夕顔」は唖然とするほどパターンだったのでした。てっきり監督の趣味で夕顔のような清楚な感じの女性は描けないのだとばかり思いこんで・・・失礼しました。

 ここでいう「王道」を説明させていただきます。つまり、監督が描こうとされている世界は、『源氏物語』の枝葉をすっぱり切り捨てて、物語の核心にぐいぐいと観る者をして引きずり込もうとする意図。つまり、ドラマ制作の「王道」です。その意味で、空蝉も、夕顔も、末摘花も、枝葉です。

 『源氏物語』の構成論はとても興味深い世界です。長い『源氏物語』が一挙に今ある順序とおりに書かれて完成したとは到底あり得ず、登場人物の人間関係や紫式部の筆致から五十四帖のどれから、どのような順で、書かれていったかが多くの学者さん方によって研究されています。私はその中で武田宗俊先生のご論がとても面白く、すっかり影響を受けました。

 簡単にご紹介させていただきますね。まず、『源氏物語』ですが、これは大きく分けて本編と宇治十帖とに分けられます。本編は光源氏が主人公の巻々です。武田先生によると、その本編が「紫上系」と「玉蔓系」に分かれます。「紫上系」が物語の太い幹に相当。物語の中心となって進みます。「玉蔓系」は枝葉のエピソードで、「紫上系」の人物が「玉蔓系」にも登場するのに対し、「玉蔓系」の人物は「紫上系」には登場しません。つまり、物語は「紫上系」だけで成立するのです。

 そして、出埼監督の描く「藤壺」「紫上」「葵上」「六条御息所」はまさにその「紫上系」の主人公。「空蝉」は「玉蔓系」なのです。この系列を「並びの巻」という言い方もあるほどです。つまり物語の本質の流れに並行して、同じ時間に並んであったもう一つのドラマ、ということ。

 光源氏は継母藤壺に恋し、その禁断の恋の苦しみから藤壺ゆかりの紫上を引き取り、六条御息所を不幸に陥れ、正妻葵上とも溝のある夫婦生活を送る。そして再びの禁断の恋、入内することに決まっている朧月夜との恋で・・・、というのがアニメのこれまでの経緯です。ここに空蝉・末摘花の入る余地はありません。

 通常の千年紀記念制作なら、巻の順序とおりに精密に描いていけばよかったでしょう。でも出埼監督はそれをしないで、あっさりと傍系の主人公たる空蝉は切り捨て、重大な密事の行われた「若紫」巻に二夜も費やしました。今週の「朧月夜」などは二巻を一回にまとめてしまったというのに・・・。

 出埼監督の意図は明確です。光源氏の本気の恋、それだけを描こうと!! 光源氏にとっての本気の相手、それは藤壺ただ一人です。それが実らない空洞が心にあるから、それを埋めるために光源氏の恋の彷徨があるのです。毎週の藤壺に対する光源氏のセリフ・・・、それはぐさぐさ観る私にも胸にささってきます。凄いなと思います。描くとき、本気のものを描くなら、セリフはこうも生きてくるのですね。

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2009.2.19 今夜は、「源氏物語千年紀 Genji」の第六話があります!

A073  危うく今夜の第六話を忘れるところでした。たった今気づいて・・・(10分前です)。昨日、世界ラン展へ行って切り花のランを買って来て、素敵だったので写真に撮って、photoshopでさまざま加工したりしてたものですから・・・。こういうことをしていると、あっという間に時間がたってしまいます。この写真はその一枚です。

 先週の「宿世」は凄かったです。不義の子を宿した藤壺の凛とした女への変貌・・・、見事でした。光源氏の入り込めない強さです。

 冒頭、素敵な言葉があってメモしていましたので書いておきますね。

 「もしもこの愛が許されないものならば、この世に愛と呼べるものは何もない」

 光源氏の心の底からの悲痛な叫びです。人はこんなふうに心底から叫ぶものを持った瞬間、それこそが生きている瞬間だなあ・・・って思ってしまいました。

 そろそろ始まりますのでまた・・・。今夜は確か「朧月夜」です。

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2009.2.19 2月17日の強烈な夕焼け

040 058_2  2月17日17:15頃の異様な夕焼けです。今までご紹介させていただいてきた夕焼けと全然違うでしょ! ここまで強烈な色に焼けるのは滅多に見ません。

 以前から夕焼けの写真を撮っていて、こういう空に遭うとたいてい海外でM7規模以上の大きな地震があります。果たして今回も【2月19日06時54分頃 ニュージーランド付近 M7.3】がありました。M6規模ではこうはなりません。

■地震との関連での詳細は、もう一つのブログ「ゆりこの銀嶺日誌」にまとめました。
http://ginrei.air-nifty.com/ginrei/

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2009.2.15 【動画】赤ちゃんうさこちゃんの シャンプー!!

赤ちゃんでも仕種は今とそっくり。変わりません。これはまだケージを購入しないままお店から連れて来ちゃったので、仮に組み立てたお家。金属のプランターの台にバスタオルや段ボールをセットして、刻んだ新聞紙をトイレに・・・と応急処置。日常雑貨に埋もれていると、どんなにちっちゃかったかわかるでしょ! ガラス戸越しにお庭が見えるので、うさこちゃんはよく空を見あげていました。自然派なんですね。

■今日、昨秋書いた論文「『源氏物語』写本に秘めた慰藉―『平家物語』との関係をめぐって―」の二稿の校正を終えて投函しました。後は三月に印刷があがって届くのを待つだけ。これで昨年いっぱい終始した源氏物語千年紀関連の用が一段落しました。あとは個人のHPへ「写真展/写真でたどる『源氏物語』の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―」と「連載小説/花の蹴鞠」のアップをするだけです。本当はもうとっくに終わらせていなければならないところ、何かと障害があって集中できず今になってしまいました。でも、校正が終わったので一安心。気持のなかでも「これから!!」という気分です。

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2009.2.14 【動画】うさこちゃん はじめての我が家!!

我が家の一員となった日のうさこちゃんです。生まれてちょうど一か月くらいでした。はじめての環境に驚いていて、「わたち、どうなってしまうんだろう・・・」というような不安そうな目で周囲を伺っていました。でも甘えん坊の片鱗はすでにあって、自分から頭を人の手の中にもぐらせてきています。それを可愛がっていたらすっかり甘えるのが当然みたいに育ってしまいました!


■今日はビデオ共有にすぐアップロードできました。ホッ!! うさこちゃんが我が家の一員になった時はまだこのビデオ共有というソフトがなくて、撮ってはいたのですがどうしたら動画を載せられるか悩んでいました。こんな簡単にアップできるようになってビックリです。

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2009.2.14 【動画】うさこちゃんのホリホリ ふたたび!!

穴倉うさぎうさこちゃんのホリホリはほんとに強烈。背中の骨が鋼のような感じです。しばらくやっていると、もう、体がほてって、抱くと熱いくらい。ソファなどみんな犠牲です。だからいろんなところを隠すために毛布を置いたりクッションを移動させたりで、部屋はご覧のようなひどい状況。みんな元気なうさこちゃんのせいです。でも可愛いので誰も文句いいません!


■これも昨日の朝にビデオ投稿していて行方不明になっていたもの。あきらめていたのが、夜になって見たらアップロード成功していました。ほんとうに凄い「ホリホリ」!! こちらに持ってこれてほっとしました。ネットって、どこでどうなっているのかわからなくて、自分では四苦八苦してもどうすることもできず、大変。でも、こうやって一度経験すると、今度からは待っていればいいのだと落ち着いていられます。

■今朝、ふっと気づいたこと。昨年は井の頭公園の桜の開花から盛りの終わりまでずっとカメラで追いました。今年は動画で撮って「井の頭公園の桜速報」をやろうかな!!

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2009.2.13 【動画】うさこちゃんの シャンプー!!

一番可愛らしいうさこちゃんのポーズです。長いお耳を手入れする姿がちょうど女の子が髪を洗っているように見えるので、シャンプー!!って呼んでいます。でも突然はじまるので撮影するのは難しくて・・・。いつもはもっと長い時間をかけて両方のお耳をします。ここはうさこちゃんのお家、ケージの中です。


■深夜「ビデオ共有」に投稿したのですが、なぜか不具合でできなくて、再度試みても駄目なので、あきらめて寝ました。朝起きて確認したときもまだ駄目で、せっかくの可愛らしい「シャンプー」は何かの理由でアップロード不可かとあきらめていました。そうしたら、今はもう夜ですが(ほぼ一日経って)、ビデオ共有を覗いたら、なんと、同じものが二件ともアップできていてビックリ。アクセス数はそれぞれについていてもったいなかったのですが、一件を削除し、早速このブログの方へ持ってきました。ブログへのアップは、ビデオ共有にアップしてからでないとできないんです。でも、「シャンプー」、可愛いでしょ!!

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2009.2.12 今夜は、「源氏物語千年紀 Genji」の第五話があります!

 フジテレビ深夜00:45からの【Genji】です。ほんとうにこの時間は起きて待っているのが大変ですよね。以前は夜更かし組だったから起きていて当たり前の時間でしたが・・・。アニメだから「まだ起きていて当たり前」の視聴者向けなのでしょうね。先週も00時まで待って、やっと「ああ、12時だ・・・」と思っても、それからまだ45分も待つ・・・・、その間に寝てしまわないか戦々恐々でした。一応、録画はしてますが。

 で、その先週ですが、「藤壺」でした。第一回で幼年の光源氏のもとに現われた少女藤壺。父帝の后だから継母になります。少年少女同士の夢のような楽しい時期を過ごし、光源氏の元服と同時に当時の風習として、突然成長した男と女として逢うことも許されなくなった二人。禁じられれば禁じられるほど思いは募りますよね。例によってさすが出埼監督。そこがもの凄くよく描かれていました。

 思うのですが、こんなに見事にせつせつとした切なさを描いて見せる監督って、通常のドラマではいられないのではないでしょうか。ドラマは絵画でいえば具象だから、シリアスが望まれて、「切なさ」なんていう内面の機微は現代ではもう不必要なのでしょうか。

 内容としては、藤壺が光源氏の病の治癒を祈って人知れず深夜にお百度参りをする・・・、あり得な~い!!って思いつつ、アニメだから許されるんだろうな、こんなデフォルメと思いました。そして、回復したと聞いて藤壺が再び深夜にお礼参りをする。するとそこに同じ思いの光源氏がいて再会。驚愕しつつも、そのときは思いをこらえて何事もなくやり過ごし、その為に「なんであの時思いを遂げなかったのだろう」と、光源氏が一層激しく思いを募らせてゆく・・・

 原文では「密通があった」という事実が問題になって舞台は進展します。でも、このアニメでは密通そのものの重大さは棚にあげて、「何故、こんなにも、光源氏が思いを募らせていくのか」という過程をめんめんと描くわけです。これは人間を重視しているからこそなのでしょうね。どうも現代の文学世界は人間重視より社会風潮に流れてしまう状況ですから、わたしにはこのアニメ、実に爽快なのです。ただ、観ているあいだは切なさに胸痛ませてますが・・・

 先週登場の若紫はよかったですね。「雀の子をイヌキが逃がしてしまいましたの」という教科書でお馴染みのシーン。生き生きと活動的で、若紫は完璧です。逆に藤壺は、もう少し貫禄あって欲しいな・・・とは内なる希望。六条御息所をあれだけ大人の女に描けるのだから、「白鳥の湖」に例えるなら、六条御息所を黒鳥とし、対する藤壺は白鳥・・・のように。どうも出埼監督は毒のない女性に興味はお有りでないらしい・・・です。たしか今日は「空蝉」だったですよね(うろ覚えですが・・・)。【訂正:今第五話がはじまってコマーシャルの最中です。今日は「空蝉」ではなく「宿世」でした。】

 ■左欄のカレンダーの下に「世界時計」のブログパーツを加えました。お目当ての地域にポインターを当てるとその場所の現時間がわかります。楽しいので設置してみました。お試しください!!

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2009.2.11 【動画】うさこちゃんのゴロ~ン!!

うさぎは身体がほてると熱を発散するためにゴロ~ンとなってお腹をだします。でも、ゆっくり足を畳んで寝ることができないから、いきなり勢いをつけてそのはずみで横たわります。はじめてのときは発作を起こしたのかとびっくりしました。後ろでやられるとバタッとかなり激しい音がするほどです。呑気なときはそのまま白目をだして仰向けになったまま。くつろいでいるとわかってても、だいじょうぶ? だいじょうぶ? って、どうしても心配で、つついたり抱き上げたりして無事を確認せずにいられません。うさこちゃんにとっては迷惑でしょうけれど、うさぎはあまり頓着しない方。嫌なことをされても忘れっぽいので抱けばすぐ甘えてきます。しつこく恨みつづけるときは旅行などで家を空けて一日以上相手をしてあげなかったとき。半日恨めしそうな目で見上げてすねつづけます。

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2009.2.10 アクセスカウンターを上に持ってきました!

006 気がついたらアクセスカウンターの数字が14000を超えていました。2,3日前から届きそうと思っていて、キリ番の方にお知らせいただいたら何かお礼をなんて考えていたのですが・・・

 うさこちゃんの動画をアップしたのでカウンターの進み方が早くなったみたい。油断していました。№14000の方、今からでもメールいただけたらと考えています。分野もばらばらの雑多な感慨を記していますが、いつもご覧いただいて有難うございます!!

 目下、花の蹴鞠の第三回を執筆中です。本当は今日が締切。メールで送ればいいので今夜中には間に合うと思いつつ進めています。

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2009.2.10 【動画】穴倉!!のうさこちゃん

西洋穴うさぎという種類のうさこちゃんは、自然界では地中に穴を掘ってその中で暮らしているそうです。ピーターラビットの絵がそうでしょ。なので我が家のうさこちゃんも隅っこや狭いところが好き。ここはすっかり占領されています。


■自然派の私はうさこちゃんを室内に閉じ込めて飼っていることに内心胸を痛めていました。時には外に連れ出して陽を浴びさせなくては可哀想・・・と。でも、最近ちょっと具合が悪くなってお医者さまに連れていったときのこと。お医者さまに西洋穴うさぎは穴の中で暮らす習性なので外に出さなくていいですよ、そんなことをしたら猫やカラスに狙われて怖いだけだからかえって可哀想、といわれてほっとしました。日光には室内に陽が射しこんでいるときにいっぱい浴びさせています。

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2009.2.9 【動画】人なつっこい!!うさこちゃん

ウサギは人になつかないって言いますが、我が家のうさこちゃんは甘えん坊。 すっかりなついています。家族がみんなうさこちゃん中心に動いているので、 ご覧のように部屋はめちゃめちゃ。ここはうさこちゃんが来るまでは 一輪挿しや飾り皿を置いて綺麗な空間だったんですよ!

■動画アップの二回目です。Webの時代って面白いですね。いろんな事ができて。
でも私は一方でしかつめらしい『源氏物語』写本研究の論文世界も持っています。
一方は広大に広げていく世界。一方は深く深くピンポイントで掘り下げる世界。
その両方がどこでどう融合していくのか、とりあえずいろいろ試してみますね。

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2009.2.8 【動画】うさこちゃんのホリホリ!!

西洋穴うさぎという種類の我が家のうさこちゃんは、 ホリホリが大好き。すでにソファはボロボロ、 中のスポンジまでかじりだしています。 なので木綿のマルチカバーで覆っていますが、 これもすでに三枚目。掘り始めると夢中になって 身体がほてって熱くなるまでやめません。 可愛い見かけと大違いに凄いアゴの力です!


ニフティさんの「動画UP講習」に行ってきました。
TOPページにある「ビデオ共有」から簡単にアップロードできるんです。
帰宅して早速試してみました。とりあえず手持ちの動画といったら、
我が家のうさこちゃん。元気なところをご覧ください。
主人はいつも、「おい、オイタっこ!!」と呼んでいます。
見ているとほんと「オイタっこ」で、思わず微笑んでしまいます。

織田百合子のHP http://www.odayuriko.com/

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2009.2.5 今夜は、「源氏物語千年紀 Genji」の第四話があります!

 フジテレビ深夜12:45分からの出崎統監督の源氏物語千年紀記念アニメ【Genji】です。第三話の先週は「夕顔」でした。今日は「藤壺」、危ないお話になりそう・・・

 先週の夕顔は、第二話のときの六条御息所での衝撃と逆にちょっと物足りなかったかな・・・? 夕顔があまりに少女っぽすぎて、光源氏の心を虜にする色香のかけらも感じられませんでした。出崎監督はインタビューで葵の上に関心をもたれてらしたから、六条御息所とか葵の上とか、癖のある個性の強烈なキャラクターでないと熱が入らないのかしら。見ていて、主人公の夕顔にはちっとも魅力を感じないのに、生霊となって顕れる六条御息所の凄さ。やはり圧巻で、凄い、凄いと、一人で見ながら内心見入ってしまいました。はかない美しさなんて、大人の監督には興味ないのでしょう。

 この夕顔について、現代人の解釈で遊女説があります。それは、夕顔がみずから歌を光源氏に差し出すから。それによって二人の関係ができていくわけで、光源氏が花に興味をもっても、夕顔が無視すれば何も起こらなかったわけ。

 それを、わざわざ扇に歌を書きつけて花を添え差すなど、手練手管の遊女のすること・・・というのがその説の論法です。はかなげに見せるのもその手管の内と。

 でも、それでは紫式部の書いた意図に反しますよね。夕顔と光源氏のエピソードは、紫式部が仕えた具平親王に実際にあった悲恋がモデルといわれます。具平親王は近藤富枝先生が紫式部の恋の相手だった・・・と書かれたほどの貴人。そういう人をモデルにして、相手が光源氏をだます遊女なんてこと、絶対あり得ません。

 それについて、清水婦久子先生が『光源氏と夕顔―身分違いの恋―』(新典社新書)で何故そういう無謀ともいえる間違った説が生じたかを、歌の事情から解説されています。詳細は記しきれませんが、当時の歌の位置を熟知していれば、夕顔が贈った歌がでしゃばってのことでなく、かえって頭中将の元愛人だったという貴族社会を知ったものの奥床しい知識人だということがわかるとのこと。

 思うのですが、最近の勉強は偏差値主義とかパソコン検索でばかり頭に詰め込まれるから、当時の人の実際の生活感を知らずに解釈してしまう嫌いがありますね。例えば宗教は現代から解釈すると宗派を超えた仏教など考えられないみたいだし、ちょっと近い世界の人はみんなライバルみたいに解釈してはばからないし、・・・・現代と決定的に事情は違うのです。

 夕顔もはかないけなげな人だから歌を差し出した。清水先生はそれを「でしゃばって・・・」ではなく、その前に光源氏からの歌が行っていて、返歌をしないことこそ当時の社会では失礼だから返した・・・。当時の人は物語を読めばそれくらいは察したのに、現代人は書いていないことは「なかった」事として、夕顔が先に歌を送った・・・、図々しい、何が「控え目ではかない」よ!・・・、遊女に違いない・・・、となる訳です。偏差値教育の、マークシート教育の、パソコン検索学習の、決定的な危険を覚えています。(清水先生の説を読み返す時間がないのでうろ覚えで書いています。詳細を間違っていたらごめんなさい。とにかくこのご本は魅力的で一気に読ませていただきました。お勧めします!!)

 夕顔の歌は、それは素敵です。ご紹介しますね。

 心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花

 近藤富枝先生の『紫式部の恋』(講談社)もわくわくする素敵なご著書です。かなりドキッとする部分もあります。これも絶対お勧め!!です。

織田百合子のHP http://www.odayuriko.com/

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2009.2.3 四年ぶりに浅間山が噴火して・・・

075 041 064  2月2日未明、1:51頃、浅間山が小規模噴火をしました。四年ぶりです。四年前といえば10月に新潟県中越地震があり、12月にスマトラ地震があった年です。

 浅間山は中越地震の震源地から見ると、関東とのちょうど中間地点。新潟と茨城は地殻構造でつながっていますので、新潟に地震があると、茨城でも・・・となります。浅間山の噴火も中越地震と無関係ではないでしょうから、2日未明の噴火のニュースにすぐにそれを思いました。

 今回の噴火に関しては、12月頃から予感していました。というのは、二回、浅間山関係と思われる綺麗に焼けた雲を撮っているからです。中越地震の年の噴火で当地からの浅間山の方位は熟知しています。なので火口からあがる煙のような雲があると、あ、浅間山の火口に磁気が発生している・・・と思って撮ります。

 一枚目は去年の12月26日朝。窓から見えた雲が朝焼けしてとても綺麗だったので撮りにでました。そうしたらそれは浅間山からのらしく、空を覆う規模のではなく、たった一本のちょろちょろしたような少量の雲。なのに綺麗に焼けていて、これは・・・と思いました。磁気性があるから焼けるのです。

 二枚目と三枚目は三枚目を左へスライドしてパノラマのつもりでご覧になってください。今年に入っての1月19日の撮影です。同じく浅間山方位発生の雲ですが、この日は夕焼け。やはり見事な焼けでした。そして、中心部分(二枚目中央下)ではむくむくとまるで火山の噴火のように湧きあがる発生中の雲がはっきり見てとれました。これは、もしかしたら、噴火か何か近いうちに活発化する・・・と思いました。

 でも、この写真を浅間山の雲、といったら間違いなんです。浅間山にはライブカメラがあちこちに設置されていて、こういう雲を見たときにライブカメラを見ても、山に噴煙はあがっていません。電磁波は無色透明です。火山のなかで電磁波が発生して大気中に放出されても目に見えるわけではありません。でも、山頂をヘリコプターを飛ばして測定すると、電磁波が出ているのです。高くあがった電磁波が大気中の何かの分子と結合して写真のような雲になり、それが遠くからだと見えるわけ。かえって地元の方のほうが見えてないようです。

 目に見えないと信じないのは現代人の弱点。目に見えなくても噴火への序走ははじまっていて、電磁波が放出され、その規模が大きくなって、噴火・・・。自然界は人智を超えて偉大です。この噴火が四年前のような天災に結びつかないといいのですが。

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2009.2.1 連載小説【花の蹴鞠】 第二回

165c_3 典子が恋に墜ちたことは誰の目にも明らかだった。それは傍で見ていておかしいほどに一目瞭然で眩しいくらいに輝いていた。

 が、典子自身はまだ誰にも悟られていないと思っていて、何をするにも雅経様、雅経様なのに、「これはお役目なの」「だって私は雅経様のお世話をするよう言い遣ってるのですもの」と一々に用向きを作って言い訳するのがまた可愛かった。口の悪い御家人たちもこれには参って「そうか、そうか」と騙された振りをして見せ、久々の楽しみとばかりに相手になってやっていた。

 しかし雅経はそんな典子の思いに気づいた様子はなく、来たときと変わらない態度で礼節を守って暮らしていた。ふしぎなことに典子の父広元と頼朝・政子夫妻は、耳に届いていないことはないのに一切何も触れなかった。

 建久六年(一一九五)も末の頃、頼朝が翌年の春に鞠会(まりえ)をすることの達しを出した。頼家に蹴鞠を教える名目で幕府内に一室を設けられた雅経だった。運動能力に秀でた少年頼家の上達は早かった。頼家は雅経を兄のように慕い、かつてなく嬉々として蹴鞠だけでなく武芸にも学問にも打ち込むようになった。それが頼朝を喜ばせたのだ。

 頼家に教えるに際し鎌倉にはまだ蹴鞠をする風習がなかったため、準備は雅経が一人でしなければならなかった。鞠や沓は早々に京都から取り寄せた。頼朝は寝殿造りの御所の一画にある南に面する手頃な庭を鞠庭(まりにわ)専用に決めて雅経に与えた。そこに雅経は四本の懸(かかり)の木を植えた。通常懸には桜の他、柳・楓・松を植える。桜を東北、柳を東南、楓を西南、松を西北に植えるのが飛鳥井流の正式である。が、特別な晴れの儀礼でもない場合はそれにこだわらずに木を決める。雅経は桜を愛した。それで頼朝から与えられた鞠庭には迷わず桜を四本と決めた。

 枝ぶりや高さなど手頃な木を選ぶのに尽力したのが盛長だった。盛長は長く京都で過ごしており、そのために「何が蹴鞠だ」と内心冷やかに見ている他の御家人たちと違って蹴鞠に理解があった。鎌倉近辺のこれならと思う木を探し出して雅経を連れて訪れ、この木とこの木とこの木というふうに木が決まると移植する手配までしてやった。このときも典子は手伝う名目でいそいそと二人に従った。植えた木の枝ぶりを整えるときも盛長は手伝ったし、傍らに典子がいた。懸かった鞠の落ちる流れを考慮して枝を剪定するのである。

 こんなことから雅経は日常生活においても盛長と親しく接するようになり、盛長が雅経を甘縄の屋敷に招くようになった。盛長の妻は宮中の出仕経験もある京女で、都が恋しいだろうとの配慮から会わせようと思ったのだ。当然のように典子もお供して甘縄へ行った。典子は広元から馬に乗れるよう躾けられて育った。それで御所から遠い甘縄へは二人して馬に乗って出向いた。鎌倉の北の端の御所から由比ガ浜に近い甘縄までの二人の騎乗姿は市中で目立った。それで二人の恋は鎌倉中の知ることとなった。それでも典子はお役目という大義名分があるから堂々としていた。

 盛長の妻の明子は典子が今まで見たことのない美しさだった。典子は政子に仕えていたが頼朝の正妻とはいえ東国を出たことのない政子に対し、起ち居振る舞いの上品さにおいて自分の母親の方が勝ると思っていた。が、明子の気品あふれる優艶さは母親の比ではなかった。それは仕方なかった。同じ京女ではあっても、京都での広元は九条兼実に仕える役人に過ぎず母親はその妻でしかなかったし、片や明子は二条院に出仕した女房経験をもっていた。幾度か通っているあいだに典子は見るともなしに見て学ぶこと多かった。

 盛長の屋敷の背後には鬱蒼と樹木の茂る見輿ケ嶽(みこしがたけ)があった。そこに立つと鎌倉の市中がはるかに見下ろせた。いつものように二人で立って眼下に広がる光景を眺めていたあるとき、典子がふと見ると遠い目をして立っている雅経がそこにいた。それは典子の見たことのない雅経だった。傍にいるのに手が届かない遠いところにいる人の気がして典子は愕然とした。都を思っているのだと思った。

 鞠会をするには鞠足(まりあし)を八人揃えなければならなかった。それで雅経は頼家の他に人を増やして早急に教え込まなければならなかった。そこに雅経と同じく源平の争乱で運命を狂わされて下向し、頼朝に仕える源光行がいた。光行は漢籍を嗜み数理の才にも長けていて幕府の中で一目置かれていた。春の東大寺再建落慶供養に頼朝が上洛した際には広元と共に早々と上洛し、頼朝のための六波羅宿所を新造するなど手配に活躍した。が、蹴鞠の腕は一向に上がらず、「また光行様が」と典子にぼやかれることしきりだった。

 年が変わっての春、鞠会は盛大に行われた。頼朝の意向でそれは幕府における晴れの行事に匹敵する触れ込みだったから、鎌倉中がその日を待ってさんざめいた。雅経は花の咲き具合を気にし続け、典子も同様祈る思いだった。しかしそれは杞憂に終わり、鞠会当日花は見事に咲き誇って見せた。一度ならず鞠が木にかかると花は大量の花吹雪となって散り、それを足で受けて蹴り返す雅経の神業がかった妙技は一座を感動させて止まなかった。頼家の少年らしいきびきびした動きは見る者の目を奪い、幕府の二代目将軍となった暁の若き獅子王を予感させた。頼朝の満足は計り知れず、雅経への覚えは深まった。

 その夜雅経がいないことに気がついた典子は、もしかしてと昼間競技の行われた鞠庭へ行った。そこに桜の木を見上げて雅経がいた。月明かりの下でも花は満開だった。
「雅経様」
 と、声をかけると雅経が振り向いた。典子の胸がどきっと疼いた。絵に描いたような美しい風情の都の公達がそこにいた。典子はひるみ、いつもなら踏み出す足を踏み出せないでいた。すると雅経が寄って来て包み込むように典子を抱いた。そして、
「有難う。貴女のお陰だ」
 と言った。典子は身動きできないまま雅経の装束の匂いにくるまれていた。

 翌日、典子は頼朝に呼び出されてお前に出た。そこには政子がいて、傍らに広元が侍っていた。典子は驚いた。その席で告げられたのは雅経と結婚せよということだった。雅経にはすでに言い渡してあるという。雅経が落人の身でと憚るので頼朝が養子にし我が子として送り出すというのだ。そこまでしてと典子は嬉しさよりも驚きで何も考えられなかった。それから婚儀はとんとん拍子に運び、晴れて典子は雅経の妻になった。

 頼朝には鎌倉で鞠会を開いたことで至福の思いが広がっていた。京都で育った頼朝には雅の力がわかっていた。いくら幕府を開いて御家人たちの棟梁になったといっても、文化の嗜みのない鎌倉に真の力がないことを知っていた。鞠会の成功は頼朝に格段の自信をつけた。以後、頼朝は京から使者が来る度に鞠会を開いてもてなした。長い旅の疲れの果て強面の武士に囲まれて緊張しつづけの使者たちに、雅経の華麗な妙技は目を和ませた。鎌倉で雅経様の蹴鞠を見られるとはと、蹴鞠の家飛鳥井家を知る使者たちは喜んだ。そして京へ帰ると口々にその話をしたので、雅経の蹴鞠はやがて後鳥羽天皇の知るところとなった。 (つづく)

■冒頭の写真は【花の蹴鞠】のために作ったイメージ画像です。photoshopによる処理過程は「2009.1.10」の記事をご参照ください。

織田百合子のHP http://www.odayuriko.com/

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