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2009.2.24 東京国立博物館【妙心寺】展に行きました・・・『花園天皇宸記』が展示されていました!!

Ran032b  展覧会に行くまで妙心寺についての知識がなかったのですが、行って驚きました。花園天皇にご縁が深い寺院だったのです。

 もちろん、妙心寺展というからには、臨済禅が主体の展示です。ですがここではその花園天皇の『花園天皇宸記』について書かせていただきます。何故って、岩佐美代子先生の『京極派和歌の研究』『京極派歌人の研究』に接して以来、私はこのあたりのことにとても関心をもっているのです。

 最初に「京極派和歌」について説明させていただきますね。京極派和歌というのは、伏見天皇宮廷における歌壇で、藤原定家のひ孫の京極為兼がリーダーシップをとって成した和歌のことをいいます。詳細はHPにアップしているエッセイ「寺院揺曳」に記していますが、そこから少し引用してみます。鎌倉後期のこの時代は皇統が分裂していて、「持明院統」と「大覚寺統」に分かれていました。
http://www.odayuriko.com/(織田百合子HP・・・「寺院揺曳」第9章~)

 為兼ひきいる京極派和歌の基盤である持明院統の天皇をここにあげさせていただくと、後深草天皇の皇子でいられる伏見天皇にはじまり、後伏見天皇・花園天皇・光厳天皇となります。いっぽう二条家が師範の大覚寺統は、亀山天皇の皇子後宇多天皇から後二条天皇、そして、後醍醐天皇でいられます。この方々が、ほぼ交代々々に天皇の位につかれて権力交代がなされ、それにともなって臣下の方々の栄達、失脚が繰りかえされました。帝位につかれた方々を歴代順に列挙させていただくと、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇・伏見天皇・後伏見天皇・後二条天皇・花園天皇・後醍醐天皇・光厳天皇となり、そこに持明院統、大覚寺統のどちらかをあてはめて考えると、いかに政権がめまぐるしく変わったかわかります。

 勅撰集は上皇や天皇といわれる方の命によってなされるわけですから、自然、勅撰集にも、持明院統派の勅撰集、大覚寺統派の勅撰集というものができました。撰者ももちろん、院宣をくだす天皇の思し召しがなければえらばれることさえないわけですから、二条、京極、冷泉の三家をになった当主の方々はおのずと政権抗争に巻きこまれ、明けくれることになります。京極為兼は持明院統で『玉葉和歌集』を編み、二条為世は大覚寺統で『新後撰和歌集』『新後撰和歌集』を編んでいます。

 と、「寺院揺曳」ではこの皇統分裂に定家の御子左家の分裂が絡んでいるようすを書きました。御子左家は定家息為家のあと、為相の冷泉家、為氏の二条家、そして為兼の京極家の三家に分かれます。為兼は持明院統に仕えて伏見天皇の非常な信頼を得た人物です。政治的にも、和歌の上でも・・・。為兼が鎌倉幕府の逆鱗に触れて佐渡に島流しにあっても、宮廷では帰ってくるまでずっと為兼の教えた「京極派」を「師」のいないまま自分たちで磨き上げて待ち続け、為兼の帰洛後に一挙に開花したのが京極派和歌なのです。

 話を『花園天皇宸記』に戻します。岩佐美代子先生の先にあげた二大ご著書は、岩佐先生がまだ活字化されていないこの『花園天皇宸記』を、たしか国会図書館で、ご自身で面々と書き写して研究されたご成果といつかどこかで拝読しました。以来、私のなかで『花園天皇宸記』は特別な位置を占めているのです。

 花園天皇という方は、伏見天皇の皇子でいられますが、皇位は兄の後伏見天皇が継がれます。その後、鎌倉幕府の介入による両統迭立条件より、天皇は大覚寺統の後二条天皇に。そしてふたたび両統迭立条件より、持明院統の花園天皇が帝位につかれたという経緯のなかにいられます。

 が、伏見天皇は厳しい方で、皇位を長子の後伏見天皇の系統とされておきたく、花園天皇には即位されるに際して、「決して自分の子に皇位を継がせぬよう。時が来たら後伏見天皇の子の光厳天皇を天皇に・・・」と厳命されました。皇統の乱れを防ぐためとはいえ、花園天皇には悲しいお話ですよね。

 でも、花園天皇はそれを忠実に守られ、ご自身の役割として、光厳天皇の養育にあたられます。花園天皇には非常に学問に秀でた方でしたから、それを光厳天皇に教えられたのです。光厳天皇もよく花園天皇になついて学び、花園天皇の意に応えられました。【妙心寺展】にはその花園天皇が光厳天皇に皇位につくことの心がけを教えるために書かれたという「花園天皇宸翰誡太子書」も出展されていました。

 とにかくこのあたりの方々の心がけ、学問、歌道に対する態度が美しいんです。岩佐先生経由ですから、当然岩佐先生の主観が入ってしまっているでしょうけれど、私もすっかり京極派歌壇に嵌ってしまいました。今は鎌倉初期の飛鳥井雅経「花の蹴鞠」を書いていますが、ゆくゆくは雅経の孫の飛鳥井雅有が伏見宮廷に使えます。雅有は為兼がはじめて東宮伏見天皇のもとに出仕したときにはすでに古老になっていました。「花の蹴鞠」が大河の流れとして、伏見天皇に仕える雅有まで描けたら面白いのですが・・・

 話がとめどもなく、かつ散漫になってしまいました。書きたいことがあとからあとから湧いてきます。それほどこのあたりの状況は文学者として魅惑的です。すべて岩佐先生のお蔭です。岩佐先生のご著書、読売文学賞受賞の『光厳院御集全釈』(風間書房)は読んでも読んでも尽きることのない、マグマのように燃えて滾る魅力に溢れた素敵なご著書です。

 上野の東京国立博物館【妙心寺展】は今週の日曜日(3月1日)までです。 

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