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2009.3.12 今夜は、「源氏物語千年紀 Genji」の第九話があります!

Ran0365  ん、もう~ッ、出崎監督ったらァ・・・というのが前回見終わったときの感想です。

 先週は「嵯峨野」。『源氏物語』の巻でいうと「賢木」です。ここは第一巻の「桐壷」での、桐壷の更衣を失って悲嘆にくれる桐壷帝が、更衣の母君に使者を遣わす、その使者が母君の邸に到着して母屋へ進むときの悲しみに満ちた場面といっしょに、二大名場面とでもいうべき『源氏物語』中、圧巻の自然描写のある巻です。

 紫式部の筆法は、人間の感情を露骨に書かずに、自然描写のなかにそれを象徴させて描き出すというもの。これは、古今和歌集などを通過した当時の知識人に通底する技法ですが、そこに紫式部独自の卓越した心理描写があいまって、最高に美しい、生の感情が昇華した文学が生まれているのです。

 で、「賢木」巻のそこでは、「桐壷」巻同様に、心に悲痛を抱える「人」が、月や夜露に濡れる草原を、これから尋ねることになる「人」に向かって進む・・・・、その進む道程に紫式部は、「この人はこれから会う人についてこう考え、それによってこんな感じを引き起こされ、だから・・・」みたいなめんめんとした露骨な心理描写は書かず、ただ、例えば虫の音が聞こえたとか、遠くにその人のらしい琴の音が聞こえるとか・・・、そんなふうな状況を描くだけです。

 でも、人間感情の一般的なこととして、そういう状況なら誰しもが抱くその感情を主人公がもっていることを読者は知っている訳ですから、そんな他愛のない心理描写なんかなくても、主人公と一緒にその虫の音を聞き、遠くの琴の音に思いを馳せる・・・、それだけで、文字では説得されなくても、心が、人間存在のすべてが、もう、主人公と同じ心情になってその先にいるはずの訪問先の「人」へ、心が向かうという訳です。

 先週のタイトルの「嵯峨野」には、紫式部の『源氏物語』では、そういう余情てんめんとしたものが描かれているのです。

 それを、出崎監督ったら、六条御息所のセリフとして、「あの人はきっと来る。何故なら、私とあの人は同じ人間だから・・・・」みたいなことをいわせて、二人の愛の最後の最後の究極の逢瀬を、原文とはまったく別の色合いにしてしまいました!! で、私としたら、紫式部の筆法に感服していながら、まったく別物として、出崎監督のこの六条御息所に驚愕的に感嘆してしまいました。

 この、「同じ種類の人間」という論理・・・、懐かしいですね。これは人間の本質を描く文学ではないと使えない言葉と思います。だから、現代小説には不向きでうっかり使ったら「浮いて」しまう・・・。懐かしいといったのは、中学生のころに嵌まったヘルマン・ヘッセの『デミアン』を思い出したから。これは、これぞ、「同じ種類の人間」が本質の小説です。

 このアニメを見るようになって思うのですが、アニメはストレートだから、こういう本質的な言葉があっさり使えるんですね。とても重い、凄い言葉と思うのですが、それが「浮かない」で見れる・・・。アニメの面白さですね。最近の文学には合わないものを感じている私ですが、これからアニメに嵌まりそうなくらい、面白いと思います。出崎監督の力でしょう・・・

 写真は世界のラン展から。

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