2009.3.30 井の頭公園の桜・開花状況・・・今朝のようす(少し華やかになってきました!!)
まず、あでやかに咲いた花のアップからお届けしますね。最初の四枚がそうです。久し振りに晴れて、青い空にかがやいていました。
でも、ではもうお花見を・・・と早まってはいけません。(すでにもう朝から宴会をされてる方もいらっしゃいましたが・・・)。五枚目のように、花はまだ枝のほんの一部。もしくはたくさんある木のなかのほんの僅かな本数のみです。すれ違う方からも、「まだ早いわねぇ」の声が洩れていました。せっかくいらしたのに・・・
六枚目は、七井橋のすぐ際の池の中にある浮巣のような島にいるゴイサギ。何でも、嵯峨天皇だったか(曖昧でごめんなさい!)、機転のきく偉い鷺がいて、天皇がそれをご覧になってご褒美に「五位」の位を授けたことからついた名前とか・・・。珍しい鷺ですが、ここにはたいていいつもいます。
その次は、七井橋の中央から井の頭公園駅方面を遠望した池。そして、その次が、井の頭公園駅をおりて公園に入ってすぐに見た池の全貌。つまり、二枚の写真は池の両端から撮ったものということになります。井の頭公園駅側は、今年最初の一輪を撮った地点です。その頃から見ると、だいぶ咲いてきましたでしょ!
最後の三枚は、池の末端の水門から神田川になる地点。神田川の源流です。ここから杉並区・新宿区と通って、お茶の水駅の下を通り、そして、隅田川へと注ぎこみます。川をたどっていくと隅田川まで迷わずに行かれるんですよ。凄いでしょ。娘が小さいとき、夏休みの自由研究に二日かかって、地図を見ながら電車を乗り継いで、隅田川に流れ込む地点までたどりました。面白かったです!!源流付近には碑も建っています。
追記:27日の記事で、フォトエキスポ会場で聞いた、「桜を撮るときのヒント」で、プラス1の補正露出をするとほのかにピンクに写るとあったと書きました。今日、晴れたので早速それを試しました。結果は、やはり露出オーバーで駄目。今までどおり少しアンダー目に撮った方が綺麗に出ました。載せた写真は全部アンダー目です。何だったのでしょう、あのヒント。
2009.3.28 井の頭公園の桜・・・今朝の開花状況
今朝の桜の様子です。あいにくまだ曇りの寒空。でも、夜の宴会に向けての場所の陣取りはもう満杯。ブルーシートが地面を埋め尽くしていました。寒いのに夜まで待機の幹事さん方、ごくろうさまです!!
上の二枚はソメイヨシノ。もう満開のように見えますが、二枚目の写真のように枝にちらほらが現状です。これは今までご紹介したのと反対側の、三鷹市側の一帯です。咲いた枝のアップの写真が一枚目です。
下の二枚はボート乗り場の前に一本だけある枝垂れ桜。小さめの可愛らしい木です。毎年ここだけ真っ先に満開になります。今年も見事に咲いてくれました。
まだ開花というには寒々しい状況ですが、咲いた枝に目を凝らすと、やはりお花は綺麗です! 今日は晴れるといいですね。
2009.3.27 井の頭公園の桜・・・開花状況
井の頭公園の桜の今日の様子です。なかなかスカッと晴れた日に撮れなくて、この写真のときも曇り空。でも、明日から週末なので、もしかしてどんな様子か知りたい方がいらっしゃるかな?って思って、撮ってきました。桜は青い空をバックに撮ると映えるんです。
最初の二枚は、先日「今年最初の一輪」でご紹介した木。やはり一番咲き誇っています。
三枚目は中央ゾーンへ向かう途中の木。だいたいがこんな咲き加減。この木はまだ咲いている方と思ってください。
最後は先日ご紹介した全景写真のその後。枯れ木の山みたいな岸部だったのが、少し、咲いているのがわかるようになってきました。全盛期にはこのこんもりした山が全部ピンクで埋め尽くされます。
今日はビッグサイトで開催中のフォト・エキスポに行ってきました。目下、「今の」写真の傾向を猛勉強中。写真大学をでて、写真を仕事にしていたって、デジタルの時代になった今、そんなの感性が違う世の中に通用しないって気づいたのです。で、猛烈な勢いで「今風」の感性の吸収に努めています。桜は青空をバックに撮ること! という先程のアドヴァイスも、その過程で読んで知ったばかり。ふうん・・・、なるほどって思いました。
昔の写真は、対象物そのものを如何に忠実に迫力あるように撮るか、です。が、今は逆。如何に対象物から意識をそらして軽く撮るか・・・。だから、暗い写真は嫌われ、昔だったら露出オーバーって怒られそうなくらいに明るく白いハイキーが好まれています。
これって、ただの技術の違いです。感性が求める方の技術を駆使すればいいんです。ただ、感性そのものを入れ替えないと、撮るときにそっちの技術を選択することができない・・・
感性を入れ替えるって、ほんとうに大変です。でも、なんとなく、半分くらいかな? 今の写真が撮れるようになってきました。
それで思ったんですが、これって、藤原定家と後鳥羽院の新しい歌風で成った『新古今和歌集』のときと同じ。『新古今和歌集』の斬新さは、単にといってしまえば語弊がありますが、作風の違いというより、技術の違いなんです。鴨長明なんか、いち早くその技術に転向したから後鳥羽院に愛でられて和歌所の一員になった。飛鳥井雅経もその技術の踏襲が上手だったから、歌は人よりあとから始めたのに撰者にまでなった。源光行は鎌倉にいて、そういう技術の革新に乗り遅れたから、歌人として認められていたにも関わらず一首しか入集しなかった・・・
と、こんなふうに表現と技術は表裏一体です。とはいっても、鴨長明は技術さえあれば作れてしまう歌風に嫌気がさして、その後古い歌に戻ります。古い歌・・・、それは心の底から発した思いを歌う歌。
ただ古いものだけにこだわっていては技術の革新はできません。でも、新しいものを真似するだけでは本当の表現にはなりません。真の作品は何か・・・、そんなことの発露を願って目下四苦八苦しつつ写真を模索しています!!
話があちこち蛇行してしまいました。これにこだわって書いたら、一晩かかっても書き切れないかも。で、もう止めにしますが、今日学んだいいヒントを書き添えておきますね。それは、「桜を撮るときは、露出をプラス1のオーバーに撮ること」。そうすると桜がただの白い花でなく、ほのかな桜色に写るそうです。これなんか、昔の写真技術からいうと反対のような気もして驚きました。帰って早速試してみたかったのですが、ご覧のように曇り空では無理。RAW現像でほのかに赤く染めました。
追記(30日):プラス1の露出補正で桜を撮ってみましたが、白く飛んでしまって、ほのかにピンクどころか本当に露出オーバー。私は今までマイナス1/3で撮っていましたので、比べたら、やはりマイナスの方が確か。聞き違いだったのでしょうか・・・。たしかに「プラス1」と聞こえたのですが。30日アップの記事の写真は全部マイナス補正です。
それにしても桜は日本文化の代表で、歌も日本文化の代表なのに、定家の歌は梅の方が印象が強烈。これも、定家の心には治承寿永のころの、平家文化全盛期に過ごした青年時代の思い出と密接に結びついているからです。定家の歌は、心から発した思いが技術によって表現となった稀有な存在です。
2009.3.26 今夜は、「源氏物語千年紀 Genji」の第十一話(最終回)があります!
今夜はいよいよ最終回。先週終わったときから、ああ、もうこの楽しみな時間はないんだ・・・と寂しくて、頭の中ではずっと中(あたり)さんの主題歌の、「あなた~の・・・」がかかりっ放し。しかも、「恋~~・・・でしたぁ・・・」と、終わりまでいって、私の中では最終回を見終わったような。ずっと涙ぐみたいような気分が続いて、変な一週間でした。
時間がないので、取り急ぎ今日の記事だけ作成しておきます。というのも、今日の放映は時間が早くなっているんです。最終回なのに、いつもの時間と思って録画のセッティングをして出かけてられる方がいらしたら、大丈夫でしょうか・・・
今日の放映はいつもより10分早く、00:35~です。新聞では・・・です。タイトルは「若紫へ」。どっきりなタイトル! というのも、今までの若紫があまりに幼いばかりの少女で、出崎監督のお好みの女性からはずれてしまいそう・・・。11話の明石に出会うまでの構成と新聞で読んでいたので、紫の上はどうなってしまうのだろうと、ひそかに心配していました。ここまでたどってきて思うのは、このアニメは大人の男たる出崎監督による理想の女性像の品評会みたいな・・・。今夜の放送を待ちましょう。
先週の感想は、時間を見てここに続けます。写真は世界のラン展で撮影。源氏物語にちなんでほのかに紫色に仕上げました。
■追記:(終了直後)
最終回、終わってしまいましたね。やはり、最後は「藤壺」!! 明石の君も入りようがありませんでした。納得・・・。出崎監督の愛の一貫性に打たれています。時間をみて、近々このアニメについてまとめます。
罪は罪。
されど、愛は愛・・・
■追記(27日午後):
先週の感想を最終回を見る前にまとめなくてはと焦ったのですが、時間がとれずにとうとう今になってしまいました。ただ、先週の段階では、このアニメが始まる前の読売新聞で、光源氏が明石の君に出逢うまでと読んでいましたので、一応私の中では最終回の予測がついたものとして、その結末へ向かうための「朧月夜との情事の発覚→右大臣家による須磨への左遷」という流れの先に、最終回があるものと思っていました。それで、その線に沿っての感想をなんとかまとめなくては・・・と、四苦八苦して考えていたのです。
が、昨夜の最終回はまったく私の意表を突くものでした。前半であれだけインパクトのあった六条御息所も、後半の華、朧月夜も登場しないのです。大きく描かれたのは、ひたすら苦しむ光源氏と、ひたすら無垢に慕う若紫、そしてひたすら罪を背負って生きつつも光源氏を思う藤壺・・・
つまり、出崎監督は、このアニメを、藤壺と、その線上での紫の上と、光源氏という、『源氏物語』の根幹のみをひたすら描ききったのです。途中、ようやく目覚めた夫婦愛の葵上がいましたが、昨夜の妻となった紫の上の葵上に似ていたこと!! それは綺麗でした。
最終回を見て思ったのですが、先週は最終回に向かうための「つなぎの章」だったのですね。どうりで感想を書こうとしてどうにも気持が乗らなかった・・・。書こうとすると、朱雀帝とか右大臣家との確執とかの説明になってしまうのです。うまくできているのにどうしてだろうと不思議だったのですが・・・。
最終回を見ての感想は、近々まとめさせていただきます。
2009.3.25 横浜そごう美術館【源氏物語千年紀 石山寺の美】展に行きました!
横浜そごう美術館で開催されている【源氏物語千年紀 石山寺の美】展に行きました。今週で最後なのでなんとか時間を作って一生懸命です(笑)
会場には紫式部さんの画像がありとある画家の方のが一堂に集められている感。みんな、あの石山寺の一室、紫式部の部屋の構図です。中に最近発見されたもっとも古い図があって、それはよかったですね。古くて、剥離しかけていて、細部もよくわからない状態ですが、頭が小さく、天に向けて才智が開けていくような伸びやかさがあって・・・
というのも、紫式部さん当時の人体の頭と体の大きさのバランスが実際どうだったか知りませんが、いわゆる文机にもたれかかっている紫式部執筆の図というと、みんな頭が大きく描かれていて、それはそれなりに美しく描かれているのでしょうけれど、紫式部という方の天才的なひらめき、感性の伸びやかさが感じられない・・・、とても文筆に秀でた才智ある女性に見えなくて、今までいいと思う画像はありませんでした。特に江戸時代の作品は・・・
古い画像は室町時代ものですが、江戸のものとはまったく違って、一瞬、デフォルメされたブールデルのレダと白鳥の構図を思ってしまいました。芸術にはデフォルメ性が必要と思います。無理なデフォルメというのでなく、日常を超越するという意味での・・・。先日の出崎統監督のアニメ『Genji』で、江戸が出ると興ざめみたいなことを書いたのはその意味です。
この展覧会は源氏物語千年紀と銘うっていますが、ほんとうは副題の「石山寺の美」展です。紫式部さんの画像はその一環です。入室して早々、今までお寺を出られたことのないという如意輪観音様が広い一室に輝いて座していられました。石山寺の秘仏の如意輪観音様の前にいられて、秘仏を拝することができませんから、私たちが訪れたときに実際に拝ませていただく仏様です。石山寺では暗いお堂の奥にひっそりといらしたのでよくわかりませんでしたが、この展覧会ではもうほんとうに触りさえしなければ顔を接することさえ可能なふうに、何も覆いなく、高くもない場所に座していられてびっくりしました。来場者は皆様源氏物語千年紀がお目当てのようで、ふつうなら立ち止まる方が多いでしょう展示なのに、さっさと先へ進まれるので、お陰で私はゆっくり如意輪観音様のお前で時間を共有させていただくことができました。
このお像は江戸時代の作だそうですが、ここに、先ほど書いたようなことはありません。平安仏像のようにとても優雅でいられます。そして、江戸の作だからか、彩色がよく残っていて、臙脂色の地色も、宝相華の唐草模様も、失礼とは思いながら、じっくり眺めさせていただきました。
如意輪観音様というと、名前では馴染んでいるし、幾体か有名な仏像も知っていますが、どういう仏様か、今まであまり考えたことがありませんでした。なので、帰宅してネット検索したら、如意は宝珠のこと、輪は法輪のこと、とありました。それで納得です。石山寺の観音様にもっとも目が釘付けになったのが被っていられる宝冠の両脇にある如意宝珠でした。くっきりときわやかで可愛くて目が離せませんでした。火焔を象った両面開きの光背のような中に水晶の玉が嵌まっているのですが、脇にまわって見ると、それは三枚の光背の中央にある立体的な造りでした。知らなかった・・・と、変なところに感動しました。如意宝珠・・・、そんな言葉も懐かしかったですね。金沢文庫の密教図像になどに傾倒して読んでいたころを思い出して。
写真はJR横浜駅から地下道を通ってそごう美術館へ向かう途中にみつけた展覧会のポスター。二枚目は、横浜開港150周年記念キャラクターのたね丸くん。横浜は4月28日の連休早々からはじまる開港150周年記念イベントに向けて活気づいています。
2009.3.24 王朝継ぎ紙研究会の【王朝継ぎ紙合同作品展】のお知らせ
近藤富枝先生主宰王朝継ぎ紙研究会の合同作品展のお知らせです。
ほんの少し、荻窪のカルチャー教室に学ばせていただいたご縁ですが、今年も合同作品展のお知らせをいただきましたのでご紹介させていただきます。ほんとうなら(カルチャーを続けていれば・・・)、私も出展させていただくよう頑張っていたのに・・・
■第二十五回 王朝継ぎ紙合同作品展
日時: 3月30日(月)~4月4日(土) 10時~18時
初日は13時から 最終日は16時まで
会場: 小津和紙博物館(小津ギャラリー) 03-3662-1184
中央区日本橋本町3-6-2 小津本館ビル2F
銀座線・半蔵門線 三越前駅
総武線快速 新日本橋駅
日比谷線 小伝馬町駅
王朝継ぎ紙はほんとうに素敵な世界です。大好きです。今は無理ですが、いつかお教室に復帰して美しい料紙制作に堪能したいとまだ夢みています。でも、原稿を書いている限り無理なので、展示会のお知らせをいただくと嬉しくなります。
継ぎ紙で有名なのは『西本願寺本三十六人家集』です。技術が絶えていたのを近藤富枝先生が復元に成功されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E6%9C%AC%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E4%BA%BA%E5%AE%B6%E9%9B%86
『西本願寺本三十六人家集』の中でも美しいのが「伊勢集」とか。そして「貫之集」。その2帖が分割され全国に散ったのが「石山切」です。2007年秋に徳川美術館で開催された『王朝美の精華・石山切―かなと料紙の競演―』は素晴らしいものでした。図録には作品が網羅されて載っていて貴重です。図書館とかで探してご覧になってください。
写真は世界のラン展から。
2009.3.21 奈良県で卑弥呼の時代の建物跡発掘のニュース!!
読売新聞の朝刊に「奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で卑弥呼の時代に計画的に建てられた建物跡確認」のニュースが載っていました。
邪馬台国の所在地は、かつては北九州説が有力でした。が、近年は機内大和説が勢いをもっています。それがこの纒向(まきむく)遺跡の発掘調査によってなのです。
この調査では国の中枢センターとしての一大都市の様相が浮かび上がって、3世紀という卑弥呼の時代にこのような都市が北九州と大和とに二つもあるとは考えられず、よって邪馬台国は機内大和のこの纒向遺跡だろうということになるそうです。
高校生のころから邪馬台国ロマンのとりこになっていた私は、そのころ主流の北九州説にすっぽり嵌まっていました。その後関心が他に移って、この纒向遺跡のことは発掘当時をまるで知らずに過ごしました。なので、ずっと、心の中では北九州説にエールを送っていました。
その気持ちが覆ったというか、まだ北九州説に対して判官贔屓的な気分もあって、完全には信じきっていないのですが、もう認めるしかない・・・みたいな気持ちになったのは、高城修三先生の『大和は邪馬台国である』を拝読してからです。このご著書に接したあとは、う~んと唸って認めざるを得ない心境になっています。邪馬台国ファンでなくても完璧に面白いご本です。一読、お勧めです!!
http://www2.begin.or.jp/sakura/sai07.htm
高城修三先生は「榧の木祭り」で芥川賞をとられた作家でいられますが、最近は古代史に精魂こめられていて、それが面白いんです。この『大和は邪馬台国である』のあとの『紀年を解読する』なんか、凄い!!としかいいようのないご内容。夢中になって読みふけりました。紀年には凄い謎があって、その紀年を信じると初期の頃の天皇のお年は○百歳というとんでもない数値になってしまう・・・。それで、初期の頃の天皇は実際には歴史上いられなかったのだという説があるほど・・・。その謎を高城先生は見事に解明されています。これを書いていられるあいだ、毎晩計算機と格闘で、数値で考えていられることが立証されていく・・・、その過程は夢のように面白かったと、お会いしたとき伺いました。
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8D%82%8F%E9%8FC%8EO/list.html
そんな数学者のようなことは芥川賞作家の方のすることでないと思うのは間違いで、高城先生は言語学のご出身なんです。コンピューターが出たころ、数字の0と1だけで論理が組み立てられていくのを見て、言語学の観点からすぐその理論が理解できたと・・・。そういう素質の先生にしての洞察力溢れた古代史。いつか、ここでご紹介させていただこうと思ったまま機がなくていました。新聞の記事にやっとその機会を得た思いで、懐かしく高城先生を思い出しつつ書いています。
というのも、現在先生は連歌に凝っていらして、関心がちょっと私と遠のいています。連歌にもお誘いいただいたのですが、長い文章しか書けない私は冷や汗たらたらで遠慮しました。でも、素敵な方でいられます。
http://www.h2.dion.ne.jp/~taki99/top.htm
写真は桜の開花状況を撮りにでた井の頭公園での光景で、桜の苗木を植えるために穴を掘っていた「ユンボ」。ユンボというのはどこかの商標らしいのですが、いわゆるパワーショベルの通称になっています。響きが可愛らしいし、言い安いですものね。遺跡発掘調査に従事していた当時馴染んだ重機。思わず懐かしさに撮ってしまいました。そんな遺跡回帰気分の日に遺跡にまつわるニュース。不思議ですね。
■訂正: 最初、読売新聞の夕刊と記しましたが、朝刊の間違いでした。お詫びして訂正させていただきます。
織田百合子のHP http://www.odayuriko.com/
2009.3.21 井の頭公園の桜/開花状況・・・今年最初の一輪
今日は土曜日。さわやかに晴れたので、もう一輪くらい咲いているかな? と出てみました。咲いていました!! 今年最初の一輪です。
でも、あくまでも私が見つけた最初の・・・ということで、昨日だって、一昨日だって、咲いていたかも。見落としていたら、お花さんたちごめんなさい。
一枚目は井の頭公園駅から公園に入ってすぐの、長い池の一方の先端。ここから神田川になるという小さな石のたいこ橋地点での木です。ここは日当たりがいいので何輪も咲いて枝が華やかでした。(春遅くなると、ここでカルガモの親子の行進が見られる場所です。)
二枚目はそこから歩いていく途中にみつけた桜。あまり開きそうもない蕾たちのなかで、頑張って咲いていました。
三枚目は19日にアップした木の今日の様子です。最初に咲きそうと思ったのですがまだで、駅近くの方が早い開花でした。駅近くの木は19日には前を通らなかったので、そのときにもう咲いていたのかも。見落としてごめんなさい。
最後は小さな石のたいこ橋から見渡した池の光景。この先に七井橋という池の両岸をつなぐ橋があり、その奥の突き当りがお茶の水といって湧水地点です。井の頭公園の水は湧水なのです。江戸時代には将軍様が鷹狩りにいらして、このお茶の水で休まれたとか・・・
ご覧のようにまだ両岸は茶色ですが、ほのかにピンクがかっています。両岸を埋め尽くして池に枝垂れるソメイヨシノ。その光景は絶景です。去年のようすをアップしていますので、カテゴリー【2008年春 桜】をご覧になってください。
織田百合子のHP http://www.odayuriko.com/
2009.3.19 今夜は、「源氏物語千年紀 Genji」の第十話があります!
楽しみに見ていた深夜のアニメ源氏、今日を含めてもう残すところ二話です。つまらなくなるなあ・・・って思います。
ココログニュースの記事での引用を拝見したら、出崎監督は「今まで見たことのない世界を」見せてくださるとの意向ではじめられたとのこと。まったくその通りで、美しいですね。時々、時代がくだって江戸っぽい文化が混じるのには違和感ありますが・・・
日本の文化って、どの国の文化も施政者によって変わるのでしょうけれど、日本文化は一律ではありません。平安時代と、安土桃山などの中世と、江戸時代とでは、文化が決定的に違います。それを時代劇で江戸に慣れているからか、平安文化をたどりながら、ともすると「江戸」が顔を出してしまう・・・。平安王朝に堪能したい私としては、そこでふっと、夢から覚めてしまいます。
今まではそんなことよりドラマの進行に引き込まれていましたから、違和感があっても気にしないことにしてあえて書かないできました。が、先週の「叢雲」は、ひたすら光のように輝いていた人生の光源氏が、父帝の死によって右大臣方が勢力を伸ばし、須磨へ左遷されるという暗雲に向かうための序章。いわば明から暗へのつなぎの週。ドラマ的には迫真に迫るというより説明の部分なので、ちょっと集中力に欠けてしまいました。
先週は主として藤壺の描写でした。光源氏との不義密通の罪を背負ってしまった女性の罪の意識と、その贖罪のための桐壷帝への献身です。ここでも出崎監督に感心したのは、こういう「つなぎ」の章を省略せずに、綿密に描いていること。「空蝉」は省略したのに・・・です。だからこそ出崎監督に敬服するのですが、人間心理への深い洞察を大切にされればこそ、省略していいものといけないものとがはっきり分かれるのですね。紫式部の原文では、桐壷帝はあんなに具体的に描かれてはいません。
いずれにしてももうほんとうに残り二話。今夜は波乱なのでしょう。大変・・・です!!
2009.3.19 井の頭公園の桜・・・開花状況
今年も桜の季節がやってきました。東京都の開花予想は21日。明後日です。ただこれは都心の靖国神社でのこと。で、同じ東京都でも多摩東部という都下になるこちらではどうかしらと、カメラをもって撮りに出ました。
結果はご覧のとおり、まだ寒々しいばかりの状況です。井の頭公園は細長くて、その真ん中に同じく細長い池があり、その先端が神田川の源流地点となって都内へ流れていきます。
池をはさんで北が武蔵野市側。繁華街の吉祥寺です。南は三鷹市側で、こちらは武蔵野の雑木林といった風情の木陰が多い一帯です。
で、日当りのいい武蔵野市側を歩いて一輪でも咲いている花はないかしらと探してみました。それほど網羅して観たわけではありませんが、みつけられなくて、一番開花に近かった蕾が一枚目の写真です。開き始めの濃いピンクの色になっていました。開化を感じさせてくれたのはこの一枝だけ。あとは二枚目のようにまだまだといった感じでした。
代わりに、今は白いこぶしの花が満開。三枚目の写真です。いつも、こぶしが終わると桜・・・と思っていますので、桜はまだ当分のようです。
2009.3.18 ココログニュースで二回も取り上げていただきました!
サイトの外から訪ねてブログをご覧になっていられる方には見えないかもしれませんが、記事を作成するときに、隣に「ココログニュース」という欄があって、日々のニュースが取り上げられます。興味のある話題だとクリックしてその日の社会の動向を知ることができ、楽しみなコーナーです。
そこに、先日、一月でしたが、浅間山が噴火したとき、それに関する記事を載せたたとき、それを取り上げていただきました。見出しは「浅間山噴火“地震雲”で予知できた!?」というもの。
私は2003年10月から空の雲に魅せられて撮っています。ちょうどデジカメが家にきて、何を撮ろうかな?と迷っていたときでした。折しも太陽の磁気嵐の真っ最中で、空に現れる雲がいつもより形が激しく面白かったので、撮ってみました。写真を仕事にしていましたから、長いこと写真を撮っていますが、「雲を撮る」などしたことがなかったので、空にカメラを向けたアングル自体が新鮮でした。それで嵌まったのです。
そのときの磁気嵐ではオーロラが本州でも観測され、翌朝、新聞に長野県でのオーロラ現象の夜空の写真が載りました。空を見るのが楽しみになったばかりの私もその夜空を観ていて、「なんだ今夜の空は赤いなあ・・・」と不審だったのですが、長野の写真を見て「あれはオーロラだったんだ!」と驚いたりしたものでした。まだ記録意識ができる前でしたので、残念なことにそれは撮っていません。
その翌年の10月と12月に、新潟県中越地震とスマトラ沖大地震が起きました。ほぼ一年、毎日毎日雲ばかり撮って過ごしましたから、地震の前兆としての雲の見極めができた頃です。その頃の空の光景は尋常ではありませんでした。でも、雲撮影一年目の初心者だった私には、それを尋常とは思わず、季節ごとの特徴くらいにしか思っていませんでした。
が、二つの地震があった後、翌年以降の雲の穏やかなこと! あんなに駆けずり回って雲を撮らされていたのが嘘のように、空は普通になりました。それで、不審な雲があるときの、地震とか噴火(三宅島の噴火で火山性の雲というのも知りましたので・・・)などの天変地異への予測は感じ取る訓練ができました。
新潟県中越沖地震の前の9月に浅間山が噴火しています。それで、浅間山方位発生の雲は見極めがつきます。昨年12月と、今年に入っての1月に、久々にその浅間山方位の雲を撮りました。そうしたら2月2日に噴火。都心でも降灰が観測されました。
その経緯は、このブログでも、2月3日の記事として「四年ぶりに浅間山が噴火して・・・」というタイトルでご紹介しました。 実は私はこの「孔雀のいる庭」の他に、「ゆりこの銀嶺日誌」というもう一つブログを作っています。ほぼ「地震雲」専用の内容になっていて、人文系の記事がはみ出していまうので「孔雀のいる庭」というこのブログを新たに作ったのです。「ゆりこの銀嶺日誌」は雲専用ですから、当然、浅間山の噴火記事は載せます。それは「地震雲413 【2月2日未明 浅間山噴火】への空」と題しました。
この記事をココログニュースで取り上げていただいたのです。そんなこととは知らずに、見出しの「浅間山噴火“地震雲”で予知できた!?」に惹かれて読んで、最後に来て自分の記事が紹介されているところにきたときの驚き! 一瞬、何が起きているのか理解できませんでした。そこでは「今回の噴火は事前に気象庁の噴火予測も発表されたが、それより早く噴火をあやぶんでいたブロガーもいる」として、『ゆりこの銀嶺日誌』からの文章が引用されていました。
そして、二回目が3月16日のココログニュースで、「深夜アニメ“出崎源氏”濃厚すぎて再び波紋」の記事。これは、『孔雀のいる庭』の方の記事のご紹介で、2月21日の「王道をゆく、出崎統監督のアニメ『源氏物語千年紀 Genji』!!」という記事に対するものでした。
今の私にとって、雲も源氏物語も、どっちがどうといえないほど二分できない大切な分野です。大切なというか、興味の尽きない関心事というような・・・。その二つの分野でそれぞれ取り上げていただいてよかったなあと、嬉しく思っているのですが、昨日、ふっと考えて、「こんな短期間に二回も取り上げていただいて」と思ったのです。そうしたら、気がつきました。『ゆりこの銀嶺日誌』と『孔雀のいる庭』が同じ作者だなんて、おそらくニフティさんのココログニュース担当の方もご存じないだろうから、この「二回」に気づいた人はいないのだ・・・と。
別に誇りたくて明かすのではありませんが、私の中では面白い出来事ですので、記念に一記事として残しておきたくなりました。それにしても膨大な量の投稿記事がお有りでしょうに、その一々に目を通されるニフティのココログニュース担当の方は大変と思います。有難うございました!!
後日談ですが、「そんな二回も取り上げられるって、ママって、余程変わってるのね」とは娘の言です。
写真は世界のラン展から。
2009.3.15 世田谷美術館の【平泉展】に行きました!
昨日から開催されている世田谷美術館の【平泉展】に行きました。
この展覧会では、中尊寺金色堂の西北壇(中央に向かって右の壇)が堂内の配置そのままに東京に移動して拝観できるというもの。素晴らしいとは思いつつ、では、今中尊寺を訪ねたら・・・とは思わざるを得ませんでした。
ただ、やはり近代的な空間で、歴史の重みといった付属物なく、素直に中尊寺のままに配置されている11体のほとけさまに接しられるというのは綺麗で、ずーんと響くものがあって素敵でした。ほとけさま方の可愛らしいこと!! それに精緻です。
この精緻というのが平泉文化の神髄ですね。金色堂そのものもそうですが、紺色の紙に金と銀の文字で交互に描かれた装飾経。その見返しの絵の精緻さ・・・。これは清衡のものだそうですが、時代がくだって金だけで書かれた秀衡の装飾経になると、同じように見えて線が太く繊細さがなくなっています。でも、繊細さには変わりありません。
中尊寺の紺紙金泥経というものには何回か展覧会で拝していますが、金銀のものと金だけのものがあるのははじめて知りました。今までどちらを拝していたのでしょう・・・。有名な中尊寺の装飾経。でも、いろいろな展覧会で観る機会があるといっても、他の出展物に混じってほんの1巻の部分です。それが金銀のものも金だけのものも、ずらっと長~く、ゆっくりと拝観できて、装飾経ファン(?)の私は心広々と拝観させていただきました。
どちらのだったか覚えていませんが、『狭衣物語』の作者に通じる資料になる仮名文字の反古紙を紺に染めて使っていたとわかる部分があって、国文学の世界で貴重とされているそうです。ということは、奥州藤原氏は都と密接につながって文化を吸収していた・・・ということになるそうです。
ただ、やはり、都と違うのは、精神の素朴さ、素朴な美しさですね。装飾経の見返しの絵もほれぼれするしかない繊細さなのに「力を誇る」といったような張り出してくるものをまったく感じない。かえって、見るほどに見返しの絵が退いていって、それに伴ってこちらの心も引き出されていくといった感じです。
それは絵の素材にもあって、刀の鞘だったと思いますが、題材が「蜂と薄」。華やかな絵に見慣れていた私達としては、? と一瞬戸惑いました。何だか不思議な違和感です。「これって、蜂?」と、思わず声を洩らしたほどでした。そうしたら、内覧会でしたので、式典にいらしていた中尊寺の僧侶の方がそれを聞かれて、「そうなんですよ。これは・・・」と、いきなり後ろから声をかけられて驚きました。
有り難く拝聴したその方の説明によると、ふつうの権力者が権威を誇る絵柄にするところを藤原氏は窓から見える自然の景色をさりげなく描いている・・・、これを松本清張さんが凄い感動をされて・・・といったようなお話でした。松本清張さんも同じように観られたのですね。
中尊寺について書き始めたらまたきりがなくなりますのでここで止めますが、素敵な空間の展覧会でした。
写真は世界のラン展から。
2009.3.12 今夜は、「源氏物語千年紀 Genji」の第九話があります!
ん、もう~ッ、出崎監督ったらァ・・・というのが前回見終わったときの感想です。
先週は「嵯峨野」。『源氏物語』の巻でいうと「賢木」です。ここは第一巻の「桐壷」での、桐壷の更衣を失って悲嘆にくれる桐壷帝が、更衣の母君に使者を遣わす、その使者が母君の邸に到着して母屋へ進むときの悲しみに満ちた場面といっしょに、二大名場面とでもいうべき『源氏物語』中、圧巻の自然描写のある巻です。
紫式部の筆法は、人間の感情を露骨に書かずに、自然描写のなかにそれを象徴させて描き出すというもの。これは、古今和歌集などを通過した当時の知識人に通底する技法ですが、そこに紫式部独自の卓越した心理描写があいまって、最高に美しい、生の感情が昇華した文学が生まれているのです。
で、「賢木」巻のそこでは、「桐壷」巻同様に、心に悲痛を抱える「人」が、月や夜露に濡れる草原を、これから尋ねることになる「人」に向かって進む・・・・、その進む道程に紫式部は、「この人はこれから会う人についてこう考え、それによってこんな感じを引き起こされ、だから・・・」みたいなめんめんとした露骨な心理描写は書かず、ただ、例えば虫の音が聞こえたとか、遠くにその人のらしい琴の音が聞こえるとか・・・、そんなふうな状況を描くだけです。
でも、人間感情の一般的なこととして、そういう状況なら誰しもが抱くその感情を主人公がもっていることを読者は知っている訳ですから、そんな他愛のない心理描写なんかなくても、主人公と一緒にその虫の音を聞き、遠くの琴の音に思いを馳せる・・・、それだけで、文字では説得されなくても、心が、人間存在のすべてが、もう、主人公と同じ心情になってその先にいるはずの訪問先の「人」へ、心が向かうという訳です。
先週のタイトルの「嵯峨野」には、紫式部の『源氏物語』では、そういう余情てんめんとしたものが描かれているのです。
それを、出崎監督ったら、六条御息所のセリフとして、「あの人はきっと来る。何故なら、私とあの人は同じ人間だから・・・・」みたいなことをいわせて、二人の愛の最後の最後の究極の逢瀬を、原文とはまったく別の色合いにしてしまいました!! で、私としたら、紫式部の筆法に感服していながら、まったく別物として、出崎監督のこの六条御息所に驚愕的に感嘆してしまいました。
この、「同じ種類の人間」という論理・・・、懐かしいですね。これは人間の本質を描く文学ではないと使えない言葉と思います。だから、現代小説には不向きでうっかり使ったら「浮いて」しまう・・・。懐かしいといったのは、中学生のころに嵌まったヘルマン・ヘッセの『デミアン』を思い出したから。これは、これぞ、「同じ種類の人間」が本質の小説です。
このアニメを見るようになって思うのですが、アニメはストレートだから、こういう本質的な言葉があっさり使えるんですね。とても重い、凄い言葉と思うのですが、それが「浮かない」で見れる・・・。アニメの面白さですね。最近の文学には合わないものを感じている私ですが、これからアニメに嵌まりそうなくらい、面白いと思います。出崎監督の力でしょう・・・
写真は世界のラン展から。
2009.3.9 源氏物語千年紀情報・・・横浜そごう美術館【源氏物語千年紀 石山寺の美―観音・紫式部・源氏物語】展がすでにはじまっています!
横浜そごう美術館の【源氏物語千年紀 石山寺の美―観音・紫式部・源氏物語】展は、3月7日からすでにはじまっています。3月29日までです。
7日の初日、午後に横浜市歴史博物館に用があったので、先にこの展示を見てからまわろうと、午前のうちに家を出たのですが、横浜についたら何だか無理な気がして、そのまま市営地下鉄に乗って博物館にまわりました。「石山寺の美」展はゆっくり観たかったので・・・
でも、あきらめて正解でした。同じ横浜でも、横浜駅からセンター北駅までの区間て、かなりあるんですね。観てからにしていたら間に合わないところでした。「石山寺の美」展を楽しみにしていたのでちょっとがっかりしています。近々、ゆっくり行くことにします。
石山寺へは一度しか行っていませんが、紫式部が執筆した部屋というのがあって、十二単衣姿の紫式部のお人形が飾ってありますよね。でも、本殿は鬱蒼とした樹木に取り囲まれていて、そこから琵琶湖はたしか見えない・・・
絵巻などで紫式部が「須磨」巻を思い立ったという石山寺での場面が描かれているのを見ると、すぐ間近に琵琶湖の湖面が迫っています。本殿内部を参観して如意輪観音様に対面するために、とにかく奥に奥に、暗いところへ暗いところへ入って行った感覚と、絵巻の眼前に広々と湖面の広がる空間の明るさとが、わたしのなかではまだ折り合いがついていません。
石山寺について書かれた本では、思文閣出版の鷲尾遍隆監修・綾村宏編集『石山寺の信仰と歴史』がとてもわかりやすく詳細です。2008年(去年)3月の刊行で、昨年開いた写真展の「石山寺」につけるキャプションのために本を探していたとき、たまたま夏のブックフェアで思文閣出版のブースの前を通ったらこの本が目に入って、狂喜して買い求めてしまいました。鷲尾遍隆様は石山寺第五十二世座主でいられます。由緒正しい石山寺の本・・・ということになりますね。執筆者には観音信仰については頼富本宏氏、伽藍建築を山岸常人氏・・・といった方々がいられます。
横浜そごう美術館のサイトです。
http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/archives/09/0307_genji/index.html
写真は世界のラン展にて。
2009.3.8 横浜市歴史博物館開催中の【横浜開港150周年記念 黒船・開国・社会騒乱】展に行きました・・・
昨日、講演会があって横浜市歴史博物館に行きました。この博物館を訪ねるのは凄い久しぶり。何しろ遺跡発掘調査の仕事をしていた頃がちょうど開館当時で、歴史に嵌っていた時期ですから、遠いのも気にならずに何度も通いました。称名寺(金沢文庫)のある六浦一帯のジオラマも展示されていて、中世当時の海岸線と現在との比較もできます。
昨日行って驚いたのは街が開発されていること!! 開館当時は何もなくて、横浜市営地下鉄のセンター北駅をおりると、遠くに博物館が建っているのが見通せました。それが、駅の周りはマンションや商業ビルの高層建築だらけ。博物館は陰に隠れて何も見えなくなっていました。
講演会が目的でしたが、ついでに企画展も観てきました。今年はペリーが浦賀に来航して開国、その五年後に安政の条約とかで横浜が開港した「150周年」だそうで、その関連の企画でした。当時の知識人の方の日記が主体の展示です。
港とか、船って、面白いですよね。海の向こうの外国とつながっている感覚が味わえて。そんなことで、この企画展も興味をもって観ました。「金川日記」を記した佐藤文栖(さとう・ぶんせい)という方の日記では、歌会が盛んに催されていて、当時の文化の交流に「歌」が大きな役割を果たしていることを知り、感動しました。現在でも歌がそうだといいのですが・・・。
この日記で思い出したのが、立川の普済寺さんという臨済宗寺院の発掘調査に携わっていた頃のこと。江戸時代の庫裏跡から多数の経石が出土し、その調査と写真に携わらせていただきました。それがちょうどペリー来航の頃のことで、残されている庄屋さん(だったと思うのですが・・・)の日記に、黒船のことが記されているのです。「何でも黒船が来航して江戸では大騒ぎになっている・・・」みたいなことが書かれていたと記憶しています。そんな時期に立川の一寺院では庫裏の建替えに大黒柱の礎石のあたりに2500個の経石を埋めたりしていたんです。時系列の奥に広がる空間て不思議ですね。この経石については、もう一つのブログの「文化・芸術」のカテゴリーにご紹介しています。
http://ginrei.air-nifty.com/ginrei/cat2626796/index.html
横浜歴史博物館の企画展【黒船・開国・社会騒乱】展のアドレスもご紹介させていただきますね。横浜市では4月末から「開港150周年記念」のイベントをするそうです。愛知万博ほどの規模ではなくても、エリアが三つもに分かれているほどの規模だそう。「たね丸」という船をモチーフにした可愛いキャラクターもできていて、歴史博物館でももうそのグッズが発売されていました。
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/
写真は世界のラン展で撮ったもの。これが蘭? と思われた方はよくご覧になって下さい。房についている小さな花の一つ一つが立派に蘭の形をしています。
http://www.odayuriko.com/(織田百合子HP「孔雀のいる庭」)
2009.3.5 今夜は、「源氏物語千年紀 Genji」の第八話があります!
先週の「葵の上」。葵上の美しさに、思わず、「綺麗!!」と、一人見ている深夜のテレビの前で声をあげてしまいました。今までのどの姫君の描かれ方よりも綺麗。この番組がはじまる前の読売新聞のインタビューで、出崎監督が、「葵上に興味がある」と答えられていて、ふ~ん、と思ったのでした。
このアニメの葵上の存在は、今までのどの翻訳、解釈の描かれ方よりも最高の美しさではないでしょうか。崇高とさえ思ってしまいました。出崎監督の事前のご発言の内容を知った次第です。これには参りました。だって、藤壷に対する禁断の恋を究極のものとして描きながら、一方で、「夫婦の愛の雪解け」を至上のものとして打ち出す・・・、人生を知った者ならではの描き方ですよね。
この人生を知った者としての監督への敬服は、六条御息所へのセリフにも感動しました。車争いのあったことを知り、六条御息所の屈辱的な立場を思いやった光源氏のセリフです。「みかけは立派でいられるけれど、誰よりも繊細なところをお持ちでいられるあの方がどんなにか傷つかれたことか・・・」と。(メモできなかったので、うろ覚えですが・・・)
これにはぐっと来ました。六条御息所がこれを聞いたら、きっとすべてを許して、かつ自身も救われたでしょう。これだけのことを光源氏に言わせる繊細さと充実度をもった女性が六条御息所なのです。そして、光源氏もそれを知っているのです。こんなふうに理解していただけたら・・・、いいですね(?)
さて、先週の冒頭は光源氏と頭中将の相撲対決。相撲は「すまい」といい、今と違って天皇や神に奉納する神事でした。今とは大分人々の見る目が違っています。それを見事に使ってのシーンと、冒頭早々、面白かったです。
葵上の登場はそのすぐ後。妊娠して光源氏への愛を素直に表明する葵上。その美しさには冒頭にも書きましたが、ほんとうに感動しました。特に目が無垢で。崇高って、こういうことですよね。(でも、こんなに「お上手」に画が描けるなら、せめてもう少しでも現実的肉薄感をもって夕顔を描いてあげられなかったのかなあ・・・と、改めて思ってしまいました。)
前に、夕顔の件で、源氏物語正編の巻に「紫上系」「玉蔓系」があると書きました。そのとき、手元になかったので四苦八苦して調べながら書いたのですが、いつも便利に使っているメモがでてきましたので、改めて引用させていただきます。丸谷才一さんと、たぶん、大野晋さんの対談からのコピーです。ここでは「紫上系」をa系、「玉蔓系」をb系とされています。
●紫上系(a系) ●玉蔓系(b系)
1.桐壺
2.帚木
3.空蝉
4.夕顔
5.若紫
6.末摘花
7.紅葉賀
8.花宴
9.葵
10.賢木
11.花散里
12.須磨
13.明石
14.澪標
15.蓬生
16.関屋
17.絵合
18.松風
19.薄雲
20.朝顔(槿)
21.少女
22.玉鬘
23.初音
24.胡蝶
25.螢
26.常夏
27.篝火
28.野分
29.行幸
30.藤袴
31.真木柱
32.梅枝
33.藤裏葉
光源氏の出生から臣下としてこの世の最高栄誉に昇りつめるまでの、光源氏の出世物語の部分です。この次の巻が「若菜 上」で、ここから女三宮の降嫁を許した光源氏の誤算、紫上の苦悩の世界へと、ストーリーも色合いもがらっと変わります。このいわば前篇といわれる部分が、紫上系と玉蔓系とに分かれるわけです。そして、紫上系(a系)を読むだけでストーリーはわかり、玉蔓系(b系)はその合間合間に挿入されたエピソードといった感じなので、一旦紫上系を書いたあとに挿入された巻ではないかともいわれます。枝葉のエピソードを切り落として、光源氏の生涯に専念して読みたい方は試してみてください。
2009.3.3 『中也が愛した女』公演のお知らせから、中原中也に関する思い出を・・・
今日はお雛様の日ですが、世界のラン展から見事な蘭の花の写真を・・・。中也が愛した女、長谷川泰子さんを思ってです。
このブログをご覧になってとのことで、以下のお知らせをいただきました。ご紹介方々コピーさせていただきます。
◇――――――――――――――――――――――――――――――・・・
2009年4月、二人の文学青年・中原中也と小林秀雄、
そして一人の女優志願の女・長谷川泰子が紡ぎ出す物語
「中也が愛した女」舞台公演のご案内です。
学生時代、初版本でに手にした「ゆきてかへらぬ-中原中也との愛-」は、
長谷川泰子の視点を通して、改めて中也の言葉を深く感じ入るものでした。
それから30年の時が過ぎ、ひょんなことから舞台を創る仕事を与えられたとき、
私の心の中にあったのは、やはり泰子と中也の物語でした。
さて、脚本は誰に…というとき、その時の演出家がふと思い出して電話をしたのが
古城十忍氏。その電話で、「今、山口に来ていて昨日中也記念館に行ったばかり」と。
その時の中也記念館の企画展は “中也 愛の詩-長谷川泰子をめぐって” でした。
中也と泰子がこの運命を導いてくれたかのような、不思議な縁を感じました。
彼らを蘇らせたくて舞台プロデューサーになったといっても過言ではありません。
そして2005年、朗読公演という形で「中也が愛した女」は誕生し、「いつかは芝居で」
という夢が叶い、今年4月、芝居版での上演の運びとなりました。
今回は脚本を書いた古城氏が演出も手がけます。
2009年4月15日~19日、東京/赤坂レッドシアターへ、ぜひ足をお運びください。
プロデューサー 宮本尚子
・・・―――――――――――――――――――――――――――――――◆
詳細は、
http://www.chuyagaaishitaonna.com/ をご覧になってください。
私は宮本尚子さんという方を存じ上げませんが、思いは同じだなあと思ってご紹介させていただきたく思いました。公演は4月15日~19日ということで、あいにく私は取材で京都に行ったりする都合で伺えません。でも、興味津津でサイトを拝見させていただきました。
中也が先だったか、小林秀雄が先だったか、その二人が尋常でなく密接な人間関係でもって結ばれていたのをいつ知ったか、定かでありませんが、このあたりのことは私の高校時代の読書のほとんどメインイベントといったものでした。
小林秀雄さんが岡潔さんとの対談集『人間の建設』を出されたのを、数学の時間に、その数学の先生から「今、購買部に売ってるから、読みたい人は買うといい」と教えていただいて、休み時間に走って買いに行った記憶も懐かしいですね。
話が枝葉に分かれても、とめどもなくどの枝をとっても広がってしまいそうなくらいに、このあたりのことには思い出が深いのですが、とにかく、私の高校時代の読書のメインは小林秀雄だったということだけにここではとどめて置きます。小林秀雄さんの講演はもちろん、大岡昇平さんの講演とかも網羅して伺いました。
次の中原中也体験は、所属している短歌結社「月光の会」の主宰福島泰樹先生の『中也断唱』。これも、福島先生が苦しんで歌を作っていられるときに、あるとき、ふっと、中也が降りてきた感じがしてできた歌集と伺っています。宮本尚子さんの「不思議な縁」に、福島先生をふっと思い出してしまいました。
それから、これも不思議なお話と思ったのが一番手前の中也に関する思い出。それは国文学者の富倉徳次郎先生が中也の最初の発掘者だったとのこと。それまでの知識では大岡昇平さん方の尽力で・・・みたいなあたりからでしたから、??? と思いました。
それを詳細に知ったのは、昨年秋に論文を書いていて、『延慶本平家物語』を調べる必要がでて、『延慶本平家物語』の権威の、これも富倉先生と同じ駒澤大学で教えていらした水原一先生のご著書を読ませていただいていたときです。水原先生が、これは大切なことだからと、ご自身のご著書のなかに、富倉先生と中也に関するいきさつの文章を載せていてくださっていたのでした。
富倉徳次郎先生といえば、私には『とはずがたり』の権威として雲の上の方です。その富倉先生と中也の関係って何だろうと思っていたら、なんと、中也は富倉先生が高校で教えていらした頃の教え子だったんです。富倉先生が生徒さんに作文を書くよう命じたところ、中也が「こういうのしか書けない」みたいなことを言って「詩」を提出したとか・・・。それが富倉先生をして、「これは・・・」と思わしめるような「何か」があったとのことで、以後、先生は中也を自宅に呼ぶなどして面倒をみられたとか。水原先生が「中也の才能を最初に見出したのは富倉先生」と書かれていました。(このあたりうろ覚えで書いています。正確な文面ではありませんのでご容赦ください。)
でも、泰子という方は、ほんとうはどういう方だったのでしょう。女子校生だった私は、「女だったらこんなふうになってみたい」なんて思わないこともなかったのですが・・・。なんか、『突然炎のごとく』みたいな世界もほうふつとするのですが、しっかりと違います。何しろ、彼女をめぐる男性二人は小林秀雄と中原中也なんです!!!!!
http://www.odayuriko.com/(織田百合子HP「孔雀のいる庭」)
2009.3.1 「ちいさなスタジオ」の撮影風景をご紹介します!!
「ちいさなスタジオ」が届いて最初に撮った孔雀の置物。下にそれを載せてありますが、それでは光が全体にまわってフラットな仕上がりでした。
それをまたまた「小さな照明器具」で照らして撮ると、フラットさから抜けてピンポイントで光を当てることができると、下のビーズの写真でご紹介しました。
それらをまとめて、また孔雀の置物を使って、撮影風景と機材のご紹介をさせていただきます。
まず、一番下の撮影風景ですが、カメラの大きさと比べていただければ、この「スタジオ」が如何に小さいかわかっていただけますでしょ!! 何しろ、50㎝×50㎝サイズです。薄いナイロン製ですから超軽量。畳むとちっちゃなポケットサイズの袋に入ってしまうので、持ち運びも便利です。ここでは単に部屋の隅のテーブルの上に載せただけです。
二枚目はその中の様子。孔雀の置物に小さなランを一輪配しました。手前にあるコンパクトな鏡のようなものがミニの照明器具。昨年春に夜桜見物に行ったとき、実際の映画の撮影に使うという照明器具をずらっと並べて夜桜のトンネルをライトアップしていました。それとまったく同じ形、なのにこんなにミニ。あまりに可愛くて思わず買ってしまいました。で、それを孔雀の置物の前に置いて、孔雀に輝きをつけました。一枚目がその状態で写したものです。
明日は「吾妻鏡を読む会」の日で朝から出かけます。一週間、写真生活にかかりっきりました。入門編のカメラ雑誌で、今風の写真もしっかり把握しました。たぶん、写真感覚のリセット終了。明日からはまた「思索と研究」の生活に戻りましょうか・・・、といいながら、サイトの更新をしなければならないから、ほんとうはWeb生活に入らなければいけませんね!
http://www.odayuriko.com/(織田百合子HP「孔雀のいる庭」)
2009.3.1 「ちいさなスタジオ」でちょっと凝って撮ってみました!!
露光がスローシャッターを切らなければならないので、久々に三脚までだして撮りました。ファインダーを覗きながら三脚のレバーを動かしているときの気分のいいこと! ほんとうに久々です。この快感。
写真は気に入って買っていたビーズを主体に撮ったものですが、途中、ビーズだけでは物足りなくなって、トンボの置物を入れました・・・と、こんな風に、撮っていくあいだにイメージが増殖していって、構図とか内容とかがピタッと定まってきます。これはまだまだですが、一応、スタジオがなくてじれったかった状況からは抜け、爽快感いっぱいの一枚です。
トンボの正面が光っているのは正面からライトを当てているからです。下の孔雀の置物の写真のときはしていません。だから、光が全体にフラットで、孔雀もメリハリがないでしょ。このビーズの写真もそうなるところを、ライトを当てることで、トンボの置物の宝石のような装飾が色を出して輝いたという状況。ビーズの角がピンポイントで光っているのもそれです。
このライトもギフトショーで買ってきました。手のひらに乗るサイズの照明器具。テレビ局のスタジオや夜桜のライトアップなどで使うのと全く同じ形なのに・・・。あまりの可愛いらしさと、ゆくゆくこんな使い方ができそうとの予感で購入したのですが、早速役立ちました。これも、いずれ写真に撮ってご紹介しますね。
http://www.odayuriko.com/(織田百合子HP「孔雀のいる庭」)