2009.3.21 奈良県で卑弥呼の時代の建物跡発掘のニュース!!
読売新聞の朝刊に「奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で卑弥呼の時代に計画的に建てられた建物跡確認」のニュースが載っていました。
邪馬台国の所在地は、かつては北九州説が有力でした。が、近年は機内大和説が勢いをもっています。それがこの纒向(まきむく)遺跡の発掘調査によってなのです。
この調査では国の中枢センターとしての一大都市の様相が浮かび上がって、3世紀という卑弥呼の時代にこのような都市が北九州と大和とに二つもあるとは考えられず、よって邪馬台国は機内大和のこの纒向遺跡だろうということになるそうです。
高校生のころから邪馬台国ロマンのとりこになっていた私は、そのころ主流の北九州説にすっぽり嵌まっていました。その後関心が他に移って、この纒向遺跡のことは発掘当時をまるで知らずに過ごしました。なので、ずっと、心の中では北九州説にエールを送っていました。
その気持ちが覆ったというか、まだ北九州説に対して判官贔屓的な気分もあって、完全には信じきっていないのですが、もう認めるしかない・・・みたいな気持ちになったのは、高城修三先生の『大和は邪馬台国である』を拝読してからです。このご著書に接したあとは、う~んと唸って認めざるを得ない心境になっています。邪馬台国ファンでなくても完璧に面白いご本です。一読、お勧めです!!
http://www2.begin.or.jp/sakura/sai07.htm
高城修三先生は「榧の木祭り」で芥川賞をとられた作家でいられますが、最近は古代史に精魂こめられていて、それが面白いんです。この『大和は邪馬台国である』のあとの『紀年を解読する』なんか、凄い!!としかいいようのないご内容。夢中になって読みふけりました。紀年には凄い謎があって、その紀年を信じると初期の頃の天皇のお年は○百歳というとんでもない数値になってしまう・・・。それで、初期の頃の天皇は実際には歴史上いられなかったのだという説があるほど・・・。その謎を高城先生は見事に解明されています。これを書いていられるあいだ、毎晩計算機と格闘で、数値で考えていられることが立証されていく・・・、その過程は夢のように面白かったと、お会いしたとき伺いました。
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8D%82%8F%E9%8FC%8EO/list.html
そんな数学者のようなことは芥川賞作家の方のすることでないと思うのは間違いで、高城先生は言語学のご出身なんです。コンピューターが出たころ、数字の0と1だけで論理が組み立てられていくのを見て、言語学の観点からすぐその理論が理解できたと・・・。そういう素質の先生にしての洞察力溢れた古代史。いつか、ここでご紹介させていただこうと思ったまま機がなくていました。新聞の記事にやっとその機会を得た思いで、懐かしく高城先生を思い出しつつ書いています。
というのも、現在先生は連歌に凝っていらして、関心がちょっと私と遠のいています。連歌にもお誘いいただいたのですが、長い文章しか書けない私は冷や汗たらたらで遠慮しました。でも、素敵な方でいられます。
http://www.h2.dion.ne.jp/~taki99/top.htm
写真は桜の開花状況を撮りにでた井の頭公園での光景で、桜の苗木を植えるために穴を掘っていた「ユンボ」。ユンボというのはどこかの商標らしいのですが、いわゆるパワーショベルの通称になっています。響きが可愛らしいし、言い安いですものね。遺跡発掘調査に従事していた当時馴染んだ重機。思わず懐かしさに撮ってしまいました。そんな遺跡回帰気分の日に遺跡にまつわるニュース。不思議ですね。
■訂正: 最初、読売新聞の夕刊と記しましたが、朝刊の間違いでした。お詫びして訂正させていただきます。
織田百合子のHP http://www.odayuriko.com/