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2009.4.25 小川靖彦氏『萬葉学史の研究』を読んでいて・・・素寂が誰か!!がわかって驚愕

Fuji160 昨日の朝、小川靖彦氏の『萬葉学史の研究』を拝読していたら、わくわくする章に遭遇・・・、こんなところに長いあいだ迷走していた謎の解決があったなんて!!と、一日気持が晴れやかでした。記念に、ここに記しておきますね。

 素寂(そじゃく)といっても一般の方には馴染みがないでしょうけれど、『源氏物語』の注釈書で、鎌倉時代に私立した『紫明抄』の作者です。『河内本源氏物語』の校訂者源光行の子息で、光行といっしょに『河内本源氏物語』を完成させた親行の弟、ということまでがわかっています。

 ただ、それが誰か・・・となるとわからなくて、「孝行」「保行」の二人のどちらかというところで結論がでていませんでした。最初に「孝行」説が打ち出され、その後それを批判して「保行」説が登場。でも、またその後・・・というように迷走し続けています。私は国文学界の専門でないので、決着がついたのかどうかの最新情報はわからず、それで、私のなかでも「困った問題」のままになっていました。

 なぜ、「素寂」が重要かって。それは、光行の子息のあいだで河内学の継承問題がおき、その元凶(ごめんなさい、素寂さま!!)が「素寂」だからです。その争いがあるために、光行の学統そのものが貶められるはめになったという、とても残念なお話です。せっかくの『河内本源氏物語』なのに、一族間の争いで純粋に高尚なものと思われなくなってしまったのですから・・・

 光行の学問は河内学派といわれます。その継承を嫡子親行が継いで『河内本源氏物語』も親行の手で完成しました。だから、光行が成した業績の著作や所蔵した書物を親行が相続して、それで上手くいっていればよかったのですが、弟のなかに後に出家して「素寂」と名乗る人物がいて、その人も親行に劣らない『源氏物語』の研究者でした。

 だから、当然、光行の著作や収集した書籍を欲しいわけです。それを嫡子というだけで親行が全部相続してしまった・・・。この時代、「継承」を認められてこその「立場」なのですから、いくら「素寂」が才能あっても、どうにもならない・・・

 それで、素寂は書籍を奪うとか、ケンカをふっかけるとか、とても荒々しい行動をとります。有名な業績の『紫明抄』も、みずからの学問を天下に知らしめるためという悲痛な決意のもとで成されたのではないでしょうか。(まだ推測ですが・・・)。私が主として調べさせていただいている『原中最秘抄』も、おそらく、親行の子息の聖覚が、素寂の攻撃に対抗するために必死に編んだ・・・のような経緯もあるほどです。

 その素寂が、親行の弟のうちの孝行か、保行か。『紫明抄』だけをみるならどちらでもいいようですが、私のように親行の側からの人脈をたどっている身には、これは大問題。だって、それが誰かで、親行の協力者だったか、敵対者だったか、になるのですから。

 従来、素寂は孝行説が有力でした。が、私にはなんだか感情的にしっくりこない。でも、保行説をとるには、この説があまりにまだ小さくて心配・・・のような状況でした。それが、小川靖彦氏の『萬葉学史の研究』では、はっきり「保行」となっているのです。経緯は専門になりますから省略させていただきますが、「小さくて心配」の心配は吹き飛びました。

 孝行は藤原定家息の為家の家司になっていて、孝行所持の『源氏物語』もあるといいます。この家系をたどっていて、私にはなんとなく孝行が親行に敵対しているようには思えなくて不審でした。が、保行となれば、孝行が親行たちと仲が悪かったことにならず、しっくりきます。素寂は雲居寺の僧・・・みたいな序があるのに、孝行にそんな経歴があったとは思えないし・・・

 学説は、最初に間違った説で打ち出されると、印象としてそれが定着して正すのが大変。そういうのっていろいろありますよね。新しく正しい説がでても、それが最初の説ほどには流布しなくて、たぶん、もうずっと、最初の印象のままにいく・・・というのが通常のよう。もの凄く身近な、興味の湧く世界のことならともかく、河内学派の継承・・・くらいのことは、私みたいに光行の一生を追っている人間くらいにしか関心がもたれませんものね。

 ただ、保行さんのために書いておきますが、嫡子でなかったばかりに才能があっても苦労しなければならくて、挙句の果てにお家騒動の元凶のようにいわれて、これは理不尽以外の何物でもないでしょうね。性格が激しかったようなので、行動も批判されがちですが、もとはといえば、その理不尽さの問題。私も、専門でないのに国文学の分野をいろいろ書いていてなかなか周知の事実とあつかっていただけない「分野外」故の苦労を味わっていますから、保行さんの立場には同情します。

 光行は敬愛される偉大な学者だったのに、子孫がお家騒動をおこしたがために、光行の学問までが高尚な次元から貶められて侮られてしまったのは残念ですが・・・。『河内本源氏物語』の価値観の減衰にも影響していると思うんですよね。

 と、そんなことでいろいろ思うことあって、この記事をしたためておこうと思った次第です。

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