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2009.4.20 真鍋俊照先生の【金剛界八十一尊曼荼羅】について・・・

Kujakunohane0001 真鍋俊照先生が描かれた【金剛界八十一尊曼荼羅】が世田谷区等々力の満願寺に寄進され、昨日はその完成記念講演会でした。

 この曼荼羅は巨大で、頂いたパンフレットには「世界で唯一の五メートル四方という特大」とあります。

 密教では本堂とか潅頂堂など堂内の両側に金剛界・胎蔵界の両界曼荼羅をかけ、修行者はその中央に座して「不二(一つになること)」を祈りつつ行を行います。

 今回寄進された真鍋俊照先生の曼荼羅は「金剛界八十一尊曼荼羅」。一瞬、金剛界曼荼羅・・・?かと思ってしまいます。しかも、巨大・・・。巨大なら、金剛界曼荼羅なんだろう・・・。でも、なんだか座り心地がよくない・・・、何が違うのだろう・・・・・・、と腑に落ちないまま講演会に向かいました。

 その謎はすぐに解けました。先生が配ってくださったレジュメのなかに、空海の『御請来目録(ごしょうらいもくろく)』があり、そこに「金剛界九会(くえ)曼荼羅」があり、その隣に「金剛界八十一尊曼荼羅」があったのです。

 「金剛界九会曼荼羅」はいわゆる両界曼荼羅のうちの金剛界曼荼羅です。金剛界曼荼羅は、縦3列・横3列の合計9つのブロックに分かれています。そのブロックの一つ一つに名前がついていて、それぞれ「理趣会・降三世会・降三世三昧邪会・三昧邪会・微細会・供養会・四印会・一印会・成身会(じょうじんね)」といいます。それで「九会(くえ)曼荼羅」というのですが、修行者は曼荼羅に向かって右上の理趣会からはじめて順番に下へ観想をしていき、下段から左側→左上へと行き、上段の一印会から中心部の成身会に至る過程を修します。

 つまり、金剛界曼荼羅は螺旋状に中心に深まってゆく構造なのです。それに比して胎蔵界曼荼羅は逆に中心から放射される構造。金剛界曼荼羅が理知の男性原理といわれるのに対して、胎蔵界曼荼羅が慈悲の女性原理といわれる所以です。(と、私などが解説してしまうのもおこがましいのですが・・・)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8E%E8%94%B5%E7%95%8C%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85

 先生のご説明によると、「八十一尊曼荼羅」は、その九会曼荼羅のうちの中央部の「成身会(じょうじんね)」のブロックだけを拡大して描いたものなのでした。どうりで「金剛界曼荼羅」っぽいのに、なんだかあっさり・・・、の謎が解けました。9分の1の区画だけをとりだした曼荼羅だったのです。そして、それが五メートル四方・・・、9分の1の部分なのに見上げるばかりに巨大な一幅の金剛界曼荼羅に等しい大きさなのでした。そして『御請来目録』にあるこれは現存していません。それを真鍋先生は復元されたのでした。

 この巨大な曼荼羅を真鍋先生は金沢文庫を辞されたあと、宝仙学園短期大学の学長をされた頃に思い立たれ、四国に移って四国霊場大日寺のご住職をされながら四国大学で教鞭をとられているあいだもえんえんと続けられて完成。この春、世田谷は等々力の満願寺さんへの寄進となったのでした。先生のご発言・・・、「私はどうも忙しいほど何かをしたくなって、そういう何か燃えるものがないと世俗の仕事も上手くできない」・・・というような。つまり、精神世界に起点をおいて生きていられる先生が、学長さんとか、その他もろもろの世俗にまみれた煩瑣なお仕事をこなしていられる背景には、「夜になったら一人仏画に浸るんだ・・・」という素敵な精神浄化作用の世界がおありだったからなのでした。

 真鍋先生の仏画の色はとてもあでやかです。それもとても深い味わいの単色でない優美さです。なのに、とても透明・・・。昨日の「金剛界八十一尊曼荼羅」も、それはとても優美でさわやか、透明感あふれる色彩でした。なぜそうなのか・・・も、技法的な解説もされていましたが、ここでは書き切れません。ただ、そう見えるにはそれだけの理論的な裏付けと技術があるということ・・・

 長くなりますから、今日書いておきたいことをまとめます。

 先に記した「御請来目録」は、空海が唐から帰国したときに持ち帰ったものを一覧にして朝廷に献上したものです。それはそれは凄い経典・絵画などの名称がならんでいます。そして、それら名称のあとに解説の文章があって、それが私は大好きなんです。心が弱くなってくじけそうになるとき、ふっと口ずさむだけで強くなれるといった類の言葉です。ご紹介させていただきますね。

 法はもとより言(ごん)なけれども、言にあらざれば顕われず。真如は色(しき)を絶すれども、色を待ってすなわち悟る。・・・密蔵深玄にして翰墨に載せ難し。更に図画をかりて悟らざるに開示す。

 (『弘法大師 空海全集』より訳を記します。)
 真理はもとより言葉を離れたものですが、言葉がなくてはその真理をあらわすことができません。絶対真理(真如)は現象界の物を越えたものですが、現象界の物を通じてはじめて絶対真理を悟ることができます。・・・そのなかでも、真言密教はとくに奥深く、文筆で表し尽くすことは難しいのです。ですから図画をかりて悟らない者に開き示すのです。

 これはカルチャーで私が真鍋先生に教えていただいた、ほんとうのほんとうの最初の第一節です。それまで真理は言葉で説明するもの・・・みたいなふつうの人生論に馴染んでいた私には「真理は言葉で説明できない。だから絵でもって訴えて感じ取ってもらう」という密教の世界は、非常に新鮮でした。

 それらから離れて、それらを心に持ちながらも、でも実質は遠く離れて、いわゆる「深秘(じんぴ)」「神秘」から遠く世俗にまみれて暮らしているような現在の私には、どうしてこうなってしまったのだろう・・・、というような深い忸怩たる思いがいつもあります。それで、ご講演のあと、先生とお話する機会があったので、「あの講座のようなことをずっと学び続けていたら、別の人生になっていたでしょうね」と言いました。先生は、「あれを続けると行(ぎょう)をしなければならないところまでいって必ず行き詰まるから。」と言われました。カルチャーの「空海の哲学」という講座は、みんなに惜しまれながら、先生は頑として続けてくださらなかったのです。(代わりに、突然、写仏の教室になり、“哲学”を学びにいったはずの受講生はみんな、慣れない絵筆をとっての写仏という“行”に四苦八苦しました

 密教は「言葉にすがってわかったような気持ちになること」を忌避します。「言葉でわからなくても」、「身体で体得する」・・・、それが「行(ぎょう)」なのです。私にとっての「行」は文学です。先生が講座を続けてくださらなかったがために、路頭に迷いながら、四苦八苦の喘ぎ喘ぎを続けながら、ようやく『源氏物語』が私の世界になりつつあります。先生の深いお心に触れた一日の気がしました。

 写真は孔雀の羽根を撮ったもの。先生の「金剛界八十一尊曼荼羅」には孔雀や獅子・象や兎といった獣がたくさん描かれていました。そのほとんどが、ほとけ様の座す蓮台の下の獣座として。この獣座はふつうの曼荼羅では描かれていません。今回真鍋先生が「こうあったはず・・・」のように復元されたようなお話でした。獅子や象の脇に孔雀の羽根が描かれていて、獣たちも自由に宇宙に飛翔・遍満する・・・という意味がこめられているそうです。先生のお言葉では、「男も女も動物もすべて平等」「それが目に見えない命の輝き」なのだそうです。曼荼羅に獣が加わることで。

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