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2009.5.16 二条院讃岐の「沖の石」は若狭・・・?

 都立図書館に行って森本元子さんの『二条院讃岐とその周辺』(笠間書院)をコピーしてきました。まだぱらぱらと目を通しただけですが、讃岐周辺についてしっかり書かれていて、探していたとおりの書物に出逢いました。中に気になった事項がありましたので書いておきます。それは、「沖の石」について・・・

 有名な歌枕で「沖の石」といえばもう昨日ご紹介させていただいた写真の多賀城市にある陸奥の地ですよね。が、讃岐の歌の「沖の石」は若狭だったような感じがあるんです。

 それは若狭の国松永(福井県)の三方湖で、二条院讃岐の父頼政の旧領地だったとのこと。武人でありながら大変な歌人でもあった頼政の娘ですから、歌枕の知識も父のもとで育んだとしたら、この若狭の「沖の石」が彼女の念頭にあったとしていいわけですよね。近くには讃岐の墓もあるとか・・・

 もっとも、陸奥の「沖の石」にも可能性があって、結婚した重頼が陸奥守だったそうなので、讃岐も陸奥を訪れていたのだろうという説もネットでみました。でも、重頼は若狭の地頭でもあったとかで、夫からの関連では決められません。

 このあたりまだ詰めていませんので、とりあえず若狭説もあるというご報告を。私としては学生時代から思い込んでいた【歌枕「沖の石」=陸奥】のイメージが強く、意識を切り替えるのは大変です。

 讃岐はあまり知られていませんが、『二条院讃岐とその周辺』によると、二条院宮廷で若き女流歌人として名を成したあと、二条院の崩御で宮中を退出。その後結婚して第一線から退いていたのを、後鳥羽院が自身の歌壇に女流が少ないのを欠点に思って、新人・年配を問わず才能ある女流を召しだした中に讃岐もいた・・・ということらしいです。

 そのときはもうすでにかなりの年になっていて、男性歌人のなかには古い歌風から抜けられずに新風の新古今歌壇についていけない人が多かったのを、讃岐は柔軟な感性ですっかり一新、みずみずしい作風をすぐ身につけたとか。

 このときの後鳥羽院歌壇の新進気鋭の女流歌人といったら俊成卿女がいて、宮内卿がいます。宮内卿なんか、かつて讃岐が二条院に仕えていたころの若さですから、そういうなかに混じって少しも臆せず堂々と新しい歌風を身につけたというのは凄いですね。目立たない存在なのにしっかり自分をもっている・・・そんな感じを受けました。

 さて、この二条院讃岐・・・、私の「花の蹴鞠」の明子さんと、二条院宮廷でどのように交わらせていきましょうか・・・。楽しみです。

 宮内卿と書いたら、気持ちがすっかり新古今になってしまいました。この女性は讃岐と正反対に強い個性で印象が強烈です。好きなんです。彼女の歌。一首、書いておきます。

 うすく濃き野辺のみどりの若草に跡までみゆる雪のむら消え

 どうもやはり新古今の周辺は強烈ですね。二条院讃岐について書きだしておきながら、ほんの関連で宮内卿と記しただけでもう引きずられてます(笑)。エッセイならこれでどんどん広がってもいいのですが、目下は「花の蹴鞠」に戻らなくてはならないので、気を引き締めて集中します。

 後鳥羽院歌壇の華やかさに心が染まったついでに書いてしまいます。(これはイメージを固定してしまうから絶対書かないでおこうって決めていたことですが・・・)。それは、「花の蹴鞠」の主人公の飛鳥井雅経のキャスティングについて・・・

 少し前から私の中で雅経を演じる俳優さんが決まっています。それは三浦春馬さん。雅経って個性がないようでいて不思議な魅力があって、頼朝にも、後鳥羽院にも、藤原定家にも、ふつうならつきあうのに大変といった強烈な個性の面々に、誰からも一様に、それも並々でない親しさで愛されてしまうんです。そんな純粋無垢のようなキャラの俳優さんなんかいるかしらって不安だったのですが、あるとき、ふっと何かの写真で春馬さんの目に引き込まれて・・・、この人だ!!って。

 今朝、その春馬さんがテレビにでてらしていて、舞台をなさるんですね。なんだか「星」とか「ゴージャス」とかつくタイトルの。両脇を先輩格の岸谷さんと寺脇さんにはさまれて、なんだかやっぱり頼朝と後鳥羽院にはさまれてるみたいで映えていました。観たいなあ、なんて。

 いつか「花の蹴鞠」がドラマ化されることがあったら、原作者として三浦春馬さんを推します!! いつになるか・・・。でも、春馬さんが演じられる年のうちに完成させないと、ネ(笑)。ちなみに、女主人公の広元女典子のキャラはまだ決まっていません。でも、春馬さんは絶対・・・です。でも、お読みになる方はご自身のイメージどおりでいいんですよ・・・といっても、もう春馬さんがインプットされてしまいました?

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