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2009.7.2 八王子城出土【ベネチアンレースガラス】は織田信長からの贈り物!!・・・峰岸純夫先生の新刊『中世の合戦と城郭』を拝読して

Dsc_0001 最近、峰岸純夫先生は精力的に何冊もご著書を出されています。これはそのうちの一冊で、5月に発売になりました。中世城郭などの遺跡保存運動に長く携わってこられた先生の、いわばその集大成のような内容です。

 私が歴史に興味をもってシンポジウムにでかけた頃が、振り返ってみるとその保存運動の活動の真っただ中でした。石井進先生も、網野善彦先生もお元気でいらして、中世史世界は燃えていました。ちょうど、横浜は六浦の上行寺東遺跡が、横浜市のみなとみらい化開発計画に負けて保存運動が挫折したあと。なので一層、これからは絶対に負けない・・・と一致団結の気運が高まっていたときでした。その中に峰岸先生もいらしたのです。

 このご著書をご紹介させていただくのに、だからほんとうはそういった遺跡の保存運動についてまとめさせていただけば先生のご意思にも沿うのでしょうけれど、私はこの一冊のほんの10行ほどの記事に目が釘付けになりました。それは、八王子城のご主殿跡から出土したベネチアンレースガラスが織田信長から賜ったものという内容・・・

 今は八王子市の郷土資料館の展示室に、石膏で象って復元されたかたちでレースガラスは展示されていますが、【発掘された八王子城】という企画展の図録用に私が撮らせていただいたときは、まだばらばらの小さな破片でした。こんな時代の、こんな関東の奥地に、何故ベネチアンガラスが?・・・というのは相当のロマンです。撮らせていただいた日は感動しました。その後遺跡の仕事を離れ、国文学の『源氏物語』に関心が移りましたので、その後の展開には疎くなっていました。なので、峰岸先生のこのご著書に「織田信長」との関係を見た時は驚きました。抜粋、引用してご紹介させていただきます。

 ・天正8年3月、(八王子城主)氏政・氏照は使者として、笠原越前守康明、間宮若狭守綱信を信長のもとに派遣している。
 ・9日に本能寺で鷹と馬を贈り、翌10日に白鳥や海産物、酒などを持って再び参上。
 ・織田家の息女を氏直へ輿入れさせ、両者が縁組をすることで後北条氏を通じて関東八州の御分国化を図りたいといったものであろう。後北条氏は、信長政権のもとで関八州の支配の実現を目ざしていると考えられる。
 ・3月21日には、安土で信長は虎皮、縮羅(縮緬・絹織物)、猩々皮、段子などの輸入品・高級品を氏政・氏照への引出物として贈っている。
 ・八王子城御主殿の発掘調査で出土したベネチア産レースガラス破片の容器はこの時の贈答品であろうか。
 ・笠原・間宮らは、天正4年に竣功して間もない安土城に登城して、その豪華さに圧倒させられたことであろう。

 こんなところに織田信長がでてきて、こんなところで織田信長と密接な関係があって・・・と、私にとっては凄い驚きでした。でも、もしかしたらあのレースガラス・・・、信長が手にしたかもしれないんですよね。だとしたら、図録の撮影に何度も並べ変えたりして触っていたとき、私は間接的に信長の手の温もりに触れたことになる・・・なんて。そのとき知っていたら、「信長様」を思いつつ、もっとしっかり感触の記憶に刻み込んでいたでしょう。もったいないことをしました。

 八王城出土のレースガラスについては、以前、このブログに書きました。「2008.3.24」の記事をご参照ください。
http://ginrei.air-nifty.com/kujaku/2008/03/post_0867.html

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