2009.9.26 峰岸純夫先生ご講演【歴史における自然と人間―災害史の視点から】を拝聴して!
●写真は今朝の空です。綺麗な朝焼けの空ですが、地震の前兆として福島県沖M4.5規模前後・・・ということが読み取れる雲です。朝日から後光のような放射が見られるのは大気中に電磁波が充満している証です。
世田谷区民会館で峰岸純夫先生のご講演があり、行ってきました。とても大切な内容でしたので、書かせていただきます。ご著書『中世災害・戦乱の社会史』に書かれたことをわかりやすくお話してくださいました。
群馬県出身でいられる峰岸先生は前橋市にあった「女堀(おんなぼり)遺跡」を卒業論文にされたそうです。まだ発掘調査がされていない時期でした。その後発掘調査が進み、事実が解明されて、この遺跡が浅間山が噴火したために造った用水と判明したそうです。そういうようなことから、先生の歴史における災害史の研究がはじまったのだそうです。
でも、当時はそういう視点で歴史を見る方はほぼ皆無で、「自然決定論者ですね・・・」といわれたとか・・・。今は普遍的になってきているどころか、重要な視点にすらなっている分野ですが、最初にこういう世界に着目されたところに峰岸先生の先生らしさがあるなあと思ってしまいました。
歴史はただ人間が作るのではありません。その人間は住む環境によって支配されています。浅間山の噴火が遠くフランス革命を引き起こした遠因という話も聞いたことがあります。噴火によって上空に塵が溜まり、日射時間が少なくなって、食物の不作となり、人民に不平が溜まって革命・・・、これはまだ自分でたしかめた情報でないので曖昧ですが、こんなふうな連環は有り得るでしょう。
歴史の中に災害の爪痕をみるのは簡単です。例えば鎌倉の大仏様に東大寺のような大仏殿がないのは、津波によって流されたから・・・とか。
でも、大切なのは、知識として、「そうだったのか・・・」と驚いたり納得して終わることではありません。そういう繰り返される歴史を読んで、私達の今後にどう生かすかを考え、実行することが大事なのです。
今日の峰岸先生のお話の根幹はそこにありました。凄いな、と思いました。視点がはるかにグローバルです。
地球も、人類も、大小の差はあれ、「生成→消滅」の過程を歩んでいることに変わりありません。現代は両者ともに「生成・誕生」からはじまって頂点に達したあたりに位置します。これから「絶滅・消滅」に向かうのです。
生成から頂点に達する「昇り」のときはキーワードは「発展・開発」でした。でも、消滅へと下降するこれからのキーワードが同じでいいはずはなく、それは「メンテナンス」なのだそうです。それを心に置いて、事に当たるときは物事の決定をしなければならない。今までと同じ考え方で仕切っていてはいけない・・・・、
峰岸先生はそう訴えかけられました。これは「歴史」の講演ではないなあと、感嘆しました。鳩山首相が「25%削減」と呼びかけられた問題にしても、そうしなければ地球が駄目になってしまうのです。人間の側の利益で「それは無理」などと言っていてはいけないのです。視点を変える必要を、峰岸先生は歴史を見た目で語られました。政治家とか実業家といった方々にこそ心していただきたいとても大切なお話と思いました。