2009.10.1 塚本邦雄『 定本 夕暮の諧調 』について・・・
連載中の小説「花の蹴鞠」が、『新古今和歌集』の時代に突入しますので、その準備に関係の本を読み漁っています。
『家長日記』についても書いておきたいのですが、時間がないままに過ぎてしまいそうです。一つだけ記しておきたいのですが、コピーした全釈を読み始めて、何だか妙に後鳥羽院のことばかりがリアルに書かれているなあと驚いたら、なんと、『家長日記』は、家長が後鳥羽院を讃美する目的で記されたのだそうでした。
家長は自分をとりたててくれた後鳥羽院に対する感謝・恩を忘れずにいて、紫式部が道長を讃えるために『紫式部日記』を残したのに倣って、自身も日記を書いたのだそうです。こんなところにまで紫式部というか、源氏物語世界が浸透していると、驚きました。
で、『新古今和歌集』に話を戻しますと、私の最初の『新古今和歌集』体験は塚本邦雄氏によってでした。地元の図書館に、『新古今新考 ―断崖の美学』があって、それはもう目も覚めるような言葉のあやかしの世界でした。なので、私の『新古今和歌集』感は塚本邦雄氏の「断崖」感に染まってもう離れられません。良経も、塚本氏との出逢いがなかったら、その良さを知らずに通過していたでしょう。
この『夕暮の諧調』は、塚本氏にすっかり虜になってしまった頃購入したものです。夢中になって読んで、「こんな凄い本は他にない!!」とばかりに燃えました。昨日、久々にこれを取り出して、ぱらぱらと拾い読みしたら、面白い箇所がありましたのでご紹介させていただきます。それは、「紅葉非在」という章の中にありました。
氏は、なんと、数名の親しい友人の方に、「新古今集ベスト・3」のアンケートを試みられたのです。氏も書いていられますが、これは「暴挙」です。十二巻二千首に近い歌数のなかから三首を抜き出せ・・・、なんて。
でも、その暴挙だから、楽しいですよね。なんか、本質が浮き出る感じで。結果として選ばれた歌人は八名。歌数は二十一首。それを列挙してご紹介させていただきましょう。
●春日井建・選
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮(定家)
大空は梅のにほひに霞みつつ曇りもはてぬ春の夜の月(定家)
駒とめて袖打ち払ふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮(定家)
●寺山修司・選
忘れめや葵を草に引き結び仮寝の野べの露のあけぼの(式子内親王)
かへり来ぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふ橘(式子内親王)
生きてよも明日まで人はつらからじこの夕暮をとはばとへかし(式子内親王)
●岡井隆・選
時鳥ふかき嶺より出でにけり外山の裾に声の落ち来る(西行)
きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかり行く(西行)
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさよの中山(西行)
●菱川善夫・選
風かよふ寝覚の袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢(俊成女)
うちしめりあやめぞかをる時鳥鳴くや五月の雨の夕暮(良経)
夕暮はいづれの雲の名残とて花橘に風の吹くらむ(定家)
●原田禹雄・選
今日もまたかくや伊吹のさしも草さらばわれのみ燃えや渡らむ(和泉式部)
風かよふ寝覚の袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢(俊成女)
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする(式子内親王)
●山中智恵子・選
樗咲く外面の木蔭露落ちて五月雨晴るる風渡るなり(忠良)
夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしの声(式子内親王)
遥かなる岩のはざまにひとりゐて人目思はでもの思はばや(西行)
●塚本邦雄・選
夕暮はいづれの雲の名残とて花橘に風の吹くらむ(定家)
見渡せば山もと霞む水瀬川夕べは秋となに思ひけむ(後鳥羽院)
ほととぎすその神山の旅枕ほのかたらひし空ぞ忘れぬ(式子内親王)
皆様はどう思われたでしょう。この結果に対しての感想を塚本氏自身が記されていて、それも興味をそそりますが、長いのでご紹介できないのが残念です。ただ、私個人としては、「花の蹴鞠」に俊成女を登場させているところなので、菱川先生が彼女を筆頭にあげてらっしゃるところが嬉しかったです。菱川先生にはもっと生きてらして「花の蹴鞠」をご覧になっていただきたかったですね・・・。
というか、春に発表した論文「『源氏物語』二大写本に秘めた慰藉―『平家物語』との関係をめぐって―」は、菱川先生にこそ読んでいただきたかったんです。というのも、あの着想を得て書いた最初の原稿を読んでいただいていて、「驚きましたね。平家文化の余光のなかで、源氏物語と平家物語がドッキングし、定家と光行が見えない糸で結ばれて・・・」とお手紙をいただいていました。と書いて今更に驚きましたが、あれを書くまで定家と光行、『源氏物語』と『平家物語』が、密接に関係あるなんて、どなたもまだ知らなかったんでした・・・。(菱川先生は短歌評論者でいられる前に、国文学者でもいられました・・・)
完成したものを見ていただけなかったのが、かえすがえすも残念でたまりません。でも、最後になったお葉書、それは今思うと力を振り絞って渾身の思いを込めて書いてくださったのですが、「必ずや詩神が天恵を与えてくれると信じています」と書いて下さった・・、それが「花の蹴鞠」で実るよう、頑張ってます!!
菱川先生も、塚本邦雄氏も、すでに幽明界の方です。『夕暮の諧調』から思わず菱川先生の思い出に入ってしまいましたが、素晴らしいとしかいいようのないお二方の、せめてご生前に接しさせていただいたことを幸運と思っています。