2009.10.6 由緒ある歴史の地【鞆】・・・『崖の上のポニョ』の舞台ともなった地の景観が守られてよかったですね!!
茶道をなさっているお友達から、「鎮信流(ちんしんりゅう)」という武家流の流れをくむ流派だということを教えていただいて、井伏鱒二さんの『鞆の津茶会記』を思い出しました。
私はお茶の嗜みがないので知らなかったのですが、この小説を読むと通常私たちが思っているお稽古の世界の茶道とまったく違う、厳しい「男たちの世界」が茶道の世界にはあることがわかります。これは思いもかけない開眼でした。その後、井上靖さんのたしか『本覚坊遺文』だったと思いますが、やはり「男の世界」の厳しい茶道を読んで、以来、お茶というと私の中では「戦いに出る前の死の儀式」、「厳しい地に挑むからこそその前に心を整える大切な時間」・・・というふうな印象に捉えられています。
が、それは戦国時代の話で、現代にそういう流派が存在するなど思っていませんでしたので、彼女のお話は衝撃的でした。(大袈裟でなく・・・)。 で、すっかりその事に心が捉えられて一日過ごしたのですが、そうだ、せっかくだから鞆のことを書いておこうと思ったのです。というのも、最近、この鞆が話題になったばかりですので。
鞆は広島県福山市の瀬戸内海に面する港です。鞆が最近脚光を浴びたのは、宮崎駿監督が映画『崖の上のポニョ』を構想されるのに鞆を舞台とされたからでした。その地が県と市の埋め立て・架橋事業で景観が損なわれそうになって裁判がとなり、「免許交付差し止め」という景観を守る原告側の勝訴の判決が出されたのです。
行くとわかるのですが、ほんとうに風光明媚。こんなに風光明媚な地はないと言い切ってしまいたいくらいな地です。それは、筝曲、宮城道雄『春の海』が、ここで作曲されたというだけで納得していただけるでしょう。あの名曲を生んだ舞台なんです。
鞆の歴史はそれだけではありません。鞆はかつて「潮待ちの港」として栄えた歌枕の地で、鎌倉時代には宿屋や遊女の店が軒を連ねたほど。万葉集では大伴旅人が「吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき」と詠い、中世には滞在した二条が『とはずがたり』の中で記し、江戸時代には朝鮮通信使が訪れて頼山陽らと詩文を交わし、さらに現代になって井伏鱒二さんが『さざなみ軍記』の舞台として書かれました。『鞆の津茶会記』も。そしてさらに、『崖の上のポニョ』・・・
私にはどれをとっても大切な、日本の知的財産、知的文化財を含有する地として守りたい景観ですので、「差し止め」の判決にはほれぼれしました。
話を井伏鱒二さんの『鞆の津茶会記』に戻しますと、それは鞆にある安国寺が舞台です。写真の三枚目の枯山水はその安国寺の庭です。『鞆の津茶会記』はその前に読んでいて感服していましたから、思いがけず舞台となった安国寺を訪ねたときには堪能しました。
私が鞆を訪れたのはまったくの偶然で、遺跡発掘調査の仕事に就いていたとき、福山市に「日本のポンペイ」と言われる中世の遺跡があると知って、そこを訪ねた縁ででした。せっかく来たのだからどこか近くを周ろうと調べていて、「鞆」に行き当たったのです。
川の氾濫で町全体がポンペイのように一瞬にして埋まってしまったその遺跡は「草戸千軒町遺跡」と言って、福山市を流れる芦田川の中州にあります。このときのことはHPに写真とともにまとめてありますので、よかったらご覧になってください。書きたいことはみんなそちらに書いていて重複しますので・・・
http://www.odayuriko.com/
の中の、【中世の遺跡と史跡】の中の、「■広島県/草戸千軒町遺跡・鞆」にあります。写真はそこからの転載ですので小さくて済みません。まだフィルムで撮っていた時代ので、スキャンしなおす余裕がなくて・・・(HPもリニューアルを標榜しながら、まだ構想がまとまらなくてそのままになっています・・・)