2009.12.22 明日朝にBS2で「私たち、草食系武士です。~新・平家家族物語~」の再放送があります!!
写真は、京都の梅小路公園。昔、平家一門の邸宅が一帯にはありました。京都市都市緑化協会HPより引用させていただきますと、「平安末期には、平清盛の「西八条第」(にしはちじょうてい)が南北は八条大路と八条坊門小路、東西は大宮大路と坊城小路の方6町に造営され、また同時期に八条女院御所も八条大路を中心に造営されていました。しかし、西八条第は寿永2年(1183)7月25日に平氏一門自らの手で火を放たれ焼失しました」のだそうです。
http://www.kyoto-ga.jp/umekouji/history.html
高橋昌明氏『平清盛 福原の夢』には、西八条殿の他、重盛邸、頼盛邸、宗盛邸、重衡邸等の位置が明確に書き込まれた地図が載っています。
私は2008年の源氏物語千年紀の年に、【写真でたどる源氏物語の歴史―鎌倉で『河内本源氏物語』ができるまで―】と題した写真展を開きました。そのときに40枚ほどの写真を並べました。『源氏物語』ができた道長の土御門邸宅跡から、『源氏物語』を踏襲した平家文化、源氏の世に移っての鎌倉、そして『河内本源氏物語』の舞台となった金沢文庫の称名寺・・・という流れです。
古典や資料としての文献を探っているときにはそれほどと思わなかったのですが、長い間に撮り溜めた写真の中から選びに選んで抜粋した40枚を一挙に並べたときに、『源氏物語』が書かれた900年代から、『河内本源氏物語』の成った1200年代までの間の文化で、平家文化の占める比重のとても大きいことに気がつきました。10枚のパネルを用意して、それぞれにテーマを決めて4枚ずつ貼っていったのですが、平家文化だけはパネルが2枚になってしまったのです。それから私の中で平家文化、ひいては平家一門の人たちの、人たちとの、人間関係への興味が広がりました。そうして見ていったなかで、従来言われていたような「奢れる平家」という印象が実はがそうではなかったことに気がついたのです。
こういったことは今までもこのブログで事あるごとに書いていますので重複を避けますが、先週放送されたNHKの歴史秘話ヒストリア【私たち、草食系武士です。~新・平家家族物語~】では、最近私が思っているのと全く同じ平家観が打ち出されていたわよ、と知人からのご報告がありました。私は見損ねたので再放送がないか探したら、23日朝にあることがわかりました。もう明日の朝なのですね。楽しみに見ようと思っています。内容は、タイトルから察せられると思いますが、「草食系・・・」とは!! 現代風な解釈をするとまったくそのとおり、なのかもです。
知人に教えられて興味をもったのは、誰の監修なのだろうということ。従来の学者さん方の示唆でこういう内容になるわけがありません。それで、再放送を調べたページで見たら、参考文献に高橋昌明氏のご著作がメインに取り扱われていたことがわかり、納得したのでした。タイトルの「福原の夢」が示すように、ここには従来の清盛の福原遷都が清盛の「横暴」でなく、「夢」だった、というような新しい、温かい、美しい、視点があります。私にとって出逢えて嬉しかった大切なご著作です。http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/28.html
★ご参考までに過去ブログを・・・
2008.2.1 平清盛と「福原の夢」と『源氏物語』
2008.5.7 京都紀行8・・・平家一門の西八条第があった「梅小路公園」
カテゴリー・・・写真展【写真でたどる源氏物語の歴史】
★冒頭のブログパーツの動物をクリックしてみて下さい。素敵な「Tord Boontjeワールド」が出現します!!ただ、私のブログは写真が多くて容量が重いので、全部をご覧になるのに時間がかかります。以下のブログパーツ設置ページの見本で下の方まで見ることができます。
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