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2010.1.14 万葉集の歴史の森に分け入りましょう!!・・・⑤埼玉県比企郡吉見町御所 吉見観音安楽寺

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埼玉県比企郡吉見の吉見観音安楽寺へは、東武東上線東松山駅から行きます。ここは源範頼ゆかりの寺院。あの源頼朝の弟で、義経の兄にあたる人物です。私が現地を訪れたいと思った最初の寺院です。というのも、範頼は比企氏の女性と結婚しているのです。

 伊豆流刑時代の頼朝を支えた比企尼。その長女の丹後局。その丹後局が安達盛長と結婚してできた女性と範頼は結婚しているのです。つまり範頼の妻は安達盛長の娘なのです。(と、こんなところで源家と比企氏、安達氏が繋がっているのも面白いですね・・・)

 というのは通説で、というより『尊卑分脈』にそうあるからなのですが、ここは私はちょっと異説をもっています。それは原稿の方に書くことにして、一応ここでは通説のとおりに書いておきます。

 通説では、(事実かもしれませんが・・・)、比企尼は孫娘と結婚した範頼に領地を与え、そして住んだのがこの地区といわれています。で、この吉見観音のある地名も「比企郡吉見町御所」です。写真四枚目にあるように、安楽寺入り口の「岩殿山安楽寺」と記した石塔(三枚目)の裏には「蒲冠者 範頼旧跡」とあります。

 実際にこの地を訪れるまで、範頼の影がこんなにこの地に色濃く残っているなんて思ってもいませんでした。御所という地名があるからには本当なのでしょう。ただ、いつどんな形で範頼がここと関わったのかというと、まだ不可解はたくさんあります。第一に、吉見観音には「範頼が平治の乱後ここに逃げ延びて稚児僧として暮らした」とあります。これだと比企尼に領地を貰って・・・というのと辻褄があいません。また、範頼には京で範季に引き取られて成長したという、これはほぼ事実らしいのですが、そうすると吉見観音の「稚児僧」はなかったことになります。このあたり、真実はどうなのでしょう。そんなことを確かめたくて吉見観音に行ったのですが、実際に目でたしかめた「範頼の影」はかなり明確に現実的でした。

 ここからすぐのところに息障院という寺院があります。こここそ伝範頼館跡という旧跡です。範頼が頼朝の怒りを買って殺された後、比企尼と丹後局の必死の嘆願で命を救われた二人の子息(丹後局の娘との子)の子孫がここで暮したともいいます。そのあたりも曖昧ですが・・・

 その二人の子供が命を助けられた代わりに入寺させられたのが、このシリーズで①としてとりあげた慈光寺です。慈光寺については、その後どんどん知識が広がって、書こうとしている原稿もとんでもない方向に膨らんで、面白くなってきています。原稿にはしっかりまとめますが、このシリーズでその面白さを感じていただけるよう、これからも続けて書きますね。万葉学者仙覚さんも、しっかりとこのワールドに踏み込んできています!

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